第25話

 弐色さんの家に戻る。そういえば鍵を渡してもらってない!

 と思ったけど、外灯がついているし、玄関の照明もついている。

 戸が簡単に開いた。玄関には下駄があった。黒いぽっくり下駄。行きは無かったもの。彩加ちゃんの物だとしたらサイズが大きい。弐色さんの物だとしたら少し小さいと思う。

 誰かが家の中にいるのは確実だった。あたしは突然痛む頭を抱える。どうしてこんなにガンガン痛むんだろう。鎮痛剤が欲しい。

「遅いのですよ!」

 障子がこれでもかという勢いでスパーンッと開かれた。

 こやけちゃんだわ。良かった。安心した。

「ごめんなさい。ちょっと色々寄り道してたから」

「ふふん。きちんとごめんなさいを言える菜季さんは良い子なのです。許してあげるのです。よく考えれば、私もお迎えの時間を告げていなかったのです。幼稚園の帰りの時間と同じにしておけば良かったのです」

「それだともうちょっと早い時間になるわよ」

「何時になるのです?」

「だいたい十四時半ぐらいね」

「夕方ではないのです! 駄目なのです!」

 こやけちゃんは腕をぶんぶん振りながらあたしに訴えてる。

 なんだか子供のような動きをしているから、見ていて可愛いと思ってしまう。

 ちゃぶ台にお茶とどら焼きが乗っている。戸棚が開いてたので、勝手に出して食べてるみたいだわ。

「ねえ、こやけちゃん。彩加ちゃんって、弐色さんの妹なの?」

「言ってませんでしたか? 彩加は弐色さんの種違いの妹なのです。つまり、異父兄妹なのですよ」

「そうなのね……」

「ふたつのいろにいろどりくわえて、にしきる――色彩兄妹の仲は良好なので菜季さんが心配することは何も無いのでございます。親子関係も現在は良好でございます。あはあは」

 名前の話をしたのよね? あたしには少し難しくてわからない。「わかろうとしないからでしょ」って弐色さんに言われそうだけど、わからないものはわからないんだもの。

「せっかくの機会でございます。私は景壱君と違って妙な代価を要求しないので、何か聞きたいことがあるのならば、どんな内容でもどうぞです。ただし、時間だけは頂きます。時間が無いと説明できないのですよ」

「それじゃあ……あたしの家族はどうなったの?」

 これは、景壱に尋ねてはいけない質問だと思う。だから、あたしはこやけちゃんに聞いてみた。

 こやけちゃんなら知っているはず。あたしを殴ってまで見せなかった、聞かせなかったことを。

 こやけちゃんは、どら焼きを食べ終え、お茶を飲み下してから、口を開いた。

「私は景壱君と違って、真実を教えることができません。何故なら、私は真実を知らされていないのです。それ故に、私の語る事は、真実では無い可能性もありますし、曲解されたものである可能性も孕んでいます。それでも、貴女は私に家族のことを尋ねますか?」

「良いわ。教えて」

「わかりました。菜季さんは意志を強くお持ちだと見受けられました。それでは、私は語りましょう。私の知っている限りのことをお話ししましょう。これが嘘か真実まことか、それは貴女の意志で判断をお任せします。都合の悪い記憶ことは聞かなければ良い。都合の良い記憶ことだけを残しておけば良い。そうして完成する安らぎ。これ以上に良いことはありません。サァサァ、私の話を覚悟してお聞きくださいませ」

 ゾワリッ、とあたしの背中を何かが滑り落ちたかのような冷たさを感じた。

あたしは怖くて振り向けない。怖い時は見なければ良い。

 目を閉じれば良い。怖い物は見なければ良い。これが甘えだとか逃げているだけだとか言われても、自分を守るためには大切だと思うもの。話を聞くだけなら、目を閉じていても問題ないはずだわ。

 あたしは目を閉じる。鈴を鳴らすように可愛らしい声が部屋に響く。

「私の主人――景壱君は、菜季さんに家族のことをお伝えしたかったようです。しかしながら、彼が真実を語るときは、何かが抜けていることが多いのです。例えば、貴女のおばあさまのことです。おばあさまは自らの行いを悪いと思っていました。しかし、景壱君が貴女に与えた情報だけでは、貴女が悪者になっていました。タイミングというものがこの世にはあります。このタイミングが上手く――悪く、重なり合う時は、このような状況になるのです。貴女は酷く自己嫌悪したことでしょう。自分が死んでしまえば良いと思ったでしょう。貴女はその瞬間に死んでいるのです。どう死んだか具体的に申し上げますと、それは――そう。社会的な死です。貴女は現世では、殺人未遂という大罪を犯したことになったのです。しかしながら、この件は外部に出ていないのです。貴女の実家に連絡されなかったのでございます。おばあさまは誰にも連絡していないのです。ですから、菜季さんは生きながらにして、死んでいるのです。連絡したのは、弐色さんのお母様――神宮葛乃。彼女は、菜季さんとは初対面です。初対面ですが、息子……イエ、娘とも言えますね。この場合は、子――弐色のことを知る人物でございます。彼女の願いは、子の幸福。しかしながら、その子は幸福になればなるほど、不幸になってしまうのでございます。オット、このお話は本件とは脱線していますね。お話を戻しましょう。葛乃さんが菜季さんの実家に連絡したのは、おばあさまが私にバラバラに解体された頃でございます。連絡した内容は、『娘さんが、夕焼けの里に囚われてしまった』と。ここで菜季さんに質問いたします。ここまでで、貴女は何を感じましたか?」

「あたしが思っていたことと違う?」

「でしょうね。景壱君の伝える真実に嘘偽うそいつわりは無いのです。しかしながら、彼はとあることにのっとって、動いています。それは、貴女をここにとらえておく為でございます。彼の興味は尽きません。それ故に、貴女は大罪を犯して、もう現世へ戻ることができないと思うようになってしまった。二度と帰れないと思い込んでしまった。これはただの思い込みなのです。貴女はいつでも夕焼けの里を出て、家へ帰ることができます。昨晩、景壱君は貴女に家族のことをお伝えしようとしました。しかし、それは貴女にとっては残酷なことになる。だから、私は貴女が何も知ることがないようにと、気絶させて弐色さんに預かってもらったのです。しかしながら、菜季さんは、家族のことを知りたいと仰いました。全てを受け入れる覚悟がお有りだと見受けられました。それならば、私は語らねばなりません。景壱君が見せようと、聞かせようとしたのは、貴女の家族の会話。内容は、貴女への軽蔑や不満。その他貴女にとっては精神的に攻撃されるもの。昨晩の貴女の精神状態から考えると、貴女にとっては耐え難いものであり、心が壊れてしまう。心が壊れてしまうと、反応が無くなってしまう。私は反応が欲しいのです。私に恐怖し、命乞いをする。そのような感情が欲しい。しかし、心が壊れてしまうと、そのような反応は消えてしまい、残るのはただの肉の塊。反応の無い人間は私には必要無い。そうなると、必然的に景壱君が貴女を引き取ることになります。この場合、貴女を待っているのは死しかありません。彼は貴女を食べるでしょう。性欲を満たすと言う意味でも、食欲を満たすと言う意味でも、です」

「そんな……」

「ですが、もう何も心配することはありません。景壱君は菜季さんに興味があるようですので、貴女を殺すことは無いと言えます。これはあくまで私の推測でしかないのですが、彼はけっこう貴女を気に入っているようなのです。私以外にお気に入りができるとは珍しいことなのです。きっと雨が降るのです。イエイエ、彼が本気になればいつでも雨は降るのですけれど。きっと菜季さんは、知らない内に彼の知らない何かを見せているのでしょう。とりあえず、貴女はいつでも夕焼けの里から出られるということを覚えておいてください。ここは、出ようと思えば、いつでも出られるところなのです。しかし、ここは素敵なところなので、誰も帰ろうとはしないのですよ。ウフフ」

 こやけちゃんは胸をえっへんと張りながら言った。

 そうして話している間に、弐色さんが帰ってきた。

 なんだか顔色が悪いような気がする。神社で会った時よりも、音楽堂にいた時よりも、ずぅっと顔色が悪い。

「おかえりなさいです」

「ただいま。……はあ、ちょっと寝かせてね」

「え、え、え、弐色さん?」

 弐色さんはふらふらしながら畳に寝転がる。

 こやけちゃんは何も気にしてないようで、台所から湯呑みを持って来た。

 お茶をとぽとぽ入れて、ちゃぶ台に並べる。あたしの分もくれた。

「弐色さん、お茶を飲むのですよ」

「すごく我が物顔で出してきたけど、僕の家だからね。勝手にどら焼きまで食べちゃってるし」

「わかっているのですよ。ふふん。夕焼けの精霊様が直々にお茶を出してやったのですから、喜ぶのですよ、人間共!」

「はいはい。嬉しいよ、ありがとね」

「ありがとう、こやけちゃん」

「ふふふふ。そうです、もっと私を褒め称えるのですよ!」

 こやけちゃんは嬉しそうだけど、弐色さんは具合が悪そう。

 お茶を飲むために起き上がる仕草もしない。寝転んだまま。

 さすがに不思議に思ったのかこやけちゃんは首を傾げていた。そしてあたしに向かってこう言った。

「菜季さん、弐色さんに何かしましたか?」

「あたしが何かできるわけないでしょ!」

「それもそうなのですが……。昨日会った時より、呪いが弱まっているのでございますよ」

 こやけちゃんは弐色さんに近付いて、顔のすぐ横で座った。

 その座りかただと下着が見えないか心配になるわよ。でも、どちらも気にしてないみたい。弐色さんは眼帯で見えないのよね、きっと。

「弐色さん。大丈夫ですか?」

「これで大丈夫に見えるの?」

「見えないのですよ。現世うつしよに行ってきたのでしょう? 葛乃さんに触れたのですか?」

「触れたわけではないけどね。お礼はすごく言われたよ。……たまには会いに行ってあげちゃった方が良いのかなって思ったよ」

「それは会ってあげたほうが良いのでございますよ。神隠しに遭って別れた子と会えることは格別に嬉しいのでございます」

「きゃははっ。僕の幸福なんて願って欲しくないんだけどね」

 会話の内容はあたしにはさっぱりわからない。身内ネタってこういうことだと思うわ。

 なんだか頭がガンガン痛んできた。どうしてなんだろう。ここに来てからずっと頭が痛い。安らぎって何だっけ? と思う程度には頭が痛くなってきた。

 弐色さんは笑っている。でも、すごくしんどそう。

 あたしが頭を押さえていると、こやけちゃんは弐色さんの袂に手を突っ込んで、人の形をした紙を取り、あたしの頭にぺちっと貼りつけた。頭痛が治った。何で?

 こやけちゃんは紙をあたしから離す。紙が黒くなってるわ。それを丸めて、弐色さんに食べさせていた。あの紙って本当に食べて大丈夫なの? 今聞いても良いかしら。

「ねえ、その紙は何なの?」

「あれ? 知らないのですか? それなら特別に教えて差し上げるのですよ!」

 こやけちゃんはさっきと同じように、弐色さんの袂から人の形をした紙を取り、あたしに見せてくれた。けっこう薄い。光を通して向こう側がうっすら見えるわ。

「これは、形代かたしろ人形ひとがたと呼ばれるものなのです。大祓おおはらえの時に見た事はないですか?」

「大祓って?」

「そこから説明が必要でございますか! しかし、知らない事を積極的に知ろうとする姿は好感が持てるのですよ。景壱君ならもっと喜んで教えてくれるでしょうが、今回は弐色さんに説明していただきましょう」

「え? 僕が説明するの? こやけが説明する流れでしょ?」

「神社の事は、神社の人が説明するべきなのですよ。厄災の巫女様」

「……はあ。大祓は、日頃、僕達の生活の中で知らず知らずのうちに積み重ねた罪やけがれ形代かたしろに移して、祓い浄める神事だよ。夏越なごしの大祓と年越としこしの祓の年二回行われるよ」

「あ! わかったわ! 神社で輪っかをくぐるやつね!」

「うん。そうだね。そうだよ。キミが言ってるのは、ちがやわらを束ねたの事だね。茅の輪くぐりをすると、疫病や罪穢つみけがれが祓われるよ。まあ、どうせキミはきちんとした手順でくぐってないんだろうけど」

「くぐるだけじゃ駄目なの?」

「駄目に決まってるでしょ。茅の輪くぐりも立派な神事なんだからね。まず、茅の輪の前に立ち、軽く礼をして、『水無月の夏越しの祓する人は千歳の命延ぶというなり』と唱えつつ、左足より跨いで左回りに一まわり。次に右足より跨いで右回り。最後に左足より跨いでで左回りって、キミの弱い頭じゃ難しいよね。つまり、八の宇を書くようにして三回くぐり抜けて、ご神前へ進んでお参りするってこと」

「へ、へえ、そうなのね」

「弐色さんの説明はわかりやすくて良いですね。それで、これは、身に溜めこんでいる罪や穢、悪想念等を取り祓うものなのですよ。弐色さんはこれを使って傷を癒すこともできるのでございます。ちょっとした呪いの応用ですね。さすが厄災の巫女なのですよ」

 どういうことかさっぱりわからないんだけど、頷いておこう。

 弐色さんはこの紙を使って、色々祓えるってことかしら。あたしの理解力が追いついていない。

 考えれば考えるだけ頭が痛くなる気がするもの。

 でも、さっき、頭痛は治まった。ガンガン響くような痛みは全くしない。耳に響く音もしない。

「そして、弐色さんは呪いを溜めこんでいるのでございます」

「大丈夫なの?」

「僕は蠱毒こどく――呪いそのものだから、祓われた方が死んじゃうよ。厄災の巫女は穢れを溜め込んでいるものだしね」

 顔色の良くなった弐色さんが座りながら答えた。お茶をふうふうしてから飲んでいる。

 少し前にも同じようなことを言ってたような気がする。あたしの記憶力が悪いからなんとも言えないけど。

 厄災の巫女って何度も聞くけど、何なのかは説明されてないわね。新聞にも書いてあったけど、詳しくは何も書かれてなかった。聞いても、良いのよね?

「ねえ、弐色さん、厄災の――」

「そろそろ帰るのですよ! 菜季さんは、私のお友達ペットなのですよ。弐色さんと一緒にいては駄目なのです!」

「そうそう。また遊んでね」

 聞いちゃいけないことだったのかしら?

 言葉を遮るようにしてこやけちゃんはあたしの手を掴む。

 やっぱりペットという呼称は変わらないみたい。

 あたしは何をしてもこやけちゃんのペットなのね。この赤いリボンが証拠。


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