2 MI作戦

 一九四一年十二月八日に英米との戦争に踏み切った大日本帝国であるが、ではその戦争を具体的にどう終結に導くのかといった点に関しては、戦争指導者たちの間で十分な検討がなされたとは言い難かった。

 日本が開戦前、唯一成文化出来た戦争計画は、四一年十一月十五日に大本営政府連絡会議において決定された「対英米蘭蔣戦争終末促進ニ関スル腹案」であった。

 陸軍省軍務局の石井秋穂大佐が、東條英機首相兼陸相の命を受けた武藤章軍務局長の指示によって作成したこの文書は、「速ニ極東ニ於ケル英米蘭ノ根拠ヲ覆滅シテ自存自衛ヲ確立スルト共ニ更ニ積極的措置ニ依リ蔣政権ノ屈服ヲ促進シ独伊ト連携シテ先ツ英ノ屈服ヲ図リ米ノ継戦意志ヲ喪失セシムル」ことを戦略目標に定めた戦争計画であった。

 そして腹案では、イギリスの屈服を促すためにインド、オーストラリアとイギリス本国との連絡を遮断し、ビルマ、インドの独立を図りつつインド洋にて日独伊三国が連絡線を構築することを具体的な作戦目標として定めていた。

 つまり、開戦当初の日本の戦争指導部は、イギリスを戦争から脱落させることで間接的にアメリカに打撃を与え、対米講和に持ち込むという戦争計画を立てていたわけである。

 だが、腹案は欧州戦線におけるドイツの優位を前提に立案された戦争計画であり、ドイツ軍のモスクワ攻略が失敗に終わりその勢いに陰りが見え始めると、日本側の戦争計画そのものも揺らぎ始めた。

 南方資源地帯の占領を目指した第一段作戦が順調に推移し、ジャワ島の占領が目前となった一九四二年三月七日、大本営政府連絡会議にて「今後採ルヘキ戦争指導ノ大綱」が決定された。ここでは今後の戦争指導方針として「英ヲ屈服シ米ノ戦意ヲ喪失セシムル為引続キ既得ノ戦果ヲ拡充シテ長期不敗ノ態勢ヲ整ヘツツ機ヲ見テ積極的ノ方策ヲ構ス」という目標が掲げられたが、陸軍の守勢作戦と海軍の攻勢作戦をそのまま盛り込んだだけであり、東條首相からもその矛盾に苦言が呈されるほどであった。

 ただし、参謀本部の田中新一作戦部長は、今後の作戦構想として陸軍の伝統的な対ソ戦や支那事変終結のための重慶攻略作戦の他、インド侵攻作戦、セイロン島攻略作戦、西亜(イラン、イラク方面)作戦を立案するなど、その攻勢方面はあくまで西方であった。

 これに対して攻勢方面が内部でまったく分裂を起こしていたのが海軍であり、本来であれば作戦用兵を担当する部署である軍令部と、作戦の実働部隊である連合艦隊司令部との間で、第二段作戦以降の作戦構想が真っ向から対立していたのである。

 作戦立案を担当する軍令部第一部第一課長の富岡定俊大佐らが米豪の分断を目指す「FS作戦」を立案する一方で、連合艦隊司令長官である山本五十六大将はハワイ攻略作戦に拘っていた。

 山本自身はセイロン島攻略も含めたインド洋作戦にも前向きであったが、やはり本命はハワイ攻略作戦であった。

 連合艦隊司令部の参謀の多くも太平洋での日米決戦を望んでおり、四二年二月二十日から二十二日に連合艦隊旗艦・大和艦上で行われたインド洋作戦の図上演習でも、図演そのものに疑義を挟む参謀たちを、宇垣纏参謀長が「まず英国を屈服させるのが大方針である」とたしなめる一面すらあった。

 結局、セイロン島の攻略についてはドイツの戦況が思わしくないこともあって陸軍側が消極姿勢に転じたため立ち消えとなり、山本はハワイ攻略作戦により固執していくこととなる。

 しかし、このハワイ攻略作戦も重慶攻略作戦と西進作戦を重視する陸軍の賛同を得るには至らず、山本はやむなくミッドウェー島周辺での米空母撃滅を目指す作戦構想に切り替えることとなった。

 結果、FS作戦を対米作戦上有効とであるとしてミッドウェー攻略に懐疑的な軍令部第一部第一課との間に激論が発生し、福留繁第一部長や伊藤整一軍令部次長の取りなし、山本が自身の辞任をほのめかしたことなどにより、軍令部と連合艦隊司令部との間で第二段作戦計画がまとまったのは、ようやく四月五日のことであった。

 それは、第二段作戦第一期作戦としてニューギニア島の要衝ポートモレスビーを五月初旬に攻略を目指す「MO作戦」を実施した後、六月上旬にミッドウェー攻略「MI作戦」、七月中旬にフィジー、ニューカレドニア攻略「FS作戦」、そして十月を目途としてハワイ攻略作戦の準備を進めるというものであった。

 しかし、この翌日の四月六日、インド洋で発生した第一航空艦隊とイギリス東洋艦隊との戦闘が、海軍の作戦計画のすべてを狂わせてしまった。

 セイロン沖海戦と呼ばれる一連の海戦は、英戦艦ウォースパイト、空母インドミタブル、フォーミダブル、ハーミス、重巡コーンウォール、ドーセットシャー、駆逐艦・輸送船多数撃沈という大戦果を挙げたものの、セイロン島を発進したブレニムブレンハイム爆撃機によって空母赤城、翔鶴が被弾するという損害をこうむってしまったのである。

 幸い、飛行甲板が破壊されて航空機の発着が不能となる程度の損害で船体に重大な損傷を受けたわけではなく、無事に両艦は四月二十二日、内地へと帰還した。しかし、その修理に二ヶ月はかかるという見通しが立てられたことは、海軍に以後の作戦の日程を改めさせるのに十分なものであった。

 さらに第一航空艦隊の内地帰還直前の四月十八日に発生したドーリットル空襲が、海軍全体に哨戒線を大きく東方に広げる必要性を痛感させる事態となったことも、赤城、翔鶴の被弾と合せて海軍が作戦全般の見直しを行う契機となった。

 それまでミッドウェー作戦に懐疑的であった軍令部も、ドーリットル空襲によって作戦の実施に積極的になったのである。

 問題は、この時、一航艦の使用出来る空母が加賀、蒼龍、飛龍、瑞鶴の四隻に減じてしまったことであった。

 ポートモレスビー攻略「MO作戦」に際して、加賀、蒼龍、飛龍を参加させる予定であったが、ここでもしさらに空母が損傷すれば、以後の作戦はすべて実施が不可能となってしまう。

 そうした不安に駆られた軍令部と連合艦隊司令部は、第二段作戦の重点をミッドウェー攻略に移していたこともあり、MO作戦とそれに付属するナウル・オーシャン攻略作戦の延期を決定。ミッドウェー作戦の実施を最優先とした。

 ミッドウェー攻略作戦と同時に予定されていたアリューシャン攻略作戦「AL作戦」についても、米空母部隊とミッドウェーの基地航空隊を同時に対処するには一航艦単独では不足と考えられたことから、これは中止と決定された。

 セイロン沖海戦で英艦隊との戦闘中に基地航空隊の襲撃を受けた経験が、軍令部や連合艦隊司令部ではよほど不安材料となっていたようである。

 さらに、ミッドウェー作戦自体が一ヶ月繰り下げとなった。

 四月末段階における海軍の情勢判断では、米海軍の使用可能な空母サラトガ、エンタープライズ、ホーネット、ワスプの四隻と見積もられていた。レキシントンについては二月時点において一度は撃沈されたと認定されていたが、この頃になると米西海岸で修理中であるとの判断がなされるようになっていた(実際にはサラトガが修理中でワスプは大西洋。この他に太平洋にはヨークタウンが存在)。

 このため、第一航空艦隊は六隻が揃った万全の状態での出撃が必要であると判断され、当初、二ヶ月と判断された赤城と翔鶴の修理は一ヶ月以内に完了させるよう通達が出された。

 そして上陸日の月齢の関係から、当初の六月七日上陸予定を七月七日に繰り下げたのである。

 アリューシャン方面の作戦を実施しないことになったため、当該海域でこの時期発生しやすくなる霧についても考慮する必要がなくなった。だからこそ、六月の攻略予定日の一ヶ月繰り下げという決断が出来たのである。

 もちろん、この一ヶ月の遅延により真珠湾で壊滅したアメリカ艦隊に再建の時間的余裕を与えてしまうことも、軍令部も連合艦隊司令部も理解していた。だからこそ、作戦は一ヶ月だけの繰り下げとし、赤城と翔鶴の修理を急がせるように命じたのである。

 そして、この作戦予定日の一ヶ月繰り下げは、艦隊側には歓迎を以て受入れられた。

 開戦以来すでに半年あまり。その間、各艦は常に作戦行動に従事しており、乗員の休養と艦の整備が必要な時期に差し掛かっていたのである。

 さらに第一段作戦の終了と共に海軍内部で人事異動が行われ、赤城や翔鶴、瑞鶴などでは艦長が交代、飛行隊長など母艦搭乗員も一部が交代していた。

 こうした事情から艦隊側では整備と訓練に一定の期間が必要であると連合艦隊司令部にたびたび上申していたので、この作戦期日の一ヶ月繰り下げは好意的に受け止められたわけである。

 このMI作戦に参加する主要な艦艇は、次の通りであった。


  第一機動部隊  司令長官:南雲忠一中将(第一航空艦隊司令長官)

第一航空戦隊【空母】〈赤城〉〈加賀〉

第二航空戦隊【空母】〈蒼龍〉〈飛龍〉

第五航空戦隊【空母】〈翔鶴〉〈瑞鶴〉

第三戦隊【戦艦】〈金剛〉〈榛名〉〈比叡〉〈霧島〉

第五戦隊【重巡】〈妙高〉〈羽黒〉

第八戦隊【重巡】〈利根〉〈筑摩〉

第十戦隊【軽巡】〈長良〉

 第四駆逐隊【駆逐艦】〈萩風〉〈舞風〉〈野分〉〈嵐〉

 第十駆逐隊【駆逐艦】〈夕雲〉〈秋雲〉〈巻雲〉〈風雲〉

 第十六駆逐隊【駆逐艦】〈雪風〉〈天津風〉〈時津風〉〈初風〉

 第十七駆逐隊【駆逐艦】〈谷風〉〈浦風〉〈磯風〉〈浜風〉

付属【水上機母艦】〈千代田〉


 搭載機数

赤城:零戦×21機 九九艦爆×21機 九七艦攻×21機

加賀:零戦×21機 九九艦爆×21機 九七艦攻×30機

蒼龍:零戦×21機 九九艦爆×21機 九七艦攻×21機 二式艦偵×2機

飛龍:零戦×21機 九九艦爆×21機 九七艦攻×21機

翔鶴:零戦×17機 九九艦爆×21機 九七艦攻×16機

瑞鶴:零戦×20機 九九艦爆×22機 九七艦攻×21機

 計:零戦×121機 九九艦爆×127機 九七艦攻×130機 二式艦偵×2機

(註:なお、各空母にはこの他にミッドウェー占領後に同地に進出する第六航空隊の零戦各6機が搭載されていた。)


  第二機動艦隊  司令長官:近藤信竹中将(第二艦隊司令長官)

第四航空戦隊【空母】〈龍驤〉〈隼鷹〉

第二戦隊第一小隊【戦艦】〈伊勢〉〈日向〉

第四戦隊【重巡】〈高雄〉〈愛宕〉〈摩耶〉〈鳥海〉

第四水雷戦隊【軽巡】〈由良〉

 第二駆逐隊【駆逐艦】〈五月雨〉〈春雨〉〈村雨〉〈夕立〉

 第八駆逐隊【駆逐艦】〈朝潮〉〈荒潮〉

 第九駆逐隊【駆逐艦】〈朝雲〉〈峯雲〉〈夏雲〉

 第二十四駆逐隊【駆逐艦】〈海風〉〈山風〉〈江風〉

付属【戦艦】〈陸奥〉【空母】〈瑞鳳〉〈祥鳳〉【駆逐艦】〈三日月〉


  搭載機数

龍驤:零戦×16機 九七艦攻×21機

隼鷹:零戦×16機 九九艦爆×20機 九七艦攻×18機

瑞鳳:零戦×12機 九七艦攻×12機

祥鳳:零戦×12機 九六艦戦×4機 九七艦攻×12機

計:零戦×56機 九六艦戦×4機 九九艦爆×20機 九七艦攻×63機


  攻略部隊  司令官:五藤存知少将(第六戦隊司令官)

第六戦隊【重巡】〈青葉〉〈衣笠〉〈古鷹〉〈加古〉

第十八戦隊【軽巡】〈天龍〉〈龍田〉

第十九戦隊【敷設艦】〈沖島〉〈津軽〉

第六水雷戦隊【軽巡】〈夕張〉

 第二十九駆逐隊【駆逐艦】〈追風〉〈朝風〉

 第三十駆逐隊【駆逐艦】〈睦月〉〈弥生〉〈望月〉

付属【特設水上機母艦】〈神川丸〉


  先遣部隊  指揮官:小松輝久中将(第六艦隊司令長官)

第六艦隊直属【軽巡】〈香取〉

 第三潜水戦隊【潜水艦】伊号潜水艦×六隻

 第五潜水戦隊【潜水艦】伊号潜水艦×八隻

 第十三潜水隊【潜水艦】伊号潜水艦×二隻


 第一、第二機動部隊の空母の合計は十隻であり、この規模の空母部隊が一度の作戦に投入されるのは史上初のことであった。それだけに、帝国海軍がこの作戦にかける意気込みが伝わってくる陣容である。

 また、セイロン沖海戦において戦艦による敵艦隊の追撃を行ったことから、第一艦隊から陸奥、伊勢、日向の三戦艦を引き抜いて第二機動部隊(第二艦隊)に編入したことも、作戦参加兵力の特徴であった。

 なお、逆にこのために、山本五十六自らが大和以下第一艦隊を率いて出撃する計画は見合わされている。

 このようにセイロン沖海戦の結果が海軍の第二段作戦方針に重大な影響を与えた一方、陸軍にもセイロン沖海戦の影響は及んでいた。

 英東洋艦隊が大打撃を受けたことで、参謀本部がインド侵攻作戦とセイロン島攻略作戦に前向きになり出したのである。さらにこの時期、ドイツ・アフリカ軍団率いるロンメル将軍の快進撃が始まっていたこともあり、ビルマ経由の援蔣ルート遮断も兼ねた対蔣作戦の一環としてのインド洋作戦が参謀本部内部で大きく取り上げられるようになっていた。

 セイロン沖海戦での日本海軍の活躍を見た独伊側からも、それまで以上に強くインド洋への派兵要請が行われていたことも、日本側にとって無視出来ないものとなっていた。

 結果として、海軍側もMI作戦に参加しない兵力を以て、インド洋での作戦を継続することを決意するに至ったのである。

 山本五十六などはインド洋への艦隊派遣を、将来、陸軍をハワイ攻略作戦に協力させるための引き換え条件的なものと考えていたという。

 結果として、空母はMI作戦に集中的に投入されることになったが、一部の巡洋艦戦力などはインド洋方面に派遣され、「B作戦」と名付けられたインド洋での通商破壊作戦が七月十日より開始されることとなったのである。

 その主要な参加兵力は次の通りであった。


  印度部隊  指揮官:西村祥治少将(第七戦隊司令官)

第七戦隊【重巡】〈最上〉〈三隅〉〈熊野〉〈鈴谷〉

第三水雷戦隊【軽巡】〈川内〉

 第十一駆逐隊【駆逐艦】〈吹雪〉〈白雪〉〈初雪〉〈叢雲〉

 第十九駆逐隊【駆逐艦】〈磯波〉〈浦波〉〈敷波〉〈綾波〉

 第二十駆逐隊【駆逐艦】〈天霧〉〈朝霧〉〈夕霧〉〈白雲〉

第十一航空戦隊【水上機母艦】〈千歳〉〈瑞穂〉【駆逐艦】〈早潮〉


 このようにして、第二段作戦は陸軍は西進、海軍は東進を目指すという日本の戦争指導体制の分裂を象徴するような内容となってしまっていた。

 そして、そうした中で発動された「MI作戦」によって、日米の空母が始めて激突する空母決戦となったミッドウェー海戦が生起することとなったのである。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  あとがき


 一九四二年時点で帝国海軍が保有していた空母戦力の全力(ただし、鳳翔は除く)を一つの作戦に投入させるにはどうすればよいのかという問題に、筆者なりの回答を示したのが今話になります。

 珊瑚海海戦が発生してしまうとどうしても祥鳳沈没、翔鶴大破という損害が生じてしまいますから、いっそセイロン沖海戦で損傷させてしまえば珊瑚海海戦そのものが発生しないのではないか、と考えてこのような設定にいたしました。


 他にも、帝国海軍が空母戦力の全力を投入する分岐点を考えますと、例えば山本五十六の主張するMI作戦が結局容れられなかった場合のMO作戦ということも考えられます。

 この場合、ポートモレスビー攻略と米空母の撃滅を目指すという、史実MI作戦の珊瑚海版みたいな作戦内容になるはずです。

 こちらはラバウルの第十一航空艦隊の支援も受けられますから、正直、日本を勝たせる架空戦記を考えるならば“空母全力投入ミッドウェー”よりも“空母全力投入珊瑚海”の方がより帝国海軍優位に描ける気もいたします。


 とはいえ、やはりミッドウェー海戦でないと物語としてのインパクトに欠けてしまうのも事実です。

 ミッドウェーに空母の全力を投入させるにはどうしたらよいかという設定を考える中で上記の“空母全力投入珊瑚海”は思い浮かびましたが、今回はミッドウェー海戦八〇周年ということで(珊瑚海海戦も八〇周年ですが、やはり海戦の結果が持つ重みが違います)、物語のテーマはミッドウェー一本に絞らせていただきました。

 さり気なくインド洋での通商破壊作戦“B作戦”も入れてしまっているのは、史実を考えた場合、セイロン沖海戦で英東洋艦隊を撃滅した以上、この世界線において帝国海軍はB作戦により積極的になるのではないかと考えたからです。

 インド洋で帝国海軍が暴れ回ってくれれば、その分、欧州戦線で枢軸軍が優位に立てますから。

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