透明な声

いたいよ、いたいよ、

いやだよ、やめてよ、

くるしいよ


口に出すたびに大きな手が僕の頬にあたる。

焼け焦げているかのように熱くて、痛くて、でもそんな感覚はとっくに無くなっていて。


何かしたわけでもないのに毎日母親から浴びせられる罵声と暴力、

もう外にはなんにちも出ていない。


蛍光灯の弱々しい光の下で毎日降る赤い雨に耐える。




そんな毎日に突然終止符が打たれた。

僕の大切なものと一緒に。



僕は雨の音が好きだった。

僕の住んでいるアパートは古くて窓枠に太い鉄筋が張り巡らされていた。

雨が降るとそこに当たってかんっ、とんっ、たんっ、しゃんっって大きな音が鳴った。


とは言っても所詮雨、母親の罵声ですぐにかき消される。

だけどその音が凍りきった僕のなにかを少しだけ溶かしてくれた。





もう、聞こえないけれど。






「鼓膜が完全に破れています。手が当たった場所が悪かったんでしょうね。透くんはもうなにも聞こえません。」



その日の母はいつも以上に機嫌が悪かった。

夜中に突然帰ってきて嫌な気を感じた。



目があった。



どすどすと音をたてて母が僕に近づく。

がっと僕の髪を掴んで、頭が引っ張られる感覚がしたと思ったら後ろに投げ飛ばされた。まだ小さい僕はなんの抵抗もできず、されるがままだった。

少し目の上をぶつけてよろめているとすかさず母の手が飛んでくる。


頬が熱い、頭が痛い、唇が切れてヒリヒリする。


今日はけっこうくる。

なんて思っていた。

その時だった。



絶叫する母の甲高い声にどうしても耐えられなくなって、耳を塞いでしまった。

その態度が気に入らなかったのか、母は僕の両耳を全力で叩いた。


英国のコメディ映画に出てくるシンバルを叩く猿みたいに。


猿は僕だった。


耳が燃えるように熱い。

きいいいいいいいいいいいいという不快な音が突き抜けた。


これは、まずいやつかも。

幼いながらに自分の身におきた不幸を察した僕は生存本能からきた恐怖心でできた力で家を飛び出した。


こんなに暴力を受けているのに僕はまだ生きたかったんだ。


ひっそりとした深夜の道を小さな生命の最後の力を振り絞って走り抜けた。


どれくらい走ったかはわからないがとにかく人のいるところに行こうと思った僕はどうやら24時間営業のコンビニに駆け込んだらしい。


深夜に小さな子供がぼろぼろと涙をこぼしながら突っ立っている。

しかも両腕にに大量の痣と内出血。


夜勤で働いていた学生のアルバイトは焦りに焦って110を押した。


そこからはよく覚えていないけど、気づいた時には病院だった。


白いカーテンに囲まれた綺麗な病院の天井をぼうっと眺めながら僕はその時まで忘れていた違和感に気づいた。




なにも聞こえない。





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透明声音 白田 @kon_56n

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