第2話  おむつ着用の児童

 楓は今年の四月に都立南星中学校に非常勤講師として赴任してきた。特別支援の免許は持っていなかったが、任されたのが、中学三年の学年に開設されていた、ことり学級という、肢体不自由クラスの特別支援学級の担任だった。楓はこの担任になるにあたり、肢体不自由部門の臨時免許証を教育委員会からもらった。

この学級に在籍しているのは、佐野達樹という重度の脳性麻痺の男子生徒だった。彼は常時、寝台式の車いすに横たわっていた。もちろん話すことも食べることもできないし、トイレも一人でできないから常時おむつを着用していた。だから食事介助とトイレ介助は、必然的に担任の仕事となっていた。そして彼は、何か不都合があると、壊れた玩具のような金切り声をあげて、身をよじって訴えた。

このような症状の生徒を特別支援学級で受け入れることは、近くに特別支援学校がない場合を除いて、通常はあり得ない。達樹君が南星中学校の特別支援学級に在籍することになったのは、ご両親の強い要望があったからだと、楓は勤務初日に管理職から聞いた。

「義務教育だけは、他の子供たちと同じ教育を受けさせたいというのが、両親の要望でねぇ。」

 そして達樹君のご両親は、授業もすべて通常学級の生徒と同じものを受けさせたいと要望してきたと言う。彼は一年次から、車いすに寝かされたまま、交流クラスの教室で、クラスの生徒たちと共に、数学やら英語を受けてきた。そして途中で癇癪を起こしたり、おむつから異臭を放つたびに、特別支援学級の担任が廊下に彼を出し、なだめたり、おむつ替えに向かった。静かに寝出したところで、教室に入れて、授業を受けさせるという、学校生活を送らせてきた。

一年から楓まで担任は五回変わったという。なかなか目を離せないから、膀胱炎になってしまった、と訴えて彼のもとを去った先生もいたそうだが、大半は学校における、職員の協力体制が全くない中で、彼と向き合うことに嫌気が差したという理由だったようだ。

楓も今日まで何度も辞めたいと、管理職に直談判を繰り返してきた。しかし、

「三年生だし、これ以上担任が変わると、また教育委員会から学校に文句が来るんだよ。彼の両親はね、何か不都合があると、すぐに学校を飛び越えて、教育委員会にクレームをつけたがってねぇ。教育を受ける権利を振りかざしてねぇ。特別支援学校レベルの子供をさ、普通学校に通わせている時点で、ちょっとイっちゃっている親なんだけどさ。きっと、あの親も障害を持っているよ。教育委員会も学校も佐藤家には手を焼いているんだ。どうか、彼が卒業するまで面倒見てくれんか。三月中旬にある卒業式が終わった後は、君を出席扱いにして、離任式までずっと休んでもらってもかまわないからさ。頼むよぉ。」

校長はこれ以上教育委員会と学校職員の板挟みになることを極端に避けていた。もう疲れ切っていたのだろう。

楓は七月に行われた修学旅行も、一人で達樹君の面倒を見た。親も達樹君から離れて、自由になる時間が欲しかったのだろう。修学旅行にはもちろん引率してこなかった。三年の学年職員は、後で親がクレームをつけてこないようにと、主要な観光地での記念撮影だけ、彼に参加させた。その他の時間は、楓がホテルで彼の面倒をずっと見ていた。ホテルでの食事介助も一人でこなした。四月当初、一度助けを求めたとき、年齢の近い女性教諭から

「特別支援学級の担任って、うちらより特別手当が一万円ほど多く出ているんだもんね。うらやましいわぁ。」

と言い放たれたことがあった。それ以来、楓は、誰にも助けを借りないと心に誓った。

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