第19話 読み切り短編 ジルカースとキスク編

※暗殺者として活動していた頃の、ジルカースとキスクのお話

※本編や、サイドストーリーのキスク編、デオン編を読んでいるとさらに楽しめます


“生きるために、唯一覚え知った暗殺の技を使う“

日銭を稼ぐためとはいえ、あまりにも露骨で滑稽だとは思う。

けれどジルカースにはもう共に生きる相棒のキスクができていたし、彼の身の安全を思うと、残酷なことではあるが自分の指先ひとつ汚れようがかまわなかった。


暗殺者とて、暗殺される相手の人生について全く何ひとつ考えないかと言われれば、そんな事はない。

暗殺者は標的を確実に仕留めなければ、おのずと自分の身が危うくなる危険性をはらむ。

相手の生活実態やバックヤードを入念に調べあげたり、時には仲間へなりすまし相手の懐に入り込むことで暗殺を成し遂げる者もいるほどだ。

そして暗殺を成し遂げたのちは、対象の身辺や関わりからは一切の接触を断つのである。


しかしジルカースは少しばかり違っていた。

師匠であるグライドから学んだ暗殺術のほかに、この世界へやってきてから身に備わっていた“神力(じんりき)“があったためである。

神力とはこの世界では使うものが極めて稀とされている、異能力や神通力のようなもので、ジルカースはこの世界へやってきてからの記憶は無かったものの、その神力の使い方だけは息を吐くことと同じように覚えていた。

その能力は“おのれの気配を消すこと、対象の記憶を操作すること“

まるで暗殺者になることを察していたかのようなその能力が、幸運か皮肉か、不思議なことにジルカースの身を助けることとなっていたのである。

ジルカースとて暗殺する対象の身辺調査はするし、失敗することを予見して防衛策はいくつか打つ。

しかし他と違っていたのは遂行後の、周囲への接し方だった。


ある日のジルカースの行動を例にあげてみるとこうだ。

暗殺する対象は家族も子もいない、ひとり者という情報を得ていた。

しかし打ち入ってみると沢山の孤児の子供達を世話している人間であることがわかった。

ここでジルカースは孤児たちの記憶から自分たちの存在の全てを消し、育ての親であった対象者については遠方へと旅立った、という記憶操作を行うのだ。

その上で遺された孤児たちに関しては、ジルカースたちの収入から支払ってもっと処遇の良い孤児院へと入れてやる。この世界での独り立ちできる年齢の十五歳になるまでの数年間ではあったが。


そんな神力を用いた事後処理をジルカースらは行っていた。

もちろん“記憶を消すべきでない“と判断した者に関しては、“いつでも仇を打ちに来い“とあえて記憶を消さないこともあった。

しかしそれは稀なことであり、また身を危うくすることに変わりは無かったゆえに、ジルカースが腕を認めた一握りの相手でなければそれは行っていなかった。


暗殺者として生きる以上、暗殺する対象の人生はあくまで“貰い物“である。

相手から貰った以上は、自分たちはどこかで返していかねばならぬまい、と。

それがジルカースの思う暗殺者としての持論であった。


さてそれはさておき、現在深刻なのはジルカースらの財布事情である。

先述した事情があったため、毎月の必要経費がかさんできていたのもまた事実であった。

相棒や子供達の人生を預かる以上、自分の指先ひとつ汚れようがかまわない、とは言ったが、やはり腹は減るし酒は飲みたくなるのである。


「旦那、今月は支払い引いたら宿代ないですぜ。どうします」


路地裏に差し込んだ灯りを頼りに、へそくりを数えながらごねるキスクの横で、ジルカースは最後の一本になった短い煙草をふかす。

闇に紛れたジルカースの黒衣に、煙草の白煙がふわりと覆い被さり、一時その輪郭を浮かび上がらせる。


「追い剥ぎでもするか」

「そんな真似するんですか、名の知れた天下の暗殺者ジルカースともあろうものが……」

「阿保か、冗談だ」

「堅物なジルカースの旦那が冗談言うなんて、いよいよ切羽詰まってきたな」


キスクが深刻げな顔でぶつぶつ返してきたところで、ジルカースは短くなりすぎた最後の煙草を黒いブーツの底で踏み消した。

十九歳の見た目から一回りは歳を重ねている、自分と同じ不老不死の男。

助けるためとはいえ、自分の力で不老不死にしてしまった、爽やかな緑髪で朗らかに笑うこの男を。

ジルカースは毎度めぐらす申し訳ない気持ちを飲み込んで、かがみ込むとキスクに向き合った。


「いつまで判断をあぐねている、俺なら覚悟はできているぞ。どんな依頼が来ている」

「……気づいてたんですね。女相手の仕事はいつも避けてるようだったから、こちらとしても渋ってたんですけど」

「女だからと手を抜くような事はしない。ただ……探している人がいるような気がするんだ。そいつだったらと思うと」

「なるほど、記憶喪失と関係ある女性って事ですか」


まぁ、旦那が嫌なら無理強いはしないですよ、とキスクは依頼書をジルカースへと放る。


そこに書かれていたのは、四十代ほどのウエーブががったセミロングの赤髪の女性だった。

名前は“ジェミニ・ロージー“

西の国コミツでとある酒を売り物にしている、裏家業を生業とする人物だった。


西の国といえば、キスクの故郷であり、今や内乱の痛手からようやく立ち直ってきたと聞く。

しかし復興の創始者と認められたのは、これまでの王政側の者ではないようで、コミツという名のもとに新たな国が立ち上げられる見込みだった。


ジルカースは以前キスクに“国の復興に携わる気はないのか“と聞いたことがあった。

キスクは母国で騎士団長を務めるほどの実力を持った人間である、重宝されるのではないかと察したのだが、キスクの返答はこうだった。


「別の国が立ち上がるんでしょう。王様も俺の知っていた人とは全然別の血筋の人のようだし。これまでの国が消滅するってんなら、それを率いてた俺もお役には立てないですよ」


国の復興に自分はいらない、とキスクは言ったが、やはり故郷の行く末は気になるものではなかろうか、とジルカースは素知らぬことながら思うのである。

別段キスクのためというわけでは無かったが、故郷ゆえに思うところもあろうと、ジルカースはその依頼を受けることにしたのだった。


***


その晩、宿代を渋って西の国コミツへと踏み入ったジルカースとキスクは、まずは情報収集だと、馴染みの闇ギルドのマスターの元へ情報収集へと向かった。

しかしギルドのマスターから言い渡されたのは、予想以上に厳しい条件だった。


「十で詳細なプロフィール、五十でねぐら近辺の地図を出してやる」


言及された数字が示すのは万札の枚数である。

いつにも増して法外な単価に、標的であるジェミニは裏社会でかなり重宝されている人物なのであろう、とジルカースは察した。


「そう言わずにも〜ちょっとまけてくれないか?こっちもなかなか日銭に困ってんだよ」


夜中の一時とあってアクビまじりに交渉するキスクに、闇ギルドのマスターはいつになく冷めた口調で返す。


「宿がないなら俺んとこの部屋を貸そう。飯も出してやる。ただ情報だけは安くしちゃやれねぇな」

「そこまでするほど必要とされる人間なのか……さては俺たちと同業か?」


ジルカースの問いに、目深に被った帽子の下からギョロリと見やったマスターは“OK“とだけ呟いて、二人に宿部屋の鍵を渡した。


「俺からはその情報しかやれねぇな、あとは自分たちでなんとかしな」


どうにかしばらくの宿と、標的が自分たちと同業だというキーワードを掴んだジルカースたちだったが、さてここからどうしたものやら、とジルカースが考えに入ったところで、キスクが眠気の限界だったのかベッドに倒れ込むように没入した。


「もう限界っす、旦那、悪いけどあとはよろしくお願いしま……」


そういえばキスクには昨日から、日銭の確保やら情報収集やらで無理をさせていたな、と気づいたジルカースはそのまま寝かせてやることにした。

闇ギルド館内であれば、裏家業のものといえどどこのものといえど、そう易々と手出しはしてこない。

ひとまずのキスクの身の安全を確信したジルカースは、ひとり夜の街へ情報収集に向かうこととした。


闘技場へと向かうと、夜の演目である見せ物の剣舞が披露されていた。

昼間の猛々しい剣撃の演目とは違い、コミツ伝統の刀剣と錦の織物による艶やかな剣舞は、夜の演目に相応しいものだった。

端的に言っても、この時間帯の人数であればここが一番集っている場所には違いないであろう。

ジルカースは手始めに、目下でワインを片手に観劇している見知らぬおやじへ聞いてみることにした。


「すまん、このあたりでこんな様相の女を見たことはないか」


相手は裏家業の人間であるし、そう易々と尻尾を出すとも思えなかったが、情報捜査の基本は聞き込みである。疑り半分で声をかけたのだったが、おやじから帰ってきたのは意外な言葉だった。


「どうだったかな、酒屋のそばで似たようなやつを見かけた事はあったかもな」


とんでもないあたりくじを引いたのではないかと、ジルカースはすぐさま“本当か“と問いかける。似たような風体をした女性はこの世界にごまんといるが、その証言が当たればかなりの得である。


その時だった、演者の手にしていた紅色の織物が、強風に煽られジルカースたちの方へと飛んできた。そのままジルカースの真隣にあった篝火に燃え移り、あたりは騒然となった。

たまらず散るように離れてゆく観客たち、燃え盛る錦の織物、その垣間から見えた一瞬の姿。


「!」


闘技場から立ち去りゆくジェミニの姿があった。

嘘だと思った。

しかしジルカースはその時酔っ払ってもいなかったし、滅多なことで酔う方でも無かったゆえに、それは間違いなく現実だった。

慌てて追いかけるも、その姿はどこへ消えたのか、すっかり姿は見えなくなっていた。



翌朝、そのことをキスクへ報告したジルカースだったが、返ってきたのは間の抜けた言葉だった。


「旦那、眠くて半分夢でも見てたんじゃないですか?いくら夜型人間とはいえ、寝る時寝とかないと仕事に差し支えますよ」


もっともな言い分ではあったが、あの時感じた火の粉の熱さもまだ記憶に新しかったし、どうにも夢まぼろしだったとは思えなかった。

ひとまず酒屋の近辺を探ってみるかと、ジルカースはキスクを伴って、何度か通ったことのある酒屋へと足を踏み入れた。

年代物らしい酒樽や酒瓶がいくつも陳列されている中に、すっかり背丈の小さくなった好々爺がひとり座っていた。


「いらっしゃい、お久しぶりだねお客さん」


爺さんの記憶力は衰えていないようで、ジルカースも久しぶりの来店に挨拶を交わす。


「すまんなおやじ、今日は少しばかり聞きたいことがある。このジェミニという女を見た事はないか」


写真を見せるなり、好々爺の顔はそれまでの朗らかな表情から一転、ゾッとしたものを見るような表情に変わった。

途端に、両腕を抱え震え始め、見るからに挙動がおかしくなる。


「何か知ってるんですね。教えてもらえます?大丈夫、俺たちも“同業の者“です」


キスクがそう穏やかに促すと、爺さんは深く一呼吸おいてから、鼻から顎にかけて顔を洗うような仕草をする。

そののち、ようやく落ち着いたのかぽつりぽつりと話し始めた。


「あまり“この仕事の話“はしたくは無かったんだが。その方は確かにうちに出入りしておられるよ。もう十年は昔からになるね」

「ってことは俺がこの国を出た頃からか……案外昔から裏家業に居るんだな」


キスクの言葉に“おまえさんこの国の出かい、そうか……“と返した爺さんは、どこか昔を懐かしむような目になる。


「あの時代は国も勇ましさが満ち溢れてたねぇ、戦(いくさ)が絶えない時代ではあったが、みんな活気に溢れとった。騎士団長様方が相次いで身をひかれ、やがて内乱により国も滅んでしまったがね」


爺さんの言葉に黙するキスクの横で、ジルカースが少しばかり申し訳なさげに、先ほどの話の続きを促した。


「爺さん、よければさっきの女のことに関して、もう少し教えてはもらえないか?あんたがどこかで悔いているなら、それが“罪滅ぼし“にもなるかもしれない」


裏家業に身を置く者の勘のようなものだったのかもしれない。

ジルカースの言葉に“そうじゃな“と、ゆっくりと頷いた爺さんは、ようやく核心に至る情報を教えてくれた。


「ジェミニさんはな、南の共和国との境近辺の山岳地帯で、とある品種の葡萄園をやっているんじゃ。そいつで特別な葡萄酒を製造しとる」


「特別な葡萄酒?」


わからないと言った様子のキスクに対し、どこか察しの行った様子のジルカースが会話に割って入る。


「俺たち(暗殺者)と同業の者が製造する葡萄酒、つまりは毒入りの酒か?」


ジルカースの言葉にまた表情を曇らせ頷いた爺さんは、“わしはもうこんな仕事はやめたらええと思っておったんじゃ“と、顔を覆った。

情にあつい爺さんなのだと思うのと同時に、そんな人の罪悪感を利用して情報を収集していることに、二人は少しばかり嫌な気持ちになる。

しかしこれで暗殺が成功すれば、この爺さんが憂いている仕事も終業になる。一般の真っ当な酒屋としてやっていけるに違いないだろう。それならば。


「情報ありがとう爺さん。キスク、すぐに南の共和国方面へ向かうぞ」

「OKっす!お爺さん、昔の話聞けて懐かしかったです、ありがとう」


去り際、キスクの白い羽織の背中に入った紋章に気づいたらしき爺さんが、“おまえさんは、もしかして“と呼び止めた。

かつて“西の国の騎士団長のみ“が旗印にすることを許された、今はもう歴史に葬られたドクバミガエルの紋章。

キスクはお爺さんの問いにあえて返すことなく、笑顔で“また来ます“とだけ手を振ったのだった。


***


「さっきの爺さん、去り際どこか嬉しそうだったぞ」

「そうでした?よく見えなかったな」


南の共和国方面へ向かう馬車の上、ジルカースのかけた言葉に、キスクは背を向けたままそっけなく返した。

いつもよりもどこか物憂げなようにも見えるその背中から、鼻をすする声が聞こえてきて、ジルカースは少しだけ申し訳ない気持ちになりながら、聞こえないふりをして目を逸らした。


緩やかな丘を越えると、自然の城西のように連なる岩肌の山脈が見えてくる。

南の共和国近辺に来たらしいことを察したジルカースは、キスクの背をポンポンと叩くと“降りるぞ“と、いつもよりも心持ち穏やかに告げた。


「この先は切り立った山脈の裾野に入る、人家がありそうなところと言えばこの辺りくらいのものだが」

「まだ昼前くらいの時刻ですし、とりあえず探してみますか」


来た街道を共和国方面へ辿るように歩いていると、道横に獣道があるのをキスクが発見した。何かの目印なのか、赤いリボンが結えられた杭が突き立っている。


「微かにだけど轍がありますね。まだ新しい。例の葡萄酒をここから荷馬車で運んでいるとか?」

「可能性はあるな、行ってみるか」


うっそうと生い茂る木々や草木の合間の獣道を、ゆっくりと警戒しながら進んでゆく。

所々に鳴子で音が鳴るタイプの罠が仕掛けられているのを発見し、二人は足を止めた。

鳴らさぬように屈んで罠を確認するキスクを横目に、ジルカースはぐるりと辺りを見渡す。

鳴子の罠に連動しているらしき、ボウガン型の攻撃用罠を発見したことで、ジルカースはこの先に確実に“何かがある“と察した。

攻撃罠には遠隔切り替え式のストッパーも付いていた。おそらくこの道を使用する時にオフに切り替えているのだろう。


「ますますもって怪しいな」

「なんもない所にこんなもの仕掛けないですもんね」

「この先は何があるかわからん、警戒して進めよ」

「了解っす、いよいよ敵陣突入って訳か」


機械的な罠に関しては、万が一ひっかかってしまえば、ジルカースの気配を消す神力も無効になってしまう。

仕組みとしてはいたってシンプルなものではあるが、備えている罠のタイプからしてジルカースの能力とは相性の悪い相手には違いなかった。


二人はなおも刀の鞘で地面を探りながら、慎重に轍を辿るように進んでゆく。

山脈沿いまでしばらく進むと、明らかに人の手が加えられ開墾された平野、そして百メートルほど遠方まで続く木の柵が現れた。

柵の向こう側には、葡萄棚にみずみずしく実った赤い葡萄が見える。どうやらここで“当たり“のようだった。

木々の影に身を潜め様子を窺っていた二人の前へ、葡萄棚の奥から現れた人影が声をかけてきた。


「そこに居るのはお客人かな」


白髪のような白銀のオールバックに、ルビーのように赤い瞳の、初老ほどの年齢の男性である。

身なりは簡素ではあったが、生地やしつらえなどから、どこか高貴そうな身分を感じさせた。

隠れていたジルカースとキスクに勘づくところから察するに、どこかしら戦いに身を置くものであろうことが伺える。


「あの男の首筋にある刺青、どこか見覚えがないか?」

「えーと、どこかで見たような気がするんですけど」


ひそひそ声で話し込んでいる二人をよそに、初老の男性は“それとも招かれざる客か。私が構うことではないだろうがね“と独り言のように、何くわぬ顔で話し掛けてくる。


「上り龍の刺青……もしや東の国の精鋭部隊長が身につけている刻印か?」

「そういや、噂に聞いたことがあります。古来より刺青を彫って印としていたとか、何代か以前から刻印が変わったとか変わってないとか」


『こちらにおいででしたかギロ閣下、“ロージーが呼んでおります“』


そう言って初老の男を呼びに来たのは、副官だろうか部下だろうか、二まわりほど年下らしい女性兵だった。長い前髪で顔は窺い知れなかったが、黒髪のポニーテールが印象的である。

敬礼した女性兵に“分かった“と返答すると、ギロという名らしい男は、女性兵を伴って去っていった。


「“ロージー“って言ってましたね、さっきの娘」

「ああ、俺たちの探している“ジェミニ・ロージー“のことで間違いないだろう」

「あとを追いましょう」


葡萄の棚畑を潜り抜け、二人が向かった先へ急ぐと、奥にロッジ風の大きな小屋が現れる。

墨色の屋根に見える煙突からは、うっすらと白い煙が立ち上っている。中に誰かが居るのは確実と思われた。

しばらく見計らっていると小屋の中から、先ほど見た二人と、依頼された写真で見た“ジェミニ“が現れた。

緩くウェーブがかった赤毛のロングヘアーをポニーテルに束ねている。

ギロからジルカースらの存在を聞いたのだろう、その手に武器はなかったが、キョロキョロと辺りを見回すような様子が伺えた。

二人を送り出すのか、そのまま小屋の脇に停めていた荷台付きの馬車に乗り込む。


「まずいですよ、このまま逃げられでもしたらタイムロスだ」

「いや、しばらく様子を見よう。奴にとってここは“宝の山、財産“だ、みすみす放り出して逃げ出しはしない」

「それもそうか。あっ、馬車が出ます!」

「いい機会だ、この隙にこの敷地内を偵察するぞ」

「了解っす。確かに葡萄酒の正体も気になるしな」


来た方角の森へ向かう馬車を見送ると、ジルカースとキスクは”施錠されていない玄関から”小屋の中へと忍び込んだ。

消されたばかりで温もりの残る暖炉の脇には、様々な園芸関係の学術書などが並んでいる。

手書きで記されたノートもあり、そこには独自品種の“ロージーレッド“に関して記載されていた。キスクはそれを、恐る恐るながらも“もの珍しげ“に眺める。


「長期に渡り熟成させることで“果実酒の成分に毒を発生させる“。中和および解毒するには、熟成前のロージーレッドの果実を飲むこと……やっぱり、ここで毒入りの葡萄酒を製造してたんですね」

「あった、地下の酒蔵だ」


ジルカースが床下に探し当てたのは、真っ暗闇に包まれたワインセラーだった。

灯りをつけて入ってみると、広さは小屋の面積よりひとまわり程大きい地下室である。寝かせている最中らしい大きな酒樽がたくさん貯蔵してあった。


「酒好きの旦那でも、さすがにこいつは飲まないでしょ……って飲んでる!?」


一口ばかりではあるが、酒樽についている蛇口からジルカースが毒ワインを飲んでいる。

ヒヤリとしたキスクだったが、先ほど来る途中にたまたま一粒くすねていた果実があったことを思い出し、ジルカースの口へ押し込むように放り込んだ。


「あっぶね!俺が果実を持ってきてなかったらどうするつもりだったんですか!」

「俺もお前も不老不死だぞ、そう易々と“くたばる“はずがないだろう」

「うわぁ……相変わらず心臓によろしくない旦那だぜ」


予想の範疇を通り越した酒好きぶりに、さすがのキスクも呆れ顔を禁じ得ない。


「酒自体はいたって美味い葡萄酒だ。やはり毒入りと勘づかれんようにフレーバーにもこだわっているんだろう」

「なるほどねぇ、それだけその筋の奴らには引っ張りだこだった、って訳ですか」


なおも小屋の中を探索していると、寝室のテーブル脇に飾られた丸いフォトフレームがあった。

そのままドアを閉めようとしたキスクだったが、フレームの中にいる“見覚えのある少女“に立ち止まる。

幼い頃のジェミニとその少女は、数歳差の姉妹の面影で並んでいた。


「ベルゲン団長……?」


それは若き頃にキスクが慕っていた、女騎士団長のベルゲンの幼き頃の姿であった。

フレームの裏には“姉の七歳の誕生日にて“と記されていた。


「どうした?何かめぼしい情報でもあったか」

「あ……いえ、なんでも……ないっす」


あからさまに様子のおかしいキスクに、ジルカースが部屋の中を見回す。

そしてフォトフレームに居る二人を見つけたジルカースは“この姉妹の写真か“と問いかけた。


「先ほどリビングのテーブルの上で見た日記にも記載があった。ジェミニの姉が何者かに暗殺されているらしい。唯一の家族だったと。元々は普通の葡萄酒を製造していて、毒入りの酒に着手したのは、その敵討ちがきっかけだったそうだ」

「!?で、でも、ベルゲン団長は確か病死だったはず……」

「なるほど……知り合いだったのか。病死を装って毒を盛られ続けていた、と記載があった。姉の遺体と対面した時に聞いたそうだ」

「そんな……じゃあ俺たちがいま狙ってるのは」

「……待て、それ以上言うな」


震え声のキスクを嗜めるように制して、ジルカースは苦い顔をする。

言わんとしていることは分かっているが、自分たちの立場からしても、相手の立場からしても、それを望むことは許されない、という顔だった。


『さて、全てを知って、アタシをどうする気だね、暗殺者さん』


その時、二人の背後の玄関口にジェミニが戻ってきた。

その手には相変わらず武器はなく、不思議なほどに丸腰といった様子である。

左腰裏のリボルバー銃に手を添えたジルカースを制するように、一歩前に歩み出したキスクがジェミニに問いかける。


「あんたはもうベルゲン団長の仇は討ったんじゃないのか?どうして罪を重ねるようなことを続けるんだよ」

「それはお互い様さね、血で汚れた手はもう真っさらには戻れない。姉さんは若き女傑と呼ばれるような人だったけど、アタシは何も持っちゃいなかった。どの道こういう生き方しかできない人間だったんだよ」


『そんな事はないだろう』


そこで否定するように会話に入ってきたのは、意外な事にジルカースだった。


ジルカースが暗殺者として生きる上で、いつしか思うようになった事。

暗殺者として生きる以上、暗殺する対象の人生はあくまで“貰い物“であると。

相手から貰った以上は、自分たちはどこかで返していかねばならぬまい、と。


それが自分たち“死を送る側“にできる“償い“であると。


「あんたは死ぬつもりだな、現に俺たちに暗殺されることを見越してもなお、丸腰でここへ戻ってきた」

「馬鹿をお言いでないよ、アタシは毒入りの葡萄酒を製造してるんだよ、自殺する気になればいつだって死ぬ事くらい」

「“長期にわたる毒の摂取による、免疫の発生“」

「……」


“あんたは自死したくてもできない体だった、違うか?“


ジルカースの問いに、ジェミニは“やれやれ“とため息をつくと、ツカツカと歩み寄る。

威嚇に発砲したジルカースの銃弾を頰に掠めてなお、その歩みを止める事はない。

そのままジルカースの横のキスクの前まで来ると、ジェミニは臆する様子もなく、半ば詰め寄るように問いかけた。


「緑髪の兄さん、さっき“ベルゲン団長“と言ったね。姉さんの部下だったのかい」

「俺が一番慕っていた人だよ、まさか毒殺されてたなんて」

「そうかい……その背中の紋章、見覚えがあったからね、まさかとは思ったけど」


ベルゲンから騎士団長の紋章を継いだことが伺えるキスクに、さまざま思うところがあるのだろう。

しかし、次の瞬間ジェミニがこぼしたのは、思いもよらない願いだった。


「そんなら、アタシからあんたらに“依頼“させてもらうよ。今すぐ現金払い、アタシの暗殺料の”十倍”でね」

「……!?どういうことだ……?」


ポーカーフェイスのジルカースと、驚く様子を隠せないキスクに構うことなく、ジェミニはなおも続ける。


「さっき来ていたギロという男、覚えているね。東の国の現精鋭部隊長だ。あいつの上司、国王を暗殺して欲しい」

「……そいつが姉の仇の大元か、これは大きく出たな」


聞けばどうやら東の国王がベルゲンの暗殺を企てた首謀者らしかった。

ベルゲンの旧知であったアベルバイゼンが裏切るように仕向けたのも、彼らの企てであったと。


「敵討ちを俺たちに託して、その後あんたはどうするつもりだ?」

「変わらないさね、アタシはアタシの人生を生きるよ、それが“アタシの罪との向き合い方“だからね」


ジェミニにはジェミニの思う人生論がある、そう察したジルカースは、分かったと言って、独断でその依頼を受けることにした。


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、元々の依頼主へはどう断るつもりですか」

「俺たちは日銭に困っている。十日後の百万より、目先の一千万だろう。それにお前も暗殺を渋る素振りがあった、これはなるべくしてなった事だ」


そんなことが通るとは思えない、と言った様子のキスクに対し、ジェミニはジルカースの言葉に相乗りするように言葉を付け加える。


「暗殺しようとして意趣返しされるなんてよくあることさね。その方面にかけてはアタシもツテがない訳ではない。第一、裏社会で重宝されてるアタシを暗殺したいなんて奴は、仇としては“クロ“としか思えないしね」

「郷に入っては郷に従えか……?」

「交渉成立だね、そうと決まればその暖炉脇にある金庫から好きなだけ持っていきな。一度じゃ持って行けないだろうからね、また後日いつでも取りに来ていいよ」

「……こんな僻地までたびたび往復とは、勘弁してほしいものだが」



なんやかやで特大の依頼返しを受ける羽目になったジルカースとキスクであったが、それからややあって、くだんのギロ殺害の噂と東の国王病死の報が舞い込んできた。

国王病死の詳細は定かでなかったものの、王妃が後の国政に携わる事が公開されていた。

そしてギロ殺害の首謀者は“彼の嫡子である息子“であった。

依頼金の返還を求められる事はなかったが、それ以降ジェミニは毒入り葡萄酒の製造をやめたらしく、西の国の酒屋の爺さんの店からも、くだんの酒は無くなった。

ジェミニの邸宅がごっそり火災に遭ったと知ったのは、それから程なくしての事だった。


『そのうち特別美味い葡萄酒をお見舞いしてやるよ』


(前回尋ねた時にはそんな冗談を言ってたのに)


中央都市コウトクの宿屋の窓際で、新聞を片手にキスクがひとり沈んでいると、ジルカースが愛飲の葡萄酒を手に背後から現れた。


「火災跡から人の姿は見つからなかったそうです……どこかで生きてるのか、或いは……」

「あいつがそう易々とくたばるようにも思えんがな」

「あーあ、また俺は失恋したのかぁ……」

「……ん?」

「え?」


二人の間に流れた微妙な空気に、ジルカースが何かに勘付いたように“お前、まさか“と嘆く。


「他人の好みにとやかくは言わんが……“姉妹揃って“というのはどうかと思うぞ」

「しょうがないでしょう、好きになるのに理由なんてないんですよ」


“そういうものか“と思いつつ、“自分にはわからない感情だな“と、ジルカースは手にした葡萄酒を飲みくだし“美味い“と呟く。今のジルカースにとって確実な幸せはこれだけだ。


「少し煙草を吸いに行ってくる、邪魔をするなよ」


憂鬱げな相棒をそっとするかのように、ジルカースは煙草を手にいったん表通りに出た。しかし、そこですれ違いざま、一人の男がぶつかってきた。


「おっと、すまん」


ジルカースの言葉にむすっとした糸目で返したその少年は、どこか見覚えのある風貌をしていた。

白銀色のウルフヘアーには赤とブルーのメッシュが入っている。そして肩章のついた穢れない美しい白い軍服。

うっすらと開かれたまぶたから覗くのは、ルビーのような真っ赤な瞳だった。


「……」


特段挨拶を返す様子もなく無愛想に通りすぎた少年に、ジルカースはいささかモヤリとしたものを感じたが、程なくどうという事はない感情として処理される。

去り際、少年の去っていった背後で“デオン様“という女の声が聞こえた気がしたが、それも雑踏の喧騒に紛れて消えた。


(ジェミニは報われたんだろうか)


”自分は他者の人生を受け取ることで、何か少しでも誰かの為になる事が出来たのだろうか”

そんな寂しさにも似た問いかけを意識に浮かべながら、ジルカースはただ煙草のけむりがくゆりながら空に立ち上って行くのを眺めていた。

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