第3話 雨の日

 翌朝はあいにくの雨模様。当然サーフィンは中止になった。伯母と一緒に朝食の後片付けを済ませ、キッチンテーブルでのんびりお茶を飲みながら喋っていると拓海が二階から下りてきた。手には昨日私が着ていたパーカーを持っている。


「花音、出掛けようぜ。サーフショップ付き合ってくれよ」

 そう言いながら私にパーカーを差し出した。

「そしたらカバン取ってくるね」

「あんたたち、また出掛けるの。雨の日くらい家に居ればいいのに」

「せっかくの春休みなんだから、今のうちに遊ばないと勿体ないじゃん。あ、昼は適当に花音と食べるからいらない」

「夕飯までには帰ってきなさいよ」

 伯母は苦笑しながら私たちを送り出した。


 拓海の運転する車で私たちは鵠沼くげぬま海岸駅近くのサーフショップに行った。そこで拓海の欲しいものを見るのかと思っていたら、拓海はレディースコーナーへ向かっていく。


「何を買いに来たの?」

「花音のサーフパンツ。今回は海に入らないとしても、今年は一緒にやるつもりだからさ。好きなの選んでいいよ。これはオレからのプレゼント。来週誕生日だろ」

「強制的なプレゼントだなあ」


 笑いながらも、誕生日を覚えていてくれ、この夏は拓海と遊べるんだと思うと嬉しかった。あれこれ悩んで、ミドル丈のサーフパンツを買ってもらうことにした。ハイビスカスをモチーフにした柄で鮮やかなグリーン。試着した姿を見て、拓海も満足そうに「似合ってる」と頷いていた。ついでにそれぞれTシャツも購入して店を出ると、昼近くになっていた。


拓海がお気に入りだというハンバーガーショップは空いていた。晴れの日はサーファー客で賑わっているという。店長オススメのアボカドバーガーはソースの味が濃厚で美味しい。


「そういえば、義弥くんやトモくんはサーフィンしないの?」

「しない。義弥はどっちかというと山のスポーツが好きだし、トモはドライブかな」

「へえ。それぞれ好きなことが違うんだね」

「だから海は一人で行くけど、現地に行けば知り合いがいるから」

「拓海は社交的だから知り合いが多そう」

「まあね。花音、口の脇。ソースべったり」

 拓海が笑いながら手を伸ばし、私の口に付いているソースをぬぐう。

「食べるの下手くそ」

「だってこのハンバーガー大きいから」

「お嬢様のお上品なお口では食べるのが大変でしたかね」


 そうふざけて言いながら、紙ナプキンで口を拭いてくれる。これではまるで恋人同士みたいではないか。いや、保護者と子供?


「自分で拭けるってば」

 紙ナプキンを奪って口を拭く私を、拓海は優しい目で見ている。

「なによ」

「可愛いなって思って」

「バカにしてるでしょ。昔から私がドジなことすると可愛いって言うもんね」

「そんなことないよ。オレのイトコが可愛くて良かったって思ってるよ」

「そのニヤついた顔で言われても信憑性ないわー」


 久しぶりに会った拓海と、こんなふうに気楽に話せることが嬉しい。会っていなかった時間はすぐに埋まりそうだ。そんなことを思っていると、拓海の携帯から音がした。拓海が画面を確認する。

「義弥から。トモの家に居るから花音と来ないかってさ。行く?」

「どっちでもいいよ。拓海に任せる」

「そうだなあ。ま、雨だから海にも行けないし。合流するか」

 そう言いながら拓海は義弥くんに返信をした。


 自動車整備場の裏手に智行くんが住んでいる一軒家があった。整備場からは賑やかな音が聞こえている。駐車場に車を停め、雨を避けるように小走りで家の軒下に入った。呼び鈴を一度鳴らすと拓海は自分でドアを開け、

「トモー、入るぞー」と言いながら玄関で靴を脱ぐので驚いた。二階から「おう」という智行くんの声が聞こえたので、これが彼らにとって普通の行動なのだと理解した。


二階がリビングになっていて、義弥くんがソファーに寝転びながらゲームのコントローラーを持っている。

「花音ちゃんも適当にくつろいで」と、そこが自分の家かのように私に声を掛けてきた。拓海は義弥くんの傍に座り、ゲームが何処まで進んだのかを聞いている。

「みんな自由なんだね」

 私が言うと、智行くんが「いつもこんな感じだよ。うちの親は殆ど整備場に籠もってるから」と答え、コーラを私と拓海に出してくれた。


「拓海と何処か出掛けてたの?」

「うん。サーフショップに行ってたの。サーフパンツ買ってもらったんだ」

「へえ。花音ちゃんもサーフィンするんだ」

「ううん。小学生の時にちょっと教わったくらいで、今はきっとボードにも乗れないと思う。この夏はスパルタ教育されそう」

 私が苦笑して答えると、智行くんは少しだけ微笑んだ。

「あ、本。見る?」

「歴史の本だよね。見たい!」


 私が答えると、智行くんはリビングの奥にある部屋に案内してくれた。そこが智行くんの部屋になっていて、壁一面に設置されている本棚にはハードカバーの本がずらりと並んでいた。古代エジプトの本やシュメール文明の本、邪馬台国に関する本まである。


「トモくん、守備範囲広い。しかも本格的な本もたくさん。史学科に行こうとは思わなかったの?」

「オレんちは整備屋だからね。文化や歴史は趣味の範囲だよ」

 そう言った智行くんの顔はとても大人びていて、世を達観しているようにも見えた。私は智行くんにとって「趣味」の世界をこれから大学で学ぼうとしている。そんな自分が浮世離れしているようにも思えた。


黙ってしまった私を見て、智行くんが

「でも、花音ちゃんが講義で面白かった話は聞かせてほしいな」と、柔らかい口調で言った。

「うん。あ、でも専門課程は三年からだから、最初はあまり面白いネタはないかも」

「大学の教養課程って何なんだろうな。すぐにやりたい学問をやらせてくれればいいのに。最初の二年が無駄だよ」


 そう本棚に向かって言った厳しいまなざしの横顔を見て感じた。本当は智行くんも大学に行きたかったのかもしれない。いずれ家業を継ぐにしても、教養課程が無く、すぐに学びたいことを学べたら、時間を無駄にしないで済むと思っているのだろう。


「気になる本があったら貸すよ」

「ほんと? そしたら邪馬台国の本が読みたい」

「なら、この二冊を読み比べると面白いよ。返すのはいつでもいいから」


 智行くんの手が迷いなく本棚から二冊の本を取り出す。かなり読み込んでいるのだと分かる。本を受け取り、ふと視線を感じて顔を上げると入口に拓海が立っていた。


「トモ、コーラおかわりもらっていい?」

「いつも冷蔵庫から勝手に出してるじゃん」

 そう言いながら智行くんは部屋を出ていった。続いて部屋を出ようとして拓海と目が合う。その表情は少し硬かった。

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