第5話

「ふぅ……ついた」


 袖で額からじんわりと出た汗を軽く拭いながら辺りを見渡すと、社殿の前に見慣れた人物が立ち尽くしているのを発見したので、すぐに駆け寄る。

 だが駆け寄ったのはいいものの、何て声を掛ければいいのだろう。

 先輩とは入学してから一度も言葉を交わしていない――という事実がここに来てなぎに戸惑いを生ませた。

 視線は混ざり合っているのに、出てこない言葉。

 あの、えっと……と繰り返すだけで、頭の中が真っ白になっていると、先に美織みおの方が口を開いた。


「――あなたとこうやって話すのは、初めてよね。 ……少し、あなたと話がしてみたいと思っていたの」


 そう言うと社殿に腰を下ろし、隣に座るよう促した。

 先輩が自分と話してみたいと思っていたという事実に驚きつつも、先輩の隣に腰を下ろした。花火が遠くで鮮やかに打ちあがっている。


「わ、私もっ……せ、先輩とお話がっ……」


 思い切って話そうとするが、いつの間にか口の中がカラカラになってしまっていた。

 緊張のせいで上手く言葉が出てこない。


(あんなに先輩と話したい、って思ってたのに……!)


 いざ実際に喋るとなると言葉さえ出てこなくなる自分に対してもどかしく思っていると、先輩がシュンとしたような声でこう言った。


「えっと……もしかして私のこと、嫌い?」


 少し不安の色がかかった眼差し。

 いつものクールで鉄仮面な彼女らしからぬ表情だった。


「えっ⁉ そ、そんなこと無いです‼」


 咄嗟に言葉が口をついた。


「き、緊張してて……先輩と………は、話せると思うと嬉しくて――」


 想っていることをそのまま言葉にしていく。

 自分でも何言ってるんだろう――言い終わるとすぐに恥ずかしさが襲ってきて、凪は浴衣の袖で顔を隠した。

 それを見た美織が軽く頬を緩める。


「そっか……ならいい」


 その表情に、凪もホッと胸をなでおろした。


「それで、貴方の名前は、森村凪……で、合ってるわよね?」


「は、はい!」


「……そんな、緊張しないで。 別に怒ってないし、取って食う訳じゃないんだから」


 少しムスッとしたように呟く先輩。

 ブツブツと、自分は怒っていると普段から勘違いされやすいという愚痴も漏らす。そんな先輩の姿に、凪は少しだけ緊張がほぐれた。いつもクールで無口な彼女が普段そんなことを思っていたと思うと可愛く感じた。


「そう……ですね。 普段通りの話し方で」


「そうしてもらうと助かるわ」


 それから、先輩から色々と話を聞かれた。

 好きな食べ物や趣味、演技についてなどなど。

 色々と自分に対して気になることがあったらしい。その質問の中で凪が一番恥ずかしかったの質問は演劇部に入ろうと思った理由だった。

 憧れた人物に直接、「あなたに憧れて……」というのはとても気が引けて気恥ずかしかったけれど、自分の思いの丈をちゃんと彼女に伝えることができた。

 それを聞いた先輩が、


「そっか……」


 とそっけなく言って顔を背けたのが少し気がかりだったけれど。

 それからしばらく美織と話していた凪だったが、手に持っていた袋を思い出した。


「あ、そうだ。 たこ焼き買ってきたんですけど、食べますか?」


「……いいの?」


「は、はい。 私はりんご飴3個食べて、お腹が……」


 嘘だ。

 ホントはまだまだ食べられる。――が、憧れの人物の手前、変に見栄を張りたくなってしまった。凪がトレーを開けると、6個のたこ焼きから湯気が立ち上った。

二本刺さったつまようじの一本を取り、たこ焼きを頬張る美織。


「……おいしいですか?」


「うん、美味しい。 ……やっぱり凪も一つ食べない?」


 そう言うと彼女が次のたこ焼きを凪の口元に持ってきた。


「えっ、えっ⁉」


 いきなりの出来事に困惑する。


(こ、これ……あーん、だよね? 美織先輩が私にあーんしてくれようとしてる⁉)


 アワアワしている凪の姿に、美織は何かに気づいたように一度近づけたたこ焼きをトレーに戻した。


「ご、ごめんなさい。 私が使ったつまようじじゃ嫌よね」


 そう言って使ってない方のつまようじで、再び凪にあーんしてきた。


(そ、そう言うことじゃないんですけど……⁉)


 凪は困惑しながらも、美織にされるがままあーんしてもらう。今まで食べたたこ焼きの中で間違いなく一番おいしかった。


「どう?」


「と、とてもおいしいです!」


 キラキラとした目を彼女に向ける。

 その反応が面白かったのか、美織は再び彼女にあーんをしてきた。そして気づけば、残りのたこ焼き5つは、結局凪の胃袋に収まっていた。


「……すみません、私だけ食べてしまいました」


 やってしまった、と顔を押さえる凪。

 そんな彼女に美織は口元に手を当てると、くすっと笑った。


「せ、先輩?」


「あ、いや……あなたが何だか微笑ましくて」


 ごめんなさい、と謝る。

 とその時、大きな花火が一発撃ちあがった。

 これからラストスパートということを告げる花火で、赤や青といった光の粒がドォンという音とともに咲き乱れては一瞬で消えていく。

 それを見た美織が不意に立ち上がった。


「そろそろ終わりだから、みんなのところへ戻ろうか」


 彼女に言われて時計を見ると、すでに花火大会も終わりに近づいていた。


「そう、ですね」


 凪も「よいしょ」と立ち上がり、パッパッとお尻を軽く払う。

 あっという間だった。

 先輩と話す時間というのが。

 4カ月間待ち望んだ時間は思っていたよりも何倍も楽しくて、そして何倍もあっという間だった。昔聞いた、好きな子と一緒にいる時間は短く感じる――という話を一番実感した瞬間かもしれない。

 満足した。

 心はこれ以上ないくらい満たされている。

 だがしかし、それと同じくしてなんとも言い難い虚無感のようなものも襲ってきた。遠足を前日に控えてワクワクしていた子供が遠足の帰りに思う感情と同じような寂寥感。

 もう終わってしまうんだ、という喪失感。

 それらをごちゃ混ぜにしたような感情がグルグルと凪の胸に渦巻いた。


「それじゃあ、行こうか」


 そう言って先輩が歩き出す。

 遠くなる背中。

 このままみんなのところに戻るのも悪くない。

 目標だった、先輩と話すのをクリアしたから。

 しかし、目標をクリアすると欲が出てきてしまった。また、先輩と話したい。

彼女の笑顔を見たい。

 こうやって二人きりで。

 遠くなる。

 遠くなる。

 先輩の背中が。

 その時、灯里部長に言われた言葉が脳裏をよぎった。


「あ、あの――」


 そして気づいた時には、先輩を呼び止めていた。


「………なに?」


「あ、あのっ……」


 振り返った先輩の背後で花火が咲き乱れる。

 凪は一度深呼吸すると、彼女の瞳を見つめたまま口を開いた。


「ま、またこうやって二人きりで話してくれませんかっ?」


 お願いします――そうやって手を差し出す。

 凪は、まるで告白でもしているかのように目をギュッとつむり、彼女からの返答を待った。自分の話はどうだっただろう。先輩に、もうあなたとは話さなくても良いと思われていないだろうか。

 断られたらどうしよう。

 花火の音が鳴り響く中、そんな不安で心はいっぱいだった。

 微かに震える手。

 だが彼女の不安に対して、結論は思っていたよりもすぐに出た。


「ええ、また話しましょう」


 差し出した手がギュッと握られる。

 華奢ですべすべで、少し冷たな掌だった。しかし、その握る力はちょっとだけ温かくて、凪も思わず握り返してしまう。


「それじゃあ、みんなの所へ戻りましょうか」


 そう言うと美織はその手を引っ張って、ゆっくりと石段を降り始めたのだった。

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