第3話 悪役令嬢に転生したことを実感しました
部屋を出たアリアは、食堂に向かって屋敷の中を歩いていく。
歩いていく中、改めて自分は悪役令嬢に転生してしまったのだなと、屋敷の様子を見渡しながら思う。
廊下には、湖や森などの落ち着きを感じさせる絵画や緻密な装飾が施された調度品が嫌味にならないようにそっと飾られていた。
更に足元には、足を踏み込む度にフワッと足全体を包み込んでくるような毛先が長く柔らかい赤い絨毯が敷かれていた。
また、窓から外を見渡すと枝の1本1本までもが丁寧に形を整えられた木や彩り豊かな草花が庭一杯に広がっており、感動で息をするのも忘れてしまうような圧巻の景色が視界に飛び込んでくる。
「わぁ」
あまりの素晴らしさに驚嘆の息が1つ漏れる。
アリアは、部屋の外に広がっていた前世の薄給サラリーマン人生では決して見ることのできない未知の世界に、夢中になり忙しなく視線を動かしていた。
そのようにしてしばらく歩いていくと、窓の拭き掃除をしている女性の使用人が見えてきた。向こうもこちらに気付いたらしく、作業を止め深々と頭を下げてきた。その横を通るとき、前世の時の気持ちで、掃除のおばちゃんに挨拶をするくらいの軽い気持ちで声をかけた。
「ご苦労様です。いつもありがとうございます」
その瞬間、その使用人が手に持っていた窓ふき用の布と絨毯用のブラシを落とした。そして、身体を震わせながらゆっくりと顔を上げてきた。その顔は、恐怖で真っ青に染まっていた。
「お嬢様、申し訳ございません。何か気に障る事でも致しましたか」
突然、謝罪を口にしたと思ったら、次の瞬間には床に額を押し付け更に謝罪の言葉を口にした。
「申し訳ございません。どうか、どうか、ご無礼をお許しください。ここを追い出されてしまっては仕事がなくなり、子ども共々生きていけなくなってしまいます。どうか、お嬢様、ご無礼をお許しください」
アリアは、突然の謝罪に驚き当惑しシオンに振り返った。
「シオン、わたくしは何をしてしまったのですか」
当惑を顔に浮かべたアリアにゆっくりと落ち着いて説明する。
「お嬢様、彼女はお嬢様からお暇を出されたと思っているのです」
「えっ!わたくしは、そのようなことをしようと思って声を掛けたわけではありません。彼女の仕事を労うために声を掛けたのです」
そうシオンに釈明する。
「もちろん、シオンも今のお嬢様がそのようなことをするとは思っていませんよ?」
最後が疑問形だった気がしたアリアは・・・。
「あのシオン、もしかしてわたくしが簡単に、気分で暇を出すような性格だと思っていませんか?」
「いえいえ、今のお嬢様を疑っているはずはありませんよ?それより早く彼女の誤解を解いてあげてください。ごめんね、お母さんもう――とか、何か危ない独り言をつぶやき始めてしまっています」
そう言われて彼女に振り返ってみると、虚ろな目を虚空に向けぶつぶつと子供たちへ謝っている姿が見えた。慌てて、彼女の誤解を解こうと声を掛けた。
「違います。お暇を出そうと声をかけたのではありません。ただ、普段からこのお屋敷を綺麗に保ってもらっている、そのお礼をしたくて声を掛けたのです」
それを聞き安心したのか、虚ろだった目に明るい光が戻り、虚空に呟いていた独り言が止まった。そして、アリアに向かって感謝の言葉を口にした。
「ありがとうございます。ありがとうございます、アリアお嬢様」
再び床に頭を付け、今度は感謝の言葉を繰り返す彼女にアリアが言葉を掛ける。
「もう大丈夫、分かりましたすから、頭を上げてください」
そう声を掛けると彼女は、床から顔を上げ立ち上がり恭しく頭を下げた。それを見てもう大丈夫だろうと、もう一度仕事に対する感謝の言葉を掛けて食堂に向かって歩き出した
「いつもお屋敷を綺麗に保ってもらいありがとうございます。あなたのおかげでこのようにわたくしは、心晴れやかに毎日を過ごすことができます。本当にありがとうございます。これからも、チェイサー家のためによろしくお願いします」
アリアがその場を立ち去った後、そこには狐につままれたような表情で立ち尽くす使用人だけが残り、アリアの後ろ姿を追うように廊下の先を見つめていた。
それからも、食堂までの道すがら出会う使用人達に労いの声を掛けていくアリア。そのたびに、彼女と同じような行動を示した。中には、動揺して突然どこかに向かって走り出してしまう者もいた。その時は、シオンが追いかけて連れ戻してくれた。
アリアは、その都度誤解を解き、最後に仕事に対する感謝を述べ、使用人たちを鼓舞していった。そして、食堂に着いた時には、ほとほと精神的に参ってしまっていた。
アリアは、この身体の元の持ち主に対する愚痴を心の中で零した。
(もう本当に何してるんですか、お嬢様。こんなんだから、最後に恨みを持った人に殺されちゃうんだよ。こんな学園に入る前から周りと関係がこじれていたら、いくら学園で頑張ってもバッドエンドに行っちゃうでしょ。もう、タイムスリップでもして過去に戻るルートでもない限り、ハッピーエンドは無理でしょ。あんなにゲームを頑張ったのに無理ゲーでしょ、これ・・・)
アリアの愚痴がまだまだ続きそうになっていた時、横合いからシオンの声が掛る。
「いかがなされましたか、お嬢様。食堂にお入りにならないのですか?」
その言葉で我に返ったアリアは、食堂に着いていたことを思い出し、お嬢様の朝食というものに心を弾ませながら食堂のドアを開いていった。
食堂は横長の構造になっており、床には黒い絨毯が敷かれ、天井からはシャンデリアが吊るされており、壁は下半分が白い壁紙に覆われ上半分が木目の美しいシンプルな木の壁となっていた。そして、部屋の中央に部屋の形に合わせた横長のテーブルが白いテーブルクロスが敷かれた状態で置かれていた。
食堂の窓はカーテンが開かれており、そこから日の光が入り全体を照らしていた。
食堂全体の色合いは、白と黒と茶色の三色が主だっており、互いに邪魔することなく調和の取れた優美で上品な雰囲気を作りあげていた。
そのような中に在りながら、アリアの目を引いたものは絵画のように外の景色を観賞できる一枚ガラスであった。丁寧に手入れをされた庭の景色の美しさは言うまでもなく、その奥に広がる雄大な山の連なりとそこにある現代の画一的な建物とは異なる一軒一軒趣がある石造りの家の並ぶ村が溶け込んだ景色は本物の西洋風の絵画のように思えた。
アリアが目の前に広がるその絶景に見惚れていると、フッと横合いから影が差し恭しくアリアを呼ぶ声が掛けられる。
「アリアお嬢様、景色を御堪能のところ失礼いたします。景色を御堪能するのもよろしいですが、折角のお食事がお冷めになってしまいます。どうかこちらのお席の方へとお進みください」
声のした方を見ると、そこには執事服を着た初老の男性が頭を下げた姿勢でこちらを待っていた。
アリアは、返事を返しその老執事に付いていく。シオンも一度その男性に深々と頭を下げるとアリアたちの後ろを付いてくる。
席に着くと、老執事が椅子を引きアリアが座るのは待つ。
アリアが椅子に座り席に着いたことを確認すると、「失礼します」と一声かけ、アリアにナプキンを手際よくかけた。
それが終わると、アリアに一言掛けた。
「それでは、朝食の準備をいたします。少々お待ちください」
そして、食堂の奥の厨房に向かってゆったりと歩いていく。
その後姿は洗練されており、足音が全く立たず、背筋もスッと伸びており、ゆったりとした歩みながらも一切の隙無がなく、優雅な雰囲気を醸し出していた。最後まで気を緩めることなく、老執事はその姿で奥の厨房に消えていった。
アリアは、その後姿を見送った後、後ろに控えているシオンに今の老執事について問いかけた。
「ねぇシオン。ちょっと聞きたいのだけど」
「はい、お嬢様。何でございましょうか」
「今の御方は、いったい誰なのかしら?」
そう問いかけると、シオンは驚いた顔をこちらに向けながらアリアに答えてくれた。
「えっ、今のは執事のジェームズでございます。私と一緒のお嬢様付きの使用人でございます。お忘れですか、お嬢様!?」
「いや、もちろん覚えていますよ。だた、寝起きでまだ頭がボーとしていて、ちょっとど忘れしてしまっただけです」
「そうですか、そうですよね。確かに寝起きはボーとしてしまいますよね。それならば、良かったです。また体調を崩されたかと思いました。あっ、お嬢様、朝食の準備が出来たみたいですよ。」
そう言って、納得したシオンは厨房の方に顔を向けた。
アリアは、その様子にホッと胸を撫で下ろし、安易な発言から正体がバレないようにより一層気を引き締めた。
そんなシオンと会話をしている内に、厨房から料理が運ばれてきた。
アリアは、どんな料理が出てくるかワクワクしながら、脳裏に某三世怪盗の映画のモンサンミッシェルのようなところに住む伯爵が食べていた卵料理を思い浮かべながら料理が運ばれてくるのを待った。そして、待ちに待った料理がテーブルの上に並べられていく。
まず、焼きたてのパンが置かれ、次に色とりどりのジャムが置かれ、スクランブルエッグにサラダが置かれた後、最後にホットミルクが目の前に置かれた。
焼きたてのパンからは、温かな湯気が上がり、香ばしい香りが漂ってきた。
アリアは、目の前に置かれた朝食を見て、少しだけがっかりした。
(ああ、あの卵料理はないのね。後、貴族ってもっと豪華な食事が出てくるのかと思っていたけど、結構慎ましいんだね)
胸の内でそう呟いた。
アリアは、料理を運んできてくれた老執事にお礼を述べた。
「ありがとう」
たった一言、お礼を述べただけなのに老執事は驚愕から目を見開き、そして、その目から涙を流した。
「まさか、またお嬢様から感謝される日が来ようとは!?この爺、今までお嬢様を信じてお仕えできたことを心から誇りに思います」
そう言って、再び涙を流している老執事に呆気に取られながらシオンに目を向ける。
シオンは、アリアからのアイコンタクトに気付き、一度うなずくと老執事に何事かを呟いた。すると、またしても目を見開いた後、今度は朗らかに微笑み、好々爺然とした様子に変わった。
「シオン、何を言ったのですか?」
突然、朗らかな容貌に変わったことが気になり問いかけた。
「はい、今日のお嬢様のありのままご様子をお伝えしました。そして、昨日までの冷淡で酷薄なご様子から、以前の思いやりが有り心優しかったお嬢様にお戻りになられたことに感激して涙を流したものだと思われます」
そう口にしてアリアの顔を見た後、微笑を浮かべ、瞳にうっすらと涙を浮かべていた。
そんな穏やかな雰囲気に気恥ずかしくなりアリアは、目の前の食事に手を付け感想を大げさに口にした。
「それにしても今日の食事は美味しいわね。特にこのパンなんて、外側がサクッとしているのに内側はしっとりと柔らかくもちもちとしていて、その上小麦の香りが鼻いっぱいに広がって、本当に美味しいわ。あと、このジャムの良いわね。控え目な甘さと酸味が合わさって口当たりが良くて、更にフルーツの香りも程よい強さで、小麦の香りを殺さずに互いに香りを高めあっているような感じが最高だわ。本当に美味しい食事だわ!!」
幸せそうにパンを頬張り、笑顔をこぼすアリアの姿に二人の心の内にかつてのお嬢様の姿が浮かび、自然と微笑みが浮かんだ。
アリアは、一旦食べるのを止め、乾いた口をミルクで潤すとふと思った疑問を口にした。
「そういえば、朝食といえば紅茶だと思うのだけど、ミルクなのね?」
アリアのイメージにはアニメなどで貴族が朝食を取るときは、執事などが傍で紅茶を入れているシーンが思い浮かぶ。それなのに、ミルクが朝食に並んでいる。
確かに、パンには紅茶よりミルクの方が合いそうではあるが、やはり何か物足りなさを感じた。
執事が隣で「お嬢様、紅茶でございます」、「ありがとう。うん今日の紅茶は香りも味も最高ね」をやってみたかったアリアの気持ちから出た言葉であった。
「え、お嬢様、お忘れですか。確か、明日からはミルクを出してちょうだいとご自身でおっしゃっていたではありませんか」
シオンがその当時の朝食時の記憶を頭に浮かべる。
アリアがシオンの胸元と自分の胸元に視線を送ると、ムスッと口を結び不機嫌を露わにした後、明日からは必ずミルクを入れるようにとそっけなくお願いされたことを思い浮かべた。
シオンはそのことも含めてアリアに説明した。
そう言われたアリアは、今朝鏡で見た自身の胸を思い出し、確かにほぼ真っ平らの大地が広がっていたなと頭の中に浮かんだ。それから、ゲーム画面に映る悪役令嬢の姿を思い浮かべ、今とは比べようもないほど制服を押し上げていた胸元を思い出しながら、あそこまで成長させた悪役令嬢の努力に胸を打たれ、心の内で涙するのであった。
そのようなことを考えながらも食事を進めていたので、最後のパン一口を食べ終えると、ミルクが入ったコップを手にし、それによろしくお願いしますと心の中で呟くと飲み干していった。
食事が終わり一息ついたアリアは、後は部屋に戻るだけとなった時、まだしていなかった大事な事を思い出した。
ここはジェームズに頼もうかと顔を向けようとしたとき、あって間もない男性、それも位が高そうな執事に頼むのがちょっと怖くなったアリアは、まだ安心感があるシオンに頼むことにした。
「シオン、この料理の感謝をシェフにしたいのだけど頼めるかしら?」
「はい畏まりました。お嬢様」
そう返事をすると、老執事に近づき軽く耳打ちする。すると、うんうんと軽く二度頷きアリアに向き直り深く頭を下げた後、厨房に消えていった。それから、少しすると厨房から40代ぐらいの一人の男性を伴って帰ってきた。
見るからに気難しそうで頑固おやじという言葉が似合いそうなシェフがそこにいた。
「何でしょう、お嬢様。また何か料理に対する文句ですか。それとも、こんな料理は食えないから処分しろってことですか」
そうぶっきらぼうに言うシェフ。そして、怒りの籠った視線をアリアに向けた。
「いえ、そうではありません」
アリアは真っ向からシェフの言葉を受け止め、そう否定の言葉を口にした。
「ただ、これほどの料理を作り上げてくれた方にお礼を述べたくてお呼びしました。ご迷惑だったでしょうか。もしそうだったなら、申し訳ございません」
アリアは席を立って頭を下げた。
それを見たシオンとジェームズの二人は、お嬢様にここまで言わせたこの男に軽くいらだちを覚え、シオンが背中をバシッと叩き、ジェームズが説教をしだした。
慌てて二人を止める。
「いいのですよ。全てはわたくしが悪かったことですから」
そう言って二人を止め、改めてシェフに顔を向けた。
「ごめんなさい。あなた方シェフの方たちが丹精込めて作ってくださっているお料理に悪態をついてしまい、更にその上そのお料理を処分しろなどと粗末に扱ってしまっていたわたくしをお許しください。本当に申し訳ございませんでした」
アリアは、深々と頭を下げた。
そんな以前のアリアでは考えられない謝罪の姿勢に虚を突かれたようにシェフは呆然とした。しかし、それも一瞬で後ろから殺気を感じ、チラッと後ろに視線を向けると、ここまでお嬢様が謝罪をしているんだからもちろん許すんだろうなと二つの視線が訴えていた。
それを見て冷たい汗が背筋に流れ、慌てて止めるようにアリアに言う。
「分かった、分かった。お嬢様の気持ちはよく分かったから頭を上げてくれ!」
「はい、分かりました」
アリアは顔を上げて、微笑みを向ける。
その途端に後ろから感じていた殺気が無くなり、シェフの男はホッと胸を撫で下ろした。
朝食を終えたアリアが部屋に戻る時、先ほど言えなかった料理についてのお礼を述べようとシェフに向き直った。そして、シェフの顔を見てもう怒っていませんようにと心の内で願い、ドキドキしながらお礼を口にした。
「あの・・・、このように美味しい料理を作っていただきありがとうございます。本当に今まで食べたことがない美味しさでした。また、作ってくださるとうれしいです」
そこまでを口にすると、サッと食堂から逃げるように出ていった。
シオンは急いでアリアの後を追いかけて退室していった。
アリアたちが退室していったドアを見つめながらシェフの男が口を開く。
「なぁじじい、今日のお嬢様はいったいどうしちまったんだ。あんなお嬢様を見たのは何年ぶりだ」
「さぁ、儂にもよく分からないが、シオンから聴いた話だと今日部屋で最初にあった時からあんな感じで、険が取れたお嬢様だったらしいぞ」
「ふーん、そうかい」
そう短く会話を切り上げて二人は食事の片づけに取り掛かっていく。
そして、手を動かしながらジェームズがシェフの男に謝罪の件について問いかけた。
「ところでさっきの事だが、お嬢様を許したのは儂らがお前さんの後ろから圧力をかけていたことが理由か。あんなに申し訳なさそうに誤っていたんだから本当に許してやってもよいじゃろう」
「まぁ、それもあるが他にも理由がある」
そこで言葉を切り、目の前の綺麗に空になった皿を見つめる。
「俺たち料理人は、何時間も下手すると何日も前から食材の仕込みをして料理を作る。料理には俺たちの今持てるだけの技術の粋が集まってる。そしてそれをお客が笑顔で残さず食べてくれれば、その手間に見合うだけの褒美になる。残されたら、結構ショックを受けるがそこで立ち止まらず、次こそは納得の料理を作ってやるって意気込みをして、高みを目指して技術を磨いていく」
滔々と語っていた口調に変化が現れる。
「だけどよ、お嬢は少し食べたらすぐ要らないと言って、床にぶちまけちまう。残されるのはいいんだけどよ、だが丹精込めて作った自分の子供のような料理をそんな粗末に扱われるのは許せなかった。床に散らばった料理を片付ける時は、いつも腸が煮えくり返る思いだった」
そこまで言って強まっていた口調がふと和らぐ。
「だけど、今日のお嬢は違った。俺たちが作った料理をおいしいって笑顔で食べてくれたんだ。見てくれよ、お嬢が食べ終わった後を。何にも残ってない。本当に綺麗に全部食べてくれた。ジャムさえも全部使いきってくれた。昨日までのお嬢では考えられない様なことだ。こんなの俺たちに取ったら最高のご褒美だよ。あんな笑顔で全部綺麗に食べてくれたら、今までの事だって許せることもあるさ」
ジェームズはそんなシェフの男の語りにただ耳を傾けているだけだった。
「お前のその言葉と顔を見ると、もうお嬢様とのわだかまりも解けたのか」
いつも気難しそうに締まった顔に笑みが浮かんでいるのを見ながらそう言う。
「ああそうだな。昼食はもっとお嬢に笑顔になってもらえるものを作らないとな」
片づけを終えて、食器などを持って厨房に戻ろうとしたとき、シェフの男が真剣な表情でジェームズに問う。
「おいじじい、お嬢が突然ここまで変わったのって、まさかまたアレが原因じゃないよな」
「いや、そんなはずはないだろう。アレはとっくの昔に安定している。魔法医のお墨付きがある。それにあの子が、アレを抑えるためにお嬢様に分け与えたものがある。仮にアレがまた暴走した場合、あの子がすぐに気づくだろう。そしたら、何らかの方法ですぐにでもコンタクトを取ってくるだろうし、心配はないだろう」
「ならいいけどよ」
二人は当時の状況を思い出しながら、片づけを終わらせていく。
部屋に戻ったアリアは、ベッドにダイブしたい衝動に駆られたがシオンも一緒に部屋に入ってきたので、思い留まった。
アリアを部屋まで送り届けたシオンは、他の屋敷の仕事に取り掛かるために部屋から出て行こうとした。ドアの直前でいつもの事を言う。
「それでは、お嬢様。私はこれから屋敷の仕事に戻ります。何か御用がありましたら、ベッド横のテーブルに置いてあるベルを御鳴らし下さい。すぐにでもこちらに御駆けつけいたします。それでは、失礼いたします。」
そして、ドアを開けて廊下に出る直前に言い忘れていたことを思い出し、もう一度アリアに振り返った。
「お嬢様、もうしばらくすると教師の方がやってきますので、サボらずにしっかりと勉学に励んでくださいね。それでは、失礼します」
ドアが閉まり、部屋の中にはアリアだけになる。その途端に今まで張りつめていた糸が緩んだ。そして、ベッドに倒れ込んだ。
「はぁ、疲れた」
靴と靴下を脱ぎ捨て裸足になると、ワンピースの裾がめくれ上がるのもお構いなしにベッドでゴロゴロする。
「やっぱ、裸足でゴロゴロするのは最高だな。ワンピースがめくれ上がるのが気になるけど、誰も見てないからいいか」
裸足になり締め付け感から解放され、すっきりした足でシーツや空気の涼やかさを満喫する。
そして革靴に籠る熱気で蒸れてしまっていた足が新鮮な空気に触れる解放感、緊張感からいつも以上にかいた足裏の汗が冷やされ涼しくなった爽快感も同時に満喫する。
そうしてしばらく寛いだ後、ベッドの上で胡坐をかいてこの先の事を考えて行く。
「まず、周りとの関係修復を中心に行っていかなければいけないな」
今体験してきた使用人たちとの軋轢を思い出し、まだまだ他にも有りそうな軋轢に頭を痛めながら解消する方法を考えていく。
「次にアリアの評判を今の最悪な状態から上げていく。最後に、最悪を想定してその準備も行っていく」
アリアに対する評判の向上は関係修復時にさっきのように行っていけば問題はないだろう、後は何らかの原因でバッドエンドを迎えてしまった時の対処法を考えなければいけないだろうとアリアは思った。
前世のアニメやマンガなどで得られた知識をフルに活用し、対処法を考えて行く。
バッドエンドになってしまった場合、周りとの戦闘が待っているからその時のために魔法などの防衛手段を鍛えていく。
次にお屋敷や国から追放されてしまった場合、一人で生きていくためにあらゆる知識を身に付ける。アニメやマンガなどでも主人公が異世界転生した後、現代や異世界で得た知識を活用して道を切り開いていたそれを参考にしていこう、アリアはそう考えを締めくくる。
この世界で生き残るために頑張っていくぞと決意を新たにした。
先ほどは、混乱してよく見られなかった部屋を改めて見渡す。
壁はシンプルな寒色系の壁紙で覆われていて、床には見るからに高級そうな毛先が長い絨毯で覆われていた。
部屋の中には、今いるベッド、姿見、クローゼット、勉強机などの最低限のものしか置かれていなかった。
窓からの眺めは、これまた素晴らしい眺めで、部屋に面した庭を一望できた。
自分の後ろを見ると、ベッドの枕もとの上の壁に一枚の少女の肖像画が飾られていた。
その少女は、アリアとは異なり髪が黒髪で、瞳の色が赤一色であった。
アリアは、この少女が誰なのか気になり、ゲームの登場人物を思い浮かべた。しかし、すぐにゲームに黒髪の人物がいないことを思い出した。
それでも、気になりゲームについて更に思い返してみたが誰も思い当たることはなかった。
肖像画の少女の事を考えていると、部屋のドアがノックされた。
「はい、どうぞ」
返事を返すとドア開き、一人の女性が入ってくる。眼鏡を掛けた50代の女性である。
「失礼します」
そして、こちらに半分背中を見せながら静かにドアを閉める。
「お嬢様、それではお勉強を始めまs・・・」
アリアに顔を向けた瞬間、言葉が止まった。そして、般若の如き顔つきに変わった。
「ん!?」
その突然の変貌にアリアは急いで自分の恰好を見る。
お嬢様が絶対にしない様な胡坐をかいた格好の自分が見えた。更に、ベッド周りには靴と靴下が雑に放置されていた。
(やば、お嬢様になるの忘れてた!!)
心の中で叫びを上げるアリア。
「お嬢様、本日の授業の予定ですが、何やらチェイサー家のご令嬢としての心得を著しく損なっているようですので、みっちりと心得を説かしていただきます」
顔に浮き出た血管をヒクヒクと動かしながらそう告げられた。
それから一時間弱、ご令嬢としての心得などをみっちりと教え込まれたアリアは、ぐったりと机に突っ伏していた。
「お嬢様お疲れ様です」
アリアに嬉しそうな顔を見せながら労いの言葉を掛ける。
「文句ひとつ吐かずにお学びになるお嬢様を見たのはいつ以来でしょうか。このように素直に私の教えを聞いてくだされたことに、教師として感激で胸いっぱいでございます」
笑顔一杯の表情で声を弾ませながら言う。
アリアは、頷き返す気力もなくただ耳を傾ける。
「それでは、本日は」
アリアの聞きたかった言葉が教師の口から零れそうになり、疲れが一瞬で吹き飛び椅子に姿勢正しく座り、耳を傾ける。うんうん早く早く続きの、“ここまでとします”と言ってくれとアリアは心をウキウキさせながら待つ。
「アリアお嬢様の授業を受ける姿が非常に素晴らしいので、このまま本日の予定通りに授業をいたしたいと思います。それでは、こちらが本日のテキストでございます」
想定していた言葉とは180度違う言葉にアリアは愕然として絶望した。そして、魂が半分以上抜けてしまったアリアは、テキストを呆然と受け取り、指定されたページを開こうとテキストに視線を落とした。
その瞬間、アリアの頭の中が真っ白になった。
そして数秒間、呆然とテキストを見続けた。
それから、やっとのことで口だけ動かすと一言だけぽつりと呟いた。
「うそだろ」
未だに目が離せないテキストの表紙には、文字らしき記号が並んでいた。
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