後半

「澪、悪いけど、はあ、先に行ってて。私、きっと後から追いつくわ」

「駄目よ、一緒じゃなきゃ。……しょうがないわね、ほら、ちゃんと息を吸って」

 澪は二つのスクールバックを草むらに寄せ、屈み込む渚の背中を優しく撫でた。渚が正常な呼吸を取り戻すと、また手を引いて扉の奥へと入ってゆく。灯台の中は予想以上に狭く、砂色の螺旋階段が二人の女子学生を迎えた。

「怖くないわ。さあ、私の後に続いて」

 渚を離した澪は、先頭に立って階段を上っていった。渚も遅れないように、内壁に手をついて足を進める。

 澪は少々強引なところのあるクラスメイトだが、その強引さが、春に転校してきたばかりの渚を逸早く周囲に溶け込ませた。今だって澪に振り回されてばかりだというのに、不満を覚えるよりも、初めて見るであろう景色に胸を高鳴らせている。

 螺旋階段は上へ行くほどさらに狭まる。所々窓から注がれる日差しが、目を細めたくなるような眩しさに感じた。

 とうとう階段の終わりが見えたとき、振り返った澪に渚は素早く腕を掴まれた。灯室で思わず躓き、勢い余ってクラスメイトに抱きつく。暫し沈黙が流れたあと、どちらともなく笑いが溢れた。

「ほら、やったじゃない。もう天辺よ」

「ええ、でも何故かしら。脚が震えるの」

 澪は、躰に力の入らない渚と一緒に立ち上がって灯室から外に出た。正面に視線を移す澪に倣い、やや怯えながら渚も手すりを支えにして同じ方角に顔を向ける。

 この灯台のフレネルレンズと姉妹のような瑠璃色の海が、遥か遠くの水平線まで広がっている。水面は太陽光に煌めき、海を横切る貨物船を主役に仕立てた。鳶が自由に飛び回る碧空が目の前に迫り、手を伸ばせば届きそうな距離にある。空気はどこまでも澄み、息苦しさを感じていたのが嘘のように思えた。

 渚は疲れをすっかり忘れ、果てしないブルーの世界を隅から隅まで見渡した。都会にいたときには見ることがなかった広大な海や空は、慣れない地方での生活疲れまで洗い流してくれるようだ。

「……とても綺麗ね」

 ハーフアップにしたロングヘアが風になびく。ふいに澪がその髪を避けて頭を撫でてきた。

「違うわ。渚が身も心も美しいから、そう思うのよ」

 彼女は穏やかな笑顔でいたが、急に表情を崩して渚に抱きついた。

「……澪、どうしたの?」

「私たち、もう親友よね。私、渚を失いたくないの」

 渚は戸惑ったが、澪の背中に優しく手を添えると、彼女はいくらか落ち着きを取り戻して深く呼吸をしだす。

「どこにも、行かないわ。本当よ」

 澪は懇願するような眼差しで顔を上げる。渚は、頬に溢れ落ちる雫をそっと指先で掬った。とても温かみのある涙だ。

「渚、私に誓って」

 波が静かに押し寄せてくる。固い決意の表れた真っ直ぐな瞳が、渚を捉えていた。澪は分かりきったように微動だにしない。

 渚は片方の手で指先を絡めとると、もう一方の手で襟元の真っ赤なスカーフをゆっくりと解いた。

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海辺の誓い 夏蜜 @N-nekoko

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