第34話
「お前、なんでこんなところにいるんだ」
久悠は呆れたようにして、タールスタングにそう言った。
「ハロウ、久悠。……聞きたいか? こうなるに至った、事の顛末をよ」
腕組みをして、しみじみとした口調でそう言うタールスタング。
あれから、久悠はタールスタングに連絡を取っていた。しかし連絡をしても一向に応答がない。調べると、彼はなぜか久悠が拘留されていたのと同じ警察署にいて、彼もまた久悠と同じく拘留されていることがわかった。アクリル板で遮られた面会室で向かい合い、久悠はタールスタングの元を訪れていた。
「ACMSに嵌められたんだ。ラツェッドの野郎だ。クソが」
久悠がこの酷く醜い男に会いに来たのには理由があった。もちろん本当なら顔も見たくないし声も聞きたくなかった。それなのにタールスタングに頼らなければならないなんて、久悠にとってはただただ屈辱だ。どうしてこの男が警察に捕まっているかなど心底どうでもいいことだった。
「興味ないね。おれはお前の話を聞きに来たわけじゃない」
「自分で聞いたじゃねぇか」
「力を貸してほしい」
久悠は震える言葉で短く言った。本来であれば口にするのも憚られる禁句に近い言葉だった。深呼吸をして、乱れた精神を安定させる。おそらくもう二度と言えないセリフだろう。しかし久悠の覚悟をよそに、馬鹿な大男はあっけらかんとした調子だった。
「ああ? なんだって?」
「なんだ?」
「今、なんて言った」
「聞いてなかったのか? どうしようもない間抜けだな」
「いや、だが、なにかをお願いしている風だったな」
「おれが? お前に? お願いだと?」
「もう一度言えたら聞き取れるかもな」
「一度で聞き取れなかったのか? どんな耳をしていたらそんな風になるんだ」
「いいじゃねぇか」とタールスタングはニヤついている。「もう一度言ってみろよ。ほら。久悠ちゃん。おれを気持ちよくさせてくれ」
ぞわぞわと背筋に稲妻のような悪寒が走った。久悠は身震いし、今にも叫び声を上げて暴れたくなったが、リュウのことを思い、辛うじてその衝動を抑え込んだ。そんなことをしても今はなんの得にもならない。おれはほとんどのものを失った。謎の殺し屋に命すら奪われかけた。相変わらずウェルメとは連絡がつかない。もはやわけがわからない状況だ。しばらくの間、喫茶竜とライバル関係にあったペット竜の散歩代行業者でアルバイトもした。大した賃金など得られず、ただただ無気力なまま竜に引かれて昼の街を徘徊する。喫茶竜のシェアハウスは引き払い、ここ数日は夜になっても行く当てなく街を彷徨っている。おれはこれからどうすれば良いのかと、深夜の月に何度も問いかけてみたりもした。しかし答えなど返ってくるはずもなく、日に日に月は久悠から姿を隠すようになっていた。
漠然と過ごす、ボーっとした日々が続いていた。けれど、それでも久悠の頭の中には夢の中で聞いた言葉が何度も繰り返されていた。
〝駆け引きをしろ。命の駆け引きを――〟
そして久悠は決断した。ポケットに僅かな小銭とウェルメからの便箋を突っ込み、自分がどうすべきかを考えた。考えに考え抜いた末、タールスタングを頼るというありえない結論を久悠は導き出していたのだ。
警察署の面会室にて、目の前にあるテーブルを久悠はドンと叩いた。覚悟は決めていたはずだ。タールスタングと関われば間違いなく不快な気分になることはわかっていた。そのうえでの決断を、奴の無作法な振る舞い一つで台無しにさせてはだめだ。立ち合いの警官が久悠の様子を気に掛けるが、久悠は大丈夫とジェスチャーで伝えてから、声を絞り出すようにして言った。
「お前がACMSのアドバイザーとしてラツェッドと繋がっているから、こうして頭下げに来てるんだ。おれは奴に竜を取られた。おれはそれを取り返したい。リュウとアオを返してほしい。そのためにラツェッドと取り引きがしたいんだ。材料はある。きっと気に入ってもらえるはずだ。だが、おれ一人では奴に会うことができない。ラツェッドに会えるよう工面してくれ」
「ほぅ……」
タールスタングは腕組みをしたままパイプ椅子の上で身体を仰け反らせ、久悠の言葉の感触に浸る。
「聞こえなかったか? 何度でも言ってやる」
「いや、今のは聞こえた。リュウとアオってのは、あれだろ。あの時のセレストウィングドラゴンの幼体だろ。青い奴と黒い奴だ」
そうだと首肯する久悠。
「なるほどな。お前が人に銃を向けたのもあの竜たちが原因だった――そうだったな?」
再び首肯。
「お前、そんなにあの二匹の竜が大切か。いつも殺してばかりいるお前が」
「あぁ」
「そうか」
タールスタングも頷き、なにかを考えている風にしてパイプ椅子に深く腰掛ける。沈黙の時間がしばらく続き、警官が面会時間の終了が近づいていることを告げる。
「返事を聞かせて欲しい」
重苦しい口調で久悠が言う。
同じく重苦しい表情をしていたタールスタングは、久悠のその言葉を聞いて「うん?」と間抜けな顔をした。
「返事? 返事ってなんだ」
久悠の怒りは一瞬で頂点に達した。「この野郎、ふざけるのもいい加減にしろよ」と勢いに任せて立ち上がり、面会室を分断しているアクリル板越しに詰め寄った。
「お前は今までなにを聞いて――」
「ラツェッドに嵌められたって言っただろうが」久悠の言葉を遮ったタールスタングは、相変わらず余裕の表情だ。「話を聞いてないのはお前の方だ間抜け。おれがどうしてこんなところにいるのかお前は知るべきだ。おれはあいつにあんなに協力してやったのに、自分が不利になると途端に尻尾切りだ。いい性格してやがるぜ」
「……お前のことなんてどうでもいい」
「じゃあいいさ。だが返事だけでもほしいってんなら、仕方がねぇ。わざわざ言葉に出して言ってやる。〝それはできない。残念だったな〟だ。そういうわけだ。またあのお嬢ちゃんに頼んだらどうだ。マイナって言ったか。まぁ、もうラツェッドの部署にはいないと思うがな。なんにせよおれにできることなんてない。お前はもう帰れ」
タールスタングが立ち上がり、立ち合いの警官に合図する。アクリル板の向こうで扉が開き、タールスタングが去っていく。
「待て……!」
思わず久悠は引き留めた。このまま面会を終わりにさせたらだめだ。マイナには謝っても済まされないほどの迷惑をかけてしまっているから、これ以上なにかを頼むのはもう無理だ。おれが頼れるのはもうタールスタングしかいない。受け入れたくないが目を逸らしてはいけない事実だ。ここでこのまま奴と別れてはだめだと本能が警笛を鳴らしていた。
「わかった。今度、お前の話を聞かせろ。どうせ身元引受人もいないんだろ? おれがなってやる。そのうえでおれはお前に依頼したい」
足を止めたタールスタングが、扉の前で振り返る。
「身元引受人? それが報酬か?」
「いや、違う。……おれのフィンベアをやる。欲しがっていただろ」
久悠の言葉に、タールスタングから余裕の表情が消えた。
「ラツェッドの居場所はわかってるな」
久悠が聞く。間違いない、この男ならやっている。
タールスタングは荒い鼻息を立てて久悠のそれに返答し、面会室から立ち去った。扉が閉められる最後の瞬間には、彼の表情はすでに元通りになっていた。
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