五 弓と矢

「おいし~い!」

 モモは感動の声を上げました。彼女と小白丸は木こり小屋の中で、狒狒の赤兵衛お手製のいもがゆをごちそうになっているところです。小屋の中は意外ときれいで、真ん中の囲炉裏になべがかかっており、その中から湯気と香りが立ち上っています。赤兵衛は得意気に説明しました。

「これが、いもがゆじゃ。米や何かのおかゆとは、まったくちがうじゃろう? 山いもを細かくきざんでな、ツタの汁で煮こむのじゃ。ツタはぶどうの親戚みたいなものでな、この汁が甘い。ただし、汁は寒い時期しか出てこぬし、集めるのは一苦労。これは神々さえうらやむ、究極のごちそ……」

 モモと小白丸は赤兵衛の説明もろくに聞かず、いもがゆをすするのに夢中でした。ほくほくして、とろとろとねばり気のある山いものうまみに、さわやかな風味のこの上なく甘い蜜がからみ合って、モモはさじを持つ手が止まりません。小白丸は息をするのも忘れて、おわんに鼻先を突っこんでいます。赤兵衛は笑いました。

「ヒッヒッヒッ! なくなってしまう前に、わしも早く食わねばな!」

 こうして、三人はなべいっぱいのいもがゆを、またたく間にぺろりと平らげたのでした。


 食べ終わって一息つくと、モモは自分の荷物を引き寄せて手探りしつつ、赤兵衛に言いました。

「あの……。いもがゆ、ごちそうさまでした。あんなにおいしい物の後で、こんなのを出すのは申しわけないけど……、良かったら……」

「ほう、キビ団子じゃな。いただくぞ」

 モモが差し出したキビ団子を、赤兵衛はひょいとつまんで口に入れました。

「モグモグ……。おおっ、こりゃなかなかうまい。おぬしが作ったのか? 料理の才がある」

「ほら!」

 小白丸が顔を上げ、モモに言いました。モモは笑います。

「フフッ。みんなそう言うけど、料理かなあ、これ」

 残りのキビ団子もすべて平らげると、赤兵衛はふたたびモモに言いました。

「おぬしにいもがゆを作ってもらったら、さらにうまくなるかもしれんな。……じゃが残念ながら、いももツタの蜜も、もう全部使ってしもうた。おぬし、食べ物は他に持っておるのか?」

 彼はモモの大きなふくろを指差しました。彼女は表情を暗くして答えます。

「……生のキビが、少しあるだけ」

「なんじゃ、じゃあこのばかに大きな荷物は、いったい何が入っておるのじゃ?」

 赤兵衛はそう言って、モモのふくろを探り始めました。そのうちに、彼はいらだったように声を上げました。

「なんじゃなんじゃ、むだな物が多すぎる! なべなんか一つありゃ充分じゃろ。筆にすずりっ? いらんいらん! 旅はできるだけ身軽でなきゃ……」

「それはその……、いろいろ不安で……」

 モモは苦笑いをしながら答えましたが、小白丸はモモが非難されて、ややむっとしています。しかしここで、赤兵衛の動きはぴたりと止まりました。

「これは……?」

 そう言って赤兵衛が荷物から取り出したのは、あの丸い種でした。モモは家を出る時に自分のふところに入れたのですが、なくすといやだと思って、小白丸とのやり取りの後、ふくろの底に入れ直したのです。彼女は赤兵衛に言います。

「それ、家にあったの。お守りにと思って……。えっと……」

 モモは昨夜のできごとを順序立てて説明しようと思いましたが、先に赤兵衛がモモの頭の中を読んで言いました。

「……なるほど。昨夜おそってきた鬼……。そいつにこれを投げつけたら、いっぺんに消えてしまったと……。たんすの上から落ちてきた……。神だなにかくしてあったのかもしれない?」

 説明する手間は省けるものの、モモは苦笑いです。一方で、すでに話を聞いていた小白丸は、改めて不思議がっています。赤兵衛は種を目の前まで持っていって、つぶやくように言いました。

「なるほど……。ふむ。桃の種じゃな、これは」

 モモははっとしました。

「桃の……! それって、もしかして……! お母さんが食べた、神様の桃っ……?」

 小白丸はモモの言葉を聞いて、あっと声をもらしました。赤兵衛もほとんど同時に目を丸くしておどろき、それから笑ってモモに言いました。

「ヒッヒ……! なんと、大神実か! なるほどなるほど、そういうわけか……! 神の桃を食った母と、それによって生まれた娘……! こりゃあとんでもない親子じゃわい!」

 彼は桃の種を改めてながめた後、ほとんど放心状態のモモにそれを持たせました。彼女は手にした種に視線を落として言います。

「……だからあんな風に、鬼をやっつけられたのかな……。神様の力で……。あっ、でも……! お母さんは、桃は三つあったって言ってた……。昨日わたし、家の中はほとんど見たけど、他に種はなかったよ? これがその大神実の種なら、他の二つは……?」

 すると小白丸が言いました。

「植えようとしたんじゃないかな。一個ずつ植えてみたけど、桃の木は生えなかった。それで三個目は、植えずに取っておいた、とか……」

 赤兵衛はうなづいて言いました。

「うむ……。ありうるな。そう簡単に生えるものではないのじゃろう。そんなうわさも耳にせぬしな。……ヒッヒッ! わしもその桃の実を食ってみたいのう! さすれば大陸の、あの坊主のお供をした猿にも負けぬほどの、絶大なる妖力が身に付くじゃろうて……!」

 小白丸も言いました。

「どんな味なんだろう! ぼくが食べたら、ひょっとしてまた手足が生えたりして……!」

 モモもまた、神の桃がふたたびこの世に実を付けた時のことを、あれこれと想像してみました。しかしそれよりも彼女は、この種が母の食べた桃の種だと分かったことで、消えてしまった母が、ふたたび自分の所へもどってきてくれたような気がしていたのでした。

「……お母さん……」

 モモはなみだぐんでつぶやきました。小白丸と赤兵衛は、そんな彼女をやさしく見つめます。それからやがて、赤兵衛がモモに言いました。

「この種はたしかに、おぬしにとってこの上ないお守りになってくれるじゃろう。……鬼と戦わなければならぬ時には、唯一無二の切り札にも、な。帯の中にでも入れておくのが良かろ」

 モモはこくりとうなづくと、言われた通り、着物の帯の中に種をしっかりとしまいました。

 それから三人は改めて身の上話をしたり、今後のことを話し合ったりしました。けれどもその日、夜明け前から旅を始めていたモモは、間もなくこくりこくりと船をこぎ始め、いつしか眠りへと落ちていったのです。


 ヒュバッ! ヒュバッ!

 翌朝、モモは聞き慣れない音で目を覚ましました。彼女の体には古びた毛皮がかけてありましたが、小屋の中に小白丸と赤兵衛はいません。モモはあわて気味に外へ出ました。

 すると小白丸たちは小屋のすぐ外にいて、二人は距離を取って相対していました。赤兵衛は両手に何か持っています。弓矢でした。彼はそれを人間のように身構えると、なんと小白丸の方に向けたのです。

「赤兵衛っ、やめてっ!」

 ヒュバッ!

 モモはさけびましたが、ほとんど同時に、矢は放たれました。

 ブスッ!

と、音を立てて矢が刺さったのは、小白丸が寄りかかっている杉の木の、彼よりずっと上の方にかかっていた、一枚のずだぶくろでした。小白丸は明るい顔でモモに言います。

「あっ、モモ! おはよう! 良く眠れた?」

 彼女はあっけに取られたまま言いました。

「……おはよう、小白丸、赤兵衛……。眠れたけど……、びっくりしたぁ……。てっきり、けんかでもしてるのかと……。何してたの、赤兵衛……?」

 赤兵衛は笑って答えました。

「ヒッヒッ! おはようモモ。弓矢の試し射ちをしておっただけじゃよ。昨夜こしらえたのじゃ。小白丸は飛んでいった矢を取ってもらうために、向こうにいてもらっとる」

「……なんだ、そういうことね……。まぎらわしいなあ。それに、危なくない?」

 モモは心配そうに小白丸を見ましたが、彼は首を横にふって言います。

「平気だよ。それより赤兵衛はへたくそだから、散らばりまくった矢を取ってくるのが大変だったよ。けど、これもモモのためだって言うからさ」

「わたしの?」

 モモがおどろくと、赤兵衛は言いました。

「ヒッヒッヒッ! この弓矢はおぬしの物じゃ。おぬし、武器と言えばあの短刀だけじゃろう。安物ではなさそうじゃが、昨日のあの様子では、使いこなせているとは言えんな。それよりもおぬしには、飛び道具の方が向いてそうじゃ。性格的にもな。ヒッヒッ!」

 モモははっとしました。たしかにモモは、物を投げたり飛ばしたりして、外したことがありません。赤兵衛はさらに言います。

「昨夜おぬしが寝てから、小白丸にも手伝ってもらってな。ケヤキの木で作ったのじゃ。ただの木だけの弓じゃし、矢には矢尻も付いとらんがな。おぬし、ちょっと射てみよ」

 モモは赤兵衛から弓矢を受け取りました。弓は長くてかたく、けずり出したばかりの無骨さがあるものの、乳白色でつやつやしていました。つるには麻の糸が張られています。それから簡素な筒に入れられた矢が何本もあり、どれもまっすぐで、様々な鳥の羽が付けられていました。矢尻には何も付いていませんが、木の先をけずってとがらせてあります。

 モモはそのするどい矢を見て、ためらいました。けれども、本気で鬼や妖怪と戦うのならば、これは自分には必要な武器なのだと、彼女は痛感しました。そしてまた、赤兵衛たちがこれを作ってくれた労力を思って、しみじみと感じ入ったのです。

「……ありがとう、二人とも……。やってみる」

 赤兵衛に手を取られながら、モモは弓矢を構えました。彼は言います。

「力で引くんじゃない。骨で引くんじゃ。ま、実戦ではとやかく言ってられんこともあるじゃろうがな」

「……小白丸、ちゃんとかくれててね」

 モモはそう言うと、改めて呼吸を整えました。弓矢を頭上に持ち上げ、下ろしながら、矢と弓のつるを引きます。木にかかったふくろにじっとねらいを定め、そして……。

 ヒュバッ!

 矢はおどろくほどの勢いで飛んでいきました。が、それは的から大きく外れて、向こうのしげみへと消えてしまいました。

モモはくやしそうにくちびるを引き結びます。そんな彼女に、赤兵衛は言いました。

「もう一度やってみよ。戦いの時には、すぐに二本目の準備をするのじゃぞ」

 モモはふたたび矢をつがえて、ねらいを定めました。

(さっきは右上の方に飛んでっちゃったから、もう少し……)

 ヒュバッ!

 ブスッ!

「やったっ!」

 モモは声を上げて喜びました。矢は的のふくろに、まっすぐに命中したのです。赤兵衛と小白丸も言います。

「見事じゃ!」

「すごいじゃないか、モモ!」

 モモは興奮気味に答えます。

「二人が作ってくれた、この弓矢がいいんだよ! ありがとうっ!」

「ヒーッヒッヒッヒッ! ではぼちぼち、出発しようかの。したくをせい! なくてもじゃぞ? ヒーッヒッヒッヒッヒッ!」

 こんな調子で、三人は朝のうちに山の木こり小屋を後にしたのでした。


 モモたちはふたたび山を下りて、ふもとの枯野を南東に向かって歩いていきました。小白丸が先頭になって鼻を利かせ、モモはその後ろで、肩に弓をかけて、周りをそわそわと気にしながら歩きます。最後尾は赤兵衛で、彼は整理したモモの荷物のほとんどを、代わりに背負ってくれました。彼は思った以上に親切なようです。

 街道にはまだ出ないようにしていましたが、民家のそばを通る時などは、鬼や妖怪の気配がないか、三人は様子を探りました。小白丸の鼻と、赤兵衛の地獄耳や豊富な知識で、中の住人の暮らしは手に取るように分かるのです。ある時、赤兵衛は言いました。

「暮らし向きは良くはなさそうじゃが……。かと言って、鬼や妖怪、盗賊などに悩まされているわけではなさそうじゃの。貧しいのは、フジ家のまつりごとのせいじゃろう」

 モモの村ではみんなで助け合ってなんとかやっていましたが、年貢の取り立てはきびしいと聞いたことがあります。彼女は赤兵衛にたずねました。

「フジ家のまつりごとって……?」

 赤兵衛は顔をしかめながら説明します。

「都のフジ家の一族がな、この国のことはすべて決めておるのよ。民や帝のことはお構いなしで、自分たちの周りだけが得をするようにな。その結果……、民は苦しみ、盗賊や海賊も出るようになる。おまけにその賊どもから民を守る気もないものじゃから、人々はやたらに恐れをいだくようになり、鬼もあちこちから現れるという寸法じゃ。……おっと、わしのことはもう責めんでくれよ? わしはこれでも、鬼が出ぬように気をつけてはいたんじゃ」

 最後のところを聞くと、小白丸は赤兵衛をじとっとにらみました。一方、モモはそれには気をとめずに、荒れた民家を辛そうに見つめていたのでした。


 さて、モモたち一行は歩き続け、途中で休憩をしたり、戦いの特訓をしたりしているうちに、その日も夕暮れが近づいてきました。

 三人の目の前には、一つの湖が見えてきています。湖は南北に長くなっているらしく、向こう岸は見えるか見えないかくらいまで広がっています。小さな丘の上からその湖を見わたして、モモは言いました。

「へぇ……! けっこう大きい湖なんだね。いいながめ……!」

 一方で、小白丸と赤兵衛は表情をこわばらせています。赤兵衛は言いました。

「……モモよ、浮かれてはおれぬぞ。こういう水辺にはな、河童が住んでおることが多いのじゃ」

 小白丸も、鼻を動かして言います。

「……まちがいなく、いると思うよ。においがする。数は分からないし、河童にもかなりいろいろいるから、人をおそうやつか、人助けするやつか、いたずらして楽しむようなやつなのかは分からないけど……」

 モモも表情をこわばらせました。そしてすぐに、彼女はこう言ったのです。

「困ってる人が、いるかもしれない。調べに行こうよ……!」

 小白丸と赤兵衛は、それこそ困ったように笑いました。

「ヒッヒ……! やれやれ、他人のことになると、急に勇ましくなるのう……!」

「あははっ! それがこの子なんだよ。な、モモ。それじゃあ用心しつつ、行ってみようか。ついでに夕ごはんの魚でもとろう」

 モモもまた、自分の妙な一面に気づいて困った顔をしましたが、間もなく照れ笑いを一つすると、湖に向かって丘を下り始めたのでした。


 そうしてやがて、三人は湖のふちまでやってきました。水はややにごっていますが、一見したところ、湖自体に変わったところはありません。水鳥もいましたし、魚もいるようでした。

 三人は湖の周りを歩きながら、ところどころに建っていた民家や小屋の様子を探っていきました。するとすぐにこの湖の河童について、いろいろと知ることができました。赤兵衛が言います。

「ふむ……。まとめると、こうじゃな。この湖におる河童は一人。じゃがその一人が、ここで暮らす人間すべてを、恐怖におとしいれておる」

 モモも自分で気づいたことを言いました。

「鳥も、みんなびくびくしてる。魚の気持ちはわたしあまりはっきりとは分からないけど、漁をする人間のこと以上に、その河童を恐がってるみたい」

 小白丸は顔をしかめて、低い声で言いました。

「……遊びで殺したりも、してるんだと思う……。岸辺のあちこちから、魚のくさったにおいがする。その調子で、人のこともおそってるのかもしれない……」

「ふむ……。話の分かるやつではないようじゃな」

 赤兵衛は何気なく言いましたが、一方でモモは息をのみ、心臓をつかまれるような思いがしていました。

(そんな恐ろしい怪物が……! そんなのが相手じゃ、わたし……)

「モモ、大丈夫かい……?」

 モモのただならぬ様子に気がついて、小白丸が声をかけました。けれども彼女は苦しそうに彼を見ただけで、返事もできずに考えていました。

(……わたし、小白丸たちのおかげで気が大きくなってたけど……。本当に、できるの……? 戦えるの? 血もなみだもないような妖怪と……! 慣れてるみたいだけど、二人だって戦えば危険な目にあうかもしれない。わたしが足手まといになったりしたら、なおさら……。う……。うう……、でも……)

 やがて彼女は必死で呼吸を落ち着けると、声をふるわせ、小白丸と赤兵衛にこう言いました。

「……放っては、おけない……。なんとかしなきゃ……! お願いっ、二人とも……! 力を貸して……!」

 モモの懸命なまなざしを見て、小白丸と赤兵衛は深くうなづきました。


 それから三人は湖から少しはなれて、河童を退治するための作戦を話し合いました。赤兵衛は、釣り人のふりをして河童をおびき寄せることを提案します。そして、自分がその釣り人の役、つまりおとりになると言うのです。モモは赤兵衛を心配しましたが、彼は笑ってこう言いました。

「ヒッヒッ! 心配無用じゃ。わしなら近づいてくる河童の心の声が聞こえるし、おぬしらが異変に気づいた時でも、同様にすぐ察知できる。すでにうす暗いし、おぬしの蓑と笠をかぶれば、わしなら人間に見えるじゃろう」

 なるほど、と思ったモモでしたが、それでも赤兵衛をおとりにするのは気が引けました。すると彼はさらに言います。

「平気じゃて。陰陽師ほどじゃあないが、妖術の心得もある。小白丸にも近くにいてもらう。それに、現れた河童をしとめるには、おぬしがはなれた所から弓で射るのが、もっとも有効じゃ。たのんだぞ」

 モモはその表情に様々な不安を浮かべます。そんな彼女に、小白丸が声をかけました。

「大丈夫だよ。ぼくも赤兵衛も、戦いには慣れてるし、きみのことは全力で助ける。きっとたおせるさ」

 赤兵衛はうなづきました。

「小白丸の言う通りじゃ。おぬしの母君も言っておったのじゃろう? 恐れてはならぬ。恐れれば恐れるほど、恐れはどんどん強くなる。相手の力も、こちらが恐れた分、強くなるのじゃ。それが鬼の場合は、特にな。用心はするのじゃ。じゃが恐れてはならぬ」

 モモは仲間たちを見つめて小さくうなづき、自分に言い聞かせるようにつぶやきました。

「……用心はする……。けど、恐れてはだめ……」

 こうして三人は心を決めて、西の空の赤く染まるころ、それぞれの持ち場に着いたのです。


 赤兵衛は簡単な釣りざおを作って、湖の岸に座りました。小白丸は赤兵衛の頭上をおおうように生えている松の木に登って、枝の中にかくれます。モモは岸からもう少しはなれたしげみで、息をひそめながら弓矢を持っていました。

 そうして間もなく、赤兵衛は釣り糸を水面に垂らしながら、一人で歌を口ずさみ始めました。

「〽松の~木かげに~立ち寄れば~ ちとせの~緑ぞ~身にしみる~」

 のんきな調子の彼の歌に反して、かくれているモモの緊張は強まっていきます。

「フフ~ン……。ふむ……。なかなか、かからんのう……」

 赤兵衛がつぶやくように言いました。すぐにモモは弓矢を構えます。なぜなら、この「なかなかかからない」という言葉が、「河童が近づいてきた」という合図だと決めていたからでした。

 小白丸も身構えたようです。モモは自分の心臓の音が早まるのが分かりました。彼女は自分の心に言い聞かせます。

(恐れてはだめ……。大丈夫……。みんなを信じて……、河童をたおすんだ……!)

 水面に変化はありません。赤兵衛もまだ動きません。モモは弓を、少しずつ少しずつ引きしぼっていきます。そして……。

 ザバァッ!

 突然ものすごい勢いで、青緑色の大きな生きものが水面からとび上がりました。

「クアァッ!」

 河童です。頭に皿、背中には甲羅。そして手には水かきとともに、するどい爪が生えています。

 赤兵衛はとっさに妖術の風を巻き起こしたようでしたが、その時すでに河童は彼の両腕をつかんでおり、風は周りの物を吹き飛ばしたにすぎませんでした。

「フヒッ……! こしゃくな河童めっ……!」

 河童は赤兵衛を水に引きずりこもうとして激しく動くので、モモにはねらいが付けられません。木の上から飛びかかろうとしていた小白丸も同様で、彼はやむをえず近くの地面に降りました。その時です。

「ケェーーンッ!」

 モモの目の前を横切って、何かが鳴きながら地面を走り、そのまま河童のわき腹に突っこんだのです。

「ギャアアッ!」

 河童は大声でさけび、横に吹っ飛ばされました。そこにはちょうど運悪く小白丸がいて、彼は湖の方に弾き飛ばされました。河童はまだ片方の手で赤兵衛をつかんでおり、水に転がりこむようにして彼を引っぱりました。赤兵衛は落ちました。河童に突っこんだ生きものも、水の中に落ちたようでした。

「みんなっ!」

 モモはさけび、急いでしげみから出て、岸にかけ寄りました。

 見れば河童は片手で赤兵衛を、もう片方の手で小白丸をつかんで暴れています。小白丸は河童の腕にかみつき、赤兵衛も河童の体を蹴飛ばしたりしていますが、二人ともおぼれかけています。そしてそのそばの水面で、第四の生きもの、はでな色の雉が、ひたすらじたばたしているのでした。

(みんなを……、早くみんなを助けなくちゃ……!)

 モモは河童に向けて、無我夢中で弓を引きました。河童はくり返し頭を水面に出し入れしています。小白丸たちは苦しそうにむせています。モモはあせりながらも、次に河童が頭を上げる時にねらいを定め、そして――。

(今だっ!)

 ヒュバッ!

「グァアッ、ガハッ……!」

 河童はモモの矢でのどを射られて、恐ろしいうめき声を上げました。そして、次の瞬間。

 河童の体は青緑色の泥のようなものに変わり、どろりとくずれながら、水の中に溶けていったのです。そうして水が青くにごったと思ったのも束の間、泥はかき消え、湖はむしろ、それまでよりも少し澄んだようでした。

「ハァッ……! ハァッ……! たおし……、た……」

 モモが息を切らして、なみだぐみながら言いました。続いて自由になった赤兵衛が、水面から顔を出して言います。

「カハッ……! ヒーッ……! 死ぬとこじゃったわい……! まったく、理性のかけらもないやつじゃった……」

 小白丸も水から浮かび上がって言いました。

「ゴホッ! うう……、フゥ……。やったな、モモ。……だけど……」

 彼は今なお水面でばたばたしている、あの招かねざる雉をにらむと、そのまま声を荒らげて言いました。

「この鳥は、いったいなんなんだっ! これさえ突っこんでこなければ、もっと楽に勝てたぞっ?」

 モモも岸からまじまじとその雉を見つめました。雉は少々風変わりで、この夕闇の中でさえ目立つほどの、極彩色の体をしています。ここで、モモはあることに気がつきました。

(……あれっ? この子の考えてることが、わたし、分からない……?)

 と、その時でした。

「なんだとっ! おいらがこの猿を助けてやったんだろうがっ! それにもともと、あの河童はおいらのえものだぞっ! こんちくしょうっ!」

「……しゃべった……」

 モモはあっけに取られたままつぶやきました。小白丸も目を丸くしました。一方、赤兵衛はほくそえんでいます。雉は水の中でもがきながら、ののしり声を上げ続けていました。

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