二人目……(一)【罪と自覚の水際】


 人気ひとけの無い、町外れに位置する雑木林の中。

それもすでに日が変わる時間帯。周囲の様子を気にしている風にコソコソと人影が現れる。人影は何かに覆い被さる灰色のシートをめくり、懐中電灯の光を当ててその中を確認した。

 唾をのみ込み、荒い息遣いをするその人物。シートが取り払われ、工具箱が乱暴に放られ、置き型のライトが灯される。それによって照らされた容貌はガタイが良い中年ほどの男であり。彼はなにやら手に工具を持って作業を始めた様子であった。


「…………」


 虚ろな目で、黙々と作業を進める男。


 ナンバーの記されたプレートを外し、ひん曲がったバンパーを外し、ボンネットの凹みを何度も叩いて元の凹みがわからない程に歪めてしまう。

 彼が何をしているかは、見る人間が見れば直ぐにわかることだろう。……証拠の隠滅だ。


 ……隠滅か。察するに『何かしらの事故』でも起こした男が、夜更けになってから事故の証拠となる車両を処理しに来たといった辺りか。

 寂れた田舎町のさらに町外れの雑木林。きっと男の罪は白日はくじつの下にはさらされない。そのまま誰に見付かることもなく誰に咎められもせず。罪は闇の中で巧妙に隠されて、あがなわれない。だが「ねぇ――」それは道理が通らないであろう。男によって全てが隠されてしまうその前に、何者かが一言、


「――それ、やましいことしてない?」


「――!!」


 それは男の行為、全てのまとた声であり。

男の身から出た錆が、男に追い着いた瞬間で。


 唐突に後方から声がして男は動きを止めた。

 工具を落とし、声の方へ懐中電灯を向ける。

 すると茂みを分け、近寄って来る女性の姿。


「くんくん。怪しい匂いがするのよね」


 匂いを嗅ぐような真似をして澄まし顔。

 訝しんでいるのを所作と言葉で示す彼女。


「ァ……が……!」


「あたし、昔から鼻が利くのよ」


「ぐゥ…………」


「なんか言いなさいよ。ここで何してるの?」


 驚愕からだろう。言葉にならない声を漏らし。

それ以降は無言で対面する男は、目を泳がす。


「……まっ何してようが、どーでもいいけど。

雑木林ここは、あたしの知り合いの【夜久妥やくた】さんちの私有地しゆうちなの。正当な理由や許可のない立ち入りは控えろって。あの看板は見なかったのかしら?」


 男に臆することなく、なお接近する彼女。

彼女の容姿は、ハーフアップに結った薄い茶髪。切れ長で凛とした鋭い眼。鋭い眼つきや澄ました表情からして気が強く冷淡な性格であると印象を与えるものの、平均よりも整った顔で。加えて、モデル体型の引き締まった身体をした女性であった。

 接近し、照らされて明確になった彼女の姿。

その容姿が美しく、また好みでもあったか。あるいは単細胞な性格というだけなのか。男は、彼女のボディラインが浮き出るライダースーツ姿に舐め回すような視線を送り、鼻の下を伸ばす。夢見心地とでも表現できる緩んだ顔でニヤつく男は、だけれど彼女自身の言葉によって現実に引き戻される。


「その車、数日前から違法駐車してたでしょ?

それについても、あーめんどくさいけど……。注意させてもらわなきゃいけないかしら? あたしも場合によっちゃ通報しなきゃなんないから」


 男のニヤつきは、瞬時に強張こわばった。


「――おまッ『通報』だとォ?」


 裏返った声で全身を震わす過剰な反応。

男は威圧の為か、車両のボンネットを叩く。


「くそッ、んだよオラァ! マジにクソだな。これはオレとは関係ねェ知らねェ車だァッ!!」


 あからさまに『通報』の言葉で動揺し、

こめかみに青筋を浮かばせて叫び出す男。


「はぁ……? へぇーなにそれ笑える。

つまりは、あんた他人の車を壊してたわけ?

ヤバい奴確定ね。とりあえず通報しとくわ」


 懐から携帯電話を取り出す女性。

ゆっくりと最初の『1』のボタンが押される。


「盗まれたオレの車だッてんだよクソ女!

自分の車をどうしたってテメェの勝手だろォ!

ここで自分の車を見付けたがよ。壊れてっからバラしてんだよォ! 見てわかんねェのかァ!」


「え、どっちよ? 支離滅裂しりめつれつじゃない!

盗難車だったなら警察が検証するから、本当に持ち主があんたでも触れずに通報しなきゃダメよ」


 もう一度『1』のボタンが押されて、

男は顔を真っ赤にし、彼女に工具を投げつける。


「うっせェんだよォ! 関わんじャねェよ!

ヒドイ目にあいたくねェなら失せろクソッ!」


「恐喝まで始めたわね。あー怖い怖い。

後ろめたい事があるからそんな態度なの?」


「女がァ!! ……されてェかァオイッ!!

意味わかんねェことをほざいてんなァッ!」


「あたしは正論しか言ってないでしょうに。

注意しに来ただけだし。どーせ虚勢だろうけどその反応は異常でしかないわよ。事件性あり?」


 女性は更に距離を詰め、男を刺激する。

男は薄い頭髪を掻きむしり怒鳴りを上げた。


 これは一触即発な雰囲気。


 問答を止めて、女性と男は睨み合う。

それから何十秒と睨み合い続けるも、彼女が一向に引かない為に、男は躊躇ちゅうちょなく拳を振るった。

 けれど男の拳が当たる直前で、女性の方が身を翻して偶然にという形で避け。拳を避けられた男の呆けた顔を横目に、彼女は根負けしたように手のひらを振って見せ、後退あとずさりをしながら言う。


「わかったわ。酷い目には遭いたくないし。

変な恨みも買いたくない。だからもういいわ。

あたしは何も見なかった。それと、この後に通報とかはしないから。それでいいかしら?」


「消えろよ。本当に通報すんじゃねェぞォ!

もしもやってみろ! 後でオレのダチがただじゃおかねェぞ! わかったかよォクソ女ァ!」


「はいはい。大人しく退散するわ」


 背を向け、去る途中で彼女は立ち止まり。

肩を落として「やれやれ」と……ぼやきの声。

 男に対し「ニュースは見てる?」と投げ掛け。

携帯の画面を確認し、棒読み説明口調で言う。


「――四日前、始めは午後5時20分。黒百愛くろひゃくあい梅木越うめきごえ三丁目の交差点で信号無視をした乗用車が、青信号で直進してきたトラックと接触。その勢いで横断歩道を渡っていた親子三人がはねられて重軽傷。乗用車はそのまま事故現場から逃走した」


 携帯内に保存されたニュースの文面だ。

文字と共に交差点の画像も表示されている。


「あァ? しっ……知らねェなァ……。

よくある事件がよォどうしたってんだァ」


 そうは言うも、男の声は震えていた。

視線がさ迷い、落ち着きがなく。挙動不審。


「――同日の午後5時25分。前述の事故現場近くの片側一車線の小道で、減速せずに走ってきた乗用車に小学生の兄弟二人がはねられる事故発生。一人は地面に転んで軽い怪我、もう一人は数メートル引きずられ重傷。乗用車は停止もせず走り去る」


「し、しぃ知らねェ……」


「――同日の午後5時30分頃。やはり前述の現場ほど近くの用水路脇の道路で、帰宅途中の女子高生が、蛇行しながら走ってきた乗用車にはねられて用水路に転落する事故発生。被害者の彼女は翌日の朝になり、冷たくなって発見された。水路を隔てた民家の防犯カメラに事故の様子がしっかりと記録されており。警察は時間帯や目撃証言などから同一の車両と断定。三つの事故を起こした悪質な犯人を複数の罪状、主に【自動車運転過失致死傷罪】を視野に入れ慎重に捜査をしている。らしいわね……」


「はァ? 冷たくなって発見だァ?

オイ……それ死んだのかよ。クソッ」


「かわいそうに。許せないわよね?」


「だからァなんなんだよォ! クソがッ!

オレには関係ねェ! 関係ねェだろォ!!」


 男はより声を震わせ、不規則な呼吸をする。

女性は振り返って、冷たい表情で指をさす。


「――逃げたの。その車じゃないかしら?」


「――ぐゥッ……!!」


 決定的な一言であった。


 男は硬直し沈黙。彼女に反応を示せない。

しかし、むしろわかりやすい。わかりやす過ぎて愚昧滑稽な姿だ。その毛穴という毛穴から油汗を吹き出し、薄い頭髪を掻きむしり、眼の焦点は定まらずに、口をだらしなく半開きで、全身を小刻みに震わせて、顔面蒼白となった男の惨めな沈黙硬直こそが何よりの真実を物語っていた。


「悪いことは言わないわ、自首しなさい。

罪を罪と自覚して、自分と向き合って。事故の犠牲になった祈追ちゃん達にこの先ずっと償うのよ。本当は許せないけど、誰にだって許される機会は与えられるべきだし。罪から逃れようとしたって、いつか罪は自分に追い付いて来て、逃げてた分だけ苦しむことになるんだから。……そんだけよ」


 女性は瞳を揺らして諭すように言葉を残す。

言い終わると目を伏せて、手のひらで覆い。歯を食い縛り、感情を抑えるように一つ呟くのだ。


「こんなクズのせいで……あの子は」


「――クズ……だとォ?」


 男の反応を待たず、背中を向け去って行く。

 男は「……ッ!」何を思ったのか、そんな彼女を背後から無理矢理に羽交い締めにする。髪を引っ張り頭を殴り、首を絞め、体重をかけて、ろくな抵抗をさせないまま力任せに地面に押し倒した。

 倒した後は、身体の上から覆い被さり。男はガタイの良さを利用して彼女の身を拘束する。


「……痛ったぁ……!」


「ふざけんじゃねェよ! ふざけんなクソォ!

自首だァ? 舐めたこと言ってんじゃねェぞ!

不注意で勝手に怪我した。勝手にしんだ。知らねェ奴らのせいで、オレがブタ箱に入れられるなんてよォ意味わかんねェだろがクソ。そんなことあるかよ。最悪だ最悪だ最悪だァ! 知らねェ奴のせいで、オレの人生はもう終わりじゃねぇか! なんだよォ酒飲んで運転くらいみんなやってんだろが。酔ってよく覚えてねぇし、オレもそいつらも運が悪かっただけだろオイ! 罪だとか何とか、何様だよクソッ。そんなの知ったこっちゃねェんだよ。オレがどうしてこんな目にあってんだよォクソが! クソックソォふざけんなァァアッ!!」


 タガが外れてしまったか、激昂する男。

唾を撒き散らし、目を血走らせて喚き叫ぶ。

それで済まさずに何度か彼女を殴りつける。


「クズって言ったなァ、調子乗んなやァ!!

オマエみてぇな、何の苦労もなさそうなクソ女がオレをクズ扱いして良いわけねェんだァ!!」


「い、痛っ! あんたは、ィタッ!!

クズ以下ね……。人としてダメそう……」


「んなァ黙れよォ!!」


 背中に馬乗りをされている体勢の女性は、冷やかに軽蔑の眼差しを地面へ向けていた。男は彼女の態度に舌打ちをし、また何度か殴りつける。


「……良心とか、ないの? 痛……ぁ。

ちょくせつ、殴ってくるなんて……」


「念のためだァ、携帯と身分証よこせやァ!

まだ優しくしてやってるうちィ出せやクソ女。

免許か。あァ覚えたぞ【神波鳴かみなみな 美歌みか】だな」


「ねぇ? 完全に犯罪者よ……きゃあッ!」


 奪った携帯電話と身分証を放り、舌打ちし。ミカの髪を掴み、地面に彼女の頭を叩きつける男。これには流石の彼女も悲鳴を上げた。


「ここまでやっちまったんだァ!

アハハッ、オイ! もう後に引けねェな! 全部オマエのせいだぞオイ! 身体だけはオレ好みのクソ女さんよォ、さんざんに好き勝手言ってくれたんだァ覚悟はできてるかァ? オレに詫びろや。詫びろォ! 詫びろクソ女がァ! その後に、ここのことを喋ったりもできねェように、その身体に怖い思いさせてやれば従順にでもなるかァ?」


 男は背中側から手を回し、ミカの乳房を揉む。

 首元のファスナーを下ろして、下着を拝む。

 股座にも手を伸ばし、酷く汚く笑った。

 彼女は嫌悪感をあらわにして抵抗するが。連続で殴られた鈍い痛みに加えてか、体格さに体勢の問題で僅かな抵抗にしかならない……。


「引き、返せなく、なるわよ……?

まだ、今なら……。取り返しがつくわ。自分で自分を改め、られれば、償えるのに……」


「あァ? 詫びろツっただろがァッ!!」


 殴る、殴る。抵抗できなくなるまで。


「ん……悪いことって、全部ね……。

自分に帰ってくるのよ。本人が忘れた頃にでも自覚しないままでも……ね。あんたが、人の世界でまっとうに裁かれることを祈って……伝えておいてあげる。忘れないよう憶えておきなさい……?」


「口の減らねェクソ女だなァ! 詫びの一つも言えねェのかよ! もういい。……ろしてやるよ。そいで……かして、埋めてやらァ。オレは遠くに逃げるからよォ。さよならだァ、クソ女ァ」


 男の我慢の限界が来たのだろう。

ミカの首に、男の太い指が掛けられてしまう。


「……遅かったわね」


 男の行動を無視し、ミカが呟く。


「遅かっただァ?」


 ――その時だ。茂みから身を乗り出し、


「――お前、おい! 何やってる!

警察だ。すぐにその女性から離れなさい!」


 警察官が男を確認して声を発した。


「――ァあッ?! はァ!?

なんで、だァ!? どういうことだァ!?」


 予想だにしない状況に狼狽する男。

ミカの上から降りて、先程に増して顔面蒼白。


「……はぁ、はい残念でしたー。

あたし最初に通報してたのよねぇ……」


 彼女は淡々とした口調で暴露する。

つまりは『時間稼ぎ』していたという事。


「クソォッ!! ァあッあァ、クソッ!!

ふざけろォ! おぼえてろクソ女がァ!!」


「…………う゛ぁっ!

かは……ごほっ、ごほッ!」


 ミカの腹部に蹴りを入れる男。


 男は捨て台詞を叫び、みじめな怒声。

 警察官が茂みを越えて来てしまう前に、雑木林の深闇へと懐中電灯も拾えずに走り出す。男には罪の自覚なんてこれっぽっちも無いからだろう。死んだ女子高生なんて知らない。自分はけして悪くない。運が悪かった。周囲の人間がいけない。社会が悪い。なんで自分が。ふざけるな。そんな言葉の数々を吐き捨てて逃げる。我侭身侭に破滅へと――。


 ――男が闇に消え失せてから、少し。

警察官二人が、茂みを迂回し到着した。


「――男は逃げたな。俺が奴を追う!

堀守、彼女の保護と応援要請を頼む!」


「――了解です!」


 男の姿は無いが、東方の林が揺れていて。

林の先に黒い鳥居と小さな社が見えている。状況からしてまともに逃げられるのはその方向のみ。しかし足場が悪く暗い獣道であり、簡単に進めはしないだろうに。地面に放置された男の懐中電灯があり、短時間でそう遠くへは行けない筈で。


「――至急、至急! 黒百愛03から本部へ!

不審な車の通報を受けた現場に到着したところ、女性が男に馬乗りされ襲われているを発見。声をかけると男はそのまま東方向へと逃走。場所は薬荻やくおぎの南交差点脇近くの林中。応援願います!」


 男性警官はそのまま男を追って行き。残った女性警官は応援を呼んでから、ミカを介抱する。


「――って! うおっと! え?

神波鳴先輩ぃ!? 何やってんですか?!」


「おひさー。ただの散歩よ……。

それよか、数日前の事故を起こした車。あの車だろうから、そっち調べといて……あ、意識が」


「ちょ先輩ぃ?! 先輩ー!

ほんと何やってんの。救急車、救急車ぁ!」


 逃げた男はその夜に見付かる事はなく。

行方は深い闇の中。いやそればかりか――。


 ――男は、それっきり。

ある意味では二度と捕まる事はなかった……。

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