第9話
ドラゴンシェルターは、飼い主が飼えなくなった竜を殺処分から守り新たな飼い主が見つかるまでそこで保護する慈善施設だ。しかし保護される竜の数は年々増加し、どこもパンク状態だということは久悠も話に聞いていた。レクトアが運営するシェルターも同様に、現在は新規受け入れができないほどの竜を保護しているという。竜の保護を求める飼い主からの申し出は後を絶たず断りたくはないが、無計画に竜を受け入れすぎるとそれはそれで飼育環境の悪化に繋がってしまう。シェルターが竜のネグレクト環境を作ってしまっては本末転倒だ。不本意ながら、最近は竜を受け入れたくても拒否するケースばかりだという。
「そんなときにあの子――セレストウィングドラゴンの保護を求める依頼があったんだ」
崩れたブドウ棚に実ったブドウを一房採ったレクトア。竜ではなく彼女が食べていたのか。久悠とレクトアは彼女が乗ってきたバイクまで戻り、彼女は荷物の中から水筒を取り出して、久悠にお茶を振る舞った。シンプルなダージリンだが、森の中では身体に沁みる。 遠くの廃屋の中でセレストウィングドラゴンが美味しそうにペットフードを食べている。
「だがあの竜は――」と、久悠はレクトアに指摘した。「元々はあんたが飼い主だな?」
「わぁ。正解。やっぱりわかるんだ」
「懐きすぎているからな」
「そ。あの子は私が中学生だった頃に私の手の中で孵化した子。それから一〇年くらいはずっと一緒に過ごしてた。けどやっぱり大きく成長しすぎちゃって、どうしようか悩んだ挙句、次の飼い主を探して譲り渡しちゃった。セレストウィングドラゴンはその頃から徐々に価格が上がりはじめていて、私が託した飼い主はそのお金目当てにあの子をお金持ちに売り払って、そのお金持ちはあの子のことを燃費の悪い資産としか考えていなかったから、ろくに飼育もせず価格が高騰したところでまた別の人に売り渡した。そうやって飼い主の元を転々としたあの子は、とあるお年寄りに飼われることになったんだけど、そのお年寄りが亡くなってしまって。その人は遺言にこの竜を売り渡さないよう明記してそのための資産も残していたんだけどね。相続権のある子どもたちはだいぶやり合ったみたい。結果、資産は分割して、この竜はシェルターに入れようということになったんだって。それで家族の代表が私に相談を持ち掛けた」
「どうして断ったんだ?」久悠は素朴な疑問を口にした。「セレストウィングドラゴンを無性で受け入れれば、高額であっても引き取りたいと希望する飼い主を見つけ出すことができるだろう」
「だってそれじゃ、また同じループに戻るだけじゃん。あの子はもう十人以上の家を渡り歩いてきてる。名前もたくさん持っている。そんな世界に、私はあの子をもう戻したくなかった」
「だから捨てさせたのか。飼い主の子に」
廃屋の中にいるセレストウィングドラゴンは、レクトアが差し入れたひと箱三千円のペットフードをペロリと平らげ身体を休めている。こちらの話を聞いている様子は見せないが、確実に意識はしている。それでもツンとした素振りで我関せずといった風に目を閉じて寝ているフリをしていた。
「捨てさせたんじゃない。私が預かった」
「ACMSはそうは考えていない」
「わかってる。竜の飼育権が移譲した手続きを私はしていない――超高額な税金を支払う能力がないからね、私には。めっちゃ皮肉な話」
彼女は自虐気味に笑った。皮肉というのは、竜の飼い主には行政から特別な飼育権が与えられ、それに伴う固定資産税のような納税義務が発生するが、その税金は近年問題となっている人工竜の違法遺棄問題解決のために活用されており、シェルター運営助成金もそこから出されているからだ。
「でもここで引き取らなかったら、この竜はまた元の生活に戻ってしまう。この世界にはあまりに竜の居場所がない。だから私にはこれしか思いつかなかった」
「失敗だったな」と久悠は言った。「たとえいろいろな飼い主の元を転々としていても、竜にとってそれが不幸だったとは限らない。少なくともこんな山奥で孤独に耐えながら賞金稼ぎに撃ち殺される終わり方は避けられたかもしれなかった」
「うん。できれば避けたいと思ってる」
「もしそれをおれに言っているなら難しい相談だ。おれは竜を撃つ。ACMSはこの竜の生け捕りを狙っているそうだが、どうやら奴らは間に合わなさそうだ」
「お願い。見逃して。言うことならなんでも聞く。私にできることならなんでもするから」
「残念だが断る」
「どうしてそんなに竜を殺すことに固執するの?」
「どうしてそんなに竜のために自分を犠牲にするんだ? 一食三千円強の食事を三食準備するのも容易じゃないだろう。いつまでも続けられる生活じゃないはずだ。このままだとこの竜もいずれここで餓死する。遅いか早いかの違いだ」
「遅いか早いかの違いなら、少しでも遅い方がいい」
「その間、苦しむことになる。竜もあんたも」
「それでもいいと思ってる」
「どうして」
「生きてるから」
強い彼女の言葉が、一瞬だけ温かなそよ風となって久悠の信念を撫でたようだった。
「ご指摘の通り、どうやら私は失敗した。もし今みたいな主張をするのであれば、私の思いなんかよりもあの子を育てられる飼い主を探して任せるべきだった――たとえまた、色んな家を転々としてたくさんの名前を与えられたとしてもね。それを可哀相と思ってしまった私の失敗のせいで、あの子は今、命の危機に晒されている。私のせいであの子が死んでしまう。だから、助けてほしい。見逃してほしい。そしたら私はあの子をACMSに引き渡す」
それはできない。なぜならおれは――
久悠はそう言うつもりだったが、思うように口が動かなかった。そして代わりに出てきた言葉には、久悠自身も驚いた。
「よければ、あんたがこの竜をなんて呼んでいたか教えてくれないか」
久悠はライフル銃から弾を抜いた。凛としつつも緊張していたレクトアの表情が、少しだけ安心したような表情になった。
勝手だと思った。レクトアも、自分もだ。いずれにせよ勝手なのだ。
竜の一生は――命は、結局はそれぞれの人間の勝手な思いによって左右される。それは得てして人間の気まぐれに他ならない。人によって思いは違う。竜を思う気持ちは一緒でも、人によってそれぞれ異なる正義を持っている。間違いもある。竜はそれに翻弄される。どの選択、どの道がベストかという答えはない。レクトアは匿う道を選んだが、久悠の竜を殺すという道の目の前にして考えを改め、人間の見栄や欲望に翻弄されようとも逞しく生きてほしいという道を選ぼうとしている。
そしてそこに、竜自身が自分の生のあり方を選択するという道はない。竜が勝手できる余白は、元々この世界には存在していないのだ。彼らは人間に飼われるために生み出された。飼えなくなったら処分される。それだけだった。
「ありがとう、久悠。あの子の名前は――」
レクトアが言いかけた時だった。久悠は森の静寂に気付いた。鳥が鳴いていない。虫もだ。森が森にいないなにかを感知した時の反応。異様な空気。
ドンと、大きな発砲音が森中に響き渡った。
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