◆卒業◆

前日まで降っていた雨があがり、その日はとても暖かい日だった。

今日は美桜の卒業式の日。

中等部と高等部。

併せて3年半通った聖鈴学院を美桜は今日卒業する。

美桜を施設から引き取る際、時間がなかった俺は親父に美桜の引取り人になる事を頼んだ。

その時、親父が提示した条件が『聖鈴に編入して、高等部を卒業する事』だった。


◆◆◆◆◆


3年半前。

美桜が初めてケンに会い、一緒に焼肉を食べに行った帰り。

俺達はケンのチームと敵対しているチームの奴らに待ち伏せをされていた。

いつもなら、軽く交わすところだったけど、その日はキレて大暴れをしてしまった。

その後、駆けつけた刑事に美桜の存在を知られてしまった。

警察は俺のマンションの周りに見張りをつけた。

警察が美桜の身元を割り出すのは時間の問題。

その前に美桜を施設から引き取らなければいけない。

俺には時間がなかった。

そこで俺は、美桜が寝ている間に親父に連絡をした。

『……はい』

真夜中だったにも関わらず親父はすぐにケイタイをとった。

「夜中に悪いな」

『別に構わない。それに、今日あたり連絡があるような気がしてた』

「は?」

『なんだ?』

「なんでそう思ったんだ?」

『ん?なんとなくだ』

「……」

……なんとなくってなんだよ?

……なんか気持ち悪いんだけど……。

『そんな事よりなにか用事があるんだろ?』

「あぁ」

『美桜さんの事か?』

「……!!」

俺は言葉を失った。

『何を驚いてるんだ?』

「……いや……別に……」

『マサトから聞いてるだろ?』

「あ?」

『俺と綾が美桜さんの情報を掴んでるって』

「……あぁ」

『紺野 美桜。中学3年生の15歳。父親は所在不明、母親は再婚して美桜さんとは離れて生活をしている』

「……」

『美桜さんは○○の施設で生活をしている』

「……よくそこまで調べたな」

『まぁな。……で?』

「あ?」

『お前の用事はなんだ?』

「今、俺のマンションの周りに刑事が張っている」

『あぁ、そうらしいな』

「そいつらが、美桜の情報を調べあげる前に……」

『あぁ』

「美桜を施設から引き取りたい」

『そうか』

親父は俺の言葉を聞いても驚く事はなかった。

……もしかしたら、親父は俺がそうしようとしている事を分かっていたのかもしれない。

「……ただ、俺が引き取り人になるには時間がもうしばらく掛かりそうなんだ」

『あぁ、そうだろうな』

「それで頼みがある」

『俺に、美桜さんの引取り人になって欲しいんだな?』

「あぁ」

『美桜さんはその事についてちゃんと了承しているんだな?』

「あぁ」

『それなら別にかまわない。あそこの施設の施設長とは知り合いだしな』

「本当か?」

『あぁ、だけど1つだけ聞きたい事と条件がある』

「……条件?」

『あぁ、そうだ』

「その条件って一体……」

『その前に聞きたい事が1つある』

「……?」

『美桜さんは中学生だよな?』

「あぁ」

『学校はどうしてるんだ?』

「ほとんど行ってないらしい」

『そうか。公立の中学校だよな?』

「多分、そうだろうな」

『……』


「親父?」

『……蓮、美桜さんを聖鈴に編入させるぞ』

「あ?」

『美桜さんが聖鈴に編入して高等部を卒業する事それが条件だ』

「……」

『それからお前の条件は美桜さんが聖鈴を卒業するまでの間、いろいろな面でサポートすること』

「いろいろな面?」

『学費の事はもちろん学習面でも分からなければ教えてやれ』

「……」

『それがお前にできるなら、俺が美桜さんの引受人になってやる』

「……」

『一人の人間を施設から引き取り、一生に生活するって事は大変な事だ』

「……」

『それが末成年なら尚更だ』

「……」

『好きだとか惚れたとかそんな理由だけじゃ長くは続かない』

「……」

『お前がしようとしている事は、相当な責任感が無いとできない事なんだ』

「……」

『蓮、どうする?』

「……」

『条件をのむか?それとも今回は諦め……』

「分かった。その条件をのむ」

『……』

「もし、簡単に諦められるなら、とっくに諦めてる」

『……』

「それが出来なかったから、今こうして一緒にいるんだ」

『お前の気持ちは分かった。あとは美桜さん次第だな』

「……」

『美桜さんが条件をのむと言ったら、2人で一緒に家へ来い』

「……分かった」


親父は、俺と美桜に1つずつ条件を課した。

正直、最初はその条件に全くと言っていい程俺は納得していなかった。

半ば強制的に了承させられたようなものだと思っていた。


でも、しばらく時間が経って冷静に考えてみるとその条件が俺と美桜にとって重要なものだと気い付いた。

その条件があったからこそ俺と美桜は今もこうして一緒にいられるんだと思う。

責任と義務。

それがあったからこそ俺と美桜は成長できたんだと思う。



◆◆◆◆◆


リビングのドアが開き入って来た美桜を見て俺は目を細めた。

聖鈴の制服を身に纏った美桜。

その姿を見て、初めて聖鈴に編入する日の朝を思い出した。

あの頃と比べて変わったのは少し大人っぽくなった美桜の表情とネクタイの色。


「どう?」

俺の前に立った美桜がその場でクルりと一回りした。

空気を含んだスカートがフワリと舞う。


「ん?」

「今日は卒業式バージョンなんだ」

「……卒業式バージョン?」

「うん!!いつもと違うところはどこでしょうか?」

「……いつもと違うところ?」

「そう、1ヶ所だけいつもと違うところがあるの」

俺は美桜の頭のてっぺんから足の先まで視線を動かした。


……いつもと違うところ……。

……。

……。


「ボタンが一番上まで閉まってるな」

「正解!!」

嬉しそうに笑う美桜の手首を掴み、その身体を引き寄せる。


「“あれ”だな?」

「そう、“あれ”」

美桜の身体は俺の膝の上にすっぽりと収まった。


「先生達にはものすごくお世話になったから……」

「そうだな。てか、それってまだ残ってたんだな」

「うん、ヒカルもアユちゃんも葵さんもみんな高等部の卒業式の時はしてたよ」

「そうか」

「うん、これを始めたのって蓮さん逹なんでしょ?」

「あぁ」

「みんなで話合って決めたの?」

「いや、きっかけを作ったのはケンなんだ」

「えっ?ケンさん?」

「あぁ」

「その話、聞きたい!!」

美桜は俺の膝の上で瞳を輝やかせている。


「別にいいけど、時間は大丈夫か?」

「うん、今日はいつもより1時間遅くていいし。……それに蓮さんが運転するから大丈夫!!」


……大丈夫って……。

それは、俺がマサトと違って運転が荒いって言いたいのか?

美桜の本心を探ろうかと思ったけど……。

余りにも美桜が期待の眼差しを向けていたため、俺はそれを諦め“あれ”のきっかけを話すことした。


「俺逹の卒業式の日にケンが大変身してきたんだよ」

「大変身?」

「あぁ」

「それってどんな風に?」

「シルバーだった髪を黒に戻してた」

「は?」

「それにいつもはだらしなく着ていた制服をピシッと着こなしていた」

「え?」

「あれはどこからどう見ても優等生にしか見えなかった」

「……あのケンさんが?」

驚きを隠せないって感じの美桜。


だけど美桜が驚くのも無理はない。

俺だって優等生バージョンのケンを初めて見た時は、ケンだって気付かずに思っきりシカトしちまったし。


「あぁ」

「なんでケンさんは急に優等生くんになっちゃったの?」

「その理由があれなんだ」

「……あれって……“お世話になった先生達に感謝の気持ちを表わす“って事?」

「あぁ」


聖鈴学院の特色として、一定の成績を保つ事ができてさえいれば、生活態度等は生徒の個性を尊重するというのがある。

だから聖鈴の生徒はとても個性豊かだったりする。

髪型やその色だって

制服の着こなし方だって

アクセサリーの着け方だって

ほぼ全員が自分の個性を主張しまくっている。


学生時代のケンも例外ではなかった。

どこにいても一発で分かるシルバーの髪。

耳に隙間なく着けられたたくさんのピアス。

存在感がありすぎるクロムハーツのネックレス。

ケンカの時に役に立ちそうなゴツいリング。

肌が見えるくらいに開かれたシャツの襟元。

ほぼ出番の無かったネクタイ。

そして、ケツが半分は出てそうな腰パン。

学生時代のケンは個性の塊のような奴だった。


そんなケンが卒業式の日に絵に描いた様な優等生に変身して学校に来た理由。

それが“お世話になった先生達に感謝の気持ちを表すため”だった。

「ケンってさ、何にも考えてない軽そうな奴に見えるけど、本当は情に脆くて義理堅い奴なんだ」

「……うん、そうだね」

「急に変わったケンに俺達は驚いてさ……」

「うん」

「でも、ケンの話を聞いて妙に納得したんだ」

「うん」

「俺も颯太も琥珀も樹も……ケンの考えに賛同した」

「……そうなんだ」

「まぁ、そこでも問題は発生したんだけどな」

「問題?」

「あぁ、俺と樹はシャツのボタンを閉めてネクタイを締めるだけで良かった」

「樹さんは黒髪だったし、蓮さんもそんなに奇抜な色じゃないもんね」

「だろ?そうなんだよ。まぁ、颯太も髪色は黒だからいいんだけど髪型がな……」

「“ドレッド”だったっけ?」

「あぁ、あの髪型はどうしようもねぇからとりあえず後ろで1つに束ねるって事で落ち着いたんだけど……」

「うん」

「問題は琥珀の髪の色だった」

「……琥珀さんってオレンジだもんね」

「あの髪色をどうするかって事でみんなで頭を捻ったんだ。時間もそんなになかったしな」

「それでどうしたの?」

「カラーリング用のスプレーを知ってるか?」

「スプレー?……あっ!!あの洗ったら元に戻るヤツ?」

「正解。あれを近くのドラッグストアーに買いに行って、そこのトイレで琥珀の髪を黒く染めたんだ」

「へぇ~よくそんな事を思いついたね」

美桜は感心しているようだった。

「ケンもそれで黒髪にしてたからな」

「そ……そうなの!?」

「あぁ」

「それで無事に卒業式に出席したんだね」

「卒業式は無事に済んだけど、その後が大変だった」

「えっ?」

「卒業式の後、5人で繁華街に行ったんだけど」

「うん」

「そこでいつもの如くケンカを売られたんだよ」

「……!!」

「まぁ、本当にそれはいつもの事だったから別にいいんだけど」

「う……うん」

「大暴れしてる途中で雨が降ってきたんだ」

「雨?」

「あぁ、それで髪を染めていた2人は頭から黒い雫を垂らして制服まで黒く染まったんだ」

「……それはお気の毒に……」

「それでケンと琥珀が『こんな所でお前達がケンカなんて売ってくるからこんな事となるんじゃねぇか』ってブチ切れて」

「……」

「それが繁華街だったから、チームの奴らまで集まり始めて」

「……」

「その騒ぎを聞きつけた刑事まで来ちまって」

「……」

「本当に大変だったんだ」

「……うん、それはとてつもなく大変そうだね……」


そこでようやく俺は美桜がかなり引いている事に気付き

「……まぁ、想い出話はこのくらいにして……そうか、それがまだ残ってるのか」

慌てて話題を代えた。


「うん、さすがに髪まで黒くする人はいないみたいだけど、制服をピシッと着る人は多いみたいだよ」

「そうか」

「うん」


自分の卒業式を想い出し、かなり懐かしい気分に浸りながら

ふと時計を見た俺は

「そろそろ行くか?」

膝の上に座っている美桜に提案した。


「うん!!そうだね」

頷いた美桜の額に俺は唇を寄せた。


◆◆◆◆◆


聖鈴の校門を通り抜け、すっかり停め慣れた定位置に車を停めようとすると


「……蓮さん」

言い辛そうにロを開いた。


「どうした?なんか忘れモノか?」

「ううん、忘れモノじゃなくて……」

「ん?」

「……今日は、別の所に停めた方がいいんじゃないかな……」

「……」

「あっ!!別にここに停めると邪魔になるとか目立ち過ぎるとかそんなコトを思ってるんじゃ……」

「思ってるんだろ?」

「……」

「……心配しなくても、今日はここには停めねぇよ」

「え?そうなの?」

「あぁ、今日はあっちに停める」

俺はそこから少し離れた所にある駐車場を指差した。


美桜は、俺の指の先を辿るように視線を動かし

「……良かった……」

小さな声を漏らした。


「……何が良かったんだ?」

「な……ないでもない!!」

「……」

明らかに“しまった!!”って表情を浮かべ動揺していた美桜が、俺から視線を逸らした。


「……」

「……」

「……」

「……」

忙しなく視線を泳がせている美桜とそんな美桜を横目で見ている俺。


「き……今日はお父さんと綾さんも来てくれるんだよね!?」

焦って話題を変えようとして、そう尋ねた美桜の言葉の語尾は、微妙に裏返っていた。


「……あぁ」

俺は、こみ上げてくる笑いを必死で飲み込みながら答えた。


「なんか……」

「うん?」

「嬉しいんだけど……」

「あぁ」

「申し訳無いような気もする」

「なんでそう思うんだ?」

「ほ……ほら、お父さんも綾さんも忙しいのに、私なんかの卒業式にわざわざ来てもらうなんて……」

「お前の卒業式だから来るんだろ?」

「私の卒業式だから?」

「そうだ。美桜なんかの卒業式じゃなくて、美桜の卒業式だから、綾さんも親父も来るんじゃねぇのか?」

「……」

「それにあの2人にお前が『卒業式に来て』って頼んだ訳じゃねぇ」

「……」

「向こうから『卒業式に行く』って言いだしたんだから、その気持ちに素直に甘えてればいいんだ」

「……うん、そうだね」

美桜は頷いた。


「それより……」

「……?」

「時間は大丈夫なのか?」

「ヘっ?」

「もう、誰もいないぞ?」

美桜は辺りを見回して


「ヤバイ!!早く行かなきゃ!!」

ドアに手を掛けた。


そんな美桜に俺は声を掛ける。

「美桜」

「なに?」

そう言いながら、美桜が振り返った瞬間

その頬に口付けた。


こうして、学校へ行く美桜を見送るのは、今日が最後。

そして、この言葉を言うのも最後になる。

そう考えると少しだけ淋しく思えた。

それでも俺はその言葉を口にする。


いつも以上に心を込めて……。


「今日も一日楽しんでこいよ」


「うん!!行ってきます!!」

小走り気味に昇降口へと向かう美桜の背中を見えなくなるまで見送る。


朝の陽の光を受けた美桜の髪が栗色に輝いていた。


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