第2話

 人工生物管理局A C M S(Artificial Creature Management Station)の飼育管理一課に所属するラツェッドは、出社と同時に紋白もんしろ端末タトゥを起動させた。それは手の甲に刻まれた白い紋様で、その光が目の中で乱反射することで疑似的に網膜ディスプレイを描き出す。

 網膜内に表示された竜討伐管理簿を見て、彼は思わず感心した。飼育者の虐待から逃れ森へ逃げ込んだ生後一歳五ヶ月のイエロースパイニードラゴンを討伐したという報告が、ついに届いていたのだ。行方不明になってからすでに一ヶ月以上経過していた高配当の竜だ。ここからさらに一ヶ月ほどもすればその竜は栄養失調で勝手に死んだだろうが、それまでの間は飢餓状態の竜が人間を襲う可能性が格段に上がる。被害が出る前に処理することができたのは素晴らしいことだ。生後一歳を超えると竜の種類によっては体長も大きくなり、野生の期間が長引くごとに攻撃性も増していく。なによりイエロースパイニードラゴンはそのいずれも顕著であり、脚の爪も長い。簡単な狩猟ではなかったはずだ。

 狩猟者は一級ライセンスを持つ久悠という人物だった。三二歳という年齢は賞金稼ぎの中では若い方だが、登録されている銃は人間の寿命を遥かに超えた骨董品級の古臭いライフルだ。珍しいことに、それ以外にはスラッグ銃もハーフライフル銃も登録されていなかった。愛用の銃一本で自身の流儀を貫くアーティスティックな賞金稼ぎと読み取れる。

「ラツェッド補佐。おはようございます」

 デスクに座ると、すでに出社していた部下の一人が顔を覗かせた。

「補佐が心配していたイエロー、ついに処理されましたね」

 朝からハキハキと明るい口調でそう言う彼女。

「あの竜を狩れるのは凄腕だって、前に言ってましたよね」

「おはよう、マイナ」

 ラツェッドは彼女の明るさをかき消すかのような気だるさで答えた。

「あぁ。たしかに言ったな。実際にその賞金稼ぎは凄腕だろう。強いこだわりがありそうで関わりたくないがな」

「でも、この人ならもしかしたらって思いませんか?」

「もしかしたら?」

「先日、管理簿に追加された竜。セレストウィングドラゴン」

 セレストウィングドラゴン――

 その美しい響きを聞いて、ラツェッドは空想した。

 身体を覆う蒼い鱗。飾り羽ではない本物の翼を持ち、空を飛ぶ竜だ。体長はそのほとんどが人の背丈をゆうに超え、大きいものでは三メートルに達する個体もあるという。大の大人が背に乗っても余裕で空を泳ぐ憧れの翼竜だ。将来ACMSの重役を担う自分にこそふさわしい竜だとラツェッドは思っていた。

「この賞金稼ぎさんなら、もしかしたらこの竜を処理できるかもしれませんよ」

 マイナの言葉に、ラツェッドの空想の世界で大空を羽ばたいていた竜が地上からの狙撃によって無慈悲に撃ち落とされた。

「処理だと? ふざけるな。そんなことはさせない」

「させない?」

「セレストウィングドラゴンは希少種だ」

「はい……」

「だから、賞金稼どもに処理される前に我々が生け捕りにする」

「え。でも、希少種だろうと人間の管理から離れた竜は処理する決まりじゃないですか。特に私たち管理一課は討伐に関する一切の事項を担当しています。立場的にまずいのでは……」

「やりかた次第だ。抜け道はいくらでもある」

「そうなんですか。大丈夫なんですか?」

「問題ない。ACMS総力をあげて希少種を保護する」

 そう言ってラツェッドは意気込んだ。

 セレストウィングドラゴンは人類が創出した人工生物の中でも最初期に生み出された竜であり、人工生物の第一世代と呼ばれていた。当初はごくありふれた竜の一種だった。孵化直後はリスのような小さなサイズで可愛らしく、購入価格もそこそこの値段で大衆も手の届く範囲だったことから、一時はセレストウィングドラゴンを飼う一大ムーブメントが巻き起こった。猫のように自由奔放で甘えん坊。犬のように主従関係を理解しつつも時に友達のようにじゃれつき、日ごろの振る舞いはインコのようにあどけない。しかし、セレストウィングドラゴンは生後半年で猫ほどの大きさになり、一年経つと大型犬サイズに達し、やがて五メートルを超えるまでに成長する。その頃になると一日の餌代だけでも一万円はくだらない大食漢になるが、その食費に耐えられるのは一部の限られた富裕層だけだった。莫大な出費に耐えかねた一部の飼い主はセレストウィングドラゴンを野山に逃がしはじめ、それは連鎖して社会問題化し、討伐管理簿に記載された竜が討伐された際は謝礼が支払われるシステムが確立するとともに、セレストウィングドラゴンはしだいに市場から姿を消していった。

 竜の遺伝子には、その一部を暗号化する〈メチルロック〉という技術が使われている。通常、生物のDNAはオープンソース状態で、ほんのわずかな細胞片さえあればその生物のDNA上すべての塩基配列を把握し第三者が安易にそれを複製クローニングすることができる。DNAの中にはタンパク質やRNAを作成する情報コーディング領域――すなわち遺伝子が存在していて、それがその生物を設計する重要な項目となっている。

 一方、竜をはじめとした人工生物は、タンパク質の設計図として作用する遺伝子の一部をそれ以外のノンコーディング領域に配置させることで暗号化する〈メチルロック〉を施している。これにより〈メチルロック〉には、二つの複製クローニング防止機能が備わっていた。一つ目は、たとえ細胞片からDNAの全情報を取得できたとしても、遺伝子の情報が一部暗号化されているため、遺伝子が遺伝子として機能するには情報が不足しているということ。生物のノンコーディング領域はどんな種であれDNAのうち九十七~九十八%を占めていて、人工生物を設計した以外の者がそのランダムな文字列ノイズの中から有効化すべき情報を抜き出すことは不可能だった。二つ目の機能として、遺伝子が〈メチルロック〉された状態では遺伝子が適切なmRNA転写を行うことができないため、必要なアミノ酸が生成されず、結果としてその細胞は分裂を起こすことができないまま死んでいく。これは受精前の卵や卵子と同じ状況であるため、たとえば竜の場合、いつまで経っても卵から孵化することはないということだ。つまり、生物工学的な複製クローニング技術でも伝統的な繁殖方法でも〈メチルロック〉を解除しない限りは、竜をはじめとした人工生物は増やすことができないのだ。

 竜の〈メチルロック〉を解除するためには、著作者が持つ〈Dコード〉と呼ばれる特殊なアミノ酸で作られた溶液を細胞に添加する必要があった。〈Dコード〉は各著作者によって異なる複雑な配列のアミノ酸がパスワードとして用いられている。添加されると、遺伝子は特定のノンコーディング領域に散りばめられた断片的な情報を〈Dコード〉の指定通りに参照し、それを含めた情報をmRNAへと転写する。mRNAを構成する塩基は三つが一組となってコドンとなり、コドンの並びをアミノ酸と認識したリボソームがそれをタンパク質へと翻訳していく。そうして〈メチルロック〉は解除されるのだが、DNA情報に〈Dコード〉の内容は含まれないため、〈メチルロック〉を解除した後の細胞を解析し複製クローニングを試みたとしても〈メチルロック〉は維持されるので遺伝子は暗号化は保たれる。またRNAに転写された〈メチルロック〉解除後の塩基情報の解析も試みられていたが、結局はその参照元となるノンコーディング領域の情報を特定することができないため、それによる複製クローニングや移植、〈Dコード〉の解析もまた失敗に終わっていた。

 セレストウィングドラゴンはすでに著作者も〈Dコード〉も失われている絶版種だ。もはや絶滅を待つしかない人工生物になっている。しかし人工生物第一世代という伝統性と、そもそもその竜が持つ芸術性の高さ、また人を乗せて飛ぶことができる数少ない有翼種であり、絶大な人気を誇る竜だった。そのため希少種となった現在、その価値の上昇はとどまることを知らない。

「この世界で最も美しく、最も価値ある生き物だ」

 そんな竜を、僕はなんとしても手に入れたい――

 口にはしなかったが、ラツェッドは心の中でそう思っていた。

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