第15話


 あたしは洋菓子店の袋と骨壺を持って、屋敷へと帰ってきた。

 とりあえず、抹茶プリンを冷蔵庫に入れてあげないといけないわよね。

 キッチンへ向かう。ガラス戸の前であたしは立ち止まる。

 良い香りがする。コンソメの香りだわ。誰かがキッチンで何かを作っている。……誰がいるかって、わかってるんだけど、ちょっと気まずいかも。謝れば許してもらえるわよね。だって、知らなかったんだもん。

 あたしはガラス戸を開いて中に入る。

 青い髪が見えた。左頬に痛々しくガーゼを貼っている姿が見えた。ああ、やっぱりそうよね。そうなるわよね。

「おかえり」

「ただいま。その、ごめんなさいね。あたし、貴方が太陽光に弱いって知らなくって」

「ああ……。言ってなかった俺も悪いし、あなたは、気にしてない」

 良かった。許してもらえたみたいだわ。

 あたしは冷蔵庫を開いて、こやけちゃんの抹茶プリンを置いた。十二個あるわ。あたしのモンブランは今食べよう。お腹はそれほど空いてないけど、やっぱり何か口にしたほうが良いと思うし。あたしはフォークと小皿を取って席に着く。

 景壱は何か作ってるみたいだった。対面キッチンだけど、L型だから、手元が見えない。コンソメの香りがするから、西洋料理だと思う。和食ではないと思うのよね。

 あたしはモンブランを食べながら考えるけど、さっぱりわからない。

 でも、何か変な胸のざわつきがある。こう、腑に落ちないのよね。何でかしら?

 モンブランは美味しかった。とても美味しかったのに、景壱が気になって仕方ない。左頬に貼られたガーゼが痛々しいし、見づらそう。痕が残ったらどうしようかしら。心配だわ。こやけちゃんは薬を塗れば治るって言っていたし、大丈夫だと思いたい。

 食べ終わった皿を下げるために、キッチンの内側に入る。

 景壱は鍋で何か煮込んでいる。良い香りがする。

 あたしは流しに皿を置いた。そして、異様な光景を目の当たりにした。排水溝に、細い髪の毛のようなものが絡み合って詰まっていて、水の動きにあわせて揺れている。なんなのこれ。

 タライに浸かっている包丁も、まな板も、水も、なにもかもが赤い。少し鉄の香りもする。

 いったい何を切ったの?

「ねえ景壱。何を切ったの?」

 あたしは後ろから話しかける。

 なんとなく、鍋の中を見てはいけない気がした。あたしの予感が当たっていたとしたら、あたしはどうすれば良いのかしら。

「子供の肉は軟らかくて良い。コンソメで煮るだけで美味しそう」

 景壱は楽しそうにそう答えた。子供ってよ。あたしは再び眩暈を感じながら、ソファに座った。

「何で後ずさったん?」

「眩暈がするの」

「ああ。そっか。月経やもんね。そこにタオルケットあるから、お腹を冷やさないようにしといたら?」

 この子、一回殴っても良いかしら。

 でも、ある意味理解があるってことになるのよね? 言い方はどうであれ気遣ってくれてることになるし、けっこう良い子なのかしら。

 どちらにしても、ちょっとアレなんだけど。あたしはタオルケットを拾って、お腹にかける。

 景壱は相変わらず何かを作っているみたい。機嫌が良いようで歌ってる。やっぱり綺麗な歌声なのよね。聞き惚れてしまう。でも、何の歌? 英語よね? なんとなくしか聞き取れない。

「When the door began to crack, 'Twas like a stick across my back; When my back began to smart, 'Twas like a penknife in my heart; When my heart began to bleed,'Twas death and death and death indeed.」

 ドア? ハート? 何のことかわからないわ。

 楽しそうに歌っているから、楽しい歌なのかしら。

「どういう意味の歌なの?」

「知りたい?」

「知りたいわ。教えて」

「それなら歌ってあげる」

 景壱は再び歌い始めた。

 裏表のある男がいて、庭に種をいっぱい撒いて――という内容で始まった。

 やっぱり楽しい歌だったのね。あたしがそう思ったその時、急におかしなことに気付いた。

「そのドアにひびが入り始めると、私の背中にあてられた棒のようだった。私の背中が疼き始めると、私の心臓にペンナイフがささったようだった。私の心臓から血が流れ始めると、それは本当に死、死、死だった」

 凄く不気味な歌。

 それなのに、何でこんなに楽しそうに歌っているのよこの子。

 景壱は歌い終わると満足そうな顔をしていたので、あたしは拍手をする。すると、ふにゃっと笑った。

 まるでお人形のように綺麗な顔をしているんだからわかっていたけど、笑うと可愛いのよね。

 景壱は料理の味見をしているみたいだった。小皿に取り出して、口を動かしている。本当にいったい何を作っているのかしら。

「うん。やっぱり、年寄りとは違って、子供の肉は軟らかくて甘味がある。でも、年寄りは子供より風味が豊か。どちらにも良さがあるから迷う。どちらが良いとは言い切れない。迷う」

 何かブツブツ呟いている。こういう時は放っておいたほうが良さそう。巻き込まれると厄介なことになりそうだもの。

 あたしは目を閉じる。こうすれば、怖いものは何も見えない。見なければ良いの。それでも、目を閉じたことによって、景壱の独り言がよく聞き取れるようになってしまった。

「今度年寄りが手に入ったら、スパイスの準備をしておこう。脂も取り除いて、スパイスで臭みを取ろう。今日は死にたてほやほやの子供の肉が手に入って良かった。ああ、でも、熟成してないから、今度は熟成させないと。肉は死にたてより腐りかけのほうが美味しい。もっと甘味が出て美味しい。可食部以外も残らず使ってあげないと。骨は出汁を取るのにちょうど良いし、内臓も臭みを取れば栄養満点。だが、胆嚢は苦くて食べられないから却下。目玉はコラーゲンが豊富やから、こやけに食べさせてあげよ。裏側がぷるぷるで食感も良いはず。炭火で焼いても美味しいかもしれない。今度は煮込まずに炭火焼にでもするか。冷凍しておけばモツもしばらくもつやろし、ククッ、今のはくだらなかったな」

 あたし、話しかけられているのかしら?

 目をうっすら開いてみたけど、景壱は鍋に調味料を入れている。独り言。香りが変わってきた。これは、ホワイトシチューね。……シチューって言われると、ちょっと思い出すことがある。

「そっか。若ければ若いほど取れる肉の量は少ない。小さいし。でも、軟らかくて臭みも少なくなってる。年齢と共に肉の色は黒ずんでいく。赤ん坊は淡いピンクで、子供はピンクがかった赤色。年寄りは黒っぽい赤色。そう考えたら、今度は赤ん坊を――ああ、そういえば、愛さんが今月出産予定やったな」

「食べちゃ駄目よ!」

 あたしはここで景壱に声をかけた。

 同時に、さっきからこの子が煮込んでいる肉の正体が確信に変わってきた。

 ソファに寝転んでわかったけど、庭にビニール袋が置いてある。透けてて、中身は血に濡れた子供服。こやけちゃんが孵化させた子の服にそっくり。景壱は首を傾げている。

「いきなり何の話?」

「愛さんの子を食べちゃ駄目!」

「俺は愛さんの子を食べるなんて言ってないし、食べようとも思っていない。愛さんには、何か出産祝いを贈ろうと思う。涼司りょうじさんが幸福を願った相手だから」

「涼司さんって誰?」

「こやけを泣かせた

 背中を悪寒が走った。

 景壱の目が一気に凍てついて、透明度が増したように見える。

 それに、声に感情が全く感じられなかった。まるで、それしか言えないようにインプットされたロボットのようだった。

 景壱の目が異様に冷え切って凍てついているので、あたしは目を逸らす。

 このまま見ていたら、心の奥まで見透かされてしまいそう。そういう得体の知れない恐怖が頭をよぎった。

「それはそうと菜季、どうしてご飯を冷凍してくれなかった?」

「あ、ああ! ごめんなさい! 忘れてたわ!」

 景壱は冷凍室にご飯を入れていた。

 炊き立てのご飯を冷凍するのに抵抗があったんだけど、やっぱり冷凍しないと駄目だったのね。

 ちょっと開いた冷凍庫に何か赤い物が入っている。お昼には入ってなかったから、景壱が今入れたんだと思う。何が入っているかは考えないでおこう。

 あたしは頭を抱える。ガンガン痛む。鎮痛剤とか無いのかしら。話題をなるべく料理から逸らしたいし、聞いてみよう。

「ねえ景壱。鎮痛剤は無いの?」

「少し待ってて」

 景壱はグラスに水を入れて持ってきた。そしてテレビ台の下から救急箱を出すと『頭痛・発熱・生理痛に』と書かれた箱をあたしの前に置いた。ご丁寧に胃薬も一包つけて。置くとさっさとキッチンへ戻っていく。

 やっぱり、理解はあるから優しい部類に入るのかしら。

 あたしは箱から錠剤を二粒取り出し、胃薬と共に水で流し込む。

 ……水が美味しいわ。田舎だからかしら。

 あたしは薄目で庭のビニール袋を見つめる。やっぱりそうよね。あれは、あれよね。この確信はそっと心の内に秘めたほうが良いわよね。でも、あたしもあのシチューを食べないといけないのよね。でも、おかしいわ。外はこんなに晴れている。景壱は窓から射し込む光に当たっただけで、大火傷するくらい。

 それなのに、外に出ようと思うかしら?

「あの袋が気になる?」

「……気になるわよ。出かける前は無かったもの」

「カラスが持って来てくれたんよ。人間の子供の死体」

 聞かなきゃ良かったわ。

 あたしはここに来て幾度目かの後悔をした。

 確信していたけれど、やっぱりそうはっきり聞かされると、心にくるものがある。景壱の声は段々楽しそうに弾んでいくようだった。

「お蔭で美味しいホワイトシチューができた。まだ肉も骨も余ってるから、しばらく味わえそう」

 あたしには、景壱を納得させられるような言葉は思い浮かばない。

 あたしが悩んでいると、こやけちゃんが帰ってきた。景壱は皿にシチューを盛る。リビングに入ってきたこやけちゃんの目が輝いた。そして、景壱からシチューを受け取って、席に座った。

「ただいまです! 頂きます!」

「ちょっと待って!」

「何ですか?」

 スプーンで肉を掬ったところで、あたしはこやけちゃんを止める。こやけちゃんは首をこてんっと傾げた。

「それ、さっき川原で捜してた子の肉で作ったシチューなのよ」

「そうなのですか?」

「そう。だから、その――」

 パクッ。

 あたしの言葉を待たずにこやけちゃんは口に肉を入れた。むっきゅむっきゅと奇妙な音が鳴っている。

 ぱあぁっと音が鳴りそうな程にこやけちゃんの表情が明るくなった。もしかして美味しいのかしら?

 なんだかこんなに美味しそうに食べていたら、美味しそうに見える。お腹が鳴る。モンブランしか食べてないんだもの。そりゃお腹も空くわよね。こやけちゃんの食べっぷりを見ていたら、あたしも食欲がわいてきた。そこへ、景壱がシチューをテーブルに置いた。パンの入ったバスケットも一緒に。

 あたしはこやけちゃんの前の席に座る。スプーンで肉を掬って、口に含む。肉はとろけるように軟らかく、唇に触れると吸い付くように心地良い。美味しい。

「菜季さん! ちゃんと『頂きます』ってしないと駄目です!」

「あ、ごめんなさい。そうよね。頂きます」

「そうです。そうです。我々は命を頂いているのですから、ちゃんと言わないと死んだ子に失礼なのです」

「そうそう。死んだ子に失礼」

 まだ夕方にもなっていない妙な時間にシチューを食べている。でも美味しいのよね。手が止まらない。

 そんなあたしの姿を見て、景壱がクスクスと笑っている。

「菜季、『人間は食べ物じゃない』んやなかった?」

 その言葉に、胃が絞られるような痛みを感じた。

 どうしよう。確実に人間ってわかっている肉を食べてしまった。しかも美味しいとさえ思ってしまった。どうしよう。胃が痛い。

「菜季さん、何も心配することは無いのです。ここは夕焼けの里。永久の安らぎをお約束する素敵な里なのです。それに、菜季さんに食べられたほうがこの子は幸福なのです。カラスよりもずぅっと良いのです!」

 テーブルの真ん中に置かれたシチュー鍋は既に空っぽになっていた。

 こやけちゃんがガツガツ食べるからすぐに無くなっちゃうみたい。これほど良い食べっぷりの子を今まで見たことがなかった。

 こやけちゃんはパンを千切ってシチューをつけて食べている。言われてみればカラスに啄まれるよりは、人間に食べられたほうが良いかも……。

 あたしもパンを千切ってシチューをつけて食べる。不思議と胃痛は治まった。そういえば、胃薬飲んだものね。きっとその効果もあるわ。頭痛も治まったもの。

「つまり、ってことで、あなたも食べて良い存在ってことになるよな? ああ、菜季の心臓はどんな色をしてるんかな? 暗褐色かな? ピンクかな? 重量はどれくらいやろ。重いんかな? 軽いんかな? においはどうなんかな? 硬さは? 味は?」

「駄目でございますよ! 菜季さんは私のお友達ペットなのですから、いくらご主人様でも食べてはいけないのですよ! ご馳走様でした!」

「冗談」

 こやけちゃんはスプーンで皿を叩きながら、隣にいる景壱に訴えている。

 冗談には聞こえなかったわよ。まるで歌うような調子でいられたら、心地よく聞こえてしまうけれど、言っていることは恐怖でしかない。現にあたしの脚は震えている。振動が二人に伝わらないか心配なほど。

 あたしの心配は二人に伝わっていないようで、流しに皿を片付けに行った。あたしは震えが治まってから立ち上がった。包丁もまな板も干されていた。塩素のにおいが鼻をつく。あたしは皿とスプーンを洗って、同じように干した。布が置いてあるから拭いてから片付けるのよね。ここで、あたしは庭を見て思い出した。

 洗濯物を干したままだわ!

 庭に出ると、陽がすっかり傾き始めていて、世界がオレンジ色に染まっていた。何もかもがオレンジ色。

 服を取り込むために手を伸ばすと、こやけちゃんが塀に乗っていた。何しているのかしら。そう思って見ていると、右腕を真っ直ぐ水平に伸ばした。手首に嵌めた赤い数珠の金色の鈴が鳴り響く。りぃんりりぃん。とても澄んだ綺麗な音色。

 その瞬間。空が真っ赤に焼け落ちた。まるで大火事が起きているかのよう。遠くに見える山が黒く見えて、夕焼けの美しさを引き立てていた。

 あたしの前に立っているこやけちゃんの髪の色も、空と同じような色に変わって見えていた。振り向いた瞳は、燃え上がっているように見えた。高潔さまで感じられるような赤い瞳。見ているとあったかくて、安らぐ。

 そっか。夕焼けの里だもの。夕焼けが綺麗なのは当然よね。安らぐのも当然。

 だって、ここは夕焼けの里なんだもの。

「綺麗やろ?」

「ええ。とっても。……あれ、外に出て大丈夫なの?」

「日焼け止め塗ったら大丈夫」

 思ったよりも対策は簡単なのね。

 こやけちゃんはふわふわ浮き上がって、カラスと一緒にいる。黒い人影にしか今は見えない。景壱も空を仰いでいる。瞳に夕焼けが映り込んで綺麗。

 景壱は歌い始めた。こやけちゃんにも歌声が届いているようで、宙返りをしてくれた。

 凄く綺麗な歌声に、凄く綺麗な景色。とても癒される。あたし、ここに来て、ここに居て、良かったのかもしれない。

 陽が完全に落ちるまであたし達は庭にいた。リビングに戻る。置きっぱなしにしていた骨壺を思い出した。そういえば、これ、どうしようかしら。

「こやけちゃん。この、骨壺なんだけど……」

「その前に菜季さんは忘れているのです」

「え? 何を?」

「家族のことです。貴女には外に家族がいるのです。外の家族がおばあさまのことを心配しているのですよ」

「こやけが言う事やないと思うけど」

 景壱はノートパソコンを弾きながらそう言う。

 そうだったわ。あたしには、家族がいる。

 どうして今までそのことを忘れていたのかしら。どうして?

「この骨壺は、家族の元へ送りましょうか」

「自分の娘が実の母を殺して、ご丁寧に焼いて、骨壺に詰めて送ってくるなんておかあさまも、誰も、想像しないやろな。ああ、どんな反応をするんやろね? ああ、どんな驚きがそこにはあるんやろ? 俺の知らない反応がそこには満ちているはず。知りたいな。知りたい知りたい知りたい知りたい」

「ご主人様!」

「おまえが菜季のおばあさまを殺した。菜季の願いを叶えてあげたから殺した。即ち、菜季がおばあさまを殺した」

「違うのです。菜季さんは、私におばあさまを殺してとは頼んでいないのです!」

「でも、外界の人間はどう思うやろね? 知りたい? 知りたいよな。大サービスで教えてあげる」

 カタカタカタッ。キーボードが弾かれ、画面がこちらに向いた。

 景壱はうっすら笑ってる。こやけちゃんはあたしの目を手で隠した。

 何も見えない。カチッと音がしたかと思えば、会話が聞こえてきた。

 そして、あたしは後頭部に強い衝撃を感じた――……。


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