一人目……(ニ)【どうぞお越しを】



 ◆◆◆




 ――はんなりとした黒い着物の少女が唄う。


「【――神宮女かぐめ籠女かごめかごなか鳥居とりいや。

何時、何時、出遣でやる。宵明よあけけの番人ばんにん……、

『罪』と神はげた。うしろう挿命そうめい、誰だ?】」


 何処いずこかの古い童歌わらべうた民謡みんよう替吟かえうただろうか。

彼女は唄いながら、手を動かしていた。


 二本の弦の間に弓を、琴筒と弦の間に駒を挟む。

弦を張り、具合を確かめ。琴軸を回して調弦。

 それは二胡にこ。大陸の伝統的な擦弦さつげん楽器だ――。


今宵こよいも、お借り致しますわね……いとしい人」


 座敷席に腰を下ろし。楽器の調整をしていた黒い着物の少女は、自分の頭上の耳でもって繊細な音色の調律までを済ませ。最後に楽器の琴筒に使用されている錦蛇にしきへびの革を優しく撫でて、小さく微笑む。


「あぁ斯様かような姿になってしまわれて……うふふ」


 白皙はくせきな面を紅潮こうちょう。瞳には渦巻く闇。

無垢な乙女であるとも、その皮を被った何かとも。

言い知れぬ雰囲気を思わせる少女であった。


 そして二胡を膝に乗せ、弓に手を掛け。

彼女が音色をかなでようとしたところで、


「――あら、これからいこいの時間でしたのに」


 唇を尖らせて、若干の不満顔。


 しゃん、しゃん、と鈴の音が――。

もう鳴る筈の無い、壊れた夫婦めおと鈴の音が響く。

 二胡の琴頭の飾りになっている、朱い紐でわれた中身の虚ろな二つ鈴が鳴ったのだ。


「そっ。誰彼だれかれ誰某だれそれのお越し、ですのね……」


 それで何か察したのか、入口を見遣みやった。


「否、まだ宵の店として開けてもいないのに。

繋がってしまったというの? 偶然、必然?」


 それは訪れの音色。相縁の糸がまみえ、

宵闇に奏でられた無二むに一会いちえの響き。


「どれ。聴かせて――」


 端麗な顔で狐目を瞑り、耳を澄ませる。


「――知らない音色。優しく暖かい。

心地良い春先、清んだ小河のせせらぎ。懸命に芽吹くみこと、それと共に在れる清糸きよいと。美しい。されど危うい。丁寧に彩られ整えられた小河、自然な命の輝きなぞ無い違和いわ。まるで、何様かを満足させる為の供え物。意図してこしらえられた偽物……可哀想」


 二胡かたみを、そっと卓に寝かせた。


「宵の暖簾のれんげるには、まだ尚早しょうそうね……」


 壁に掛けられた和時計を気にするが、


「しかし、店先までお越しになっているなら。

お待ちいただくのも、追い返すのも、少しばかり気が咎めるというものですわね。もしや急を要しておられるのやも知れませんし。なによりも……えぇ。御客様になり得るのに、勿体ない」


 桜唇おうしんをにぃと歪ませ、頬に手を当てて一考。


「……ではと。今宵は特別、わらわが直接。

えぇ。御客をお出迎えると致しましょうか」


 些か早めの開店。そう決めたらしい。


 座敷席を立ち、入口の脇に控える少女。


「――変態カワリモノさん変態カワルモノさん。どうぞお越し下さいな。

もしお越しになるのなら、現世げんせ隠世かくりよふちを踏み、浮世うきよ常世とこしよきざはしき、うちそとの『鳥居のれん』をえ。どうぞお越し下さいな。行きは宵々、帰れはしない。怨嗟無窮えんさむきゅう変遷遁世まほらば。さぁ手の鳴る方へ」


 裏拍手。手の甲を打ち合わせ、拍手をする。


「うふふふ、案ずる必要はありませぬ。

御用が無いとて構いはしませぬ。この世のならずお呪いに。その身に過ぎたお悩みに。その身を納めに参りませ。その身を寿ことほぎ、つづりましょ。その身のほころび、ちぎりましょ。その身はきざんで、飾りましょ。全ては後の祭り。覆水はけっして盆に返らず。帰り道はありゃしない……。それでも『良い』とうそぶくならば。今宵一人目の御客様、さぁ御来店下さいな」


 裏拍手を止め、狐の窓を反対に組む。


 これにて、迎え入れる準備は整った。


 着物の少女は、出入り口の木扉に手を掛けて。

ほんの玉響たまゆらの間だけ、まるで深い狂気に陥った人間が須臾しゅゆの正気を取り戻したかのようハッとした悲しげな表情を浮かべると。端麗な顔を青ざめさせて、半歩後退。顔を片手で覆い、身体を震わせて小さく「……ごめんなさい」と。あての無い謝罪。


「だから、ね。躊躇ためらわないで――」


 そう重ねて言い、顔に狂気を含ませ扉を引いた。


 外界と店内を隔てる木扉が引かれてしまった。


 それとタイミングを同じくして来訪する者あり。足をもつれさせ、転がり込んで来るように童女、否。少女か。蒼色の少女が店の玄関、の上に腹這いで滑走しつつ勢いのままぶつかって来たのだった。


 衝撃で近くの棚に逆さで飾られていた達磨ダルマさん達の塔が倒壊してしまい。達磨さんのうち一個……もとい1人は、地面に落ちて粉々に砕けてしまう。

 そして原因である少女は、意識を失ったようだ。


「……あら、豪快な入店ですこと」


 達磨さんの破片を撫でて、困ったように言葉をかける彼女。店員として彼女は近くの階段箪笥から大きめのタオルを取り出して、それを御客様である蒼色の少女にまずは被せる。

 そのままでは風邪を引いてしまうと、びしょ濡れの身体を拭いてでもやろうとして……。ぼそり一言「これは」と声を洩らし、手を止めてしまった。


 扉が開きっぱなしの為に、店内にまで侵入しつつある霧を払い。彼女はもっとよく御客様の姿を見ようと近付いて行って、


「……これはまた、難儀なんぎ、ですわね」


 ぽかんと、呆けと困惑顔。


 訪れた少女は人の形こそ留めてはいるが、腕や足、勢いで布がめくれてはだけてしまったお腹にまで、その身体には爬虫類のごとき鱗が覆っており。

 でも決して醜いわけではなく、むしろ神秘的で幼気だが奇麗な容貌であって。薄蒼い頭髪に鱗といった特徴は創作世界の架空人物キャラクターのようで。

 元々異形いぎょうたぐいでは? そう見紛みまがう整った姿。

 伏せた体勢のままでも見れる頬まで鱗が生えた面差おもざししは、幼く愛らしい。ただ、異形の身体であるのは確かなので。人の世を出歩くには無謀むぼうが過ぎる。本当に御客様にんげんなのか、偶発的に迷い込んだ同類ハラカラか、いささかなり疑念を抱いてしまうのも仕方なし。


 だけれども、


「そ。うふふ、なるほどね」


 困惑顔もつかの間、納得したように笑う。


 ――そこまででもう。笑みを浮かべた彼女にはおおむねの事情を理解できてしまった……。

 何故なら、外に居る。ぬめりとした気配。

 許せない。なんて酷い、惨いことを、と笑う。

 何様だ。いたいけな少女をこんなすがたもてあそんで、この店に飛び込ませたのは、はてさて何様だ?


 気絶している様子の少女を庇うように立つ。

 少女の感情などきっと介在もせずに、彼女と何様かとの間に結ばれている縁。縁の糸が揺れた。


「えぇ。この御客様をお出迎えしたのが、

なにを隠そう、この喫茶【変遷遁世まほらば】の副店長代理代行。わらわ、ヌイナでさいわいでしたわね……」


 彼女、名を【ヌイナ】は暗闇を睨む。

 とっくにケガれてはいるが、りょうへだてるという用途でいうなら一級の鳥居のれんがぎりぎりと軋みを上げる。


「……対面しただけで、呪詛の雨霰あめあられとは」


 あまり関わってはいけない強大な気配。

 開いた木扉の向こう、店の外の闇。

 店の領を示す鳥居のれんの先、


 雨音の中、這うような音。おびただしい足音。

 流れの滞った水の臭い。魚の腐った臭い。

 姿形は無い。質量を伴う実体も無い。

 けども。霧と雨を纏わし、居る。

 古くからの力を持った者だ。


「本当に、妾でさいわいでしたわ、ね……」


 徒人ただひとならば手に余る存在。

 それでもヌイナは臆せずに口開く。

 

「……何様かとは存じませぬ。

しかし御店の領を踏み込んだ瞬間から、彼女はここの御客様。御客様である間は、身柄もこちらが保障いたします。故に何様であっても手を出す事は許しませんので悪しからず。お引き取りを」


 雨音がより一層に強まる。右左上下。東西北。正確な方角が捉えられないほど素早く這いずる音。雨音と共に大勢の裸足の人間が、ぱたぱたと煽るよう足音を鳴らしている。加えて「ァ、ガ、ァ、ァ、ガッ」と喉に餅でも詰まらせたような低い唸り声。

 ヌイナは鋭い牙をみせて欠伸をした。店の領域には踏み込めないらしく、呪詛もヌイナなら全身に激痛を感じ続ける程度で済ませられる。ならば即ち、正体がどんな神仏や怪物だろうと所詮できることといえば『嫌がらせ』のレベルを出ることはない。


「お引き取りを」


 ヌイナはにこりと微笑んで言う。

それで数秒は静かになり。ようやっと諦めたかと思いきや、再度始まる嫌がらせ。ここら廃墟ばかりとはいえ、店も現世からズレているとはいえ、そろそろ近所迷惑の心配をした方がいいかも知れない。


オニやさしさも三度まで。お引き取りを」


 最低限の礼節を弁え。もう暫くは猶予を与え、

それでも帰ってくれないと判断……。

 ……よもや、と。流石にこうじてしまう。

 相手方が本当に何時迄いつまでも居座るつもりなら、周囲に呪詛の影響が及び兼ねない。本能的に人は店から避けてしまい、営業妨害もいいところ。


 よって、わざとらしく溜め息……。


 帯を緩め、着物を脱ぎ捨て、

生まれたままの姿を晒してしまうヌイナ。


「そっ。あくまでも押し通るつもり。このまま穏便に去っていただけぬという事ならば――」


 言ノ葉の尾を伸ばし。彼女は華奢な手を自身の頬に当て、頬から首、首から乳房ちぶさ、乳房からお腹、お腹から臀部でんぶなまめかしく運んで行って……最後に臀部から伸びた黒い獣の尾っぽに手を添えた。

 獣の尾から、首がねじれてしまったかのように本来とは逆さを向いた幾色幾羽の折り鶴が飛び立って空中を舞う。彼女は冷たく笑い。獣のよう四つん這いになって、鶴達がその姿を覆い隠し、


 痺れを切らした彼女ヌイナは、人の形を放棄する。


「――失ロウめい、誰ェレダァ……?」


 唸り声にも似た、おぞましい……たずね声。


 宵闇とこやみ禍町クロユリまどろむ、百ばかしのうた

 いにしえの時代より在る、淀んだ水気の何様か。


 ――双方の厄災が交差した。


 

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