第27話 5月18日、12時15分


 ――5月15日、午後4時32分。

 交通量のある片側二車線の国道の、その歩道にて。

 

「……ん」

 

 下校中だった俺は、少し先の方で女子が信号待ちをしているのをふと見かけた。

 制服を見るに同じ学校。遠目から見えるリボンタイの色は赤。

 ……どうやら同級生らしい。

 

「……あれは、ええと……三枝、だったか」

 

 そう独りごちる。

 自己主張の激しい黒縁メガネに黒髪ロング、一見しただけでもおとなしそうな印象。……正直俺にとっては、ほとんど接点のなかったその子の名前なんて、本来知るよしもないはずだった。ただ、なんだか普通には読めない名字だなぁ、とどこかで思ったことがあって、それで今かろうじて名前が出てきたのである。

 すると俺がそんな事を考えているうちに、信号が青へと変わってゆく。この道路は交通量が多い為、グズグズしているとすぐに信号が変わってしまう。俺は慌てて駆けだした。

 

 ――と、その時だった。横断歩道のほぼ中央で、三枝と自転車が接触したのは。

 

「……っつ」

 

 三枝はそんな声にならない声を上げ、横から倒れてしまう。だが自転車に跨がった金髪の青年は、特に彼女を介抱したりせず、むしろチラリと一瞥してから立ち漕ぎで去って行ってしまった。

 

「……だ、大丈夫か?」

 

 慌てて駆け寄り、起き上がらせる。とりあえずざっと確認するが、特に目立った外傷は見当たらない。

 ……ただ一点、先ほどまで顔に掛かっていた物を除けば。

 

 そうして俺は、初めて彼女の本当の顔を拝んでいた。

 ――語彙力がふっ飛ぶぐらい可愛らしい、その素顔を。

 

「あ、その……」

「ん、あ、ああ」

 

 正直、そう声を掛けられなければ、俺はずっと呆けていたままだっただろう。

 そこでようやく我に返る事が出来た俺は、その顔を直視できず視線をずらす。するとちょうどその目線の先に、フレームが根元からポッキリと折れてしまっているメガネを見つけた。

 

「……困ったなあ、これじゃ何にも見えないね」

 

 ため息をつきながらそれを拾った三枝さんは、てははと作り笑いを浮かべ一言。

 

「えっと、ありがとね。もう大丈夫だから」

「何にも見えないんじゃ、全然大丈夫じゃないだろう。……えっと、C組の三枝だろ? 俺はA組の小前田だ。良かったら、家まで送っていこうか?」

「あー……えっと」

 

 その申し出に一瞬考えるそぶりを見せた彼女は、壊れたメガネをポケットにしまい込みながら、ふるふると首を振った。

 

「気持ちだけ受け取っとくよ、ありがとう。それじゃ」

 

 そう言って、三枝は踵を返し、目をこれでもかと細めながら横断歩道を渡っていく。

 

 ――だが、次の瞬間。

 そんな彼女の左手の方向から、猛スピードで黒い車が急発進してくるのが見えた。

 

「……っ、危ないっ‼‼」

 

 ――俺の体が反射的に動き出すまで、0コンマ何秒……それこそまさに、タイムアタックをしているかのような反応速度だっただろう。

 そうして俺は、その声に反応し振り返った彼女のことを、両手で思いっきり突き飛ばしていた。

 ……三枝が俺よりよほど軽かったからだろう、俺は何とか彼女を歩道の点字ブロックまで突き飛ばすことが出来たようだった。

 

 そうした後。俺は左から迫ってくる車のボンネットをふと眺め……さて、これからどうやったらこの危機を回避できるのだろうか、などと人ごとのように考えていたのだった――



  ***



「……。思い、出した。思い出した、全部……!」

 

 愕然とした表情を浮かべつつも、俺はそう言葉を並べていた。

 すると時乃は俺のその問いには答えず、少し遠い所を眺めながら勝手に呟き始める。

 

「……そっか、全部思い出しちゃったか。……いやあ、まさか金髪のシーンを見て記憶を取り戻すだなんて、ね。流石のわたしでも、そこまでは予測出来なかったよ」

 

 そう言って薄く笑う時乃。そんな時乃に俺は我を忘れて尋ねていた。

 

「な、なあ時乃! 俺はあの後どうなったんだ⁉ どう考えてもあのタイミングじゃ、あの車避けられなかっただろ⁉」

 

 そこまで叫んだ後、俺は一つの可能性に辿り着き、思わず口を押さえていた。 


 

「……俺、ひょっとして異世界転生したのか?」


 

 すると、それを聞いた時乃は何故か、ぷふーと噴き出してしまっていた。

 

「違うよ! そもそもトラックに轢かれたわけじゃないじゃん! 轢かれたのは黒塗りの高級車だったし、そもそもまだ死んでないってば!」

 

 そうして一通り俺の想像を否定した後、時乃は急に神妙な顔を浮かべ、言い聞かせるようなトーンで言葉を紡いでいく。

 

「……まずは落ち着いて。ね? ちゃんと陸也が落ち着けたなら、あの後どうなったのか、全部説明してあげるからさ」

「……あ、ああ」

 

 その言葉を受け、俺は一つ深呼吸。

 そうしてちゃんと落ち着きを取り戻せたのを確認してから、時乃はゆっくりと、あの時の事について振り返ってくれた。


 ――曰く、あの事故は不幸な事が重なって起きた事だったらしい。

 まず、自転車側の完全なる不注意によって時乃が倒されてしまったこと。

 そして一番前で信号待ちをしていた車こそ青信号でも発進せずにいてくれたが、それが大型トラックだった為、後ろにはそれが伝わらなかったということ。

 さらに後ろの車の運転手が自社製品に関するのっぴきならない商談を抱えており、絶対に遅れることが出来なかったということ。

 最後に、本来はゲームをたしなんでいて反射神経は良かったにも関わらず、時乃のメガネが壊されていて、かつ耳にはイヤホンが装着されていたため、車の急発進に全く気づくことが出来なかったということ。

 

 そんな不幸が重なり、時乃が危険にさらされ、結果的にはかばった俺がはねられてしまった……そんな経緯だったらしい。


「陸也に突き飛ばされるまで、自分が危なかったなんてこれっぽっちも分からなかったよ。……前にも言ったけどさ。助けてくれて、ありがとうね」

「前って……ああそうか、いつぞや寝る前に意味深な感謝してきたのって、この時のことだったのか」

 

 そうして納得の頷きをしていると、時乃もまたそれに一つ相づちを打ってくれた。が、すぐにまたその顔を暗くしてしまう。

 

「そして……ごめんね。わたしをかばってくれたばかりに、酷い怪我を負わせちゃってさ」

「……そんなに酷かったのか?」

 

 恐る恐るそう聞き返すと、時乃は一瞬ちらっとこちらの顔を確認した後、言いづらそうに顔を伏せながら、それでも言葉をなんとか絞り出していった。

 

「……程度で言うなら、意識不明の重体。……重傷じゃなくてね」

「……ってことは、死ぬかも知れない怪我って事か」

「うん。特に車と対向車に挟まれた下腹部、左脇腹の部分が酷くて。事故直後に介抱したときに見たんだけど、正直に言うと……えっと……いや、ごめん、やっぱり口では言えないや」

「……っ」

 

 思わず左手で脇腹を押さえる。

 ……それほどの怪我だった……いや、まさかとは思うが、この痛みってそれに関係してるのか……?

 と、そんなことを考えていると、時乃もまた俺の顔をじっと見つめながら、徐々に核心へと話を進めていった。

 

「で……さ。陸也の両親から聞いたんだけど。陸也って、麻酔が打てない体質らしいじゃん」

「え? いやまあ、そうだけど……って、そうだよ! どうしたんだよそれ‼ 重体だろうとなんだろうと、手術なんて出来るわけないじゃんか⁉」

 

 思わずガバッと顔を上げ、そう食らいついてしまっていた。

 ……そうだ。俺は麻酔が体から抜けない体質で、それ故に小さい頃とんでもなく痛い思いをしていたこともあるほどで。それなのに、そんな怪我をしたなら、一体どうなるんだ……?

 俺のその問いに、時乃は少し思案顔を浮かべる。……どこから説明するか考えあぐねていたようだった。

 だが、その後意を決したらしく、俺の目をしっかりと見据えながら口を開く。


「――そう。だから陸也に『マリク』をして貰ったの」

「……は? どういう、ことだ……?」

 

 眉間を限界まで縮こませながら、俺はそう尋ね返していた。……それもそうだろう。前後の話が全く繋がっていないのだから。

 しかし時乃は、そんな反応は織り込み済みだとばかりに一旦くすっと笑うと、真剣な表情に戻りつつ、話し始めた。

 

「ちゃんと説明するよ。……お医者さんがいうにはね、応急処置で何とか即死は免れたし、今は無意識状態だからいいんだけど、何かの拍子に覚醒したら、そのまま痛みでショック死するかも知れないって状態が続いてたらしいの。だから陸也が生き延びるためには、意識を取り戻す前になるべく早く手術して、かつ起きても耐えられるぐらいまで傷を回復させる、ってのが絶対条件だった」

「……でも、麻酔は打てないだろ?」

「そう。麻酔もなしに手術なんてすれば、痛みで覚醒しちゃうでしょ? 結局ショック死することに変わりはないし、万が一無意識下にありつづけたとしても、頭や体が生きることを諦めればそれでおしまいだった。だから、お医者さんも凄く頭を悩ませてたってわけ。……で、そこでわたしが、ゲーマーならではのアイデアを閃いたの」

 

 そこで一旦溜めた後、時乃はちょっと微笑みつつ、告げた。


 

「――陸也にフルダイブ環境でゲームして貰って、勝手に意識が覚醒しないようにしつつ、負けられないボス戦で傷を負った瞬間に手術を始めちゃえば、いくら痛くても死を選ばずに、耐え抜いて耐え抜いて、目の前のボスを倒しにいく事を選ぶんじゃないか……ってね」



「………………え?」

 

 ……それって、つまり……?

 俺はもう、この時点で半ば混乱状態に陥っていた。

 

「これで分かってくれた? リハビリ前提でルート組んでたってことも、魔王戦の時にオプションウェアを……いや、ってこともさ」

 

 そうして時乃は、何か文句でもある? とでも言わんばかりの笑みを浮かべてくる。

 

 ……いや、待て待て、待ってくれ。

 確かに俺は、時乃に色んな証拠を突きつけ、裏で何かしていただろうと問い詰めた。

 ――何かを調整していると思わしき、居合い切りバグの使用可否。

 ――本来なら時間が掛かる聖域への道中を、飛ばすかどうかの判断に対する動揺。

 ――オプションウェアを事あるごとに確認する癖。

 時乃の説明は、これまで謎だったそれら全てに筋が通るわけで。

 つまり、それは……。 

 

 俺は本当に愕然としながら、今の話から辿り着く事が出来た答えを、ゆっくりゆっくり口にしていった。


「待て、待ってくれ時乃。つまりは……つまり時乃は、ゲーム開始時から裏でずっと時間調整をしていて……」


 

 

「――俺の手術開始時刻と、あの魔剣の一撃を食らうタイミングを、ぴったり合わせてみせた……そういう事なのか……⁉」


 


 時乃はそんな問いかけに対し、少し照れくさそうに笑った後、語り始める。


「――5月18日、12時15分ジャスト。これがこのゲームにフルダイブする前、主治医の先生と交わした約束の時間。わたしはその手術開始時刻までに、陸也をゲーム開始地点から、魔王が第二形態に移行するまで誘導していかなきゃならなかった。

……16日の朝9時に陸也をゲーム内で起こすとして、都合2回寝ることも加味しつつ、事前に最適なルートを構築していって……。もちろん色んな理由で遅くなったり早くなったりするだろうから、状況に応じて時間短縮できるバグ技を教えたりして、ゲーム内で時間を調節していって。――無事やり遂げられたから、後はもうウイニングランだーって気を抜いちゃって、そのせいで問い詰められたりもしたけれど。でもそれでも……なんだかんだわたし、上手くやれてたよね?」

 

 ……いや、上手くやれてたどころの騒ぎじゃない。

 そもそも据え置き機でプレイしていたとしても相当に難しいことのはずだし、ましてやそれをVR空間で、しかも自分で操作するんじゃなく、俺に操作させて、しかも練習なしの一発勝負でだなんて。

 ――そんなのはっきり言って、神業以外の何物でもない。


 しかし、それは現に成されていた。

 だからこそ、俺は未だに意識を繋げられているわけだし、時乃は今ここで胸を張っているんだ。

 これが……これがこのゲームの、世界最速記録保持者の、真の実力……?

 

 と、そんな事を考え言葉を失っている俺に対し、時乃がふと口を開く。

 

「これでも、色んなタイムアタックをしてきたけどさ」


 


「――誰かの命を助けるタイムアタックなんてやったの、初めてだったよ」



 

 そうして、時乃は薄く笑った。

 ……身震いがするほど、その姿は神々しく見えた。


 

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