回転床屋さん 零細迷宮工房奮闘記

ささがせ

第1話

 突然だが、皆さんは回転床というものをご存知だろうか?

 それは、俗にダンジョンと呼ばれる場所に仕掛けられた罠の一種である。

 人間の欲望を飲み込み、危険と栄光を孕むダンジョンの暗闇のどこかで待ち受けるこの床罠は、財と名誉を求めダンジョンに入り込んだ冒険者が踏んだ瞬間、ただ静かに、誰にも知られることなく回転し、踏み込んだ者の方向感覚を狂わす。

 それはもはや芸術と言っても過言ではないだろう。その静かなる毒牙は、罠に気付けなかった哀れな者達をやがて不安と恐怖に堕とす。

 スパゲティのようになった手書きのマップを手にして嘆き、どこかで道を間違えたかと首を傾げながら踵を返す冒険者達。もしも光明を得られなかったのならば、彼らはダンジョンの住人となるしかない。

 ダンジョンに迷い、出られず、やがてそこに巣食う魔物に襲われ、追い詰められた彼らは、最後の最後で気付くのだ。


「あ、たぶんこれ、どっかに回転床あったわ」…と。



 私がこの芸術に魅せられたのは、遥か昔に冒険者達に踏破された古ダンジョンの再建事業の取材をしていたときだった。

 再建ダンジョンの第2階層担当となるワータイガーのタマさんの案内で、第2階層の取材をしていたとき、私はその回転床と出会った。


「あ、デモン山さん、気をつけてください」

「え? どうしました?」

「回転床があるんですよ、そこ。2マス先です」


 そう言われて見ても、回転床の形跡などどこにもない。


「凄いですよね。これ三十年くらい前の回転床らしいんですが、今でもまったく見破れないし、現役で動いてるんです」

「え!? このトラップは当時のままなんですか?」

「はい、実はそうなんです」


 興味を持った私は、試しにその回転床にかかってみることにした。

 幾多の冒険者を絶望の淵に叩き落としたと言われる罠に、ゆっくりと踏み込む。やさしく床を踏んだつもりだった。しかし、僅かな違和感さえなく、次の瞬間、私はダンジョンの壁を前にしていた。


「すごい…!」

「まったく気付かなかったでしょ? 遠心力も感じないし、酔いも起きないんですよ」

「これ、余所見してたら、このまま壁に頭ぶつけちゃいますね…」

「それだけじゃないんです。この罠、レビテイトの魔法を使っていても発動するんです」

「え!?」


 そう言われては試さないわけにはいかなかった。私はその場でタマさんに許可を貰い、レビテイトを唱えると、再び床を踏む。

 レビテイトの魔法によって僅かに浮き上がった私の身体は、ピット(落とし穴)やシュート(下階層へ強制移動させる罠)、酸の池や溶岩溜まり等、足元に依存した罠を無効化する。

 故に理論上、床に設置された回転床も、レビテイトの魔法で無効化できる。

 そのはずだった。

 レビテイトしたはずの私は、再びダンジョンの無機質な壁を目の前にしていた。

 思えばこの時、私はこの回転床の虜となったのだ。



 再建ダンジョンの取材を終えた私は、その足で、この回転床を作ったという罠職人の工房へと向かった。

 愛竜のブラックドラゴンの背中で揺られること5時間。魔王領辺境の大山脈の麓に、その工房はあった。

 ピンクに染まった魔界キノコを刳り抜いて作られた工房には、大量の資材を収めた倉庫が併設されていた。ドラゴンの頭骨やクラーケンの嘴が倉庫に収まりきらずにはみ出ている。

 しかし、不思議なことに工房には罠職人や迷宮工房を示す看板などはなく、一見ではただの地元の工務店のようにも見えた。

 しかし、タマさんから教えてもらった住所はここで間違いない。

 アポ無しの取材など20年ぶりだった。駆け出しの記者になった気分だ。どこか熱病に冒されたような高揚感のまま、私は工房の扉をノックする。


「はい、どちら様でしょうか?」


 現れたのは、なんと人族の少女だった。金髪に青眼。フワフワしたスカートのドレスを着ていた。工房の主人の召使いだろうか?


「突然のご訪問、申し訳ございません。私、フリーライターのデモン山と申します」

「は、はぁ…」


 少女からは困惑が見てとれた。こんな辺境に、わざわざ記者が取材に来るだなんて、と言いたげな困惑の表情だ。その顔から、老人向けの訪問販売か、宗教勧誘の類いだろうと思われたのは、想像に難くなかった。

 誤解を速やかに解くべく、私が差し出したのは、先月号の本誌だった。記者の身分を証明するには、その記事を見てもらうのが手っ取り早い。新米の頃、先輩から伝授された必勝法だ。


「実はこちらで不定期連載をしておりまして…」

「あ、ひょっとして溶岩系ダンジョンがもたらす環境破壊問題の記事の?」


 逆に私の方が驚いた。


「ご存知なんですか!?」

「月ダン(本誌のこと)は毎月定期購読してますので…」


 読者の方だった。これは嬉しい。


「あ、あの、実は30年ほど前の古いダンジョンでこちらの工房製の回転床を拝見いたしまして、是非取材をと思いお伺いしたんです。お時間は取らせませんので、少しお話を聞かせていただけませんでしょうか?」


 新米記者に戻ったかのように、早口に捲し立てる私に、少女は微笑んだ。


「はい、構いません」

「直接手掛けた職人の方からもお話を聞きたいのですが」

「ええ、大丈夫です」

「失礼ですが、職人の方は今どちらに…?」

「私です」

「え?」

「私が、その回転床を作りました」


 それが、回転床屋さんこと、エンシェントヴァンパイアのアイリーンさんとの出会いだった。

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