三人目…(結び)【硝子内の晒し者】


 ――けたたましい鳥達のさえずり合い。

冷え込んだ温度が身に染みてきて、夢現ゆめうつつ。肌寒さに身体を小さく縮める。カタカタと歯を鳴らして息を吸ってみれば、鼻腔びこうを通る湿った土や草などの香りを感じられ、肺に清涼な空気が入ってきた。そして何よりも目覚めをもよおすのは、明け方の太陽の光が差し込んできたような強烈な眩しさであり、


「まっぶぃ」


 光にうながされるよう彼女が目を開けば、


「――は? え? ……えっ?」

太陽て……もう朝……なの……?」


 本当に朝。太陽が昇り始めた時間帯。


 眠りから目覚めたそこは、彼女が普段から登校に利用している道の途中。小河の河川敷かせんじき

 女子高生の身で無用心にもそんな場所のしげみで横になっていたとは。察するにこれは自暴自棄な深夜の徘徊の結果であり、精神的に疲れ果てて行き倒れでもしたのだろう。もうホントに「人としてウチ、終わってんじゃん」自虐的な言葉を漏らして彼女は眉をひそめる。自分が「バカらしい」と口癖も添えて。


 身体を起こして確認。肌がペタつく。

まるで別の生き物でも触っているようだ。


「汗……うざっ」


 彼女は汗で額に張り付いた髪をかきあげ、着ているワイシャツの第二ボタンまでを開けた。

 ちゃんと頭に髪は生えているし、下着の中には貧相でも胸の膨らみはあるし、腕は肌色。改めて確認なんかする必要もなく人間の身体のまま。何故そんな確認をしたかは彼女にも分からない。


「すげーしんど……」


 既にシワシワで湿ったシャツだから構わず。

彼女は額を押さえて、また茂みに寝転ぶ。


 ヒドい脂汗だった。それに栄養エナジー飲料ドリンクを何本もガブ飲みして、友達との付き合いで内心はべつに乗り気でもないのに三日間を徹夜で連れだって騒いだ時に近い疲労感と鈍い頭痛。精神的な消耗。


 彼女は悪夢を見ていた。とびきりの悪夢を。人間が一生において一度程度しか見ないのではないかという域の悪夢。自分の存在を喰われるかのような悪夢。内容は朧気おぼろげというのに、心と魂をえぐり刻まれている。目覚めに際して切り離され、詳細な記憶についてを“どこか”に捨てられてさいわいだが……。


 その嫌な夢。死ぬよりもっとヒドイ夢。

あぁ夢で良かった? まぁでもどっちみち、


「ウチはきっと今日、破滅すんのかな?」


 ――夢でも現実でも変わらないし、と。

彼女は諦めたように、そのまま目をつぶってしまう。数時間も後の自分の末路を想像しながら……。


 まぶたが眩しくて、顔に腕を載せておく。

腕の重みで、まぶたから水分が流れてく。


「ウケる……」


 彼女が自業自得の傷心に浸っていると、


「……ん、だよ?」


 ……タッタッ、タッタッ! と足音がする。

無駄に元気のいい、軽快なよく響く足音だ。


「うっざ……」


 ――明け方からせいが出る誰かさん。早朝のランニングでもしているのだろう足音が、現在の彼女の寝転んでいる河川敷の茂み、そこに沿って伸びている道路を走って来るらしい。


 ――とてもうるさい。邪魔すんな。

そう不快感を表す彼女だが、けれど他人。どうせすぐに通過して行くだろうと我慢する。タッタッタッタッ、近付いて、近付いて来て、歩調を緩め、遠退いて行く。実際にほんの十数秒後、そうやって足音は通過して道なりに去って行った……。


「は?」


 ……と思いきや、足音が戻って来て、


「――うあぁ! 偶然の遭遇エンカウントですねっ! おはようございます! 【狩仁かりひと 陽利華ひりか】さんっ!!」


 わざわざ声をかけてくるではないか。それも足音の正体は、まさか【狩仁かりひと 陽利華ひりか】と。彼女じぶんのことを知っている誰かだったのだ。これにはもう内心で焦るばかり。かなりマズイッ心の準備ができてない。コイツは誰だ!? そんな一瞬の思考の後、


「あのぉ? あれれ、起きてますか?

なんでこんなところで寝てるんですかぁ?」


「――ッッ!!」


 声に思い当たり、身体が跳ねた。

彼女、ヒリカは目を開いて飛び起きる。


「――は? おまっ!?

はぁっ!? 【祈追きつい 溢姫いつき】ッッ!!?」


「オバケでも見た感じの反応される私ぃ」


 なんせ声をかけてきたのが、件の相手。自分ヒリカがイジメていた相手だったから。ヒリカのせいで自殺未遂までした、何の非もない被害者本人で。


「まー。なんにしても、いい朝ですね?

あっはっはー! おはようございますぅ!」


 当然にイジメの加害者のヒリカのことを憎み恨んでいるはずで、恐れて怖がっているはずで、破滅を望んでいるはずの被害者。そのはず。それが当たり前だというのに、当の被害者のイツキはそれらの感情をまるでおくびにも見せずに、人間の悪意を知らなそうなバカ顔。子供っぽく朗らかで人懐っこい笑顔をヒリカに対して向けてきているのだ。


「この通り、今日から私は復活ですよぉ!

なので色々やらなくちゃだから、誰よりも早く学校に着こうと思っての早起き! こんな時間に登校してきましたが、その甲斐がありましたね!」


 それで説明口調で勝手に喋ってくる。


「色々やらなくちゃの一つが、あなたです!」


 勢いのまま、ヒリカは指を向けられた。


「私の友達を自称する奴が、いつの間にか『犯人捜し』とかをして。私に嫌がらせしてた犯人が 陽利華ひりかさんって当てを付けて、悪い噂を流したりして、追い込んでおいた……ての昨日吐かせました」


「……事実だし」


「私は制裁みたいな事は望んでません。そんな事しちゃいけないでしょうって、自称友達に怒っておきましたから。嘘ですけど『私達は喧嘩してただけ』って、イジメは全部誤解だった事にしませんか?」


「なんで?」


 それをして何の得がある?

ヒリカにとって好都合の申し出だが、流石に信用ができないだろう。どこかに裏でもあるはず。


「あのぉ、その。簡潔めいりょーにですがっ!

二回ほど陽利華ヒリカさんに謝りたいんです!」


「――謝る?」


 謝られるのは、お前だ。逆だろうに。

ヒリカは訝しげな顔で睨んでやる。


「だって……私はこれまで友達とか周りの人に対して遠慮して、距離を保ってました。皆から『元気愛されポンコツキャラ』って、そう扱われて、そう振る舞ってても。心の内では嘘ついてて」


「……なにを言っッ――」


「弱い自分を見せたくない。泣いちゃだめ。誰かを傷つけたくも、自分が傷つきたくもない。全部から逃げたい。こんな弱い自分が嫌い。捨てたい。そういう良くない態度だったからむしろ、陽利華ヒリカさんにどこかで嫌な思いをさせたのかもって」


「……は? 違ッ!」


「もし陽利華ヒリカさんがただの……困ったイジメっ子さんだったんでも。正面から向き合って『なんでこんな事するの?』とか『やめて!』ってちゃんと伝えるべきでした。“お互い”にこんなになるまでに。それができなかったから、私も悪いんですよ」


「…………~ッ」


 少しでも疑ってしまったのが恥ずかしい。ヒリカの想像以上にイツキは子供っぽく、善人で、純粋で、お人好しで、良い意味でバカアホの塊だったらしい……。


 ――ヒリカはここで逃げようとした。だってそうだろう。そこから続く『謝罪』の言葉を受け取ってしまえば、自分自身が許せない。今回は救われるとしても罪悪感は消えはしない、一度付いたレッテルから今よりもっと苦しむ事すらあり得る。何にも増して、イジメてた相手から謝られて和解してもらうなんてのは虫が良すぎて耐えられない。嫌でも今までの自分全て省みることになるから……。

 逃げなければ。逃げないと。臆病で神経質で常に周りの声を拾う自分の両耳を塞いで、視線が怖くて自分から視線を逸らす目を潤ませて、バカでアホで失敗作の自分の身を嘲りながら、何処にもない本当に安らげる居場所を目指して、ただ与えられる愛が欲しかっただけとなげきながら……。


 自問自答。自己深層。意の中の蛙。

心に空いた穴からの自分ヒリカの声。


(逃げて帰るの? 悪夢の中にさ――)


(――それが、ウチがウチとしての終わり。

ウチがウチとのお別れになるわけよ。ウケる)


(――そんなん。ウチって、意味あるの?

ウチって何のために存在してたんだろうね?)


(――そんなウチじゃ、失敗作のまま。ウチの居場所になってくれるって約束してくれた人に顔向けができないじゃん。ずっと良い子でいたら将来、彼女にしてくれるって約束をしてくれたのに。知らず知らずのうちにその人が亡くなる原因になった悪ガキと同類になってるけども。いまさらにだけど、悔しいじゃん。バカでアホなりに何できたのて)


(薄暗くて狭くて、居心地の良い、閉じた場所。

空っぽの居場所。夜の闇に誘われて、逃げ込んだ一人切りの楽園で、人として手遅れになるまで水に浸かって後悔する末路よりかは、マシだろ。ならウチなりの正しい行動で示したいじゃん――)


 ……ヒリカは混濁とした意識が過ぎ、走り出そうとした自分の足を殴って止めていた。

 鬱血するまで拳を握って、唇を噛み、顔を皺だらけに歪めて、全身を震わせて耐えていた。きっとこれから苦労する。死にたくなる。でも全てが身から出た錆だから、それを飲んで呑んで人として生きなければならない。居場所なんて無くても。


 対してのイツキは、頃合いに口を開き。


「――だから陽利華ヒリカさん。ごめんなさい。

これから私、溢姫イツキはもっと周りの人との繋がりを大切にしますから。いい加減に付き合って、これまでごめんなさい。今後は頑張ります。これからもよろしくお願いします。どうかお手柔らかに?」


「ふざけんな……」


「えぇ? ふざけてませんよ?」


「……ウチを、もっとみじめにすんなよ!

祈追オマエは何も悪くない! 全部ウチが悪い!」


 ヒリカは睨みを強めた。八つ当たりだ。

イジメてた相手から、先に謝罪されて。気遣われてしまった。こんな惨めな事があるかと。惨め過ぎて目から正体不明の液体が流れてくる。それは粘液なんかではなく人間としての涙。心からの。

 イツキは瞳を揺らして、ヒリカの言葉に否定も肯定もせず。ただ真っ直ぐ前を向いて告げる。


「二回目のごめんなさいです。ごめんなさい。

今から私は、陽利華ヒリカさんを倒しますので。これからの“お互い”のために。だから文句があるなら、全部をちゃんとぶつけて下さい! 私も思いっきりぶつけますから。わだかまりの残らないように!」


「意味わからんないってのッ!」


「今のこの私は、はげしい悲しさとかの辛い感情で水に沈んじゃって、一度は自分の弱さを捨てて逃げちゃいましたけど……。けど出会えた優しい人達にいっぱい助けてもらって、自分の弱さも含めて好きになろうって決められた。前を向いて生きようって望んで、すごく頑張って夜をこえて目覚めた伝説のすーぱーつよつよ溢姫ですよぉ!!」


「バカらしいんだよ! ふざけんなッ!!

居場所も、周りからの親愛も、可愛いらしさも! 何でも持ってる祈追オマエが嫌いだった! だからウチの自分勝手でイジメてたんだよ!!」


「あ。ただのイジメっ子のパターン……?」


「悪いか? 悪いよな! ごめんな!

悪いって言えよ! ウチのことをよッ!」


「なんかごめんなさい!

あと、謝罪。受け入れました!」


「もう謝るなよ! ホントにイラつく!!

ちゃんと謝らせろ! そんなんじゃなく!

そういうところがうざい、ムカつくッ!!」


 だらだらと涙を流し、まくし立てるヒリカ。

 イツキは貰い泣きしながら、笑った。


陽利華ヒリカさんも、私の物語せかいに必要ですっ!

人と人は出会った意味があって、一人だと歩き疲れちゃう険しい道でも、誰かと助け合って励まし合えれば、もっと先に進む事ができるはず。私と陽利華ヒリカさんは正反対でも似たり寄ったりで。本当は仲良くできそう。だから一度倒して仲間にします! ではどうか今はご覚悟ぉお!!」


 ――掛け声と共に、イツキは助走をつけてヒリカに飛び掛かって。ヒリカは仕方なく胸の中へイツキの身体を受け止める。けれど支えきれずに転倒。そのまま河川敷の緩い勾配を転がって行き、二人で仲良く河の流れに落下した。その後はずぶ濡れで頬を引っ張り合っての口喧嘩。感情に任せて罵り合った。さんざんイジメた相手に慰められて、ヒリカの口からは勝手に「あーバカらしい」と泣き声が零れていた。




 ◆◆◆




「なーに見てんだよ?」


 ふと掃除の際。ヒリカは視線を感じ、教室の奥の棚に置かれた硝子の水槽を見る。水槽の中には数匹の蛙が居た。今度の解剖の授業で使うからと理科教師の担任が捕まえてきた蛙だ。その内の一匹が、しきりに四肢を動かして水槽の外のヒリカへぎょろぎょろと目玉を向けていた。それが気になって仕方ない。


「――陽利華ヒリカさぁん! わわわ!!

チョークの粉が詰まったゴミ箱を倒して。掃除終わった場所が、掃除する前よりも大変な事になっちゃいましたぁ! 部屋が真っ白ですよぉ!!」


「はぁ? それ、しんど……」


 イジメの件は、まぁ一段落したか。

被害者のイツキが庇ったこと、加害者のヒリカがイジメの事実を素直に認めて謝罪したこと、自殺未遂なんて噂だったこと、びしょ濡れで二人とも顔を腫らして喧嘩したというバカらしさから。

 二人して一定期間の校内の奉仕活動と、何冊もの道徳と倫理の本を読んで感想文、また今回の反省文を数枚書いて提出するという罰を受けた。


「現場は隣の教室です! あの爆発規模を一人で処理じゃあたぶん夕方になります。嫌だぁ! た、助けてくれますか……? 陽利華ヒリカさん?」


「今行くわ。期間中は毎日、決められた場所を二人で掃除しないと帰れない感じだったじゃん」


「ありがとうございますっ!

さすが頭ポンコツ同盟の陽利華ヒリカさんっ!

イジメっ子から、面倒見の良い悪友キャラにジョブチェンジ完了ですね。おめでとうございます!」


「おい待て? 今なんだって?!

こんのぉ可愛い顔したウザキャラがァ!」


 ――ヒリカは廊下へと走り出す。

今度は逃げるのではなく。あるいは、こんな居場所もあったんだと感じながら。居場所も愛も、誰かに与えて貰うものだけではなくて。きっと自分の周りに無いのなら、自分から踏み出して見付けなければならないんだろうと。だから今は、彼女を追って走り出す。

 もう後悔しないように。もう夜の闇に迷い込まないように。いつか兄に褒められる人間を目指して。


 二人が去った教室。硝子の水槽に囚われ、晒されている蛙は一匹だけ人間が泣くよう鳴いていた――。

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