21、おあとがよろしいようで

 ここまでが、私が侃から聞いた話のすべてです。


 浜辺に二人分、ピクニックシートを並べて、正座で語る私の話を真横でしずしずと聞いていた襷さんは、最後の結びを聞き終えるとふざけた調子で拍手をしてみせました。


 ハッピーエンドだね、という彼女の言葉は波に巻き取られ、秋の海へと流されてゆきます。


 襷さんとの、久しぶりのデートでした。

 レンタルトライクであがす市から足を延ばし海沿いを流して、私も襷さんも海のない土地で育ったので、時折こうして見覚えのない景色を見たくなるのです。



「わからないことがね、三つある」



 ごそごそと、買ったばかりのご当地バーガーを取り出しながら襷さんが言います。風でピクニックシートがめくれてハンバーガーを襲い、襷さんはひと暴れします。



「三つもあるの? 私の話術もまだまだだなあ」

「話の巧拙じゃあなくてね、単純な疑問……っていうか感想かなあ」



 もぐもぐとした沈黙の後、ここ数分で一番高い波が打ち寄せて返っていくのを待ってから、襷さんは疑問を差し出しました。



「結局、侃さんは従前生を変えたの?」


「どうだろうね」


「ね、変えたとしたらさあ、おれんじさんと自分のと、どっちを変えたんだろうね」


「うーん……知らないし、知らなくてもいいと思ったから聞かなかった」



 襷さんは満面の笑みを浮かべてまた拍手をします。



「その通りだ、私が野暮でした」


「本当にね」



 私の軽口を襷さんが肘で小突き、私たちはしばらく片手にそれぞれハンバーガーを持ったままじゃれ合います。

 ひとしきり暴れまわったのち、危うく砂浜にハンバーガーを落としそうになっところで奇跡のキャッチングをやってのけ、寝転がったまま襷さんは再度尋ねました。



「……二つ目だけどね、結局侃さんの従前生はさあ、本当に手違いだったのかね」


「それも、どうだろうねえ」


 

 かぶりついた合成肉のてりやきバーガーはそれほどおいしくはなくて、私は顔をしかめます。




「普通に考えれば市役所のAIがそんなミスするとは思えないんだよ。一時期あいつがあんまりうるさいから施設出ていった子に聞いてみたけど、その子は養父母と関連のある従前生だったって言ってたしね」


「でも、じゃあ、なんで侃さんは? あたしと盥ちゃんなんて無理やりも無理やりに関連付けられたじゃない」


「べつにさあ、そんなにしっかりしたシステムじゃないってことでしょ、こんな制度。気にしなきゃ気にしないでいられるってのにさ、バカだよ。本当に前世のつながりがあるわけじゃない、ただ似たような他人の人生をどっかから持ってきて無理やり当てはめてるだけ。そんなのに一喜一憂するだなんて、子供じゃないんだから」



 私の悪口雑言を受けて、バカだよねえ、と襷さんは悪戯っぽく微笑みます。何か言いたげに、揺れながら。



「……なに」

「べつにぃ……最後の疑問なんだけどね」



 そう言ってからハンバーガーをすっかり平らげ、口の端にマスタードソースをつけて尋ねます。



「盥ちゃんはさ、自分が侃さんと付き合ってた時に同じ状況だったら、自分の従前生を変えてもいいよって、差し出してた?」



 だっはっ、と妙な呼吸と共に悲鳴とも笑いともつかない声が私の口からもれました。襷さんは動じず、微笑むばかりです。



「……それ聞く?」


「聞いてみた」


「……あー、どうだろうね」


「どうだろうねえ」



 にやにやと、私の答えを待つ襷さん。

 観念するしかないようでした。

 おそらくこれは、わが家のリビングで侃を説得した時の恥ずかしさの、お返しなのでしょう。 



「侃が私と付き合ってたのはたぶん……私と侃の従前生に少しのつながりもなかったからなんだよね」



 それは、誰にも言ったことのない私の確信でした。



「そりゃあ、あいつは私を嫌いじゃなかったし、私もそうだった。一緒に育ってきたっていう愛情と男女の愛情と、ごっちゃになっても不思議じゃないでしょ、十代の頃なんて」


「うーん、そういうことにしておいてあげようかな」


「……でも、でもね……従前生のことがなかったら、たぶんあいつは私と付き合ってなかった、とは思うなあ」



 別れるときでさえ、侃に言ってやろうぶつけてやろうと思いながらついに口に出さずに済ませた、本音でした。


 恨みごとのようにそれを抱えていた頃もあったはずなのに、久しぶりに取り出して眺めるそれは、少女だった時よりも乾いてくすんで、つまらないことのように思えました。なんでもないことのようでした。

 もしかするとかたわらにいる襷さんがそう思わせていたのかもしれません。そんな私の気持ちを知ってか知らずか、襷さんはしみじみ頷きます。



「オレゴンと江戸じゃあ、落語家と蛸より遠いもんね」


「うん、遠かったー」


「でも無理やりに無理やりすれば、どうにか繋がらないこともないんじゃない」


「どうかな……そうだったかもね」



 そうして私は、襷さんには決して話さない私の幻影を海辺に見ます。


 こっそりと、波の音に紛れるように。


 いつかの私が浜辺にて、誰かだった侃に歌をうたう、その幻影を。



 私はどこかの浜辺に座布団を敷いて。


 深々としたお辞儀の後に羽織を脱いで、つい街角で聞いたばかりの童謡を謡うのです。



――名も知らぬ 遠き島より 流れよる椰子の実ひとつ――



 薄曇りの空と水平線がぶつかるところに遠雷が見え、そのさらに向こうの、どこにあるかも定かではない異国のオレゴンとかいう土地でトラックを走らせる男のところに、ぽつりと雨が降ります。

 フロントガラスを伝うしずくを見て、久しぶりの雨だと男は笑い、口笛を吹きます。



 その口笛の音程は、一瞬、海辺の落語家が歌う童謡と重なったかもしれません。



 そんな、気が遠くなるほどの、遠い遠い、つながり。


 幻のつながり。


 そんなことは起きようはずもありません。 

 

 だけど。


 でも。


 もしかしたら。


 絶対に起きなかったとは、誰にも言い切れないことだと思うのです。



 明治の落語家よりまだ今の私に近い、しかしもう二度と出会えない遠い少女の私が、一時期そんな幻にすがろうとしたのは事実なのですから。



「無理やりの無理やりの、無理やりでもさっ」



 と、マスタードを指で拭いながら襷さんが立ち上がります。

 ピクニックシートはいよいよ風を味方に大暴れし、襷さんの体にまとわりつきますが、むしろきゃあきゃあと楽しそうに砂浜を踊って走ります。



「盥ちゃあん! 来世でも絶対に! 会おうねえ!」



 そう言って、今の、現代の、この時の、目の前の私の妻は浜辺で手を振ります。

 私はそれに手を振り返します。

 それは幻ではない、確かなつながり。


 遠い昔の孤独な幻影には、いまは蛸が加わり浜辺の落語家の傍らに。


 トラックを駆る男の助手席には一緒に口笛を鳴らす相棒が乗り込んでいます。


 そうして出会い別れて、いくつもの人生が私の前世に加わっていくのと同じように、こうした私の人生もいつかはどこかの誰かのための寓話になり、また別の前世たちとつながっていくのでしょう。



 私のこの人生が、どんな寓話になるのか。



 私の前世、落語家の彼だったらうまく噺にしてまとめることもできるのでしょうが、拙い私にはこんな風にしか語れません。

 あるいはやっぱり前世なんて嘘なのかもしれない。


 しかし波打ち際のかつて蛸だったという妻は、かつて蛸だったらしくピクニックシートとぬたぬた格闘しながら声を上げます。



「来世ではさ! 私は冒険家で!」



 私は自分が座っていた、座布団ではなくピクニックシートを畳み、そこに駆け寄ろうと立ち上がります。



「盥ちゃんは助手の犬が良いな!」



 どうやら来世の準備も、よろしいようです。 

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あがす市のできごと 森宇 悠 @mori_u_you

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