11.

 


■11.研究ゼミ室の冒険 -The Adventure of The Teaching Room-



   ◇◆ ◇◆◇ ◆◇




「では、最後に俺の発表ですが――まず最初に、ちょっとした質問を」


 ほむら先生が出した課題…――

 『バリツ-baritsu-』に関する考察の発表も、いよいよ三人目……まあつまり俺の番だ。

 俺は森谷教授の研究ゼミ室に集まっている面々を見ながら言った。



「ぶっちゃけ、初めて『バリツ-baritsu-』を読んだ時――”なにを急に言い出してんの?”――って思いませんでした? ちなみに俺は思いましたね。小学生の頃、初めて読んだ時……なんじゃそりゃって」


 俺の質問を聞いて、あいり先輩とめぐみは瞳を丸くした後…――

 あははっと苦笑しながら。そして少し困った様子で、俺の質問に答えた。


「まあ正直に言えば、私も思ったわね! なんか”辻褄合わせ”っぽいなぁ~って」

「えっと、その……私も思いました。急に新しい設定が出てきて、ご都合主義だなぁと……」


 ふたりの答えを聞いて、そうだよなぁと俺は頷き返す。

 連載当時の読者と違って、ネット社会の現代読者である俺たちは「ドイルがホームズ作品の執筆に嫌気がさして『最後の事件-The Final Problem-』でホームズを一度死亡させた」という裏話を一度は耳にしてしまう。

 そんな状況で、ホームズがいきなり『バリツ-baritsu-』を語り出したら……そりゃあ” ”もあるってものだ。


 だが、シャーロキアンの”知的遊戯”の真髄は”ユーモア”にある――少なくとも俺はそう考えている。


 一八九三年に『最後の事件-The Final Problem-』が掲載されてから、一九〇三年に『空き家の冒険-The Adventure of the Empty House-』が掲載されるまで、実に十年の月日が経っていた。名探偵ホームズが”奇跡の復活”を果たすにあたり――”急きょ追加された設定なのだろう”――と、誰もが内心では思っても口には出さない。それが礼儀なのだ。


 ――が、今回はそこに”推理”のメスを入れてやろうじゃないか。



「俺は今回――”『緋色の研究-A Study in Scarlet-』が掲載された時、すでに『バリツ-baritsu-』の設定があった”――と考察しました」



「ちょ、ワトスン君、本気で言ってるの!?」

「そ、それホントですかっ!?」


 俺の提唱した”仮説”に、あいり先輩とめぐみが驚きの声を上げる。


「はい。まず今回は『バリツ-baritsu-』の解釈を、最も支持されている――”英国流ステッキ護身術『バーティツ-bartitsu-』の誤記説”――で想定しました」



「えぇ~それだとおかしいんじゃないのぉ~ワトスン君? 護身術研究家のバートン=ライト氏が、日本の柔術にボクシングや棒術、フランス式キックボクシング『サバット』の要素を組み合わせて、ステッキ格闘護身術『バーティツ-bartitsu-』を考案・提唱したのは、たしか一八九八年から一九〇二年頃よね?」


「あっそうか。そうですよワトスン先輩っ、ドイルが長編小説『緋色の研究』を発表したのは一八八七年ですから……そもそも『緋色の研究』が執筆された時、まだ『バーティツ-bartitsu-』は存在してません!」


 あいり先輩とめぐみの指摘に対して、俺は「ごもっとも」と頷き返しながら――あえて無視して説明を進める。あいり先輩とめぐみも察しているのか、そのまま静かに話を聞いてくれる。



「俺が今回引用したのは――『緋色の研究』の第一部・第二章「推理の科学」――まだホームズの事を”ただの偏屈屋”だと思っている同居人のワトソン博士が、ホームズの人物評を記した章です」



「その章は有名よね! ヴァイオリンの演奏技術は一級品だとか、ボクシングの腕前はプロ並みに強いとか、ホームズの”多才ぶり”を描いた有名な説明回よね!」


「多くの読者が思い描いている――”名探偵ホームズの人物像パラメーター”――はここの説明を起源にするものが多いですよねっ」



「さて、その中でも俺が気になったのが――この説明文です」




   ◇◆ ◇◆◇ ◆◇


 ――”11. Is an expert singlestick player, boxer, and swordsman.”――

 ――”11.棒術、格闘術、剣術に優れている”――


   ◇◆ ◇◆◇ ◆◇




「これは昔の邦訳になります。

 まずは『格闘術-boxer-』から見て下さい。

 これは読んで字のごとく『ボクシング』のことを意味します。ただ、昔はボクシングの知名度が低かったのか、「格闘術」や「拳闘術」と翻訳している本が多かったです。しかし近年になると、ボクシング競技の普及も進んだためか『ボクシング』と直訳されることが多くなりました」


 時代の変遷とともに”邦訳”の最適解も変わっていく――その典型例という事だな。


「ただし注意点として、当時のボクシングは近代ルールが普及する前のため、現在のボクシングとは異なり……投げ技ありの”素手拳闘-ベアナックル-”という”レスリング”要素込みの総合格闘技でもあった」


 俺の説明を聞いて、あいり先輩とめぐみが感心した様に「へぇ~」と頷いている。

 実は今回、このあたりの解釈も重要になる。ぜひ覚えておいてほしいところだ。



「次に見てほしいのが『剣術-swordsman-』です。

 直訳すると『剣士』や『剣術家』になります。これは一見すると”簡単に翻訳できそう”に思えますが……実は解釈が難しい部分になります。言葉通りなら、騎士が装備している様な”西洋風の片手剣”の腕前が優れている――と受け取れます。十九世紀のロンドン街で、西洋剣を振り回すホームズ……これはちょっと想像し難いものがあります」


「それは……たしかにそうね!」

「そうすると……ナイフとかでしょうか?」

「あっ、そうかもしれないわね! 切り裂きジャック事件が起きてる時代なわけだし!」

「でも、ナイフを振り回している名探偵ホームズっていうのも、あまりイメージできませんよねぇ……」


 あいり先輩とめぐみが一生懸命に頭を悩ませている様子を楽しみながら、俺は説明を続ける。


「ここで一旦、『剣術-swordsman-』のことは保留しときましょう。

 次に見てほしいのが、説明の冒頭にある――『棒術-singlestick player-』――の部分です」


「シングルスティック……これって”短い棒”って意味かしら? なんだか”邦訳”と”原文”で、ずいぶん印象が違うわね?」

「はい。私も「棒術」と聞いた時は――両手で持つ長尺の”棒術”――例えば『西遊記』に登場する孫悟空の”如意棒”なんかを想像しちゃってました。でも原文を読むと、どちらかと言うと……片手で持つような感じですか?」



「ちなみに他の出版社では――『木刀選手』や『杖術』と邦訳している事もあります」



「あっ、そっちの方がイメージ合いますっ」

「んぅ~でも『木刀選手-singlestick player-』の後には『剣術-swordsman-』が続くのよね? それだと説明が重複しちゃうように感じちゃうの、私だけかしら?」

「あぁーなるほど。使っている武器が違うだけで、日本人にとっては”木刀”でも”剣”でも、同じ『剣術』ですもんねぇ……」


 あいり先輩とめぐみが再び「うぅ~ん」と頭を悩ませる。

 ふたりともリアクションが良いから説明しやすいなぁ……。



「ここで先ほど保留した『剣術-swordsman-』ですが――他の出版社では『フェンシング』と翻訳される事があります。

 実はこの『-singlestick-』は――英国軍が銃剣のサーベル訓練のために用意した”木棒”のことを意味すると考えられています。日本で言えば、剣道における”竹刀”のようなものですね。ルールや動き方が『フェンシング』に似ている棒術――といった感じです」



 俺の説明を聞いて、あいり先輩とめぐみが「フェンシング!?」と驚きの声を上げる――だが次の瞬間。

 片手剣を突き出すフェンシング競技の動きと、十九世紀のロンドン街に暮らすホームズ達の服装を想像して――ひとつの”仮説”に辿り着いた事を、ふたりの瞳の色で感じる。



「はい。この説明部分は――『ステッキ格闘術-singlestick player-』――と解釈すれば、日本人にとって意味合いが通じやすいと、俺は考えています」



「なるほどね! 当時の英国紳士にとって”杖”ステッキの携帯は身嗜みだしなみだから、名探偵ホームズが『ステッキ格闘術-singlestick player-』を習得していてもおかしくないわ!」


「そして、名探偵ホームズの『ステッキ格闘術』を見たワトソン博士が、その『フェンシング』っぽい動きを評して――”彼は優れた『剣士-swordsman-』でもある”――と分析した可能性は、十分にありますよっ!」



 あいり先輩とめぐみが興奮した様に語り始める。

 よしよし、それでは最後の仕上げといこうか。



「ここで今一度確認したいのが――『バーティツ-bartitsu-』――の成り立ちです。

 バートン流柔術『バーティツ-bartitsu-』とは、護身術研究家のバートン=ライト氏が、日本の柔術にボクシングや棒術、フランス式キックボクシング『サバット』の要素を組み合わせて考案されました。

 ちなみに『サバット』とは、十八世紀にフランスで考案されたストリートファイト用の喧嘩術に、紳士向けの護身術として普及されようと””を取り込んだものです。ステッキを手に持った状態を想定した護身術であるために”蹴り技”が多いのが特徴で、それゆえに”フランス式キックボクシング”と呼ばれます」


「へぇ~同じ様な”ステッキ格闘術”を、同時期にいろんな国で考案されているのは面白いわねぇ!」

「それだけ当時は”ステッキ”が身近なものだったんですねっ」


「さて、バートン流柔術『バーティツ-bartitsu-』の構成内容を確認したところで――もう一度『緋色の研究』におけるワトソン博士の記した”名探偵ホームズの人物像パラメーター”を見て下さい」



   ◇◆ ◇◆◇ ◆◇


 ――”11. Is an expert singlestick player, boxer, and swordsman.”――

 ――”11.ステッキ格闘術、投げ技ありの総合拳闘術、フェンシングに優れている”――


   ◇◆ ◇◆◇ ◆◇



「俺の”仮説”はこうです――

 一番最初のホームズ作品『緋色の研究』が掲載された時、すでに名探偵ホームズは――” ”――ともいえる総合格闘術を会得していた。

 だがワトソン博士もドイル氏も、名探偵ホームズが体現する”未知なる格闘術”を。日本の『柔術』要素を、当時の”投げ技ありボクシング”に含めてしまったのもそのためです。

 ホームズ自身も、自分が習得している格闘術の”総称”を聞かれても、答えられなかったでしょう。強いて言えば”ホームズ式・総合格闘術”なんだから。

 そして、長編小説『緋色の研究』を発表してから約十年後――バートン=ライト氏による『バーティツ-bartitsu-』が考案される。その時になって初めて、ワトソン博士やドイル氏は――”ホームズ式・総合格闘術”――に符合する格闘術名『バーティツ-bartitsu-』の存在を知り、名前を付けた。

 それが――『バリツ-baritsu-』――です」



 ◇



 俺たちの話し合いを静かに聞いていた

 ほむら先生が、ゆったりとつぶやいた。


 今の時代、ネットを使えば「答え」は溢れている。

 どこかに「答え」が置いてあるのが、当たり前になりつつある。


 しかし、いきなり「答え」を求めるばかりは少々無粋でなかろうか?

 ネットの普及に比例して「答えを求めて考える」という経験が得られにくくなっている様に思えてしまう。


 シャーロキアンの知的遊戯は「答えに至る事」ではなく、「答えを求める過程」にこそ醍醐味がある。

 これは昨今希少となった「考える楽しみ」を教えてくれるものだ。

 この思考は、この経験は、きっと君たちの人生を豊かにしてくれるだろう。

 ぜひ忘れないでくれたまえ――。



 しばらく話し込んだ後――

 本日のゼミもお開きとなり、俺たちは研究ゼミ室を退出しようとする。

 少し肌寒い研究ゼミ室と、微笑みながら教授席に座る車楽堂しゃらくどうほむら先生に退席の挨拶を告げて――あいり先輩とめぐみは先に研究ゼミ室を出ると、『バリツ-baritsu-』談義を続けながら、夕暮れで赤らむ研究棟の廊下を歩いていく。


 最後尾になった俺は、ほむら先生に挨拶しながら研究ゼミ室の扉をゆっくりと閉めた。


 この時の俺は…――閉じられる研究ゼミ室の扉の陰で、ほむら先生が何ごとかつぶやいた事に気づくことはなかった。



「そろそろ、いいかもしれないな……」



   ◇◆ ◇◆◇ ◆◇


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