第7話

笠碁かさごを…お前が?」

「うん。ちょっと挑戦してみようかと思って」

「女流噺家の笠碁…お前、馬鹿か?悪いものでも食ったか?」

「やってみる価値はあるよ」

「価値もクソもあるか。あれは、男がやるから面白いんだ。考え直せ」

「じゃあ何を教えてくれる?」

「いっその事、死神にしておけ」


深夜3時。ふと目が覚めると、自分の寝室に居た。


夢か。私も新作のネタを増やさなければならないと、あれこれ考えていた。

タレントとしての仕事も両立しなければならない。


ただ龍喜はその仕事のやり方が、噺家として気に入らないと、いぶかしげに厳しい目線を常に私に向けていた。


***


マネージャーから連絡が来た。

2年程務めていた情報番組が終了するという。

それを耳にした時、寂しさより充実感で満たされていて、一つの区切りがついた感じにもなった。


ある日、自宅に一番弟子の龍壱を呼び出して、お互い睨み合う様に真っ直ぐ顔を見ていた。


「自分には落語しかありません。だから、師匠の下で悔い改めるという所存で…続けさせてください」

「…顔を上げなさい。…これまで幾度となくお前と対立する様に、時にはそのブレている軸を直して自分と向き合っていけと、言って来た事。どうして気付いていこうと、努力して来ないんだ?」

「何度も言いますが、俺は貴方のその開き直り方や精神世界というものやら、複雑過ぎて何処でどういう風に自分を正せと言われても、分からないんです。理解したくても無理なんです。もっと単純に生きていきたいんですよ、俺はっ!」

「そうか、その考え方で良いなら、もう結構だ。…破門だ」

「いつまでも、そうやって格好つけないでください」

「いい加減素直になれ!お前のこれからの為だ。従いなさい」


龍壱の歪んだ精神面には、長年手を焼いてきた。私も時々恋いとに相談を持ちかけて、考えていた。

しかし、もうこれ以上噺家としては続けさせていると、益々脱線して、自分を見失ってしまう人間になる。

その為に彼を一門から外すことを決めた。


龍壱は一度言われた事では納得がいかないと返答して、再び自宅に来て話がしたいと言い、家を出て行った。


「正直あいつは手強いよ。また家に来ると言って帰ったぞ」

「あの子の奥さんも相当心配しているからね。分かって欲しいね」

「あぁっ。モヤモヤして落ち着かない。今日、どっちが夕飯の支度をするんだっけ?」

「龍だよ」

「そうか。じゃあお前も手伝え」

「全く。まぁ、良いけど」


彼が炒め物を作っている間、私はサラダを作っていた。


「何?どうしたの?」

「ちょっと、こうしたくなった。」


珍しく彼は私の背中に腕を回して抱き寄せてきた。温かい。でも何処か物憂げな感覚も漂ってきた。


「久しぶりにしないか?」

「私ら、同居人同士だよね。付き合ってもいないしさ」

「元恋人同士だ。何がいけない?」

「…私で良いの?」

「あぁ。抱きたい。お前の部屋に行こう」

「まず、ご飯にしようよ。ほら、テーブルに運ぼう」

「やってられねぇなぁ…」

「そうカッカしないで。早く食べよう」


食事を済ませ、食器類を洗い終わった後、彼は私の腕を掴み、寝室へと入った。


「さっさと脱いでくれ」

「もう少し、優しく言ってよ」

「ごめん…脱いだら布団に入れ」


言われた通りに衣服を脱ぎ、羽毛布団を被ろうとしたら、龍喜が両腕を掴み押し倒してきた。


真っ直ぐに目を見て、まるで蛇に睨まれた蛙の様に、軽い身震いを起こした。

龍壱の事で余程気が立っているのだ。


背中から腰のあたりを唇でなぞり始め、片脚を上げられふくはぎから太腿、尻と舐め回す様に前戯をしてきた。

四つん這いになり、私の口を塞ぎ、息が詰まる無機質な状態の中、背後から攻める様に性器を挿入され、拍子を打つ様に上下に腰を揺らしてきた。


1回じゃ物足りないと告げられると、私が彼の上位になる様に体勢を取った。


「これまで何人の男とヤってきたか…分かっている身体を持っているんだから、それなりの介抱はしろ」

「分かってる…私も龍を喜ばせたい。」

「本名で呼べ」

光生こうき…あぁっ…」


彼が私の陰部をまさぐると淫らな声を上げた。波打つ様に身体を揺らしてたかぶる私を、彼はじっと眺めながら、愛の無いセックスに嘲笑いするかの様な笑みを浮かべていた。


龍喜の昼夜の顔を知るのは、私ぐらいしか居ない。ただこれが表沙汰になったらどれだけ楽しいだろう…

そんな皮肉さに浸りながら、時間は過ぎていった。彼は寝室を出て自分の部屋に戻っていった。


シーツが冷たい。衣服を整えて着ると、リビングのソファに座った。


彼の部屋から声が漏れてくる。

こんな時に稽古の台詞を叩き込む様に集中できるなんて…

到底私には敵わない事だった。


数日後、龍喜はある人物を紹介したいと言って、自宅に連れてきた。


「お邪魔します」

「もしかして未菜子さん…?」

「お前、気づくの早いな。そういう勘だけは良いよな」

「はじめまして。未菜子と言います。以前から恋いとさんの事は存じ上げています」

「何の話は想定付いていると思うが…俺の新しい婚約者だ。」

「本当はもう少し待ってから、お会いしたかったのですが…お母様が、事は急げと言うものですから。今日挨拶に来ました」


龍喜のおかみさんになる女性、未菜子。


彼女は大手雑貨メーカーのエリアマネジメントという高いキャリアを持ち、5年前に彼の落語会を観劇して、ファンになりその頃より友人関係に至ったという。


そういえば、この間、彼女の知人の会館を貸切にし、主催者として彼の落語会を切り盛りした人物でもある、やり手の一面も持ち合わせていた。


一筋縄ではいなかい、一本、筋が通った面持ちがした。


「籍はいつ入れるの?」

「来月4月の中頃だ。だから、引越しも来週来てもらうことにした」

「一応私も次の新居が決まったから、貴方が行ってから、ここを出るよ」

「急で申し訳ない。慌ただしくなるが、頼むよ」

「なんか…安心したな。」

「何が?」

「未菜子さんなら、龍を任せられるなって。今日初めて会ったばかりなのに、すでにおかみさんの風貌が垣間見えるなって」

「そうおっしゃってくださると、こちらも嬉しいです。龍喜さん、せっかちだけど人を見る目は長けている方ですから」

「そう!この人いざとなったら、直ぐに行動する人だから、馬の様に止まらないのよ」

「お前…よくそう言えるな。俺を何だと思っているんだ?」


私の角は丸くなり、すっかり彼女に彼を明け渡して良いと気を許せた。

彼より5歳上の姉さん女房か。龍喜も彼女なら末永く寄り添っていけると、覚悟したんだな。


3人の会話が終わり未菜子が家を後にした。


「結局、あの話はしなかったな」

「何?」

「お前が霊感を持っている事」

「それは、未菜子さんに言う話じゃないよ。知られても素気なく返されて終わる事だしさ」

「それでお前も色々苦労してきているだろう?本当に、これから独りで大丈夫か?新しい男は?」

「居ないってば。私の心配より、自分の事を考えてよ」

「分かった。…なぁ、今日は仕事はないのか?」

「うん。どうして?」

「一席、聞かせてくれないか?」

「これから?このままで?」

「良いだろ少しくらい。…香奈恵、聞かせてくれ」


8年間一緒に居てくれた事を噛み締めながら私は権助ごんすけ提灯を披露し、噺が終わると涙が出てきた。


すると、彼は微笑んでそっと抱きしめてくれた。

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