第18話 なーるほど、可愛い顔してなまら活発な子だべさ
「やめとけ」
女の声がした。
男の力が弱まった。解放された僕は膝をついて噎せる。男は「なんすか、俺をつけテたんダぜ」と納得いかなそうだ。
「その子はウチの弟分だべさ」
聞き飽きた方言。路地の奥にいたのは陽だ。
刺青男が一歩下がると、陽は呆れた顔で歩いてきた。僕は咳き込んで顔を上げる。汗と埃が混じった灰色のものが額から垂れた。
「なーにしてんだ晴人」
僕は刺青男を横目にする。
「……誰だよ。この悪そうな人」
「お前が誰ダよ」
男は凄む。陽が「まあまあ」と宥めると、男はばつの悪そうな顔をして引き下がる。すると陽は「――で」と僕の目を見据えた。
「晴人。なして、ここにいるべか」
「昨日、陽がこの人といる所を見たんだ。お金、渡しただろ」
二人の目蓋がぴくりと反応した。刺青男の目つきが鋭くなる。陽は僕に一歩詰め寄り、息がかかるくらい顔を近づけてきた。
「ふーん。見られてたか」
動揺するかと思えば逆だ。陽の目が据わっている。
「陽。ダメだよ、自首しよう。僕には言ってくれよ。凜風さんを殺したのは……陽、なのか」
すると陽の口元が微かに綻んだ。
「なしてそう思うべ」
「陽は、ヨシオさんに依頼されたんだろ。凜風さんの殺害を――」
保険金目的で凜風殺害を依頼したヨシオさん。陽は直接手を汚さず、この刺青男に凜風を殺させた。報酬を受け取った陽は、分け前を男にも支払う。それが昨日の金だ。
「晴人。アンタって奴は……」
次の瞬間、陽は腹を抱えて笑い出した。破裂した風船みたいな勢い。息を切らして髪を振り乱して笑う。
僕が呆然と立っていると、刺青男まで笑い出した。
「ナンすか姉さん、この人。マジ顔デ、何か言ッテるよ!」
「ウチらが殺人犯って、何それ超展開すぎいぃぃ!」
ガラの悪い二人は僕を見て笑い転げる。緊張と驚きが冷めてゆくにつれ腹が立ってきた。
「でも、この人にお金を渡したのはマジだろ。僕は見たんだ!」
「あー、それは見られちゃったか。しゃーねえなあ」
陽は笑い涙を拭い、刺青男に目配せする。
「こいつはアキラ。歌舞伎町時代の相棒さ」
ぽかんと口を開ける僕。アキラと紹介された男は「ヨロシクなー」と右手を上げる。
「こいつに渡した金は調査報酬。ちゃーんと仕事を手伝ってもらったから、その分の給料だべさ」
歌舞伎町で裏家業をやっている時、台湾人の相棒と組んでいたと聞く。それがこの人だったらしい。
「ここら新北の西側は
「じったおぱん? 何それ」
「ここらを仕切ってる
そう言って陽はアキラを一瞥する。僕は息を飲んだ。
「って事は、この人マジで」
「その『日桃幫』のメンバー。平たく言えば現役マフィアだべ」
通称アキラ、たぶん偽名だ。本名は不明。年齢は僕らより三つ下らしい。
出稼ぎで日本に来ていたところを陽にスカウトされた。帰国後、夜の世界の情報屋などで生計を立てていると、地元を取り仕切る日桃幫に声を掛けられたという。日本とのパイプを買われたそうだ。
「陽がヤクザと関わりがあったのは、事実だったのか」
街の人たちが陽の写真を見て微妙な顔をした意味が分かった。アキラと一緒にいる所を目撃されていて、陽も幫会がらみの人間と思われていたのか。
「台湾で闇チャンネルやるならコッチ系の人脈は必要なもんだべさ。今回の一件だって、アキラが役に立ってんだ」
僕は聞き返す。
「もしかして凜風さんの件?」
そういう事ダ、とアキラが口を挟む。煙草を咥えて火を点けた。
「こんなのも見つかッタ」
アキラはスマホに画像を表示させる。ずいぶん解像度が荒い。元の画像を無理に拡大してあるようだ。陽がぼそりと呟く。
「これ、何かのデモか」
大勢の若い男女が通りに並び、揃いのTシャツを着て行進している。漢字のプラカードを掲げている者もいた。
「姉サン、国台事件ッテ知ってるか」
「国台事件って聞いた事あるべ。怪我人が出たっていうアレ」
僕は背景に映り込むレンガ造りの建物に目を凝らした。国立台湾大学と書いてある。陽は小さく頷いて話し始める。
「国台大のグラウンドで、上海台北音楽祭ってイベントが開催予定だったべ」
「予定だっただった?」
「新人歌手発掘オーディションなんだけど、主催企業が中国系のイベントだったんだ。台中関係が緊張状態なのは晴人も知ってんだろ。それで学生たちが集まってデモに発展したべさ」
ヨシオさんも言っていた。台湾が民主化された後も、今度は中国共産党が『台湾は中国の一部』と主張しているという。ロシアのウクライナ侵攻もあった事で、いつ台湾にも有事が起きてもおかしくない状況だそうだ。
「学生たちは『グラウンドを返せ』『体育の授業が出来ない』ってのから始まって、そのうち『中台統一工作は出て行け』『台湾は中国じゃない』って感じになったんだ。集まった学生は四百人。やがて抗議活動が暴動になってったべ」
「それで、イベントが中止になったのか」
「ステージに物を投げる学生もいたらしい。けど学生が一番ヒートアップした原因は、共産統一推進党の介入だった」
共産統一推進党。マフィアが率いている過激な政党だとか。
「ほら、こっちの画像だべ」
陽が二番目の画像に指を添えた。
青いTシャツで揃えた大柄な男たちが何かを叫んでいる。胸には中国の五星紅旗がプリントされ、その下に『我的國旗』と書いてある。『わたしの国旗』という意味らしい。
「この人たちが共産統一推進党……。ホントに政治結社かよ」
「政党を名乗る連中でも、デモの実動部隊は黑社會から動員される場合もある。どう見ても堅気の人間じゃねえべさ」
Tシャツの袖からは刺青が手首まで見えているし、くわえ煙草の者もいる。とても善良な市民には見えない。
「台湾の立法委員は、中国の情報機関から資金が出てるって睨んでる。中国共産党が台湾のマフィアを支援してるかも、って事だべさ」
陽は先の曲がった煙草をくわえ、おもむろに火を点けた。
「前までは、発言力のある学識者を水面下で取り込むってのがコイツらのやり方だった。だけど台湾や香港でも、中国共産党への不満は高まってる。だから暴力アリの実力行使にシフトしたべ。今までの『文闘』じゃ分が悪いから『武闘』に変えたってワケ」
三枚目の画像は、推進党の男と学生が掴み合いをしている。学生のプラカードを取り上げ、鉄パイプを振り上げる男もいる。暴動だ。
「この事件。もしかして……今朝、陽が言ってた」
「ああ。よくここまで画像を集めたもんだべ。しかもモザイクなし」
陽がアキラに目を向ける。
「現場で撮影しタ知り合いがいたんデ、画像をもらっテ来たっす。自称カメラマンの活動家っすケド」
他にも何枚かある。青シャツの男たちに囲まれる青年、頭から血を流して倒れる学生、恐怖で泣き喚く女学生。いたましい画像の数々。
「
僕は「さんいちはち?」と聞き返す。
「日本じゃ『ひまわり学生運動』って言うべ。中国と『海峡両岸サービス貿易協定』の締結反対を訴え、学生が立法院を占拠したんだ」
占拠中の立法院の様子はニコニコ動画で生放送していたらしい。ネットやテレビを通して学生たちの支持者は膨れ上がり、新北市の花屋が1300本のひまわりを占拠中の立法院に贈ったという。
「つーか、国台事件が何の関係あんの」
「写真の右端。見テ」
画像には女学生らしき姿が映っている。プラカードを持って刺青の大人の前に立ち塞がる少女。その顔を見て、僕は息を飲んだ。
「……凜風さん」
すっきりと整った目鼻立ち。艶やかな黒髪に真っ白な肌。凜風だ。その顔に笑顔はなく、毅然とした表情で男に立ち向かっている。額から一筋の血が流れていた。
「マジかよ。凜風もこの場にいたって事か」
「これダけじゃないっす」
アキラは画面をスワイプする。次々とデモの画像が入れ替わった。全ての画像に凛風が写っている。
「服装が全部違う。って事は、すべて別の日」
険しい表情で何かを叫ぶ凜風。冷たい目で横断幕を掲げる凜風。憎しみに顔を強ばらせる凜風。僕の知っている笑顔の凜風はいない。
「なーるほど、可愛い顔してなまら活発な子だべさ。色んな学生運動に参加してんだな。したっけ凜風は若き活動家ってワケか」
「しかも参加しテるのは独立運動。相手は共産統一推進党っす」
僕の中で凜風が変わってゆく。
画像の凜風は目を剥いて大きな口を開けていた。何を言っているのだろう。赤く腫れた口角に血が滲んでいる。白い肌には赤い血がよく似合う。それはもう、ぞっとするほどに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます