第31話
あたしは心配になって振り向いた。
こやけちゃんの言うとおりに、弐色さんは倒れていた。
「ウフフ。助けますか? 助けてあげますよね? 菜季さんはとっても優しいにんげんですもの。助けないという選択肢は無いのですよ。」
あたしは橋を駆け戻る。
周りには誰もいない。あたししか、この人を助けられない。
倒れている弐色さんに近付く。ヒューヒュー、喉の鳴る音が聞こえる。喘息発作だわ。弐色さんの手が微かに動いたけど、意識がはっきりしてないように見えた。
こやけちゃんはゆっくりした足取りであたしの横に来た。見下すようにしてクスクス笑っている。
「こやけちゃん! お願い、誰かに喘息の薬を持ってないか聞いてきて!」
「下等な人間風情が夕焼けの精霊である私に命令する気ですか? まあ、
こやけちゃんは急いでいるような仕草を全く見せず、歩いていく。どうせなら走って欲しい。
「弐色さん苦しいわよね……。もう大丈夫だから、大丈夫だからね……」
声をかけても反応が無い。
とりあえず、あたしは彼の身体をいつかしたようにを起こそうとする。けど、力の入っていない大人の男の人を起こすなんて、あたしにできない。
こやけちゃんに起こしてもらってから行ってもらえば良かったわ。なんて思っていると、こやけちゃんが優子さんを連れて戻って来た。
「弐色くん、えっと、これ、お薬です!」
優子さんが薬を弐色さんに渡そうとしたら、バシッとはらわれた。意識がはっきりしたのね。じゃなくて、何ではらい落とすのよ!
優子さんは落ちた薬を拾っていた。
弐色さんは咳をしながら座った。落ち着いた? 顔がとても青白い。それに……目が、赤い? 弐色さんの目って濃い灰色だったわよね?
「僕に触らないで」
「でも、お薬――」
「僕に触るなって言うちゃってるやろ!」
再び薬を渡そうとした手がはらわれた。どうしてそんなことするのかしら。あたしが何か言ってやろうと口を開こうとした瞬間、こやけちゃんの手が横に伸びた。優子さんは涙目で震えている。
「弐色さん。貴方、嘘吐きにも程があるのですよ」
「……僕が嘘吐きなのは昔からでしょ。今更言う必要ない。キミに僕の何がわかるのさ」
「何もわからないのでございますよ。しかしながら、私の主人ならこう言うでしょう。『言葉が足りない』と」
言葉が足りないってどういう意味かしら。
こやけちゃんは優子さんから薬を受け取ると、弐色さんに投げて渡した。もう落ち着いてるから必要無いような気もするんだけれど、弐色さんは薬を開封していた。
……わからないわ。こやけちゃんは数珠についた鈴を鳴らしながら、あたしの手を握った。すごくあったかい手。心に渦巻いていた何かが消えていくような感じがした。
「今、楽になったような気がしたでしょう?」
「うん。したわ。いったい何なの?」
「
呪力による汚染って言われてもいまいちぴんと来ないんだけど……。
優子さんは涙を袖で拭いながら、肩を落として歩いていった。
もしかして、あたしがこやけちゃんに何も言わずに帰ろうとしたから、こんな事になったの? こんなにみんなを傷つけることになってしまったの?
あたしが、悪いんだわ。それなら、あたしが死――……。
「駄目だよ」
「駄目なのです」
弐色さんとこやけちゃんの声が重なって聞こえた。思考が鮮明になる。
駄目。駄目よ。死んじゃえば良いとか考えちゃ駄目。
「で……こやけは、何しに来たの?」
「可愛い
「あっそう。ありがとね」
「イエイエ。どういたしまして」
なんだか違和感がある。
もっと、仲良くしていたように思うんだけど、今は少しギスギスしているような気がする。
弐色さんから笑顔は消えていた。少し悲しそうな表情で、服についた埃をはらっていた。
「……永心の所に行くよ。おいで」
「菜季さん。行きましょう」
「う、うん」
なんだろう? やっぱり何処かぎこちないような……。
ギスギスしているような気がする。頭がガンガン痛んできたわ。考えないほうが良いのかしら。
こやけちゃんに手を強く握られたまま、弐色さんの後を追って歩く。
弐色さんがふらついてるのが気になる。蝶々が酔って踊ってるみたいで、少し綺麗だと思ってしまった。
辿り着いた先は、拝殿の奥。確か――本殿よね。神社の最も神聖な場所だって聞いた覚えがある。
横の小さな扉から中に入った。中には永心さんがいて、少し驚いた表情をされた。
「弐色くん。どうしてそんなに
「菜季が悪いんだよ」
「どうしてあたしが――」
反論しようと思った口を閉じる。
そう、そうよね。あたしが悪いのよね。元を辿れば全部あたしが悪い。あたしがもっと考えてから行動していたら、こうならなかったかもしれない。あたしがもっと知っていたらこうならなかったかもしれない。
「菜季さんは、なぁんにも気にしなくて良いのでございます。それより、永心さんに祓ってもらうのですよ」
弐色さんに続いてこやけちゃん、その隣にあたしは座る。
永心さんは一呼吸おいてから、祝詞を奏上する。
重いものが消えたような感覚がした。これが、祓われたってことなのかしら。実感できるものなのね。
隣を見ると、こやけちゃんは眠たそうにしていた。弐色さんは真っ直ぐ正面を見てる。正面じゃなくて、永心さんを見ているのかも。目がとろけたように穏やか。好きな男の子を見ている女子生徒のようだわ。
だから、優子さんの事、あんなに嫌ってたのね……。
お祓いが終わってすぐ、こやけちゃんはあたしの腕を掴んで、引き摺るようにそのまま神社を出た。
弐色さんのことが心配だけど、永心さんが一緒なら大丈夫よね。
「確認しておきたいのですが、菜季さんは、弐色さんをどうしたいのですか?」
「どうしたいって言われたら……何か力になりたいって思うわ」
「あはあは。菜季さんはとっても面白いにんげんですね。しかしながら、弐色さんは、他人に寄りつかれることを、とても嫌っているのですよ。だから、それは難しいのです」
「そうだとしても、あたしは力になりたいの。あの人は……あたしを助けてくれたから」
「……弐色さんの体調が悪くなる訳ですね」
こやけちゃんは目を細めてあたしの頭をぽんぽん叩いた。いったいどういう意味?
「永心さんから、弐色さんにかけられている呪いについて詳しく聞きませんでしたか?」
「死ねない呪いってこと?」
「ここで問題なのですよ! その呪いが解けたとしたら、どうなると思いますか?」
こやけちゃんはあたしの両手を包み込むようにして握る。赤い瞳が燃え上がっているように揺らめいて見えた。すごく綺麗。瞳の中に夕焼けの景色が見える。
死ねない呪いが解けたとしたら、そのまま考えたら死ねるようになるってことになる。それが答えで良いのかしら?
「死ねるようになる?」
「そうです! そうなのです! 大正解でございますよ! そして、弐色さんは呪いそのものでもあります。永心さんでも弐色さんの呪いを祓いきることはできないのです。菜季さんは勘が良いからわかるはずです。もう一度言いましょうか。弐色さんは、呪いそのものです」
「呪いが解けたら、弐色さんは、死んじゃう?」
「はい。そうです。死ねるようになったら……もう彼は、死んでいるのですよ!」
「それなら、呪いを解いちゃいけないんじゃないの?」
「菜季さんは、知らず知らずのうちに弐色さんの呪いを解いているのです。ウフフ。とっても悲劇的だとは思いませんか? 知らず知らずのうちに、彼を死へと追いやっているのです。自分が力になりたいと思っている相手を、殺しちゃいそうなのです。お涙頂戴の物語なのですよ」
あたしが、弐色さんの呪いを解いている? そんなことできるわけない。だって、あたしはおばあちゃんと違って何にもできない。占いもできないもの。知らず知らずのうちにって言葉がひっかかる。あたしは、知らない間に人を死に追いやっているの?
そうだとしたら、あたしは――……。
「おにあにそみなねざん、えちしらくちそうぃし、おぬれあぐんーけちすおづ」
何だろう? こやけちゃんは前にも似たような言葉を口にしていた気がする。でも、何なのかあたしにはわからない。楽しそうに口ずさんでるけど、わからない。急に足を止めて、こやけちゃんはあたしを見る。
「菜季さんは、とても罪作りなにんげんですね」
あたしはどうしたら良いんだろう。あたしの行いで、あの人は苦しんでいるってことなの? それなら、あたしはもう関わらない方が良い? でも、あたしは、あたしを助けてくれたあの人を助けたい。それでも、助けようと思うことが、助けられないことになるなら、あたしは、どうしたら良い?
こやけちゃんは不思議な物を見るかのように首を傾げている。こやけちゃんが滲んで見える。
ああ、あたし、泣いてるんだわ。気付いたら、涙が溢れて止まらない。あたしはその場に座り込む。
こんな、道の真ん中で泣いてたら迷惑になるのに、わかっているのに、涙が止まらない。今まで我慢していたものが爆発したみたい。何であたし
「菜季さん。貴女は本当に心根の優しい人なのでございますね。それ故に、罪作りなにんげんです。きっと貴女の事を愛した男は数え切れないほどいたことでしょう。貴女の事を好きな女も多くいたことでしょう。その全ては、貴女の優しさに惚れ込んでいました。しかしながら、貴女は誰にでも優しい。それ故に、男達は、女達は、誰一人として、胸に抱いた
「あたしの、願い?」
「はい。寺分菜季さん。私は貴女の
あたしの願いは何だろう?
考えても、すぐに答えは出ない。足元を蟻の行列が通っている。こんな所に座っていたら、邪魔になるわよね。あたしの涙で蟻が溺れている。
ごめんね。ごめんね。あたし、邪魔よね。
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