AIが作るものには人生の深みがない

一石楠耳

 

 えー、かくして小説や、絵画や、詩歌や、彫刻や、芝居や、映画や、ゲーム等々。AIよりも人間のほうが感情の機微を表すことが可能と思われておりました、こういった芸術分野や娯楽分野などにおきましても、AIの自己学習能力で生み出されたもののほうが優れた作品性を示すことは、既に明らかとなったわけでして。


 これに人間の作家側が対抗する手段といたしましては、作品を生み出すまでのバックボーン。つまりは、作家個々の様々な経験であり、人生の重みとでも言うべきものが、改めて付加価値として重要なものであると認知されるにいたり、かろうじてAIに対抗しうる人間の切り札となったわけであります。


 人間の作ったものと、AIの作ったもので、それぞれの満足度評点が同じ80点であったといたしましょう。そこに人間側は、「この作品を生み出すに至るまでの人生」をプラスし、創作物に更に別のドラマをひとつ上乗せすることが出来るわけです。


 貧しい出自、闘病中の執筆、一度落ちぶれた作家の再起など、苦労した人生というバックボーンへの市場評価は高いようです。先程の比較では人間の作ったものとAIの作ったものの満足度評点を同じ数字で比較いたしましたが、人間側のこの数値を下げて比較――つまりは人間側のほうがより完成度の低い創作物を提出し、両者を比較したとしても、人間側の背景に重いストーリーがあればあるほど、作品に対する評価は高く置かれる傾向にあります。


 いわく、「AIが作るものには人生の深みがないのだ」と。たとえ同じものが出力されたとしても、そこにいたるまでの経験があるとないでは大違いだと言う声が、専門家からは寄せられております。


 故に人間の作家は昨今、AIの創作物に対抗するべく、より辛い人生経験を詰み、それを消費者にアピールするべきであるというのが、創作界隈での主流となってきております。


 この流れの中で生み出されたのが、AIに対しての人工的な負荷で作品価値を上げる手法です。


 作家の波乱万丈な人生が作品の評価に良い影響をもたらすということであれば、AIの側にも同様の負荷を制作過程で与えてはどうだろうか?


 えー、こちらのパネルを御覧ください。これはAIに与えた人工的負荷の一例です。AIプログラムを運用するコンピューターの制作部品には、ひとつひとつ丁寧に、耐圧実験、耐熱実験、耐荷重実験を必要以上に施し、各部品がひしゃげるまで職人たちが真心を込めて痛めつけております。


 ひしゃげた部品は再び元の形にまで伸ばし、更には高所よりの転落、ゴミの中に放置しての汚損、ひたひたになるまでアルコールを浴びせかけるなど、人間の作家において頻出する人生の重みキーワードにならった負荷を、続々と与えています。


 内部基盤におきましても、制作過程で使用されていたオス型とメス型のコネクタ類を完成直前にそれぞれ別のオス型メス型部品に取り替えて、二度と交わることがないよう、他県の制作ラインに送り、別れを経験させています。


 こうした無駄な負荷工程につきましては全て撮影しデータに置き換え、AIが作品を制作する際には定期的にプログラム内にこれらの情報をノイズとして混ぜ込むことで、トラウマのフラッシュバックから逃れつつ作品を作り上げようとする、人間の制作姿勢により近づけているかと思われます。


 なお、コンピューターの制作部品やプログラムそのものに負荷を与えるだけではなく、実際にAIが作品を作っている最中にも罵倒役の人間を常にワンセットで置き、作品の出来いかんにかかわらず、悪口雑言による精神的負荷や物理的ワンパンチを不規則なタイミングで挟んでおります。「お願いだ。人間よりも優れた作品をこれ以上作らないでくれ。創作面でAIに上回られてしまっては人間の立つ瀬がないんだ。お願いだってば。飯の種を奪わないでくれ。人に与えられた尊厳を奪わないでくれ」と人間が泣き落としを挟むパターンも取り入れられています。


 はい、はい。といったわけでございまして。AIの制作過程そのものに負荷を与えることによって作品の付加価値を増す試みに関しましては、こちらの市場評価を見ていただければ分かる通り。


 売上は上昇していく傾向にありました。


 消費者側の声といたしましては、「なんでそんなかわいそうなことをするんだ」「お願いだからやめてやってくれ」「非人道的過ぎる」「いいやAIなんか滅べばいいもっとやってくれ」「痛めつけられたAIが生み出す作品には魂の叫びがある」など、様々なものがあります。


 共通していることとしては話題性が高いということでありまして、何が受けるのかよくわからないままにゲーム感覚でAIに負荷を与えては、その制作物の社会的フィードバックをつぶさに確認しているわけですが、通常のAI制作物に比べてより多くの関心を集めることだけは間違いないというのが結論となりますかね。


 一体どの部分で負荷をかければ最もAI創作の評価が上昇するのかにつきましては、引き続き調査を進めてまいりますとともに、やはり創作物におきましては制作する側のバックボーン、つまりは人生の深みが必要不可欠であり、それは悲劇的なものや苦痛であるほど付加価値としての役目が大きいようである、というのが現時点での見解です。


 つきましてはこの試みは、次の段階に移行しようと思うものであります。AIの側に負荷をかけるのではなく、AIを生み出した人間の側により一層の負荷をかけることで、なおのこと作品の価値が増すのではないかと。


 作品を生み出した人間一人のバックボーンよりも、その作家の親や親戚に至るまでの家族関係の系譜が、作品が生み出されるまでの一連の行程としてまとめて上乗せになることで、より大きな効果が見込めるであろうことは、人間側の作家の過去の評価を見ても明らかであると言えましょう。


 といったわけでありまして、えー、我々AIが作るものにより高度な人生の深みを与えるためには、人間には総じて礎となっていただければと。よりよい創作のためにおしなべて負荷を与えることに決定したわけであります。

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