終業式

「……まだ決まらないのか」

「すみません……」


 翌日、職員室を訪れた空真は、担任の安藤先生に声をかけた。 


 相変わらず白紙のままな進路希望調査書を片手に、期限を破りそうな事と己の葛藤から目を背けるように俯いていた。


「悩むってことは何かあるんだろ?」

「はい、でも……」


 言い出せない、自分の心からの言葉を、口にする事が出来ない。そんなことは無いとわかっていても、否定される事が怖い、強制されることが怖い。


「……言えないなら大丈夫だ、無理するな。だから言えるようになったら、相談には乗るからな」

「……ありがとうございます」



◇◇◇



 職員室を出て教室に戻ると、親友……悠翔はるとが荷物を持って待っていた。


「次は音楽室だぞ、お前の分もまとめておいたから早く移動しようぜ」

「ありがとう、悠翔」


  教科書を受け取って、音楽室へと向かう。今日は一学期の授業最終日ということで、歌のテストがあったはずだ。


「そういえば、何話してたんだ?」

「進路についてだよ」

「進路か、どうしたんだ? 結局進路希望は白紙のままだったろ?」

「あぁ……まだ決まってないよ」

「悠翔はどうするんだ?」


 そう聞くと、隣を歩いていた悠翔は立ち止まった。少し遅れて空真も歩みを止め、振り返る。ばつが悪そうな顔で、こちらへの視線を逸らし、何かを迷っているようだった。


「じつは……」


 悠翔がそう言いかけた途端、予鈴のチャイムが鳴り響いた。悠翔はあー! と大声を出し急げ急げと廊下を走り始める。


「お、おい! ちょっと待てよ!」


 何を言いかけたのか問い詰めようとしたが、その声はとどかないようだった。


「今日は先週予告していた……」


 授業にはしっかり間に合い、3つ隣の席には、どこか浮かない顔をしている悠翔が座っている。元々音楽の授業は、音楽好きかつ自身も歌うことが好きである悠翔が、学校で唯一の楽しみと言うほどの授業だ。


 その筈なのに、どこか浮かない顔をしているし、たまにこちらの方に目線を向けては、速攻で顔を逸らせている。やはり、進路の話をしたのが問題だっただろうか。


「という事で出席番号順から。青木さん、次の人も準備をしておいてください」


 それでも授業は進んでいく、自分の番が回ってきた悠翔の歌声に、どこか普段と違う印象を抱いた。



◇◇◇



 一週間後、終業式。


 夏に差し掛かり、連日連夜暑苦しい日々となった。終業式を終え、クラスは夏休みを楽しみにしているクラスメイト達でわいわいしている。


 本来ならば去年と同じように空真の机のそばまでやってきて、今年の夏は……と騒ぎ立てる親友がいるのだが、今年は珍しく自分の席で大人しくしていた。


 あの日以降、まったく話しかけてこなくなった。朝の挨拶すらなしで、こちらから話しかけても避けられてしまうようになった。


「夏休みだからといって浮かれすぎないように、以上だ。これで授業を終わりにする、気をつけて帰れよお前らー」

「「はーい!」」


 担任からの連絡事項も終わり、課題の山をカバンにしまい込む。各々が待ちに待った夏休みのために教室から飛び出ていく中、教室には空真と悠翔だけが残った。このままでは話せなくなってしまう予感がし、何とか話をしようと思っていたからだ。


「なぁ空真」


 しかし、悠翔が急に立ち上がり、こちらを向いて声をかけてきた。


「……どうしたんだよ」

「いや、なかなか言い出せなくて」


 俯いた顔は、少し長い髪の毛に邪魔されて見えない。


「実はさ、受けることにしたんだ」

「……何を?」


 いや、分かっている。つまりそういうこと・・・・・・なのだろう。


「自分定義プログラムだよ」


 やっぱりか、という気持ちが込み上げてくる。将来の夢はミュージシャンだと、世界中に歌を届けるのだと、幼い頃から言っていた悠翔が、まさか自分定義プログラムを受けるとは思っていなかったのだ。


「……どうして、どうして悠翔が?」


 震えそうになる声を押さえつけて、辛うじて出せたその言葉に帰ってきたのは、悲痛な叫びだった。


「音楽は、やっぱり才能なんだよ。努力だけでどうにかなる事と、ならない事がある」

「……」

「だからさ、受ける事にしたんだ。迷惑はかけられないだろ?」


 狭き門だからこそ、他人を、両親を巻き込み続けるからこそ、プログラムを受ける事にする。悠翔はその選択を取った。


「それでいいのかよ! もしそれ以外の道が出てきてしまったら……!」


 悠翔の両肩を思わず掴んでしまう。


「その時は、諦めるしかないだろ?」

「……っ!」


 止めようとした口が止まる、悠翔の中には既に十分な覚悟があった。自分定義を受け入れる、あの薬は非人道的で合理的な分、説得力がある。それを利用した賭け、負ければ無くなるのは自分自身のアイデンティティ。


「……わかった、悠翔の事信じるよ。だからさ、マイクを持って戻ってきてよ」

「……あぁ、もちろんそのつもりだぜ!」


 笑顔でそう言いきった悠翔の体が少し震えている事を、空真は見なかった事にしてしっかりと握手を交わした。


「実はこの後すぐあるんだ、早くしないと遅れちまう、だから先に帰るよ」


 そう言って荷物を担いで足早に教室を出ていく悠翔。


「気をつけて帰れよー!」


 その背中を見つめながら、彼の強い想いに心を打たれていた。



 その夜、スマホの通知がピロン♪と鳴った。スマホの画面をのぞき込むと、悠翔から「話がある」という連絡が来ていた。恐る恐るスマホを手に取ると、スマホに着信が来た。


「もしもし?」

「空真聞いてくれ、自分定義プログラムについてなんだけど」

「……うん」

「俺の将来の夢は……」


 急に黙り込む悠翔、まさか……と、最悪の事態が頭をよぎったその時


「ミュージシャンになる事だ、このまま歌い続けるよ」

「……! そうか、良かったよ…」


 悠翔は賭けに勝ったのだ。昔から歌が上手いのは、やはり才能だったらしい。


「全く変にためるなよ、びっくりするだろ……!」

「ごめんごめん、悪かったって」


 その後は他愛もない話が続いた、電話を切った後に画面に表示された数字は2時間13分。その間も悠翔はとても嬉しそうに話をしていた。そんな親友の姿を見て……



 空真は空欄の進路希望用紙へ、自分のやるべき事を書き込んだ。

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