19 空約束の、皚き結替


 私は惑う。檻の中で目覚めた智太郎ちたろうは、私の知る幼猫の笑みをたたえないから。ふわふわとした癖のある白銀の髪も相まって、我が子ながら新雪の精霊に錯覚するのに。花緑青はなろくしょうの瞳は、幼い自分の指先を憎悪するようにしろい星芒で睨んだ。微睡まどろみで寄り集めた破片への、躊躇う切望が垣間見えた気がした。


「悪い夢を視たんだ。千里じぶんを『桂花宮家』という鳥籠に閉じ込めた翔星ちちおや生力しょうりょくを奪い殺し、枷が外れた千里が『抑制の無い原初の妖』に化す『最悪な現代みらい』を。躑躅つつじ色の逢魔が時の下、捕らえた俺の事を知らない千里あいつは泣く事も出来ずに、がらんどうに飢えた自分を呪っていた。……へ浸り、『桂花宮家に飼われる妖』の道へかまけた俺のせいだ。この【過去夢】で、千里の『贖罪しょくざい』を叶えてしまえば、俺達の現代みらいが全て塗り変わるんだな。……共に【過去夢】へと堕ちるまでは手を繋いでいたのに」


 失われた安寧の夢とは、【過去夢いま】に近しいのかもしれないと気づく。智太郎も千里も、微睡みへ一度は囚われる程に。【過去夢】に堕ちる前に悪夢を知った智太郎とは違い、この微睡みに揺蕩うのは……千里だ。


 『現代みらいの智太郎』を目覚めさせたあおかみは、鉄格子間に顕現する水鏡越しから、冷ややかに鼻で笑った。相棒と名乗る割には、殺伐とした関係のようだ。

 

「僕の【未来視】を【複製コピー】し、欠片を視たのか。君という守り人が存在しなかったなら、千里は『可能性』を奪う禍神に成り果てると理解しただろう。現人神の来世いまを救済出来るのは、僕らしかいない」


 瑠璃牡丹の花簪と鈴を鳴らして、青ノ鬼は振り返った。燃える青玉の左眼とは異なり、黒の右眼は浅葱あさぎ色の燐光を静かに映す。

  

埜上 咲雪のがみ さゆき。君には、桂花宮家に訪れる者達の思惑を確かめて欲しい。特に、姿を秘した鴉だな。奴とは長い付き合いだが……千里の『願い』を前にどう出るか、僕にも予想がつかない。前世からの因縁がある千里と鴉が出会うのは、本来なら二年後だ。今なら、千里より先に『願い』に関する布石を打てるかもしれない。四年後に桂花宮家の桜下おうかで起こる『ある惨劇』が、千里と鴉に改変されてしまえば、智太郎が『千里の守り人』になる現代みらいが消失するのだから」


「『ある惨劇』とは、含みのある言い方ね」 


「例の『首謀者』が君に要求したのは、『後継の白虎びゃっこ三節棍さんせつこん』だけじゃないだろう? 」


「まさか……私との遊戯で得られなかった千里を狙って、『首謀者』が再び動くと? 」


「『桜下おうかの惨劇』が、その一手だと僕は推測している。『首謀者』が生きていて、遊戯がまだ終わっていないのであれば」


 蓮池の夢で出会った『首謀者』が、漣廻寺れんかいじ住職……天瀬 櫂海 あまがせ たくみの顔で逆さに嗤った気がした。悪夢はまだ死んでいないのだろう。千里の『願い』を阻むと同時に、千里を守らなくては。

 

「……相見える『首謀者』の駒は、虹鱒ニジマスの半妖女のように洗練されているとは限らないがな」


 『蝶』の群れを道連れに、のどかは緋寒桜の峡谷へと墜ちていった。だが、那桜なおが籠提灯にて飼う『最後の蝶』は滅していないはずだ。青ノ鬼は『首謀者』が狙うはずの羽衣石ういし家の『蝶』について、『破滅を呼び寄せる』と告げたのみで、それ以上は語らない。『首謀者』と同じく『蝶』の滅絶を望む点に関しては、青ノ鬼に信頼を預けるべきでは無いだろう。

 

「なら俺は、檻から出られない咲雪かあさんの代わりに桂花宮家を探る。どうせ青ノ鬼おまえは助言だけで、直接動く気は無いんだろ?」


 猫耳を顕現した智太郎は、水鏡の向こうで身を翻した青ノ鬼を睨む。溜息をつくように自然な威嚇だった。

 

「『桜下の惨劇』に無関係の僕自身は、出来るだけ干渉しないのが得策だ。助言で済ませられる内は、そうするさ。僕は、でるべき時を見定める。……千里とは出会でくわすなよ。お前も千里と同じく、『幼い自分』の中に『現代みらいの自分』が居るんだろう? 『幼い自分』の意識にすげ変われば、無防備も良い所だ。【過去夢】が現実に繋がれば、現代みらいを悪戯に改変してしまう」

 

「……分かってる。再会出来たとしても、説得には応じないはずだ。俺も千里あいつのように、悪夢を知らずに『願いが叶う可能性』に触れられていたら、そうしたから。だけど俺は『願いの代償』を知っているし、千里が自分を呪った『最悪な現代みらい』を疑えない」

 

 水鏡の無限世界が弾けて消えると、智太郎は躊躇いがちに私を見上げる。雪華の睫毛が開花すれば、潤む鮮彩が芽吹きゆく。切なく笑み崩れた私の子は、透明なほぞを引いた。

 

「ごめん、母さん……。俺は、千里を選んだ裏切り者なんだ」


 胸懐くわいから甘痛が堰を切り、私は『現代みらいの智太郎』を抱き寄せていた。だけど、温もりで慰められているのは私の方だ。この安寧から望まぬ巣立ちをするという智太郎は近いようで、酷く遠い。

 

「眠る渉は、智太郎が自分の一番を見極めて守ると誓える時を願ってたのよ。それは、私も同じ。……寂寞を覚えるには、少し早すぎたけれど。智太郎も、私と千里を繋ぐ『贖罪』について知っているのね」


「俺の口からは、とても恐ろしくて語れない。口にしてしまえば、千里と同じ願いを選んでしまうから。俺を恨んでいいよ、母さん」


 私の背にしがみつく、小さな手の力は強かった。だけど、震えて離れていってしまう。産毛がくすぐる額際を撫でて、私は口付けをした。呆然と涙を伝わせる智太郎は、甘えを押し殺していたのだろう。

  

「可愛い智太郎が覚悟して選んだ道を、私が恨めるわけが無い。例え、それが私のでも。母親って、そういうものなのかもね」

 

 『隠世』で生きていた頃の芽衣おかあさんなら、気丈に告げたはずだと慈愛を辿る。『人の世』と渉を選んだ私を、冬眠が弾けた夢で見送ってくれたから。


「……行ってきます」


 行ってらっしゃいと返せば、涙を拭った智太郎は震える唇を笑みで引き締めた。花緑青の眼閃で陽炎を纏い、地上へと駆け抜けて行く。妖力を使うのは、幼い身体を補助する為だろう。鴉の意思を確かめる為には妖狩人達の機を見計らうべきか、と判断は揺らぐ。心が『現代みらいの智太郎』とは言え、桂花宮家を探る内に妖狩人に見つからないか、少し心配だ……と親心が疼いてしまうのは仕方ないか。


(( なぁに? 咲雪 ))


「……まだ呼んでないのだけれど」 


 銀鱗のビラ簪が鳴れば、『シン』の術式による悪寒が、文字通り背筋を撫でていく。背後から白いかいなを回し、しなだれ掛かるのは竜口 冴たつぐち さえ。赤が透明に滲む唇で妖艶に微笑もうが、形代の札を人参のようにぷらつかせる天敵の狙いは明らかだ。


「摘み喰い……させてくれるわよねぇ? 」


 ひと睨みで、耳障りな嬌声が響く。呆れている内に白札が寄り集まり、雪華弾ける視界に切り替わる。眠る咲雪からだを抱く冴は、頬を紅潮させて自身の血塗れた指先を舐めていた。『白魔ノ小猫』として開眼した私は、になってしまったではないか、と形代の身体を毛ずくろいをする。

 

「勝手に齧ってなさい。貴方の趣味に付き合う気は無いの」


「喰らい合ってくれないなんて、咲雪はイケズなのね。反応が無いと、くないじゃない……」


「興味無いわ」


「私の意識は貴方と共に有るのに? 私ばっかり咲雪の心情が染み込む影響を受けて……不公平なんだから」


 思わず覗き込むと、冴は紫黒色の睫毛を伏せていた。小さく震える艶先に、少女のような繊細さを知る。


「貴方でも、怯える事があるのね」

 

「怖いものだらけよ。貴方から『隠世』の在処を知って、『原初の妖』の配下の玩具達を手に入れるはずだったのに……知り得るのは、妖狩人わたしたちの手に負えない、恐ろしい『原初の妖』の事ばかり。あまつさえ、禍神になりうる雛鳥を飼おうだなんて。本当に正気じゃないのは、翔星かいせいと貴方でしょ」


「……反論出来ないわね」


「喰い殺されない内に、鳥籠から放したらどう? 」


 彼女の瑞鳳眼ずいほうがんは、綺麗な強膜にて檳榔子黒びんろうじくろを研ぐ。藍を帯びる水墨画のように、刹那を吸い込んだ。


「雛鳥は一人では生きていけない。禍神にさせない為に、私達が居るの。翔星も同じ答えだったんじゃない?」


 やがて冴は、深い溜息にて視線を逸らす。


「その通りよ。親馬鹿を発揮する所が間違っているんだから」 


「貴方の愚痴なんて、笑えるわね。いつか、私を喰い殺すのはさえなのに」


「今生の愉しみは、誰にも奪わせたりしない」 


 唇の端を爪の甲で撫でた冴は、艷めく悪役ヴィランらしく嗤う。己の欲をくゆらせる彼女の演技には、学ぶ所がありそうだ。錠の掛かっていない檻を抜け、地上へ上がりきる前に小猫わたしは振り返る。久しい陽に目が眩み、小さな呟きに後ろ髪を引かれたから。


「……見送る時は、貴方も静かな嘆きに立ち尽くす側なのね」


 冴が私に話しかけたのかと思ったが、そうでは無い。彼女が静かに見つめているのは、眠る渉だった。『シン』の術式で冴と繋がっているのは、渉も同じ。冴には、渉の心が分かるのだろうか……と仮定した瞬間。相反する冀求ききゅうに鋭く括られた心臓が、二方ふたかたへ引かれる! 解放を求めて陽光を仰ぎ、私は駆け出した!


 ――私の無謀を知れば、渉はきっと許さないだろう。


 智太郎が恐れ、千里が叶えたいと望む『贖罪』の底をまだ知らず。青ノ鬼と交渉した、渉が目覚める未来が訪れても……半妖の死の運命が絡む私が傍に居れる補償なんて無い。渉が生きて帰って来てくれただけで奇跡なのに……と不条理を願うなんて。既に私は冴との契約で、渉と肩を寄り添える最期を反故にしてしまったというのに。


 呼吸が乱れたまま顔を上げれば、若苔の朝露が煌めきを放つ。憂苦を蒸散した薫風が、小猫わたしと薄紅色の彼岸桜ひがんざくらを初々しい刺激で抜けていく。子供のように低い視界には、日本庭園の春は広い。飛び石の隅に咲く、黄色い傍食カタバミの小花すら微笑ましい。玉作りの低木から覗けば、縁側の下で揺れる白銀の尾を見つけた。伏せの姿勢で、頭上奥の一室へと真剣にを立てる智太郎だ。開け放たれた一室で、翔星が苦く向かい合うは……赤銅色しゃくどういろの髪を掻き上げ、一服吹かす四十路よそじの男か。


「初めから、で喚べば良かった。いい加減、浮浪者のようにふらつくのをやめて、会合にきちんと顔を出せ。腐ってもお前は、烏合を纏める宮本家の当主だろう」

 

「馬鹿言え。役目を果たす時を決めるのは、彼岸桜と空のご機嫌だ。翔星おまえにゃ、藁灰は要らん」


 放浪癖が絶えないという、宮本みやもと 都峨路つがろを良く召喚したものだ……と感心するがまま、小猫わたしが背伸びした瞬間。

  

「雪みたいな子がいる! 」


 鶯色の髪の彼女が無邪気な声で示すは、驚いた拍子に頭を縁側下にぶつけて悶絶する智太郎の事では無い! キラキラとを輝かせるのは、千里! 毛並みが逆立つ小猫わたしを撫で回す彼女のなかみは、妖の現代みらいと幼い人の過去いま……どちらなのか!? 何れにしても抵抗に爪は立てられず、肉球で柔い頬を押し返すも、千里はくすくすと笑うのみ。心配すべきは、私自身の事では無い。千里にも、翔星以外の妖狩人らにも智太郎が見つかってしまえば、面倒な事になる。現代みらいも、私達の過去いまも、無闇に改変されるべきではないはずだ……春うららかなさちが、眼前でわらったとしても?


「ふふっ……ぬいぐるみみたいな小猫ちゃんは、ふにふにしても可愛い」


 反骨心が煽られた私は、鼻で嘲る。猫は獣。そして、液体のようにしなやかなのよ! 千里のかいなの中をすり抜けて駆ければ、隠れ鬼ごっこが開幕する! 桜下おうかに、鹿威ししおどしが鳴った。 さぁ、苔した雪見灯籠の足元へと隠れた者勝ちだ!

 

「ねぇ、待って! 」 


 ――私達の子が産まれたら、二人できっと桜の木の下を無邪気に駆け回る。

 

 いつか、秋陽が語った夢物語の中に……私達は居るのだろうか? 例え、秋陽と渉が絵本の輪に居なくても、千里と智太郎も、私の……『家族』なんだろう。翔星が、無邪気に駆ける私達に鷹眼を見張った。形代の小猫からだ咲雪わたしだと、見抜かれたかもしれない!


 羞恥が掠めるも、猶予は無い。宮本 都峨路までもが気づく前に、雪見灯篭へ滑り込んだはずが……縁側下を見ればから! 白尾を引く流星が地下牢を指針に、青紅葉の影から飛び出した! 驚いた千里が転び、赤蜻蛉アカトンボのような翅果しかが舞い墜ちる! 軽やかな着地で、私の幼猫は花緑青の陽炎を解いた!

 

「こ……小猫ちゃんが……!? 妖だったの!? 」


 智太郎が振り向けば、『不覚』とはっきり顰め面に書いてある。そのまま智太郎は過ぎ去ると思ったが、転んだ千里に視線を迷わす。やがて……片膝をつくと、瞠目する『幼い千里』の手を取った。


 

「いつか約束を裏切られようが、新しく誓ってやる。今も昔も『味方』の俺は、お前を鳥籠の中で孤独なんかにさせない。だから千里も……絶対に俺との約束を思い出せ」


 

 真っ直ぐな瞳に宿るしろい星芒に、千里は俯いた。かんばせは、前髪の影に隠れて窺い知れない。


「何言ってるの、。……隠れ鬼ごっこの事かな、また私と遊んでくれるの? 」


「小さい千里とは、まだ遊べない。だけど必ず迎えに来るから、『幼い千里じぶん』の中に隠れて待ってろ。……鴉なんかに会っても、お前の初恋いちばんをやるんじゃない。俺が守りたい一番は、お前なんだからな」


 拗ねたような朱を頬にのせ、智太郎はそっぽを向く。そっと手を離した智太郎が駆け出すのに、鬼ごっこはもう終い。残された千里に、私は隠れるのをやめた。現れた小猫わたしに驚かない彼女の膝へ前足で触れれば、小猫わたしはぬいぐるみのように抱き寄せられる。鶯色の髪先が私を囲う中、落ちた雫を猫耳が弾いた。

  

「私は穢れた裏切り者なのに、馬鹿だよ。私達のうつつに、咲雪を一番取り戻したいのは……自分の願いを裏切っているのは、智太郎のくせに。を忘れて自由になるべきだって、気づいてよ……! 」


 腹底から押し殺された悲鳴は、私の鼓動に爪を立てる。千里を見上げれば、潤む瞳孔は研がれ『紅紫色を変幻する青紫色』に杏眼が染まっていく。智太郎からの説得を躱し『願い』が揺らがないように、現代みらいの千里は『幼い自分』の振りをしていたのか。


 幼いかいなの中から、じんわりと伝わる春陽の温かさは……秋陽の遺言を継いだ私に『守りたい家族』を悟らせた。

  

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