10 青風に鷹は裂き、虎は唸る


「急ぎ伝える! 『亀甲竹きっこうちくの竹林』へ、妖狩りに向かったわたるとの連絡が途絶えた! 解けた、妖の封印は六つ! 負傷した妖狩人が帰還する際、竹林へ向かう擬似妖力術式家門だと思われる妖狩人、数人の目撃情報があった。加勢だと信じたいが……桂花宮家こちらからは、まだめいを出していない」


 荒い息を吐いて、駆けてきた翔星かいせい鷹眼ようがんの鋭さで私を貫く。『得物エモノ』を狙う者達が、その妖狩人達ならば……渉が危ない! 渉は、尾白家の『秘ノ得物』から生力由来術式を継いだ得物で戦っている!


「これから翔星も向かうのでしょう? 咲雪わたしも行くわ。辛い待ちぼうけは、もう終わりにしたい! 」

  

「身重のくせに、何を言っているんだ! 良いわけが無いだろう! 」

 

 翔星を睨んで立ち上がった今の私は、言葉を失った隣の秋陽と同じく妊娠中期、五ヶ月目にあたる。白袴を着た私の胎の膨らみは、傍目には分からないくらい。


「安定期だからって、正気に聞こえないのは理解してる。けれど『亀甲竹の竹林』は、間者である虹鱒ニジマスの半妖の男の感情いろで視た場所なの。案内役には、私が相応しい。それに、『隠世』に繋がるわたしを欲しているが居るのならば、私を殺しはしない」


「自分を、渉を守る為の囮にする気か 」

  

「半分はね。私は、もう『家族』を失いたくないの。胎の子も、父親が居なくなる事を望んだりはしないはず。相手の感情いろも視れる、半妖の私は戦力になるはずだけど?」


「だが……どちらにしろ、咲雪のあるじである正治ちちうえが許す訳が……」


「翔星さん、お願い。咲雪を行かせてあげて。秋陽わたしは、こんなに無力を恨んだことは無いよ。無力じゃない『母親』の咲雪には、『家族』を守れる力がある。お義父さまの一番の懸念要素は、『隠世』に繋がる咲雪が桂花宮家へ戻らない事のはず。咲雪は、親友わたしが待つ桂花宮家ここに必ず戻ってくるでしょ? 」


「当たり前でしょ。秋陽も私の『家族』なんだから」


 愚かな私の肩をもち、秋陽は綺麗に微笑を返した。待つばかりの歯痒さを、同じ『母親』である秋陽は誰よりも理解してくれていた。

 

「……渉に一生恨まれるな」


 翔星は苛立ちを隠せずに、逆立った黒茶色の髪をかき上げた。裏腹に、花緑青の陽炎を纏ったわたし北叟ほくそむ。私と翔星は、『亀甲竹の竹林』へと疾走を開始した。

 

「いってらっしゃい。……生҉力҉が҉視̶̡̛҉̸̧͠͠҈̶̷̵̴̨̧̛̛҇͆̒͋͐͢͜͢͜͡͝҈̷̵̶̸̧̡̡̨̛̛̣̱̰̗҇̏͢͝͞҈̡͔͡҈̧҇え҉̨̰̬̀͒̂̕る̵̡͖̩͇̪҇͒́私が…お義父さんを止҉҉め̵̷…҉̛͢な҈̨̛きゃ……-҈̨͎̟͂̅͐̕に化҈̢̲̮̣̿͂̇͌͑͠҈̴̨̦̩̎̆̈́̓͠すこ҉の҉̢͞子-҈̨͎̟͂̅͐̕-され҈̢҇る前に…҉̛͢」

 

 秋陽が呟いた言葉を、耳障りな風鳴りノイズが掻き消してゆく。小三條コミスジ蝶が、藤棚の下で見送る秋陽へ舞うのをかえりみた。私達が恐れるべきは、行きだけであるはずだ。

 

 薄暗い竹林を抜ける青風せいふう隠処こもりどを無くせば、線形の葉が天高くさざめく。亀甲竹の膨らんだ節間は、斜め十字に拘束されて藻掻き苦しむかのよう。垂直なはずの節から突如斜めに伸びる竹も交じり、駆け抜ける私達の感覚を狂わせる。【感情視】で視た、和竿を手に駆けていく無邪気な兄妹の幻だけが、私を導く。


で、息を潜めている」


 冷静な翔星を一瞥すれば、予言通りに地鳴りがした。地を蹴った私達が左右に散れば、土竜モグラの如き一角イッカクの妖が大地を突き破る! 可愛くない筍だな。

 電霆でんていで回転する卍型の戦輪せんりんが飛来し、妖の首を狩る! 巨大な戦輪が翔星の手の内へ帰った瞬間、わたしの耳を僅かな風鳴りが掠めた。

 

「今度はね」 


 強拍子で攻め立てる甲高い鳴き声に煽り見れば、凶暴な日脚ひあしが目を眩ませた! 急降下するのは、太金針水晶ルチルクォーツの翼を狭めたハヤブサの妖か!  


 ――陽の支配者は、のお前じゃない。


 煌々こうこうと瞳孔を細めた私は、動く必要など無い。私の花緑青の陽炎に身を焼かれ、断末魔に墜落する妖は……焼灰として飛散したはずだった!

 白銀の薙刀なぎなたを顕現し振り向く刹那、太金針の羽は散っていた。つがいの復讐虚しく、隼の妖は電霆でんていの鷹に裂かれた! 一対の卍卐まんじの戦輪が魅せた翼の幻は、鷹匠たる翔星へ帰る。顰められた彼のおもてから、深まる疑念が伝わった。

 

「やはり、。下賎な妖に、渉達が敗北する訳が無い」


「封印はあと三つ。渉は何処なの? 」


 竹林は、亡き兄妹の民家以外に隠処こもりど無し。疾走する内に、釣り餌わたしが喰いつくか……民家で待ち受けているか。


「……き……」


 横切った呻き声に左を向けば、竹林に虎。腹の縞模様に、獣の多眼。振り回された長得物から、てきの意識を揺るがす虎落笛もがりぶえが鳴る。上下両刃の三節棍さんせつこんは、血濡れに倒れる虎の妖を始末した。片膝をついたわたるは、尾が逆立つ私を呆然と見つめる。額に汗滲む渉の脇腹に、無惨な裂傷!


「咲雪……何故、ここに 」


「そんなに傷だらけなのに、分からないの? 私と子供を一生待たせるつもりの渉を、引っぱたきに来たのよ! 」


 咆哮した苛烈な激情は、全身を突き抜ける! 渉を抱く自分に、何処か冷静な自分が驚愕した。泣きじゃくる私は今、子供のようだ。渉の静謐せいひつな香りが、血腥ちなまぐさいのが許せない。


「身重なのに馬鹿だ。咲雪はもっと冷静だと思ってた」

 

「渉が帰って来ないから、冷静な『母親』が出来ないの。猟犬なんてもうやめて、 帰ろう」

  

「せっかく『外』で会えたのに、つれないのね。咲雪」


 溶かすように甘い女の声は怖気がした。紫黒色の髪を纏めた銀鱗を模すビラ簪が、歩む度にシャナリと鳴る。私を捉えた瑞鳳眼ずいほうがんは蕩けているのに、羽衣のような洗朱あらいしゅの薄絹が繋ぐ双刀そうとうは、わたしを映す。釣り餌に、魚が喰いついたか!

  

竜口 冴たつぐち さえ……! 」


「冴と呼びなさいと言ったでしょ、聞き分けが無い子。で私と逢瀬の約束をするだなんて、咲雪は純情なのね。感動のあまり、燃やしちゃったけど」

  

「一体、何を……竜口家が『秘ノ得物』と咲雪を狙う『首謀者』じゃないのか?」


 渉を庇い、得物を構える私と翔星に、冴は口元を袖で隠して嗤う。


「随分流行ってるの事でしょうか、桂花宮家次期当主? 擬似妖力由来術式家門わたしたちにだって、好みはあるの。咲雪には惹かれても……生力由来術式武器なんて、要らないわ。ねぇ、弥禄みろくさん」


「同意。我々は、しに来ただけだ」


 赫赫かっかくたる光が弾け、男は現れた。歪に嗤うは伊月いづき家当主! うねる長い髪から、瞬かない暗黒色の瞳が覗く。人気ひとけの無い底なし沼に引き摺り込む様な、畏怖と威圧感が漂う。弥禄の腕には、赫赫たる蛇が巻き付き蠢いているようだ。

  

「その蛇みたいな『ばく』の術式で虎の妖を操り、おれ達に差し向けたくせに。妖の攻撃を増強でもしたんだろ、だったぞ。『咲雪を装った得体知れぬ手紙』にて、わざと『首謀者』の駒になったあんたらは、おれを負傷させれば咲雪が竹林に誘い出されることが分かってたんじゃないか? 桂花宮家から強奪する口実が欲しかったんだろ、強欲なやつらめ」


だ。妖狩人みなの共通認識通り、『縛』の術式は妖を封印する術式にしか過ぎない。戦闘時に扱うと、誤解されることもあるがな。に妖の封印を解かれ怪しんだ我々は、後から竹林に来たのだ。も居るだろう? 」


 渉の隣で消失する虎の妖の首には、赫赫たる光の残骸が見えた気がしたが、弥禄を妖狩人らに突き出せる証拠など、立ち所に消えた。私を装う誰かの『手紙』が、灰と化したように。


「桂花宮家から咲雪は、飼い主候補達が引く手数多あまたなの」

 

「これは、正当防衛だ。しに来た我々を、『感情視ノ白魔』に唆されしたお前達が妖ごと狩ろうとしたのだから。『首謀者』を吐かせるためにも、我々が『感情視ノ白魔』を捕らえる必要がある」

 

「正気か、貴様ら……」


「勿論、正気じゃないわ。擬似妖力由来術式家門わたしたちに、お綺麗な思考回路の奴が居たら……してやりたい」


 冴が小首を傾げて翔星を嘲笑えば、彼らの背後から無数の蛾で構成されたような、翅の毛並みをもつ『狼の妖二体』が現れた。


 そして……冴を守護するように朧に漂うのは、『人魚』。洗朱の背鰭は『リュウグウノツカイ』にも似ているが、背骨が露出している。人間に似たあかい腕に、頭蓋骨の顔は……異常だ。虚ろな眼窩と目が合った瞬間、本能的に肌が粟立つ。は何だ。原初の妖の血を継いだ半妖わたしより妖の位が、下位か上位かも分からない。


「妖の封印は、六つだったはずでしょ。何故、が居るの」


「よく数えてみて……咲雪。から! 」

 

 まるで、おはなしにならない。狂気に嗤う冴と弥禄は、私達を虚言で絡め取ろうとしているかのようだ。彼らが欲しいのは、私だけ。渉と翔星は、のだ。死人に口無しなら、なお都合良しか。


「渉を支えて、あの民家まで逃げられるか。咲雪」


「何言ってるの翔星、 置いて行けるわけが無いじゃない! 」


「これはただの時間稼ぎだ。増援の妖狩人達の前に晒されれば、コイツらも出来ない。どちらが真実を語っているのか、明らかだろうな」

  

 一対の戦輪を両手に、鷹眼に鋭光えいこうを宿した翔星は前に出る。渉は首を振るが、その顔は土気色。翔星の言う通り、民家で止血しなければ命に関わる。


「翔星、絶対に帰って来て。秋陽が待ってるのは、私達三人なんだから」


「帰るのは『家族』なんだから当たり前だろう、フラグを立てるな。いいから行け」


 渉を支えた私は頷き、花緑青の陽炎で疾走を開始した! 最中、馬鹿みたいなことを考えてしまう。私が一方的に嫉妬して嫌っていただけで、翔星は愚直なヤツだった。秋陽は見る目があったのね。


 振り返るのは、親愛なる翔星への礼儀に反する。生きる私達が愚直に目指すべきは、『亡き兄妹の民家』だけだ。

 

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