第四章 5月18日、12時15分

第19話 痛みに強い、その理由


 ――小4の頃、俺は酷い大けがを負ったことがある。

 

 きっかけは些細なことだった。当時の友達が、自分が住んでいる一軒家の屋根に上がらないかと誘ってきたのである。屋根に上がる正規の手段は無く、自室の窓から雨どいを伝って、急勾配の屋根を登っていくというルートなのだとか。

 「そこからの景色は格別だし、なにより度胸試しでもあるから、誘いに乗らない奴は今後意気地なしと呼ぶぞ」などと脅し、そいつは他にも数人を同様の手口で誘っていた。

 ……そうして俺はあまり気乗りのしないその催しに、半ば強制的に参加させられてしまったのだった。

 

 そして当日。そいつの自室から一人ずつ屋根へと登っていったのだが、案の定、俺の前に登った奴がうっかり足を滑らせてしまった。

 その時、窓で順番待ちをしていた俺は、ズリズリズリッという音と、恐怖に引きつる声を聞き、とっさにその窓から腕を伸ばしてしまう。

 ……単にそいつを助けたかっただけという、至って短絡的な行動である。

 その代償は大きく、俺は結局そいつとともに真っ逆さまに落ちてしまっていた。

 幸いなことに足を滑らせた奴は、俺が腕を伸ばしたことにより、塀に全身を打ち付けるという難を逃れ、軽い打ち身程度で済んだのだが……逆に俺の方が、伸ばしていた左腕をその塀にぶつけてしまっていた。

 ――その時のボキリ、という鈍い音は、今でも鮮明に覚えている。

 

 診断は前腕骨幹部骨折。まさに重傷だった。

 だが、俺の受難はそれだけでは終わらなかった。当然手術となったわけなのだが、その術前の検査で、衝撃的な事実が判明したのである。

 

 

「――陸也くんは、麻酔が全く打てない体質です」


 

 医者から告げられたその言葉を、俺は最初全く理解出来なかった。

 毎日しっかり歯を磨いて寝る優良児だったこともあり、『ますい』とは一体なんぞや? というレベルだったのだ。

 

 後に同席していた両親から聞かされた事を要約すると、俺は麻酔が効かないわけではなく、言わば麻酔が体から抜けない体質なんだとか。

 ――そもそも麻酔注射だろうが麻酔ガスだろうが、体が麻酔の成分を分解、無力化し、排出するというメカニズムによって、人は麻酔から醒めてゆく。

 俺はその、体が麻酔の成分を分解・排出する、ということが出来ない極めて特殊な体質だったらしい。つまり一度全身麻酔を打とうものなら、一生醒めずにそのまま植物人間となってしまうのである。

 

 よって、結局手術は局所麻酔すらない状態で行われた。頼みの綱は最大処方の鎮痛剤のみ。

 当然、悶絶どころの騒ぎではない。

 絶叫、絶叫、また絶叫。

 手術が終わってもなお、身をよじるほどの激痛に苛まれ続け……。

 

 ――俺にとってその怪我は、酷く心に残る出来事となってしまったのだった。


 

 だが、それでもあえてそれを経験して得たことを挙げるのならば。

 ……非常に忍耐強く、我慢が出来るようになった、といったところだろうか。

 

 その後、足の小指をタンスの角に猛打しても、椅子の背もたれに寄りかかりすぎてひっくり返り、後頭部を机の角に強打しても、まああの時ほどではないな、と鼻で笑えるようになった。

 

 と同時に、痛みには今後絶対に慣れていかなければならないと思うようにもなっていた。

 ……人生何が起こるか分からないし、怪我だけでなく病で手術することもあるかも知れない。もしそうなった時でも耐えられるよう、普段から心構えをしておく必要がある、と。


 

 ――そう。俺が事あるごとに『痛みに強い』と口にするようになったのは。

 過去の凄惨な手術を乗り越えたという自信と、それを言い続けることで実際にそうなって欲しいという、いわば強制的な意識の植え付け……そんな二つの意味合いがあったのである。



  ***



 ふと目を開けると、そこは魔王と戦っていた暗い異世界などではなく、どこかのテントの中だった。

 

「……あ、気がついた? ……大丈夫?」

 

 心配そうな表情を浮かべたまま、時乃が俺をのぞき込みながらそう言う。どうやら隣でずっと俺の事を見守ってくれていたらしい。

 俺はそれに答えようと、むくりと体を起こそうとした。しかし。

 

「……っつ、ううっ」

 

 全身を走る激痛に、思わず顔を歪めてしまう。

 というのも、魔王戦の時に食らった傷の痛みが、見てくれが癒えてもなお、腹部にじくじくと鈍い訴えを続けていたからだ。

 

「あっ、まだ痛むんだったら安静にして! ……ここは安全地帯だし、落ち着くまでどれだけ休んでいても平気だからさ」

 

 時乃はそう言い手で俺を制してくる。

 ……とはいえ、その痛みはえぐられた直後に比べたら大分耐えられるまでにはなっていた。なので俺はその制止を聞かず、床に手を突きよろよろと身を起こす。

 

「っ……いや、大丈夫だ。……俺は『痛みに強い』んだ。やられた直後はヤバかったが、これくらいなら、まあ、耐えられる。耐えられるさ。……何とか、な」

 

 苦痛にぶわりと脂汗をかきつつも、俺はあえてそれを口にし、強がった。

 ……それは俺にとっては言わば、『痛いの痛いの飛んでいけー』みたいなおまじないでもある。実際、それを口にするだけで、少しだけ痛みへの抵抗力が強まった気もしていた。

 

「……なら、良いんだけど……。でも、くれぐれも無理だけはしないでね」

 

 時乃は納得がいっていない様子ではあったが、何度か頷いてひとまずは離れてくれた。それを横目で見つつ、俺は密かにふぅーと息を吐く。

 

 ……しかし、この痛みは本当に何なんだろうか?

 正直、こんな痛みは今まで経験したことがないといっても過言じゃない。それこそ、小4の時の手術なんて比じゃないぐらいである。それくらいの痛みを、単なるVRゲームの被ダメージで設定すること自体、あるわけがないだろうし……これもひょっとして『黒幕』の仕業なのだろうか?


 と、そんな思考に至ったところで、俺はふと時乃に目を向ける。

 ……ああ、そうだよな。あの攻撃を、時乃が食らわなくて本当に良かった。ひとまずは本当に、心の底からそう思う。

 

「……どうしたの?」

 

 そうして時乃の顔を眺めながら密かに胸をなで下ろしていると、視線に気づいた時乃が、怪訝そうに尋ねてきた。俺は慌てて取り繕う。

 

「ん、いや、何でもない。……それより、あれからどうなったんだ? 急展開過ぎて滅茶苦茶驚いてたら、いつの間にか意識が途切れていたんだが」

 

 そう話題を逸らすと、時乃はふとぽんと手を叩く。

 

「あ、そうだった。ええと……」


 そして、そこで一度もったいぶった後。時乃は何故かわざとらしく、斜め前から俺の顔を覗き込む。そしてその背後からナースのNPCがこちらを向くと同時に、時乃はどこか深刻そうに口を開いた。


「良いですか、落ち着いて聞いて下さい。あなたが眠っているあいだに……」

「眠っているあいだに?」

「……ストーリーはそれほど進みませんでした」

「おい」


 思わず端的にツッコむと、時乃はてははと笑う。

 

「ごめんごめん、これ一度やってみたくてさ。で……どこまで覚えてる? 魔王倒した後に現れた奴、分かる?」

「ああ。……国王だろ? 違うのか?」

「合ってる合ってる。そう、全ての元凶は国王だったってわけ。で……実は、それさえ分かってれば大丈夫。あの後魔王の代わりに異世界へと封印されかかったんだけど、国王の後をつけて来てたお姫様や宰相が、何とかそこから助け出してくれた……ってのが、今ってとこ。だから魔王戦から、そんなにストーリーは進んでないよ」

「なるほど」

 

 その説明に何度か頷きを返していると、時乃はゆっくりと立ち上がりつつ続けた。

 

「……もう動いても大丈夫そうなら、テントの外に出てみて。それで、イベント会話がスタートするからさ」

 

 そう言って、時乃はテントの外を指さしたのだった。

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