第4話 アンリという男

 チコが地下聖堂――どの施設も結局は地下にあるのだが、中でも下層にある薄暗いところだ――に辿り着くと、そこは普段とは異なる喧騒な雰囲気に包まれていた。


 聖堂の真正面に置かれた処刑台を前に、扇型に机と椅子が並んでおり、王都、オーレン、狩猟団、それぞれの兵士や住人が入り乱れて座っている。処刑台を挟んで反対側には、大親方たち要人の席があった。そこでは、聖職者やオーレンの役人、おそらく位の高い王都の兵士、そして大親方とパウロが集まり、しきりに何やら言葉を交わしていた。

 彼ら要人たちが座る席のいちばん端の席には誰も座っていなかった。そこは、大親方の息子である、チコの席だった。

 だが、チコはその席に見向きもしなかった。部屋の端にまだ空いている一般客用の席を見つけると、目立たないように腰をかける。同じ端っこの席なら、大親方やパウロから離れることができる、こっちの席のほうが好きだった。


「またこんなところに座っているのか」

 聞き慣れた声に振り向くと、小さい頃から世話になっている顔見知りの兵士の一人、トニオが立っていた。

「目立つのは嫌いだ」

「でもおかげで俺の座れる席が一つ減った」

 トニオは冗談めかしく笑った。

「代わりにあの席に座ってもいいぞ。親方を継げない哀れな跡取りを見る視線の気持ち悪さを是非体感してくれ」

 チコも冗談をかえした。どうせ笑えないだろうと思って言ったが、トニオの顔が瞬く間に曇り、あまりにバツが悪そうにするのを見て、チコは思わずニヤリとしてしまった。

「冗談だよ」

「あぁ、いや、分かっているんだが……。すまなかったね」

「謝るなって。そんなことを気にする人間だったら、この会場にすら来てないさ」

 とはいえ、チコがこのような集会に参加することは少なかった。大親方に顔を合わせたくないのは勿論だが、仕事に没頭したくて欠席することがとくに多かった。

「臨時の集会に来るなんて珍しいな。仕事はどうした?」

「大親方の命令だからやむ無く」

「何言ってる。ロドリコ様の命令なんかいつも大して聞いてないじゃないか。……にしても大変だ。ロドリコ様がオーレンここを離れる前日にこんな事になるなんてな」

 明日、大親方は王家からの召集令に従い、王都へと向かうことになっている。どうやら、昨今のドラゴン襲撃事件に関して重要な会議を行うためらしかった。今ここオーレンに王都の兵士がいるのは、大親方を安全に護送するために遣わされたからだった。そして今夜は、大親方の旅の安全を祈願する宴が執り行われるのだ。

「宴が中止になりそうで心配なのか?」

「それはない。用意された飯はその日のうちに食わなきゃだろう? 宴は絶対に今夜行われるさ」

 トニオは嬉しそうに舌なめずりした。

「だが予定していなかった狩猟団の面子がオーレンに来てる。こりゃ分け前が減るな」

 聖堂内には、三十人ほど狩猟団員の姿があった。田舎の村の自警団のようなものだからか、オーレンの兵士たちよりも年齢層が高かった。彼らが大型のドラゴンを仕留めたと聞いているが、どうも実感が湧いてこない。

「俺は狩猟団をお出迎えしろと言われたんだが、どうも本題はそっちじゃないみたいだな」

 チコは狩猟団の面々を見渡した後、中央に据えられた処刑台へと目を移した。

「ああ、もう噂になってたぜ。ドラゴンの背に突如謎の人物が現れたってな」


 集会に動きがあったのは、そのすぐ後の事だった。

 大親方や王都の兵士たちが聖堂の奥の部屋に消えたかと思うと、すぐにとある人物を引き連れて戻ってきた。

 力なく歩くその人物には、手足に枷が嵌められている。その姿が表に見えたとき、聖堂内は一瞬にして静まり返った。

 兵士が歩く音と、その人物が足枷をガシャガシャと引き摺る音のみが鳴り響く。ほどなくして処刑台に辿り着くと、その人物は兵士によって処刑台に括り付けられた。


 それは、恐らくドラゴンと共に突如として現れた人物だろう。

 ボロボロの見た目ゆえに確実な判断は出来ないが、チコとあまり変わらないか、それより下の年齢に思えた。身体はひどく痩せ細っており、赤黒く固化した血液にまみれている。ボサボサに伸びた真っ黒い髪の奥に見える顔は、ひどく怯えているようにみえた。


「なぁ、あれって、龍の遣い魔じゃないか? ドラゴンと共に現れては厄災をもたらすっていうあの龍の遣い魔!」

 観衆の一人がぽろりと口に出した言葉は、静まり返った聖堂によく広がって聞こえた。

「馬鹿言え、そんな御伽噺おとぎばなしを信じるなんてどうかしてるぞ。お前いい歳して何を言ってんだ」

 隣の男が、そう言い返すのが聞こえる。彼らの声を皮切りに、聖堂内は再び人々の声で溢れかえった。

「でもなあ、ドラゴンと一緒に突然現れたって聞いてるぞ。 不思議なことがもう起きてるんだ、ありえなく無いだろ」

「その場にたまたまいただけかもしれないだろう?」

「あんな大雨の中でか? あんな危険なところ、ワイバーンの餌になるために行くようなもんだ。一人で歩くような場所じゃねぇ」

「俺も、あいつが遣い魔だってことに賛成だ。だって見ろよ、どうみたって俺らと体格が違う。細長い腕に脚、顔つき、背丈、見た目が俺らとは違いすぎる」

 龍の遣い魔。どうやらその意見に賛同するものが現れたようだ。処刑台に繋がれた人物を龍の遣い魔だとする声は、徐々に広がっていく。


 龍の遣い魔とは、この地方に伝わる御伽噺に出てくる存在だ。

 御伽噺は大概決まって、龍の遣い魔を目撃したとき、人々はドラゴンに襲われてしまうという、そんな内容だった。


「お前はどう思う?」

 トニオは、いつになく真剣な顔をしていた。

「龍の遣い魔ねぇ……」

 普段のチコであれば即答だった。龍の遣い魔なんて居ない。それはただの御伽噺上の存在で、決して信じてなどいなかった。


 しかし……。

「どうも、変な気分だ。あれはどう見ても、この辺りに住んでいる人間の見た目をしていない」

「このあたりどころか、この国のどこでも見たことないぞ」

 明確な根拠など何処にもない。それでも、繋がれたその人物をよくよく見ると、彼は龍の遣い魔に違いないと、そんな気がしてしまうのだった。

 見た目が特別おかしいという話では無い。ただ、確実にどこか、この土地の人類と風貌が違うのだ。

 たった、たったそれだけなのだが――。


「皆の衆、決断の時間だ。よく聞いてくれ」


 パウロが突然大声で観衆に語りかけた。薄暗く湿気で蒸した地下聖堂に、若い声が響き渡る。観衆は声量を落とすと、処刑台の近くに立つパウロの方を注視した。


「先程、司祭の方々と協議した結果、この人物が例の龍の遣い魔ではないかとする結論に至った」


 パウロは年齢とは不釣り合いな、堂々とした立ち振る舞いで言い放った。

 その言葉に、観衆はまた騒めきを大きくしてゆく。

 すかさず、パウロの隣にいた側近の兵士は静まれと大声を張った。


 龍の遣い魔と呼ばれた人物は、突然の大声にビクリと反応すると、顔を上げ目を見開いた。

 遣い魔の動きにつられ、観衆のざわめきは最高潮に達する。パウロの側近は幾度となく静まれと呼びかけるが、まだ若いリーダーとその側近に、観衆は見向きもしていない様子だった。


 観衆が静まらない中、チコはパウロの後方に座る大親方を見やった。

 大親方は、鉄でできた武骨で豪勢な椅子に深く腰を掛け、騒ぐ観衆や指揮を取ろうと奮闘するパウロ達を落ち着いた様子で見守っていた。長い金色の髪を後ろで束ね、綺麗に整えた髭を蓄えている。長年鍛冶に勤しんできたせいか、細身のチコとは対照的にがっちりとした体格をしており、大親方の名に相応しい風貌をしていた。その無骨で厳格な表情に嫌気がさし、チコは再び視線をパウロに移した。


 観衆の騒めきに収拾がつかなくなり、パウロの顔に焦りが見て取れるようになった。毅然と立っているように振舞うが、その表情は硬く、時折側近の兵士と顔を見合わせては困った表情を浮かばせている。


 すると突然、大親方がゆっくりと椅子から立ち上がった。大親方の纏う村一番の衣装は、オイルランプの明かりをキラキラと反射し、観衆はその動きに視線を奪われた。


 大親方はゆったりとした威厳のある動きで、龍の遣い魔とされた謎の人物の元へと進み出る。


「――君、名前は?」


 突然、大親方は処刑台に繋がれた謎の人物へ語りかけた。はっきりとした口調で、観衆に見せつけているようだった。


 その様子を見た観衆は、一瞬にして静まり返る。


 チコも、息を呑んでその様子を見守った。


「ア、アンリ……。たぶん、苗字はない……」


 か細い、怯えた声だった。

 大親方は一度頷くと、再びゆっくりと口を開く。


「そうか、アンリ。アンリよ、君は自身が何者か答えられるかね?」


 観衆に聞かせるように、大きな声を響かせるように大親方は問いかけた。


「分かりません……。自分が何者か、なぜここにいるか、分からないのです……」


 大親方はアンリが喋り終わると、観衆の方を振り向いた。


「皆の者、聞いてくれ。我々は、先程この男と暫く会話をしたのだが、これ以上のことを得ることができなかったのだ。名前はアンリ、記憶を持ち合わせていない、たったこれだけだ……。彼が何者なのか、何をしに来たのか、何かを隠しているのか、それとも本当に知らないのか。我々にその真偽を知る術はない――」


 一つ一つゆっくりと喋るその姿は、とても威厳のあるものだった。


「本来ならば、牢に繋いでおけば良いのだが、少し問題があってだな……」


 大親方は話を続けながらアンリの方へ目を移す。


「彼の容姿と、その出現方法だ。司祭が言うに、彼は龍の遣い魔だと。そう違いないと。――そして私もそうだと考えている。彼の容姿だけが理由ではない。皆も噂話で聞いているであろう、彼がドラゴンの背から現れたということを。

 ここにいるグストラフ狩猟団の方々がドラゴンを倒したのは今朝のことだ。彼らは暗闇の中果敢に立ち向かい、大型といわれるほどのドラゴンをついに仕留めた。これは誠に信じ難い、かつてないほどの功績だ。だが、今はその功績を讃えるときではない。脅威まだ、去っていないのだ」

 大親方は、アンリを睨んだ。アンリはただ訳が分からないと言った目で見つめ返すだけだった。

「こやつは、討伐をしたドラゴンの背に乗っていたところを発見された。討伐後に、初めて目撃されたのだ。こやつは、ずっとドラゴンの背に隠れて乗っていたに違いない。

 なぜ、普段見もしないドラゴンが、突然オーレンへ向かっているのか不思議でならなかった……。アンリ、お前が連れてきたのだろう?」

 その場の全員の視線がアンリへと集中した。アンリは首を縦にも横にも振らず、怯えた目で大親方を見つめ返しただけだった。

「こやつが龍の遣い魔であることは間違いない。さすれば次の脅威が待っている。御伽噺は言っている、龍の遣い魔はドラゴンを呼び寄せる! この地に再び、ドラゴンの脅威が訪れるのだ! そう、こやつが龍の遣い魔ならば――」


 大親方は、観衆の目をなぞるように見ると、落ち着いた声で言った。


「――早急に、ここで殺さなければならない」


 その言葉は、重く、地下の空間に響き渡った。


「今ここにお越しいただいたのは、我らがオーレンを代表する民たち、王都を守る騎士達、そして、誠に勇敢な働きでドラゴンを仕留めた、グストラフ狩猟団の英雄達である。

 皆で決めよう、この男の命の処遇を。今ここで殺すか、生かしておくか」


 その言葉にアンリという男はただぐったりとしているだけだった。


 突然の選択を迫られ、観衆達は再び騒めき始める。誰かの命を奪う選択を民衆に委ねるなど、これまでにあった試しがなかった。それゆえに、皆口々に意見をぶつけ合っていた。


「おいおい、ここで殺すって……」

 慌てた声をあげるトニオを尻目に、チコはおもむろに立ち上がる。

「おい、どこにいく?!」

 チコにトニオの声は聞こえていなかった。ざわめく聴衆の隙間をすり抜け、チコは処刑台の近くへと歩み寄った。何人かの聴衆と、パウロと大親方たちがチコを見つめるのが分かった。

 チコは、ただ自分の目でしっかりと確かめたかっただけだった。アンリの傍にたち、その顔をじっと見つめた。


「お願い。……殺さないで」

 か細い声で、アンリが訴えかけてきた。


 ――殺さないで、か……。


 もっと、気の利いた事は言えないのだろうか。龍を呼び寄せるほどの存在が、ただの懇願を死に際にするなんて。

 チコは侮蔑をこめた目でアンリを見返した。

 ――俺だったら、嘘をついてでも生きようとする。知恵を絞って説得する。それをしないなら、死んでも仕方ない。


 チコの気持ちは、うっすら決まっていた。そのまま、チコはへと向かった。


「なぜ今ここに来る」

 大親方が低い声で唸った。

「民衆の選択の場に俺がいたらダメだろう。俺は一般の民じゃ無いんだから」

 チコはそれきり吐き捨てると、自席に腰をかけた。民衆はまだ口々に口論をしている。時おり、民衆が手を挙げ、パウロや司祭に質問を投げかけていた。


「――えぇ、そろそろ意見を聞きたいと思う。みな、手を挙げてくれ。」


 先程とは打って変わって、少し頼りない口調のパウロが、皆の前にたった。

 大親方のような威厳のある人物とは程遠い、まだ青いパウロの姿を見て、チコは不意にニヤついてしまった。


 パウロの先導により、多数決は行われた。

 具体的に数えはせず、上がった手の多い方を選ぶだけだった。

 多数決の結果は、半々だった。


「親方、割れました」


 パウロが大親方の方を振り向く。

 大親方は黙って頷くと、司祭や他の議員と少し言葉を交わした。

 そして、再び観衆の前に立ち上がる。


「皆、協力ありがとう。最終判断は、例によって我々が行うこととする」


 そう言うと、大親方は一歩前に踊り出た。


「我々は、君たちを守る責務がある。それは如何なる時も、如何なる場合においてもだ。もし、彼の命と引き換えに万一の危機を逃れられるなら、我々はそれを選択しよう」


 それはすなわち、アンリという男の処刑が決まった瞬間だった。


 観衆がどよめく中、死刑の準備が執り行われようとした。アンリの処刑台に、巨大なギロチンが運び込まれる。それは、オーレンの技術の粋を集めて作られた、最大、最高級の金属製品だ。

 巨大な処刑具の登場に、場は騒然とした。民衆はもちろんのこと、重役として多数決に加わること無かった王都の兵士も、慌てて大親方を説得していた。



「ま、待ってください……!」


 突然の大声に、チコは驚いた。

 観衆の騒めきを切り裂いたのは、若い女性の声。声を上げたのは、狩猟団の若い女性だった。長い茶髪を後ろで一つに結んでおり、動物の皮で作られた薄手の防具を身につけている。


 その声に、地下聖堂の空間は途端に静まり返った。

 その少女は、人混みをかき分けて大親方の前に歩み出る。


「グストラフ狩猟団のヘルガと申します。お願いです、親方様、どうか話を聞いてください」


 大親方の近くにいたオーレンの兵士は、制するようにヘルガに槍を突きつけた。

 しかしヘルガはそれに一瞥もくれず、膝を床について大親方を見上げた。


 すぐさま、側近が大親方に耳打ちをしたのが見えた。すると、大親方は兵士を下がらせ、ヘルガに優しく話しかけたのだった。


「君の師、クラムの働きは人類の希望そのものだ。我々の命をも救ってくれた。それに免じて、よかろう、話してくれ」


ヘルガと名乗った少女はその言葉に頷くと、緊張で震えた声でゆっくりと話し始めた。


「私の師クラムは、自分の命と引き換えにドラゴンを仕留めました。我々グストラフ狩猟団の仲間も数多く犠牲になりました。人の死を、この目でたくさん見てきました。みんな頑張って頑張って抗って、血を流して⋯⋯、そうしてやっと、我々はドラゴンを倒すことが出来ました――」


 涙をのみながらヘルガは喋った。観衆は、その小さな背中を不安そうに見守る。


「私がクラムの元に駆けつけたときに彼はいませんでした。彼がどうなったのか、私には分かりません。でも、きっともう彼は戻ってきません。命を落とした沢山の仲間たちも、もう会うことは出来ません。しかし、これは全てはドラゴンのせいです。……彼、アンリのせいなのか、私には分かりません。皆も、貴方も、オーレンの役人さんも、司祭さんも、王都の兵士さんも、誰も、彼が何なのか分かっていないのです。彼は、私にとっての希望です。私の師の最期を見たかもしれません、なぜドラゴンの背に乗っていたか、答えるときが来るかもしれません。彼がただの人である可能性も残されています。どうか、これ以上人を殺さないでください。人が人を殺めるなどあってはなりません。我々の死闘を、こんな形で終わらせないでください」


 ヘルガは、涙ながらにそう訴えた。


 小さな小さな体で必死に訴えるその姿は、場の空気を一転させた。


 ついさっきまで、命を懸けた戦いが行われていたことを、沢山の命が失われたことを、皆がひしひしと感じ取っていた。

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