高校教師 森久志の結婚 後編

 啓司の部屋の三人掛けソファに一人座ってコーヒーを飲みながら、こんな時は酔えない自分の体質が嫌になる。

 俺が酒を飲まない代わりに、啓司はよくコーヒーを淹れてくれたっけ。同じ豆とドリッパーなのに、あいつが淹れると美味しくなるんだよな。なんでだろうな。

 自分で淹れた今日のコーヒーは酷く苦い。


 もし俺が吉川をマネージャーに勧誘しなかったら、と思うことがある。

 山田が一目惚れをせずに、大学か職場でそこそこな相手を見つけて適当な結婚をしていたら、啓司は本心を隠したまま親友として祝福をし、家族づきあいをして、死ぬまで一番の友のポジションを貫いたんじゃないか、と。

 マネージャーに吉川を選んだのには、江崎の紹介だけでなく打算もあった。クラスの女子集団で唯一、学園一の色男の話に興味がなさそうな態度だったからだ。

 当時、山田への恋心を秘めたまま女子に告白され続けた啓司は、見るからに疲れ切っていた。嫌なら断ればいいものを、フラれるためにつきあう様はわざと自分を傷つけているかのようだった。だから恋愛で疲弊したあいつに、部活でまで惚れた腫れたの騒ぎを起こすのは酷だと思ったのが裏目に出た。確かに吉川は啓司になびかなかったが、まさか山田、お前と恋仲になっちまうなんて。

 そうだ、俺は山田にも余計なことをした。俺が同窓会で酔ったふりをして山田に絡んであれこれ余計なことを言わなければ、会は何事もなく終わって秘密は保たれ、山田は啓司の親友で居続けたのかもしれない。

 あの時俺はひどく苛ついていたんだ。十年経っても啓司の庇護下でなんにも気付かず呑気なままの山田にさ。それで教師にも関わらず意地悪をしちまった。それとも山田が急なゴルフで車で来たって時点で、もう運命は決まっていたのかな。

 そうだとしても、俺が啓司に粉をかけなければ、あいつは生涯男を抱くこともなく今頃子供の二、三人いる良き父良き夫になっていたんじゃないか──

 そんなありえたかもしれない未来で俺は、週末にアプリで男を漁って冴えないジジイ同士でちちくりあって、新卒時から住んでいる老朽化した賃貸マンションで酔えない酒をチビチビ飲んでいる初老の男をやっていたわけだ。

 結局俺は他人の人生を引っ掻き回して、誰よりも一番得をした思い通りの未来にいるじゃないか。

 そろそろ大きなしっぺ返しがあってもおかしくない。こわい。こわいよ俺は。


 じっと座っていられずにコーヒーカップを洗い、床にワイパーをかけ風呂を沸かしカーテンを閉めと所在なくうろつき回る俺は、一人の時間がこれほど静かなことをこの十年ですっかり忘れてしまっていた。ああダメだ。俺は啓司に甘やかされすぎた。入学したての山田と佐田岡あいつらを見てそんなに過保護じゃ山田がダメになるぞ、と思っていた俺がとんだミイラ取りだ。

 ダメでもなんでも、俺は今一刻も早くあの大きな腕の中に抱かれたい。広い背中を背伸びして抱きしめたいんだ。そういえば啓司が俺の家に通うようになって、しばらくはドア枠や吊り戸棚に頭をゴンゴンぶつけていたよな。そのうち慣れてその音も聞かなくなったのはいつ頃だったっけ。そんなでかい図体で一緒に風呂に入るのが好きでさぁ。風呂でぎゅうぎゅうになってヤった後は決まって、のぼせたお前の頭を膝に乗せて髪を乾かしてやったな。色素の薄い細くて柔らかい猫っ毛を撫でている時が幸せだった。お前の頭に残る傷跡を確かめながら、夜通し抱きしめて眠った夜はどれだけあったっけ。

 なぜだか脳内になんてことない日々の思い出が連想ゲームのように大挙して押し寄せて、なんだよこれ、こういうのも走馬灯って言うの? やっぱり俺たちお別れなわけ?

 今日だってデートがてら裏通りで見つけた旨そうな飯屋で外食して、帰ったら家でイチャイチャしながらアマプラで溜まった海外ドラマを消化して過ごす予定だったのに。そんななんてことない平凡な一日のはずだったのに。俺はこの後恋人に振られて、ショック死でもすんの?


 馬鹿な考えにかぶりを振ってスマホを握りしめ、今日何度目かわからない通知確認をしてまたため息をつく。

 半べそで啓司とのトーク画面をスクロールすると、今から行くよ、帰るよ、明日何食べたい? はやく会いたい。愛してるよ。十年付き合った未だにそんな新婚のような、短いけれど思いやりの詰まった既読メッセージが並ぶ。

 そのたびに俺は、了解、OK、わかってるよとそっけなく返事をしている。

 なんだコイツは。なにスカしとんのじゃ。自分の立場わかっとるんか、こんなもんいつ捨てられてもおかしくないわ! と、改めて過去の自分に腹が立つ。

 もっと口に出せば良かった。メッセージを残せば良かった。恥ずかしがらずに大好きだって伝えれば良かった。そうしたら啓司もこんな時、俺のことを思い出してくれただろうに。

 首筋を撫でる大きな指が恋しい。俺の上で揺れる長い前髪が愛しい。頬に触れるお前の震えるまつ毛を感じたいよ。

 啓司に会いたいよ。愛してる。早く帰って来い。山田のところなんて行かないで。


 一人で悶々とするうち悲劇のヒロイン気分が盛り上がってしまい、今生の別れのように感傷的になってメッセージを送信した時、

「ただいま」

 なんと。玄関で鍵が開く音がして、予想よりもだいぶ早い午後七時前に啓司は帰ってきた。

 いや、本当はもう二度とこの部屋に戻らないんじゃないかって予感がしていた。山田になにを言われようとも、もう俺のもとには戻らないんじゃないかって。今度は俺が十年前の啓司のようになる番じゃないか、手を振る俺の後ろ姿が啓司の目に映る最後の姿になるんじゃないかって。でも。

 帰ってきたんだ!


 慌てて目の端を拭ってスマホを放り出し、口端に浮かびそうになる笑みを噛み殺しながら

「おう、おかえりぃ」

 と、極めて平静を装って廊下にひょいと顔を出して俺は絶句した。

 啓司の頭はドリフの爆発後ってなバサバサ具合だし、顔は涙と鼻水でドロドロ、鼻は真っ赤、瞼は腫れすぎて彫りの深い目元が台無しになっている。手にした紙袋とくしゃくしゃのピンクのハンカチが謎だ。

 え、なに、お前爆弾魔とでも闘ってきたの? と普段なら軽口も叩いただろうがさすがに言えない。

「せっかくご飯に行く約束だったのに遅くなってごめん、テイクアウトしてきたから後で食べよう」

 と言って渡された紙袋にはホカホカのランチバッグが入っていた。

 いや確かに約束はしたけどさ、その顔で律儀に買ってくるぅ? よく店員も売ってくれたもんだよ。

 と、心の中だけでツッコんで「ありがと」としか返せずにいると、啓司は手にしたハンカチで鼻を拭って、はたと気づいたように言った。

「あ、そうだこれ。学校の前で泣いてたら生徒さんが貸してくれた。一年A組の佐々木さんだって。知ってる?」

「うわ、俺の授業とってる教え子だよ」

 しかも今年度新入生人気ベスト3に入る可愛子ちゃんじゃねえか。

「ちょうど良かった、悪いんだけど今度新しいハンカチも買っとくから、学校の前で頼まれたとか適当に言って返しといてくれる?」

 上着と一緒に鼻水まみれのハンカチを受け取り、はいよとサラリ返事をしたが、学校前で泣いてるおっさんに今時の女子高生がハンカチを貸してくれるなんてあり得ないだろ〜。佐々木もホイホイ名乗るなよ、相手が危ないホモだったらどうすんだ。

 こんなコトはよくある事で、啓司は来年もう四十だというのに最近では大人の色気とともに女どもの視線もますますべっとりとして、一緒に歩いていて声をかけられない日の方が少ないんだから、俺は毎日気が気でない。

 もういっそこいつはゲイなんですよぉ、十年付き合ってもいまだ週一で俺を抱いてるんですよぉと大声で主張したい。

 俺は愛されすぎて、デカ××を咥え込みすぎてゆるゆるのガバガバで、もうこいつじゃなきゃイけないんですぅと言いたい。いやそれは言わなくていいか。


 ていうかさ、なんで学校の前で泣いてんの? 山田と二人で学校に行ったの? そんでこいつはどうしてこんなズタボロになってんの??

 聞いていいの、それとも聞いちゃダメなやつなの???


「ごめん、先にシャワー浴びるね。先食べてていいよ」

 俺がまだショックから立ち直れずにいると、啓司は鼻を啜りながらバスルームに入って行った。

「う、うん、ちょうど風呂沸いたから。待ってるからゆっくりしてこい」

 しまった、噛んじゃった。

 それも仕方あるまい、啓司の泣き顔なんて初めてみたんだから。山田に拒絶されたあの日だって涙ぐみこそすれ、泣きはしなかった。

 いやはや正直言って驚いた。あのイケメンがここまで崩れるもんなのか。なんともはや。

 その姿が衝撃すぎて俺の涙は引っ込んだが、今度はなんだか怖くなってきた。さっきまでは早く帰ってこい、山田にこっぴどくフられて来いと呪いを送っていた俺だが、願い通り帰ってきたはいいものの昔から人を呪わば穴二つと言うではないか。

 やっぱり山田が忘れられないとか。

 別れてくれとか。

 あいつの口から直接言われたらどうしましょ。ショック死しちゃう。


 あぁどうしよう、そんなことになる前に帰ろうかな。なおも部屋をうろうろ歩き回って気をもんでいるうちにドライヤーをかける音が聞こえてきたので、そっと洗面所を覗いて声をかけた。

「あのぉ、俺、今日は帰ろうか?」

 啓司はうつむいて後ろ髪を乾かしながら、素早く首を振る。

 内心ホッとしてソファに戻ると、すぐに部屋着姿の啓司が追ってきて膝の上にドサッと倒れ込んできた。

 そして最近食べても太らない伝説に終止符を打ちつつある俺の腹に額を擦り付けて、

「そばに居て」

 と呟いてくる。

 その姿にきゅんと胸の奥が痛くなり、まだ少し濡れたままの髪を親が子供にするように撫でてやった。親に頭を撫でられた覚えも、親になったことも、今までもこれからもないけれど。

 でもこの時たしかに、心の奥深くから今までとは違う愛情が、静かな湖のように湧き出てきたんだ。

 見返りもなく、欲もなく、ただこいつが愛しいというだけの純粋な凪いだ気持ちが。

 俺はこいつの全てが愛しい。


 しばらくそうした後、啓司は俺の腹に顔をくっつけたまま「ぜんぶ話してきた」と事の次第を話し始めた。

「二人で学校に行ったんだ。外を一周歩きながら思い出を語ってさ。久志さんの野球部ともすれ違ったよ、ちゃんと練習してた」

 教え子達の姿が浮かんで、ふっと笑みが漏れる。

「最後に俺のしたことを話して、でも山田は黙ってた。なにも答えてくれなかった。十年前に話せていたら、もっと怒ってくれたのかな」

「うん」

 俺は相槌以上はなにも言わなかった。柔らかな前髪を撫で、耳に掛ける。腫れた瞼の奥で、色素の薄い綺麗な瞳が遠くを眺めていた。

「山田はさ、この十年間なにもなかったって言うんだ。良いことも悪いこともなんにも。そんな寂しいことってないだろ」

 啓司が涙で声を詰まらせる。

「俺が山田の幸せを奪っちゃった。あいつはこれから幸せになれるのかな」

「大丈夫だよ。幸せは自分でなるもんだ。誰かにお膳立てしてもらうもんでも、誰かに奪われるものでもないよ」

 俺の口から自然と出てきた言葉は、啓司を慰めるための詭弁でも、教師としてでも俺自身に言い聞かせるためでもなく、ただ本心だった。

「幸せは自分で……」

 そう繰り返し、啓司は目を瞑りしがみつくように俺の腰を抱きしめる。

 籠の中で大事に育てようと、どれだけ目の前にレールを敷こうと。踏みにじり歪ませ痛めつけようと。最後に道を歩きどこかへ辿り着くのは自分の足だ。たとえその足を折られても、それでも歩み続けるか否かは自分の意志ひとつなんだ、そうだろう。


「別れる間際に、ずっと好きだったって言ってきたよ」

 啓司は決意するように大きく息を吸い、吐いて、静かに続けた。

「好きだったけど、もう今日で終わりにするって」

「そっか」

 お前は全てを告白をして、最後に一つ山田に嘘をついたんだな。終わりになんて出来ないくせに。案の定、細めた目からまたグズグズと涙が溢れ俺のシャツを湿らせる。


 この十年、俺はずっと一番近くでお前を見てきたよな。山田が消えて荒れた時も、事実を受け入れて抜け殻のようになった時も。最初の頃はよく発作的に不安定になってたっけな。

 思えばお前が高校生の時から、俺はお前に夢中だった。あの小さな部室裏にいた大きなお前からずっと目が離せなかった。タイプじゃない好きじゃないと予防線を張りながら、山田を目で追うお前の姿を三年間見守ってきたんだから。

 なんのこたぁない。俺はお前を初めて見た時からずっと片想いしていたんだ。そして同窓会で再会しまた二度目の恋をした。


 自分自身が正直な気持ちで見つめ直してみれば、啓司はいつでも俺に正直で率直だったんだな。きっと嘘ばかりの人生に疲れたお前にとって、なにも隠さずにいられる俺は安心できる寝床みたいなもんだったんじゃないかな。

 だからお前が俺を好きだと言ってくれた気持ちに嘘はないと思う。好きだよ愛してると並んだメッセージはお前の本音だったろう。でもそれはお前自身の気持ちがブレないよう、揺れないようにするための確認作業でもあったんだよな。


 俺はとうとうお前の一番にはなれなかったんだよ。山田が吉川を選んだように。お前の中には山田太一っていう不動の大きな山があるんだな。

 それでも俺は大人だから。呪いはすれど、二番手に甘んじていてやる。その山に登る登山客ぐらいでいいさ。いつまでもいつまでもお前を好きでいてやるよ。


 たとえ今日ここで別れることになったとしても。


 啓司の髪を撫で、啓司の声を聞いているうちに、あれだけ身体中に渦巻いていた嫉妬や不安、疑いや焦りや独占欲がすぅっと消えていくのを感じた。

 今日、啓司は俺の元に帰って来てくれた。それだけで俺には勿体無いほど充分じゃないか。

 だから俺に構わず、お前が一番したいことをしな──と、悟りかけた刹那、


「久志さんと生きてくって決めたから、もう二度と会わないって言った」

 そう言ってから、啓司はもう一度大きく息を吸った。

「だから俺と結婚して」

「えっ」

 なに? ケツ? ケツコン?

 折角悟ったなにかが目の前でパーンと霧散する。あれっ、俺はいったいナニを悟った気でいたんだっけ?

「養子縁組のこと調べてあるんだ」

 再度言葉を失う俺に構わず、啓司はムクリと起き上がって、立板に水が如くベラベラと喋り出した。

「大学の友達の弁護士事務所にLGBTの啓蒙活動してる人が居てさ。前に一度相談したら親身になってくれて。それで改めて話を聞きに行きたいんだけど、久志さんも一緒に行こうよ」

「えっ、ちょっ」

 弁護士って、てかキミいつの間に周りにカムアウトしてたの?

「森啓司って結構語呂いいよね。どう思う? もし佐田岡久志になったらきっと船木場砲炸裂しちゃうよね」

「ちょっと!」

 いくらなんでも先走りすぎだぞ! あっ、声が出てない!

「新居は学校と会社の真ん中あたりにする? 学校の方が朝早いし、久志さんの今の家の近くで探そうか。寝室は絶対一緒がいいから、部屋数少なめでもいいかなあ?」

「だから!」

 なに、いきなりなんなのこの子怖い!

「あぁうちのことなら心配しないで。最初の結婚が失敗した時にもう二度と女と結婚しないって宣言してあるから。てか母さんには久志さんのこととっくに話してるし父親は小さい頃離婚して没交渉だし」

「はあっ?」

 ダメだ、話が飛びすぎてついていけない。色々と言いたいことはあるが、全然口が回らない。ていうかお母さん俺の存在知ってんのかよ! 初耳だよ! 挨拶もしないなんてめっちゃ不義理してんじゃんかよ!

「あぁもう!」

 とりあえずこのお喋りマシーンと化した啓司の両肩をバンと叩いて制止させる。フウと一度大きく深呼吸。

「いいかよく聞け、お前は山田に振られておかしくなってる。十年前と同じ躁状態だ。このままだとまた鬱のぶり返しがくるぞ」

 両肩を掴んだまま目を見て諭すように言うと、

「別に振られてやけになってるわけじゃないよ」啓司はカラッと笑って首を振った。

「言ったろ、前から考えてたんだ。久志さんもそろそろ五十路だろ。いつまでも半同棲でフラフラしてたら俺捨てられちゃうかもしれないじゃん。ちゃんとどこかで区切りをつけて一緒になりたいし、もし俺が先に死んだら久志さんが寂しくないように色々残しておきたい。久志さん今教えてくれたじゃん、幸せは自分でなれって」

「そりゃ言ったけど、そもそも捨てられるんなら俺のほうだろ」

 俺が呆れ気味に言うと、啓司は

「俺のしつこさ甘くみてたね? 一生ものだよ」

 と、斜め下から上目遣いに見つめてきた。

「……お前、キメ顔なんだろうけど今めちゃくちゃブッサイクだぞ」

 俺が思わず笑うと、啓司も腫れた眉を上げてニヤリと笑った。

「船高のキムタクなんだろ」

 おいおい、ずいぶん懐かしいことを。


 そうして笑い合ったあと、啓司は姿勢を正して向き直ると、淑女をエスコートするかのように俺の左手を取り、薬指にキスをしてきた。

「俺と結婚してください」

 キザくせぇなと照れ隠しに口を開こうとした途端、突然俺の目からぶわっと滝のような涙が噴き出した。

「うわ」なんだこれ、自分でも止められない。

 慌てて啓司がタオルを持ってくるが、顔の水分がカラカラになる勢いで後からあとから溢れ出す。啓司からのプロポーズが嬉しくて、なによりも安心してしまって。止まらないのなんのって。

 ああ、数分前の清廉でカッコいい俺よサヨウナラ。無様に屈折してリビドーにまみれたアラフィフにして見苦しい俺よ、短いお別れでした。今後とも末長くよろしく。

「俺はずっと啓司にいつか、す、捨てられるって、お前が山田に会ったらもう俺は用無しなんだって思ってた」

 号泣し噛みまくりながら、十年間ずっと不安だった本音を告白する。

「なんでそんなこと思うの」啓司もまた涙ぐみながら困った顔をする。

「ごめん、俺のせいだよね」

 そうじゃない、とぶんぶんと首を振って、俺は鼻声で返事をした。

「山田を好きな気持ちを終わりにするなんて言わなくていいから。山田を好きなままでいいから。俺もそのままの啓司がずっと好きだから」だからずっと一緒に居させてほしい。

「だから、こちらこそよろしくお願いします」


 小さい頃の夢はお嫁さんだった。

 真っ白のウェディングドレスにはもう憧れはしないけれど。っていうか啓司のタキシードはめっちゃ見たいけど。

 お前をこっちに引き摺り込んだ責任をとって、俺の全てを捧げてでも絶対に幸せになってみせるから、お前も絶対に絶対に幸せになれよ。


 俺はぼろぼろ泣きながら、啓司の唇に誓いのキスをした。


<了>





◆甘々おまけ◆


 翌朝、良い匂いがして目が覚めると、やけに機嫌良くキッチンでパンケーキなんぞを焼いている啓司がいた。フライパンを振りながら鼻唄まで歌っている。

 やれやれやっぱりまた躁状態かとスマホのロックを解除して時刻を見ようとした俺は、サーっと足先まで一気に青褪めた。


『啓司に会いたいよ。愛してる。早く帰って来い。山田のところなんて行かないで。』

 既読


 昨日の俺は感極まって、なんかとんでもない歯の浮く台詞を送っちゃってない?

「あ、起こしちゃった? おはよう久志さん」

「お、おはよ」異常に上機嫌な声色が怖い。「あの……昨日のメッセージ……見た?」

 恐るおそる訊ねると、啓司はまだ腫れの残る顔でこの上なくニンマリと笑顔になった。

「昨日は気づかなかった。こんな事送ってくれたの初めてだからすっごく嬉しい。俺も愛してるよ」

「わーっ!」

 後ろから抱きすくめられる手を払い除け、消して消してと慌ててスマホを奪い取る。

「消去! メッセージの消去はどれだよ!」

「ダメだよ、パソコンとクラウドにバックアップも取ったし、スクリーンショットも取ったし、プリントして手帳にも挟んであるから。もう遅いよ」

 背筋にゾクッと悪寒が走る。

 そうだ、こと独占欲に関しては、こいつに敵うはずがなかった。

「久志さん可愛い。幸せだよ、愛してる」

 何千回目の愛の言葉を囁きながら、啓司は期待に満ちた目で俺を見る。言うよ、言えばいいんだろ。

 俺は大きな身体を力一杯抱きしめて、胸に顔を押し付け、思いっきり叫んだ。


「俺も愛してるよ!」 


 ◆


 結局、弁護士先生も含め改めて話し合った結果、将来同性婚が認められるようになった場合に不利になる可能性も考えて、籍は入れずにひとまず同棲ということに落ち着いた。

 その後は遅まきながら啓司の親に挨拶に行ったり、俺の家族に報告するかで悩んだり、新居を買うか借りるかで揉めて一週間口を聞かなかったり、濃厚な仲直りセックスをしたりとそれはそれは平凡ないつもの日々が戻ってきたのだが──それはまた、別のお話。

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青春と部室 佐々木なの @sasakinano

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