第24話

 あたしは考えながら石段を下り、図書館へ向かって歩みを進める。すれ違う人と会釈を交わす。

 ここに住んでる人と観光客の違いがちょっとずつわかってきた。

 ここに住んでる人達は、とても充足感のある笑顔をしてる。それに比べて、観光客の表情は少し暗い。

 あたしは今どっちになってるの? スマホのカメラを起動して自撮りしてみる。

 わからない。そりゃあ、わからないわよね。

 けっこうな距離を歩いて、やっと図書館に辿り着いた。

 自動販売機でお茶を買って、一口飲んでから中に入る。入った瞬間から本に囲まれている圧迫感がある。

「こんにちは」

「は、はい。こんにちは」

 いきなり話しかけられたので驚いてしまった。

 カウンターに顔色の悪い女性がいた。薄暗いから悪いように見えるだけかしら? と思って近付いてみたけど、やっぱり顔色が悪い。プールに入り過ぎて唇が紫色になったような、とても寒そうって感じの顔色をしてる。あんまりジロジロ見たら失礼よね。

 女性はワイシャツで落ち着いた紺色のロングスカート。胸元に名札。雨川あめかわ佳子よしこと書かれた下に、夕焼けの里図書館司書と書かれてる。司書さんってことは、頭が良いというか、なんだかそんなイメージがある。

「こちらのご利用は初めてですか?」

「は、はい。あたし、ここに来たばかりで」

「あら、そのリボンは、こやけさんの――ということは、景壱さんの――ああ、すみません。貸し出しカードを先に作っておくと便利ですよ」

「あ、じゃあ、お願いします」

「はい。それでは、こちらに必要事項をご記入ください」

 貸し出しカード発行用紙を渡されたので、あたしは記入していく。

 氏名は、寺分菜季。よし。きちんとすぐ思い出せたわ。あれ、そういえば、住所って何処なんだろう?

「あのー、あたし、住所がわからなくて……」

「景壱さんのお家ですよね? それでしたら、こちらで記入しておきますので」

「すみません」

「いえいえ」

 携帯電話の番号を書いて、終わり。佳子さんに渡すと、すぐ住所を記入してくれた。

 待つこと数分。あたしの貸し出しカードが完成した。これでここの本を最大五冊まで借りることができるらしい。一週間したら返却。そういうところは現世と変わらないのね。

 ……現世って何? あたし、何でそんな言葉が思いついたのかしら。

「何かお探しの本はありますか?」

「えーっと、陰陽師の本って……」

「陰陽師? 確か、先程、弐色さんと一緒にいましたよね?」

「い、いたわよ。でも、陰陽師が何なのかわかってないから、ちゃんと調べておきたいなと思って」

「そうですね! 本は知識の宝庫です! 新たな思考の引き出しを与えてくれます! 陰陽師関連の書籍は二階の右側の棚になります、が」

「が?」

「もしも、弐色さんのことを知りたいのでしたら、あちらの、ファイルナンバー二をご覧ください」

「あ、ありがとう」

 ファイルナンバー二のほうがここから近い位置にあったので、あたしはファイルを本棚から取って、近くの席に座る。古い新聞の記事と真新しいような写真が一緒に綴じられていた。

 『謎の大火事! 村人全員死亡』『妖怪の仕業か?』『元村人Hさんが語る。村の忌み子とは?』と色んな見出しが並んでいる。

 これによると、山火事で村に住んでた人はほとんど焼け死んでしまったみたい。

 この村には『厄災の巫女』って人が住んでいて、その人が災害を最低限の被害で抑えたとも書かれている。

 『厄災の巫女』は母親とその子供の二人がいたらしい。どちらも行方不明になっている。記事には『厄災の巫女』の写真も載っていた。すごく見覚えがある。葛乃さんだわ。ということは、この子供が弐色さんね。 

 巫女は強いチカラを持っていて、神をその身に降ろし、ご神託を授かることができた。巫女は村人の誰からも愛されていた。巫女が生んだ子は、半陰陽者はんいんようしゃ蠱毒こどくだったが、巫女同様に村人達は愛していた。

 って、弐色さんは虐待されてたって言ってたのに? 都合が良いように書いてあるの? ちゃんと事実を書くべきでしょ。あと、半陰陽者とか蠱毒って何? 厄災の巫女についても説明してよ。って、ここで思っても仕方ないわよね。日付は掠れてわからない。一緒に挟まっていた写真には、あたしが昔会ったことのある女の子が写っていた。

 ……やっぱり、あれは、弐色さんだったのね。女の子……? 本当は、女の人なの?

 あたしは少しモヤモヤした気持ちを抱えたまま、階段を上って、陰陽師の本を手に取った。

 本当に占いや呪いの説明ばかり。天文学の知識も無いと駄目なのね。なんだか難しい。なんとなく、理解できた気がする。

 階段を下りてカウンター横の絵本コーナーに行くと、子供の描いた絵が飾られていた。クレヨンでぐるぐるに描かれた太陽は一生懸命描いたのが伝わってきて癒されるわ。

「ああ、そちらは、こやけさんが描いたものですよ」

「え?」

「たまに描いたものをくれるんです。可愛いタッチなので、飾っていたのですが、こうして見ると、少しずつ上手になってますね。なんて、精霊様に失礼な事を言ったのは内緒にしててくださいね」

「そ、そうね!」

 子供が描いたものだと思っていたけど、これ、こやけちゃんの作品だったのね。

 左から順に見ていくと、確かに少しずつ絵が上手になっている。楽しくお絵描きしたんだなぁって和むわね。

 大きな柱時計を見ると、二を差していた。お腹空いたわね。そういえばお昼を食べていない。弐色さんが落ち着いたら来るって言ってたし、別のところに行っちゃ駄目よね。だからって、腹の虫を鳴かしているのも恥ずかしい。図書館が静かだから響いて恥ずかしい。

「お腹が空いているのでしたら、そこの自動販売機で色々買えますよ。読みながらの飲食は禁止ですが、ここで飲食されてもかまいません」

「あ、ありがとう」

 あたしは佳子さんが指した方向を見る。

 自動販売機には、パンやおにぎりが入っている。普通のコンビニの物と同じね。良かった。と安心したけど、よく見るとヤモリの黒焼きとかトリカブトの根っこも売ってる。訳わかんないラインナップね。売り切れてるから実物がどんなものか少し気になってしまう。

 あたしは昆布のおにぎりを買って、席に座って頬張る。他にも図書館を利用している人が少なからずいるので、カウンターに来て本の貸し出し手続きをしていた。

 おにぎりを食べ終えて、あたしは一息つく。

 ここなら調べ物が色々できるみたい。さっき弐色さんについてもちょっとわかった。それなら……こやけちゃんや景壱についても調べられるの?

「ねえ、こやけちゃんや景壱についての本ってあるの?」

「それは……少々お待ちくださいね」

 佳子さんはカウンターに設置されてるパソコンを触る。

 さすがに何が何処にあるか全部わからないわよね。そんなの怖すぎるもの。奥のほうで電話が鳴ったので佳子さんは引っ込んでしまった。

 貸し出し手続きをしに来た人がいるけど、受付の人がいない。そういえば、佳子さん以外に図書館で働いてる感じの人が見当たらない。

 佳子さんは戻ってくると、すぐに手続きをしていた。それが終わると、あたしの前に来た。

「景壱さんからお電話がありまして――『俺について調べるのは面白いから許すけど、俺について知りたいなら、俺に直接聞け』と」

「あ、ああ、そう、なのね」

 何であの子、あたしが調べてることがわかったの?

 佳子さんがパソコンで連絡した? それなら、電話じゃなくてそのままパソコンで連絡してきそうなものよね。

 あたしは上を見る。監視カメラが目に入った。ずっと、見られているってこと? 試しに手を振ってみる。

「何してるのさ?」

 そりゃあ当然の疑問よね。図書館に入ってすぐ、何処に手を振ってるかわからない人がいたらこんな反応になるわよね。

 弐色さんは蝶の柄の和服を着ていた。夏祭りで女の子が着ていそうな柄。帯も女物。

 ……やっぱり、弐色さんは、女の人? トランスジェンダーなのかしら? 聞くのは……やめておこう。

「ねーねー、よしこちゃんはー?」

「あれ? さっきまでいたんだけど……」

 弐色さんの後ろから彩加ちゃんが顔を出す。こちらはお団子に結い上げられてクマの耳のようになった髪に紫陽花の飾りがついていて可愛らしい。ワンピースタイプの和服なのね。着やすくて良さそうだわ。

 それにしても、佳子さんは何処に行ったのかしら?

 と思ったら奥に引っ込んでいた。戻って来た彼女の顔色がちょっと悪そうに見えた。元から悪い色をしているから更に怖い。

「景壱さんから伝言が――」

「もしかして、あたしが監視カメラに手を振ったから怒ってるの?」

「いえ。そうでは――……え、手を振ったのですか?」

「きゃはははっ。面白いことするよね」

「そんなに笑わなくても良いじゃないの!」

 ぺちっ! と、勢い余って弐色さんを叩いたのはこれで何度目だろう。

 あたしは身構える。泣きだしたらどうしよう。でも、今回は平気みたいだ。けろりとした表情をしている。

「キミさ、僕を叩いて楽しいの?」

「楽しくはないわ。それで、あの、景壱からの伝言は?」

「はい。『音楽堂に来てほしい』と」

「音楽堂?」

 あたしは弐色さんに向かって聞く。彼は頷いた。

 これから音楽堂に行かなければいけないみたい。きっと強制なんだろうなぁ。何処にあるのかと地図を広げると、佳子さんがペンを取り出したので、渡す。すぐに書き込まれた。図書館の裏をまっすぐ行くとあるみたい。この地図、もう少し丁寧に書いて欲しい。

 あたし達は図書館を出る。彩加ちゃんと手を繋いで道を行く。ぽかぽかしてあったかい手だわ。

「景壱を調べるなんて、気に入られちゃったね。完全に」

「けーいち、うたってくれるかなぁ?」

「歌ってくれるだけなら良いんだけどね」

 弐色さんから笑顔が消えていた。ちょっと不機嫌そう。

 歩くこと数分で、夕焼けの里音楽堂に着いた。ライブハウスのように見える。自動ドアが開いたので中に入る。小さなテーブルが三つとカウンター。カウンターにはドリンクが並んで置かれていた。

 ドリンクメニューとフードメニューもあるわね。でも、誰もいない。

「こっちだよ」

 弐色さんが手招きするのでついていく。赤い扉の向こう側にステージがあった。グランドピアノが中央に置いてある。

「思ったより来るのが早いな」

「きゃっ!」

「ああ、ごめん」

 後ろから声をかけられて驚いてしまった。謝ってくれるところはちゃんとしてるわね。

 声の主、景壱は椅子に座った。ここの唯一の椅子が、ピアノの椅子だから、あたし達は立ったままだ。

「お手洗いに行ってたの?」

「けーいち、おしっこしてたのー?」

「あなた達兄妹きょうだいはどうして俺の排泄を気にしてくるん? 知りたくないから話さなくて良いけど。それと、明らかに格上で年齢も上の俺をどうして呼び捨てにしてるかも気になる。ま……良いか」

 あ、二人はやっぱり兄妹だったのね。弐色さんと彩加ちゃんがどういう関係か聞くの忘れてたわ。

「そうそう菜季、監視カメラに手を振るとは面白い事してくれたな。ククッ」

「見てたの?」

「ずっと見てた。俺は時間を持て余してるからな。使わないと勿体ない」

「暇なだけでしょ。相変わらずひきこもりの変質者ぶりだね」

「人聞きが悪い。俺は観察しているだけ。朝顔の観察と同じ。対象を観察して愛でている。それだけ」

 あたしは夏休みの宿題のノリで監視されてたってこと?

 どうも景壱の感覚はあたしにはわからないわ。これなら弐色さんのほうがずっとわかりやすくて良い。

 彩加ちゃんはあたしから手を離すと景壱の隣に座った。恐れ知らずというか、なんというか……。景壱は嫌がるような仕草を一つもせず彩加ちゃんにピアノを触らせている。

「けーいち、あーちゃんね、きらきらぼしひけるの。おしえてもらったの」

「へえ。俺に聴かせて」

「うん! きかせてあげる!」

 彩加ちゃんは小さな手を広げて鍵盤に乗せる。

 ゆっくり、きらきら星が弾かれる。たどたどしい動きが、一生懸命弾いてるってわかって、少し感動しちゃう。

 弾き終わったところで、弐色さんが手を叩いたので、あたしも一緒に拍手する。景壱も拍手した後、鍵盤に指を乗せた。

「うん。なかなか上出来やと思う。それなら、俺も弾いてあげる」

 細くて長い指が鍵盤の隅から隅までなめらかに滑る。ピアノには白と黒しかないのに、音に色があるように聞こえる。

 何がどうなっているかさっぱり理解できないんだけど、景壱の紡ぐ音には、何故か色を感じた。

 音を楽しむってこういうことを言うんだと思ったし、この曲が何なのかもわかった。

 これ、きらきら星だわ。モーツァルトの『きらきら星変奏曲』。

 音と音が絡み合って、もつれあって、不思議な心地良さを生んでいる。リズムに合わせて揺れる頭のてっぺんの跳ねた毛が愛らしく思えてしまう。

 演奏が終わる。あたしは森で初めて歌声を聞いた時と同じように無意識に手を叩いていた。彩加ちゃんは嬉しそうに、にぱぁっと音がしそうなくらいに笑っていた。弐色さんはそんな彩加ちゃんの姿を見て笑っていた。子供を見守る優しい笑顔だった。あんな笑顔にもなれるのね。とても自然な笑顔だった。

「やっぱり、弾くならグランドピアノが良いな。屋敷のアップライトピアノはトリルができないから、少し物足りなくなる」

「トリルって何?」

「トリルとは顫音せんおんのこと。菜季の知能レベルに合わせて言うなら、アップライトピアノは『連弾が難しい』」

 景壱は鍵盤に指を滑らせながら言う。すごく速い。どんな動きをしているか全くわからない。ちゃんと曲を弾いてるってことはわかる。あたしは凄いとしか言えない。

 だって、あたしは園児が歌う曲の伴奏程度しか弾けないんだもの。これだけ早く正確に音を奏でることなんてできやしない。

「何弾いてるの?」

「リャプノフの超絶技巧練習曲第十番『レズギンカ』」

 話しながらでも景壱の弾く速さは落ちないし、正確に綺麗な旋律を奏でていた。ピアノのコンクールとか出たらゴールド金賞とかいうやつよねきっと。

「で、何か用があったんでしょ?」

「ピアノを弾きたくなったから呼んだだけ。観客が欲しい時もある。反応が欲しい時もある。俺は満たされた。大した用事は無い。強いて理由付けをするとしたら……彩加が来てたから、にしよか」

「あーちゃんね、もうすぐかえるの」

「うん。知ってる。葛乃さんも落ち着いた頃やろしね。そろそろ夜が降りてくる。道中気をつけて。……ま、今回は特別に雨の神の加護を与えよう」

「はいはい、ありがとう。菜季、彩加、行くよ」

「はーい! けーいち、ばいばい!」

「うん。バイバイ」

 ステージのある部屋から出ると、ガラスの向こうで雨が降っているのが見えた。

 雨なんて降りそうな天気じゃなかったのに。やっぱり山が近くにあるから天気が変わりやすいのかしら。

 弐色さんは傘立てにあった傘を二本持ってきた。他人の傘を持ってきて良いの? 傘立てをよく見ると、急な雨にご自由にお使いくださいと書かれていた。なんてサービスが良いのかしら。

「僕は彩加を送り届けてくるから、先に家に行っちゃって。道はわかるよね? 一本道だから」

「わかるけど……」

「大丈夫だよ。雨の神の加護も、夕焼けの精霊のお気に入りの証もある。誰もキミを襲わないさ」

「わかったわ」

「きゃはっ。心配しなくても、僕の式もついてるからね。ほら彩加、菜季に挨拶をして」

「はーい。なきちゃん、ばいばい!」

「バイバイ」

 彩加ちゃんと視線を合わせて手を振り返す。にこにこ笑っている小さい子を見ると癒されるわ。あたし、やっぱり、子供が好きなのよね。再認識しちゃった。

 二人が何処に行くかは聞かないでおいた。送り届けるって言ってたくらいだから、葛乃さんの所だと思う。怪我、治ったのかしら……? 景壱が何かぼそっと言ってたようには思うんだけど、少し心配だわ。

 あたしは道なりに歩く。森の中は暗くて、風の音が不気味だった。風で揺れる電線の音が怖い。木の間を縫うように電線が走ってる。鉄塔がいくつか立ってるのが目に入った。

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