12 低空の攻防

 フレッチャー少将率いる第十七任務部隊が最後に放った攻撃隊、ヨークタウンから発進したF4F八機、SBD二十四機、TBD九機の計四十一機の攻撃隊が第一航空艦隊を捕捉したのは、一〇〇三時(日本時間:〇七〇三時)のことであった。

 ヨークタウン隊はエンタープライズ隊、ホーネット隊と異なり、戦闘機隊、艦爆隊、雷撃隊の三隊が分離することなく飛行を続けることに成功していた。

 最初に一航艦を発見したのは、第五偵察中隊のウィリアム・O・バーチJr少佐(SBD七機)であった。彼は眼下に日本の大型空母の姿を認めていた。

 ただし、バーチ少佐が第一航空艦隊を発見した時点では鈍足のTBD隊はいささか遅れ気味であり、ヨークタウン第五雷撃隊を率いるジョー・テイラー少佐はバーチ隊に対して自分たちを待つように無線で呼びかけていた。

 残るウォレス・C・ショート大尉率いるヨークタウン第五爆撃隊(SBD十七機)も、一〇〇五時には一航艦を視認していた。

 一方、日本側も重巡利根が一〇〇二時(日本時間:〇七〇二時)にはヨークタウン攻撃隊を視認していた。四分後、利根から警告を受けた赤城でも距離四万五〇〇〇メートルでヨークタウン攻撃隊の姿を確認している(この時点で赤城の電探は、高角砲射撃時の衝撃で再び故障していた)。

 この段階で、いささか先行気味のバーチ少佐は決断を迫られていた。このままテイラー少佐の雷撃隊の到着を待って同時攻撃を仕掛けるか、あるいは先に攻撃を開始するか。

 バーチ少佐は周囲を見渡したが、警戒していた零戦ジークの姿は見当たらなかった。実はこの時点で、一航艦の上空を直掩していた零戦隊は、ホーネット、エンタープライズの雷撃隊を阻止していたために低空に降りていたのである。

 結果、バーチ少佐はこれを好機と判断。厄介な零戦が自分たちのところに上がってくる前に、攻撃を仕掛けることを決意した。

 彼は七機のSBDドーントレスを目標に定めた敵空母の艦尾方向に回り込ませ、高度一万七〇〇〇フィート(約五一〇〇メートル)から降下を開始した。






「敵降爆、本艦後方より接近中! 距離二万!」


 バーチ隊が狙いを定めた空母は、加賀であった。艦橋に、見張り員の叫びが響く。


「取り舵一杯。黒二〇」


 岡田次作艦長は、冷静にそう命じた。村上輝男掌舵長が「転舵三〇度」と復唱して舵輪を回す。

岡田は航空隊出身の艦長であり、特に爆撃戦術に精通した人物であった。

 加賀の最大戦速は二十八ノットと他の空母よりも遅く、転舵による速力の低下も考えて推進器の回転数を二〇回転増やす“黒二〇”を同時に命じたのである(“赤”の場合は回転数を下げる)。すでに度重なる空襲によって最大戦速を出し続けている加賀の機関にさらに負荷をかける命令ではあったが、回避運動のためにはやむを得ないと思っている。

 岡田は防空指揮所で艦尾方向から迫りつつある敵急降下爆撃機と思しき黒い点を見つめる。

 零戦隊が低空に降りてしまっていた所為で、高空にある敵機を迎撃すべき味方機の姿はなかった。恐らく、敵機は容易に襲撃運動に入るだろう。

 基準排水量約三万八二〇〇トンの船体は、取り舵一杯を命じてもまだ直進を続けていた。その間にも、敵機は接近を続けている。自艦と敵機との距離の関係か、その黒点の動きはいやにゆっくりしているように見えた。


「各部に伝達。艦の傾斜に注意せよ」


 岡田は艦内スピーカーを通してそう伝達する。大きな角度をつけて転舵をすると、加賀の傾斜は二十五度にも達する。それを、乗員たちに注意したのである。

 そして、ようやく加賀の艦首が左舷に振られ始めた時、「敵機直上、急降下!」の叫びが上がる。


「赤々、急げ!」


 間髪を容れず、岡田艦長は鋭く命じた。“赤々”は、「緊急左舷四十五度回頭」を示す。命令と同時に、周辺の艦に緊急転舵を知らせる信号汽笛が鳴らされる。

 取り舵三〇度で切られた舵がさらに回され、左舷へ転舵する慣性のつき始めた船体がさらに傾斜を深めながら回頭していく。






 急降下を開始したバーチ少佐たちは、不運に見舞われていた。

 高度が下がっていくに従って、爆撃照準器がどんどん曇っていったのである。さらに前部風防まで曇始め、ほとんど前が見えないという最悪の状況に陥っていた。

 これは空気中の水蒸気が凝結した結果ではあるのだが、当然ながら彼らは神の仕打ちを呪っていた。

 それでもバーチ少佐は己の勘を頼りに一〇〇〇ポンド(約四五三キロ)爆弾を目標と定めたジャップ大型空母に投下する。部下の六機のSBDもまた、隊長機に続いて爆弾を投下した。

 しかし、加賀が緊急左舷四十五度回頭という大転舵を行ったことも重なり、七発の爆弾は彼女の右舷側に七本の水柱を立てるだけに終わってしまったのであった。






 一方、一〇一三時(日本時間:〇七一三時)、ジョー・テイラー少佐率いるヨークタウン第五雷撃隊も一航艦への襲撃運動を開始していた。

 この時、テイラー少佐は最も近くにいる空母飛龍へと狙いを定めていた。

 残るウォレス・C・ショート大尉率いるヨークタウン第五爆撃隊のSBD十七機は無線での遣り取りで、第五雷撃隊が最も近くにいるジャップ空母に対する襲撃を試みようとしていることを知らされていた。

 テイラー少佐らが狙っているのはジャップの大型空母ではなく小型空母のようであったが、鈍足のTBDデバステーターではやむを得ない判断であろうとショート大尉は考えていた。零戦ジークに捕捉、撃墜される前に魚雷を投下するには、最も狙いやすい標的を選ぶしかないのだ。

 ショート大尉は第五雷撃隊と目標が重なることを避け、さらにその向こう側にいるジャップ空母(これは空母蒼龍であった)に狙いを定めた。

 彼らにとって幸いなことに、自らとその目標と定めたジャップ空母との間には断雲が存在していた。自分たちの襲撃運動をジャップ空母の見張り員の目から隠し、また零戦の襲撃を避けるには好都合な存在であった。

 ショート大尉は迷わずその断雲の影になるように編隊を導き、ジャップ空母に対して急降下を行う時機を見定めようとしていた。


  ◇◇◇


 エンタープライズ艦爆隊を率いるマクラスキー少佐は、次第に焦燥に駆られるようになってきた。

 針路を北西に変えて飛行を続けているが、一向にジャップ艦隊は発見出来ず、ただ蒼く壮大な海が広がっているだけであった。

 燃料計の針はすでに半分を切り、母艦に帰還するか、それが無理ならばミッドウェーの基地を目指す決断を下さなければならない時刻が近付いていた。

 身を焼かれるような太陽の光は、そのままマクラスキーの焦燥に繋がっていた。それでも彼は三十一機のSBD隊を率いて飛行を続ける。

 腕時計を確認すると、〇九五五時を指していた。

 針路を変更するときに自分が決めていた一〇〇〇時まで、あと五分しかない。それを過ぎれば、本当に帰還を決断しなくてはならなくなる。

 彼は祈るような気持ちで、再度海面を確認した。


「……?」


 そこで、マクラスキーは己の目を疑うことになった。

 洋上に、一筋の航跡があった。

 一瞬、ジャップ艦隊を追い求めるあまり自分の脳が見せた幻覚かと思ったが、どうやら間違いなかった。白い軌跡の先を追えば、そこに一隻の巡洋艦と思しき艦影があった(これは、敵潜水艦を探知、その制圧を行った後、一航艦本隊に合流しようとしていた駆逐艦嵐であった)。


「主よ、あなたの恵みに感謝いたします」


 マクラスキーはそっと胸の前で十時を切った。

 彼はこのジャップ巡洋艦(実際は駆逐艦)を、上陸船団と空母部隊との連絡役であると判断していた。この艦の後を尾ければ、ジャップ空母部隊が発見出来るかもしれない。

 マクラスキーはその巡洋艦に導かれるように、翼を北東方向に翻した。ウィルマー・E・ガラハー大尉の第六偵察隊とリチャード・H・ベスト大尉の第六爆撃隊がそれに続く。

 この瞬間、マクラスキーは賭けに勝った。

 彼が本来の帰投時刻と定めていた一〇〇〇時、行く手に探し求めていたジャップ艦隊の姿を発見したのである。

 マクラスキーが双眼鏡で注意深くその艦隊を観測してみると、それは空母四隻を擁する紛れもない空母部隊であることが確認出来た。

 一〇〇二時、彼は母艦であるエンタープライズに敵空母発見の報告を送る。

 そして、彼は絶好の位置からジャップ空母に急降下爆撃を仕掛けられるよう、ジャップ艦隊を大きく迂回して太陽を背に出来るように編隊を誘導し始めた。






 上昇を続けていた岩本徹三一飛曹は、六〇〇〇メートルの高空に黒い点の集合を視認していた。

 よく目を凝らして見れば、それらの黒点と自分たちの小隊はすれ違うような進行方向であった。つまり、上空に見える連中は間違いなく一航艦に向かおうとしている。

 翔鶴の電探が捉え、自分たちに確認の命が下っていた未確認機の編隊とは、これのことに違いない。

 岩本は後続する伊藤二飛曹機、前一飛機に、敵機発見の合図を送る。

 だが問題は、こちらは零戦がたった三機しかいないことだ。どう見積もっても、一航艦に向かおうとしている敵編隊と思しき連中は三〇機以上はいる。

 高度からして、降爆の編隊だろう。だが、どういう訳か護衛の敵戦闘機の姿が見えない。

 好機ではあった。

 しかし、高度差とこちらの機数の少なさが問題であった。敵機は自分たち小隊の二〇〇〇メートル上空を飛行している。

 向こうがこちらに気付いた様子はないが、こちらも即座に襲撃することは出来ない。

 また、零戦に搭載されている九六式空一号無線電話機は極端に性能が悪いために、一航艦の母艦たちに敵編隊が迫っていることを知らせることも出来ない。

 やむを得ず、岩本は機体を反転させて敵編隊を追尾することに決めた。二機の列機が、小隊長である彼の零戦に続く。

 恐らく、あと数分もすれば残りの零戦隊もそれなりの高度に達するだろう。

 岩本は敵編隊に気付かれないよう、上昇を続けながら敵編隊の死角になっている背後下方から接近することにした。

 目の前の編隊が攻撃態勢に入るまで、まだ多少の時間的余裕はあるだろう。

 しかし、いざとなれば自分たち三機だけでも敵降爆への攻撃を開始する肚であった。


  ◇◇◇


 空母飛龍は、ジョー・テイラー少佐率いるヨークタウン第五雷撃隊の襲撃を受けることとなった。

 この時、飛龍は度重なる空襲とそれに伴う回避運動の結果、一航戦、二航戦の四空母中、最も北に位置していた。


「敵雷撃機、本艦に接近中! その後方より零戦!」


「同士討ちになる。射撃は控えろ!」


 加来艦長が、砲術長に命じる。

 この時、四空母上空には未だ三〇機以上の零戦が上空直掩として舞っていた。蒼龍の藤田怡与蔵大尉など一部の零戦は先ほど加賀が敵急降下爆撃機の攻撃を受けたことから、急上昇をかけて上空の警戒に当たろうとしている。

 それ以外の、未だ低空に留まっていた機体が新たな敵雷撃機の来襲に気付いて襲撃を仕掛けた。そこに、チャールズ・R・フェントン少佐率いる護衛のF4F隊が駆け付ける。

 〇七一五時(現地時間:一〇一五時)より、再び空戦が開始された。

 だが、F4F隊の劣勢は明らかであった。ヨークタウン攻撃隊の護衛として付けられていたのは、わずか八機の戦闘機に過ぎなかったからである。

 彼らとTBD雷撃隊は、二〇機以上の零戦隊の襲撃を受けた。必然、フェルトン少佐のF4F隊は雷撃隊の護衛どころではなくなってしまう。まずは自らの身を守るので、精一杯となってしまったのである。

 テイラー少佐率いる第五雷撃隊は、零戦に襲われながらも必死に飛龍に対する雷撃の射点に取り付こうとした。

 零戦の側も、相次ぐ防空戦闘によって二〇ミリ機銃弾を消耗していたため、七・七ミリ機銃によってデバステーターを攻撃せざるを得なかった。

 だが、零戦の最高速度は雷撃時のデバステーターの速度の三倍以上あり、執拗な射撃によってTBDの機体に打撃を与えていった。

 テイラー少佐機は飛龍から一八〇〇メートルのところで被弾、落下傘での脱出を図ったが、この時の高度は海面から四十五メートル。落下傘が開く暇もなく、海面に叩き付けられた少佐は戦死する。

 飛龍への雷撃に成功したのは、わずか二機のTBDのみであった。しかし、彼らの魚雷投下地点は飛龍から二〇〇〇メートル近くも離れていたため、加来艦長は余裕をもって取り舵に転舵、この二本の魚雷を躱すことに成功している。

 テイラー雷撃隊の攻撃が失敗に終わった〇七二〇時、これまで一時間近くにわたって続いていた米軍機による空襲が途絶え、一航艦は一瞬の静寂に包まれていた。






「今のうちに、直掩機を一時収容して、燃料と弾薬の補給をさせましょう」


 赤城艦橋で、源田実中佐はそう言った。

 上空直掩の零戦隊は、激しい機動と度重なる射撃によって燃料と機銃弾を消耗していた。それを、敵機の来襲が途絶えたこの瞬間に行ってしまおうということである。

 すでに赤城の通信室は、第一次、第二次攻撃隊からの戦果報告を受信していた。「敵空母三、戦艦一、巡洋艦一撃沈確実」という報告は、一航艦司令部を沸き立たせた。

 その直後に起こった空襲が大戦果の歓喜に水を差すような結果となってしまったが、ともかくも無傷で空襲を切り抜けられたわけである。


「五航戦索敵機からの報告は、まだないか?」


 一方、南雲忠一中将は未確認の米空母部隊の存在が気になっていた。


「はい。いいえ、まだのようです」


 吉岡航空乙参謀がそう答える。

 南雲はどこか釈然としないものを感じている一方、源田航空甲参謀は状況を未だ楽観的に捉えていた。

 確かに、未確認の米空母部隊が存在することは想定外の事態であったが、こちらはすでに敵空母三隻を撃沈している。一航戦、二航戦の攻撃隊だけでこれだけの戦果が挙げられたのであるから、五航戦の機体も加えた攻撃隊を編成出来れば、残る米空母も容易く撃沈出来るだろう。

 源田はそう考えていたのである。

 また、零戦隊の前に次々と撃墜される敵機の姿も、彼の自信を深めていた。搭乗員の練度では、こちらが米軍を圧倒している。


「ところで、五航戦の第三次攻撃隊の発進準備はどうなっていますか?」


 念の為といった調子で、源田は一航艦主隊から遅れ気味の五航戦とその護衛艦艇の様子を尋ねた。

 どうもこちらが空襲を受けているのを見て、あえて合流を遅らせているようであったが、そろそろ合同させねばならないと思っている。源田の理論では、空母は集中運用してこそ意味がある艦種なのだ。

 これ以上、五航戦との距離が離れるのは彼の戦術論に反していた。


「確認させましょう」


 通信参謀の小野寛治郎少佐が、通信室に伝令を出そうとしたその瞬間であった。見張り員の絶叫が、一航艦司令部の耳に飛び込んできた。


「敵降爆、三機直上! 急降下!」

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