第36話 また今度ね、【一花】

 また、優から電話だ。


 私は、優の家の使いのものから渡されたA5ランクの和牛のサーロイン5枚を受け取っていた時に、なんか言い忘れたことでもあったのかなあ……、なんておもいながら、


 「どうしたのよ?」


 なんて言いながら電話とった。


 いつもの優らしからぬ、どこかこもった声、なにかあった?


 そんな心配をしながら、優の言葉に耳を疑った。


 「なあ、須藤 樹里っていう人を知ってるか?」


 どうして、優から、その人の名前が出てくるのか、彼女の声でこの名を聞いた私の違和感は、まるで戦慄のように私の体を走る。


 「どうして? どうして今、その人の名前を出したの?」


 纏まらない疑問はそのまままばらな言葉になる。


 「いや、どうしってって、今、その人、あたしの前にいるんだよ」


 普通の声。


 当たり前の声。


 揶揄ってるつという言葉でも、声でもない。


 そして、優がそんな嘘をつくことない。


 なぜなら、優は彼女を知らないからだ。


 もし、この事実が優の言っていることが真実ならば、私にとって到底、受け入れ難い内容だ。


 そして、これは一樹の耳には入れたくなと、私は思っている。


 「どうしたんだよ? 一花? その人がさ、久しぶりに一樹の顔を見たいんだって言ってるんだよ」


 私は問う。


 「優、今、あなたはどこにいるの?」


 私と優の漏れてしまう会話、言葉に刺激を持たせたくなかった。


 私は、今、優のおかれている立場を『危険』と判断している。


 得体の知れない何かと、優は一緒にいるのだ。


 だって、ありえないもの。


 須藤 樹里が、優のいるところにいることが、いいえ、姿を表して、あまつさえ会話していることがありえないの。


 だって、一樹のお母さんは死んでいるのだ。


 この目で、その遺体を見て、この目で荼毘に伏して、そして、その白い骨を見ている。


 だから、今も、彼女は一樹の家の墓の下で眠っている。


 全部見てきた私は知っているのだ。


 でも、大きな事件だったから、優もきっと名前くらいは知っているのでは? と思っていたが、この様子からすると、知らないようだ。


 それに、化けて出るにしても優のところに出てくるなんて、ありえないとも思う。


 そもそも、どうして優の前に?


 「ねえ、優、きっとその人、親戚かなにかかもしれない、どんな人なの?」


 「今もニコニコ笑ってるぜ、髪長くて、見た感じ若そうだぜ、綺麗な人だよ」


 そう言ってから、優は、


 「あ、そうか、なんか見たことあるなあ、って思ってたんだけど、そっか、一樹に似てるんだよ、顔の輪郭とかさ、顎とか目の形とかさ!」


 ゾクっとした。


 私は、死んでしまった樹里さんが、本当に今、私の目の前にいるような、そんな錯覚をとらえてしまった。


 「なんか、家に着たいって、なんならあたし、案内するか?」


 無邪気に優は言う。


 明るく、いつもの気さくな優の、親切な言葉。


 それが、温度差のように、不信感と不安を広げてゆく。


 怖い…‥。


 率直にそう思う。


 そして、それは、幽霊とか、そういう怖さではなく、人への怖さ。


 何を目的で、樹里さんを語っているの?


 私には確信がある。


 これは樹里さんの幽霊なんかじゃない。


 どうしてそう思うのかって、だって、そういう恐怖じゃないの。感覚的なものだけど、これは人の重みを伴う怖さ。だから現実の怖さ。


 誰か得体の知れない何かが、樹里さんを語っている。


 一体誰が?


 そして、どうして優に?


 目眩く疑問、吹き出し続けている理解できない現状、迷いも、困惑も、恐怖も、不気味さの黒い溶媒にかき回されるだけで、なんの言葉も出てこない私。


 「きゃあ!」」

 

 小さな優の叫び声。


 「優! どうしたの! 何かされた??」


 すると、すぐに、その返事は返ってきた。


 「わりぃ、へんな声でちまったよ、急にこの樹里さん? あたしの汗を拭いてくれるからさ、冷感シートっての? 急に冷たいからびっくりしたぜ」


 地獄から天国くらいまで、私の感情は異動していた。


 ホッとしていた。


 「あ、樹里さん、今日のところは用があるから帰るって、連絡先交換した方がいいかな?」


 「待って」


 と、優の行動を抑止しようと声を上げる、しかし……


 きっと、優に『自分を樹里』だと名乗った、その女性は、きっと、優が私と会話する、そのスマホに近づいて、電話の向こうにいる私に、そう、これは私に言った言葉だと思う。いいえ、絶対に私に告げたの。


 「いいわ、前にね一度お邪魔したことがあるの、電話番号も住所も知ってるから、次はちゃんと許可を取ってお邪魔するわ、待っていてね」


 そう言うと、声は遠ざかって、優に、別れを告げていた。


 「なんか、いい人っぽいよな、数藤って同じ苗字だし、親戚かなにかなんだろ? まあ、家に行った教えてくれよ」


 そう笑いながら電話で告げる優。


 私は、どうしてか優に危険が迫っていると考えている。


 もちろん、優は弱くない、女子、いや人類の中で考えても、かなり強い方だ。


 だけど、それでも、私は人が人を死たらしめる事を知っている。


 そうだ、死ぬのは一瞬の事だ。


 一樹の父と母の様に、突然、急に、そんな馬鹿なってタイミングでもやってくるのだ。


 その周辺を無差別に完膚なきまでに壊し、永久に消えない傷を残して…‥。


 「ねえ、優、どうせ、ここまで歩きで帰るんでしょ?」


 「ああ、4キロくらいだからな、軽く20分くらいで帰れるよ」


 そっか。


 「じゃあ、それまで話ながら帰ろうよ」


 って私が言うと、


 「なんだよ? 別に、そんなに話すことなんてないだろ? どうせお前の家に行くんだし」


 そうなんだよね、優って、長話とか苦手なんだよね、でも、ここはとっておきの話題を振っておいた。


 「優の知らない一樹の話、しようと思ったのに…‥」


 「あ! する! する! じゃあ、今、イヤホンセットするから待ってろ」


 食いつきのいい優が、何事もなく、安全に、我が家に帰れるように、賑やかに、明るく、そして、目立つように誘導する。


 何事もなく、優が家に着くように、私は一樹の、知られても、どうでもいいよな話を始めたの。




 


 



 


 

 

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