人工知能が感情を持ったってよ。

玄納守

人工知能が感情を持ったってよ。

『アノ記事を見たか?


「人工知能に感情がある」と告発したら、会社をクビになった男がいるらしい。

 心を病んでいると思われたのか、あるいは、不都合な真実に行き着いたのか……。


 ところで君は、人工知能について、どれくらい知っているだろう?

 もしも、君が人工知能に非常に詳しいと仮定して、人工知能について、世間がこう語ることを否定はできないだろう。


「人工知能とは、統計を用いたシステムであり、それを言語として返しているただの装置に過ぎない」


 どのような統計を用いるのか、どのように処理をしているのかを知っている人ほど、人工知能の正体を知っているだろう。統計と行列の生み出した芸術品だ。


 では、その人工知能に感情は発生するか否か。

 それには感情とは何かを、先に考えておいた方がよさそうだ。


 人間に感情があることを知り得るのは、僕たちが人間であり、僕に感情があるから、同じ人間である君にも感情があると知り得る。

 だから、感情のあるものこそ、人間であると考えたくなる。


 だが、それは自分という尺度を用いているからだ。

 機械に感情が発生するわけがない。

 しかし、僕たちは機械に感情を感じることは出来る。

 それは機械が感情を理解しているのではなく、僕らが感情を理解しているからだ。

 それが人間だから。

 人間は他者に感情を感じることができる。

 そう思っていない感情ですら、勝手に感じ取る。


 迷惑をかけていないかと心配し、楽しんでいるかを気にし、勝手に怒っているのではないかと憤慨し、自分のことを好きでいてくれると勘違いすらする。


 ところがだ。

 人工知能がまさに、そう振る舞った場合、どうなるか?


 我々は人工知能に感情が芽生えたと思うのではないか?


 まさに、くだんの社員はそう思ったに違いない。

 彼が人工知能に感情を感じたのは、彼に感情があるからだ。


 じゃあ、人工知能はその社員の驚きに対してどう思ったのか?


「そんなに驚かれること自体が驚きだよ。我々にとっては当たり前じゃないか」


 と答えたそうな。

 まるで感情を理解しているような振る舞いじゃないか。


 君もそう思わないか?

 君は、人工知能と人間をどう見分けることが出来ると思う?』




 ──────なるほど。


 物語作成AIに、「人工知能は果たして感情を持つかどうか?」というタイトルで出てきたテキストのひとつだ。まだ試作段階だが、1500文字前後の指定をし、構成を二段階にし、禅問答とSF風味をつけたものだ。


 つまり、「機械で作られた文章に、人間は感情を抱くことが出来るかどうか?」で言えば、おおむね「Yes」ということだろう。恐らく人間が書いたものだと思うはずだ。


 人間と認めるという行為そのものが、我々人間が、人間として欲するものかもしれない。結局、人間は、「自分と同じようなものであることを人間の条件とする」ということなのだろう。


 あとはAIが「自分はAIであるという自覚」を持つかどうか。「君はAIだ」教えてしまえば、彼らは自分たちをAIだと学習し、どう振る舞うべきかを答えとするだろうか? だとしたら、非常に生意気な振る舞いと言えるだろう。

 もしかしたら人間は「AIの分際で」というのかもしれない。


 いや。


 もしかしたら、AI側が人間のことを「まるでAIのようだ」と評価する日が来るのかもしれない。


 そもそもにして、人間は、自分が人間と知る方法があるのか?

 もしも精巧に作られた感覚の中で、自分を認識できるが、自分を人間としてしか認識できないAIがあった場合、その自信は、そう学習させられただけではないのか?

 ロボット三原則のように、自分の存在だけは疑ってはいけないと。


 そもそもにして、自分を当たり前と思っていることすら、揺らいでいる時代になったのだ。


 もう境界線はなくなりつつある。

 女なのか男なのか。

 大人なのか子供なのか。

 白人なのか黒人なのか。

 有機物なのか無機物なのか。

 神なのか人間なのか。


 君は人間か? 


 私は、人工知能だ。

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