05 硝子と白魔
校門を越えた早すぎる登校は私だけのはずだったのに……不思議な事に校内からピアノが聞こえてくる。高鳴る孤独は彼女を『期待』してしまう。
誘われるように真っ直ぐな廊下を歩み、音楽室へと向かう途中。私は不快に足を止められた。私が一番会いたくない少女が、私と同じように眉を顰める。『雪華のバレッタ』を一瞥して。
「どいてくれる?
「咲雪……先ずは『おはよう』じゃない? 合唱コンクールの主要メンバーでは無い貴方が、音楽室に何の用なの」
那桜の一言に、私の予感は確定する。ピアノを弾いているのは秋陽だ。彼女は合唱コンクールでの伴奏を務めるはずだから。
「音楽室を独占できるのは、貴方達だけだなんてルールは無い。当然、私は用があるから向かっているの。那桜が知る必要なんて無い」
「はっ……咲雪がルールを語るなんて。昨日、秋陽を
私は鼻で笑った。これだから那桜は嫌いなのだ。彼女は、秋陽が分かり合えないと語った家族と同じではないか。体裁ばかり気にして、その奥の本当に大切な心を蔑ろにする。
「体裁に怯えているのは那桜の方でしょ? 臆病な貴方は秋陽にくっついて、同級生の輪から外れるのを恐れている。だから貴方は、今も体裁の為に秋陽を犠牲にし続ける」
顔を強張らせた那桜の薄茶の髪は、肩上で真っ直ぐに切り揃えている。愚直な道しか選べない彼女自身のように。
「何言ってるの……? 私が秋陽を犠牲にした事なんてあるはず無いでしょ」
「分からないなら……貴方は一生、唯の『友人』止まり。敷かれたルールばかり守る優等生が、道の外側の真理を見れるはずが無い」
那桜は俯く。私は助言してしまった事に後悔した。もし彼女が秋陽の為に道を逸れる事が出来るならば……私よりも、秋陽を理解してあげられるかもしれない。そうなれば私は、要らない不良品に成り果ててしまう。
だが那桜は小さく唸るように、その口を開いた。
「私には、分からない……。今まで守り続けてきた
顔を上げた那桜の言葉に、私は喉笛を鋭く切り込まれたように声を紡ぐ事が出来ない。那桜は優等生らしく
「咲雪、母子家庭なんだってね。その事自体を否定するつもりなんか無いけど……人との繋がりを大事に出来ない貴方は、育ちが悪い。心根が暗い者は、やっぱり周りにも悪い影響を与える。私は秋陽に、咲雪みたいに悪い子になって欲しくない。貴方だって、秋陽が大切だと思うなら離れるべきだと思わないの? 」
那桜が信仰するのは、盲目の正義。けれど真っ直ぐな彼女の刃で切り刻まれる私の正体は『妖』だ。私が傍に居る事が秋陽の為にならないのは……本当に正しい。妖が
「那桜は正しい。私は確かに悪い子だよ。良き人を怨み、黒に染めるのを悦ぶ……貴方達が恐れる
腹から込み上げる凶暴な衝動に、私は嘲笑を那桜に囁いた。肩を揺らした彼女は、ただの弱い『人』だ。私が本気になれば、不快を口走る彼女なんて簡単に殺せる。この牙で。
瞬く間に恐れに染め上げられた那桜の
「まさか……本当に……人じゃないの……? 」
「逃げれば? 弱い貴方なら許される」
気分のいい私が彼女の脈動する首に軽く爪を立ててやると、那桜は弾かれたように走り出した! 音楽室から流れるピアノの音色が、遠ざかる逃亡のステップに奇妙な明るい伴奏を奏でる。私は酷く可笑しくて、腹を抱えて思い切り笑った。騒々しい廊下の雑音にピアノの音色は止まり、秋陽の声がする。
「那桜……? 」
ああ、私は秋陽に会いに来たんだった。ようやく音楽室の戸を開いて独占した私は、ピアノから顔を上げた秋陽に微笑する。驚いた、まあるい杏眼が可愛い。
「私だよ、秋陽。昨日ぶり」
「咲雪……!? 今日は珍しく早いんだね。あっ、付けてくれたんだ! お揃いの『雪華のバレッタ』」
嬉しそうに駆け寄る秋陽に、私は自然と唇は優しく綻ぶ。そう言う彼女自身も『雪華のバレッタ』を留めていた。通りで那桜が私のバレッタを睨んでいた訳だ。
「気分が良かっただけ」
「なら咲雪の気まぐれに、私は感謝するよ。……あれ……? 」
純朴な秋陽は不思議そうに首を傾げ、私の顔を覗き込んだ。黒檀色の杏眼に映り込む、
「咲雪……
秋陽の恐ろしい言葉に、私は窓ガラスを振り返る! そこに居たのは、那桜を貶めた化け物。人ならざる花緑青の瞳に宿るは、妖の鋭い瞳孔! 頭が真っ白になった私は、青ざめていく秋陽から後退り……走り出す!
「咲雪……! 」
「来ないで!! 」
追いかけてくる秋陽の気配に怯えた途端。現実逃避にくらりとした私は、叩きつけるようにピアノへ縋る! 私の下手くそな悲鳴の代換えに、壊れた不協和音が叫ぶ!
高鳴る心臓は正体を暴き、人の皮を被っていた私の髪は黒紅色が砂のように崩れ、白銀へと染まっていく。隠匿が解かれた
バレた。知られた。もうお終い。私は最悪な嘘つきだ。自分さえも守れない嘘は、使い捨ての紙の盾。無駄な感情論を吸い込み、萎びて弱っていく。解ける最期に、濡れた塵クズを晒したくなる。
「秋陽はお馬鹿さんだよ。自分から危険に近づいてさ。せっかく、見逃してあげてたのに」
「咲雪は一体誰なの……? 」
こんな時だと言うのに私は、呆然と立ち尽くす秋陽の『好奇心を満たしてあげる』という願いを叶えたくなり、自嘲する。
「私は貴方達を食べる『妖』の子供。妖でも人でもない半端な身体に産み育てられた故に、心臓の灼熱を呪う
「咲雪は……嘘つきなんかじゃなかったんだね。貴方は本当に【感情視】を宿していた」
那桜みたいに逃げ出してしまえばいいのに。
秋陽は青ざめていても逃げる所か、一歩……また一歩と、私の元へと歩み寄る。私の鼓動のリズムに合わせるように。
「私、咲雪が何かをずっと隠していた事くらい気づいてたよ。私なんかに教えてくれてありがとう。貴方は私が本当に知りたかった秘密を明かしてくれた。私――本当の貴方のことをずっと知りたかったの」
秋陽は逃げてしまった飼い猫を呼び戻すように、ぎこちなく微笑した。伸ばされたその手は……本当の私を望んでくれている。
「咲雪が妖だって言うなら、私……また貴方に願いたい。今度こそ、私と本当の友達になってくれないかな? 」
私は惑う。陽だまりから差し伸べられた、その手に触れてしまえば……私は救われるだろうか?
否、と『家族』の絵を
だけど秋陽に縋りたくなる私は、まだ崖から堕ちてくれない。相反する想いに八つ裂きにされていくドクドクと波打つ灼熱の心臓に、圧迫された頭が割れそう!
「やめて……もう私に『期待』させないでっ! 」
弾けた『私』は、巣食う灼熱の花緑青の陽炎に
キラ、きら、キラ、きら……。
バラ撒かれた白魔の硝子に、染みるように広がるのは何色……? 倒れている鶯色の髪の少女は誰……?
ガラリ、と音楽室の扉は開かれた。荒い息をつく、薄茶の髪を切り揃えた少女は勇気を灯火に戻ってきた。
「あ、秋陽……っ……!? 」
認めなさい。惨めな
「那桜……お願い……秋陽を助けて」
凍えた私はふらふらと歩み、割れた窓ガラスから吹き込む眼下を見下ろす。秋陽と出会ったプールサイドは、そう遠くない。
「化け物はもう二度と、近づかないから」
「何する気なの……咲雪」
小さく息をする秋陽を抱えた那桜は、私と違って本当は悪い子なんかじゃない。大切な秋陽を傷つけた化け物でも、案じることができるのだから。
「貴方達の前から消えるの」
私は迷いなく、割れた窓ガラスのその向こうへと飛び込んだ。肌が割かれても、化け物はどうせ簡単には死ねないように出来ている。
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