第3話 遮那王『望月の駒』に騎乗する。

嘉応元(1169)年9月 近江国甲賀郷 飼養牧前

遮那王



 義経の怨念により憑依して、11才の遮那王となった俺は、都落ちを決意した。

 伝承によれば、遮那王よしつねは、この時、鞍馬寺に預けられ16才まで雌伏の時を過ごすはずだ。

 歴史を知る俺は、兄 義朝の挙兵まで11年、それまで時をいたずらに過ごしたくはない。

 俺に心服して味方となる者を増やし、東国の奥州藤原氏を完全に掌握しなければならない。

 


 都を出た俺は、大津を経て近江国甲賀郷まで来て、飼養牧(朝廷の貢馬の休養や調教場)を眺めていた。

 ここへ来たのは、平治の乱で戦に破れ東国へ逃れて再起を図ろうとした父義朝一行を匿うと見せて、恩賞に目がくらみ父を裏切って誅殺した尾張の家人、長田忠致、景致父子に、天誅の一矢を報いるためと、彼らの手を逃れてその後行方知れずとなった平賀四郎義宣の消息を得よう思ったからだ。


 平賀義宣という男は今27才。兄義朝の挙兵に馳せ参じて、鎌倉幕府開設以後は、源氏門葉として御家人筆頭の座を占めた人物だ。

 その本拠地は、信濃の佐久という地であり、同じ信濃十六牧の筆頭 滋野氏が貢馬の儀を司る『望月の駒』を継承し『望月』の姓となってこの飼養牧の主となっているのだ。

 また、ここ甲賀の領主も平将門の乱の武功で望月三郎兼家に下賜されて以来、甲賀望月家となっている。


 しばらく眺めていると、牧舎から大柄な黒毛馬が乗り出してきたが、中々の悍馬と見えて、騎乗して堪えていた武士を振り落とした。

 その時、怨霊義経がささやいた。

『遮那王、あの駒はそなたの愛馬ぞ。』

 

 鞍の主を振り落した黒毛馬は、柵の上に腰掛けた俺を視界に入れると寄って来た。

 そして、俺の手前で吟味するかのように暫し目を合せた後、得心したのか鼻を擦り寄せ甘える仕草をして来た。

 そこへ、牧舎から騎乗した者達が追いかけて来て声を上げた。


「驚いたものよ。誰にも懐かぬ黒王が擦り寄っておるわ。若子、そこもとは何者じゃ。」


「ふふふ、駒若とでも申しておく。この悍馬、乗り熟したら俺に譲ってくれぬか。」


「ほう、若子の身で乗り熟すと申すか。

良かろう、見事乗り熟せたならば譲ろうぞ。」


 日本在来種の木曽駒は中型馬であり、平均の体高(肩高)は雌より大きい雄で130cm。体重は400kg程。鰻線まんせんという色が濃い線が背骨のように背中に走っている。

 短足胴長であり体幅が広く、左右の対角線上の足が揃って交互に出る側対歩である。

 また、山間部で飼育されているため、足腰が強く頑強である。


 黒王は大型とは言え、体高は160cmばかり。身の軽い俺はなんなく黒王の背に飛び乗った。

 ひらりと黒王に跨がり、首元をなぜてやり、それから馬腹を蹴ると、猛然と駆け出した。

 しばらく直線を疾走すると、突如前方の草かげに小川が現れた、その幅5m余。

 俺は踏切手前で手綱を引き、一瞬かがみ込ませてすぐに手綱を弛めると黒王の馬なりに飛び越えさせた。

 その小川を行き過ぎてから踵を返し、再度、飛び越えて元の場所に戻った。


 柵のところへ戻ると、先程の者達の他に牧舎から出て来た者達が増えていて、20人余りの見物人で溢れていた。皆、驚愕している。

 柵の外には修験者姿の弁慶と七郎がいるが、俺の騎乗に驚愕して呆けているようだ。



「なんとも、見事な騎乗ぶり感服仕った。

 約束どおり、この黒王を譲り申そう。

 某、望月六郎千早と申す。

 若駒とは仮の名とお見受けするが、ご本名を明かしては貰えませぬか。」


「明かしても良いが、替わりに教えて欲しいことがある。

 平治の乱の折に、源義朝公に付き従っていた平賀義宣なる者を知らぬか。望月家とは縁浅からぬ信濃の出であるはず。」


「 • • どうして、その名をご存知か。」


「 • • 父が、頼みとした忠臣なれば。」


 俺のその言葉に、その場が静まり返った。


「俺は、源義朝が一子九郎。今は元服前ゆえ、遮那王と名乗っている。」


 それを聞いて、望月の者達が一斉に跪いた。


「只今までのご無礼、平にご容赦くだされ。

 源氏の頭領のご子息とはつゆ知らず、ご無礼仕りました。

 義朝公のご最後、無念でございました。

 我ら内心、忠義を尽くすべき頭領を失ったと嘆いておりまするも、周囲は平氏の権勢強く、やむを得ず雌伏の時を過ごしておりまする。」


「構わぬよ、俺とて逃げ隠れせねばならぬ身。東国へ向かう途中だ。

 だが、父上の忠臣の消息が気になってな。

 生き延びていてくれたらと思ったまでだ。」

 

「そのお言葉、義宣殿が聞けば涙しましょう。

 彼の御仁は、信濃の本拠佐久にて、隠伏して新たな源氏の頭領が立ち上がる日を待ち望んでおりまするぞ。」


「そうか、、息災で良かった。もし、会うことあれば、身を厭うように、そして父への忠義、この九郎が礼を申していたと伝えてくれ。」


しかしかと、受け賜りましてございます。」


 この時、望月六郎千早は、郎党である伴三次と鵜飼孫兵衛を伴に付けてくれた。

 こうして、愛馬 黒王こくおうを手に入れ、四人となった郎党を引き連れ、東海道に足を踏み出した遮那王であった。




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 遮那王の父源義朝は、白河上皇院政の時代、源為義の長男として生まれた。母は白河上皇の近臣、淡路守 藤原忠清の娘。

 この頃、嘗て都の武者として名を馳せた河内源氏は一族の内紛で凋落、父為義も自身の問題行動で白河上皇の信頼を失って、官位も低迷していた。

 そんな中、少年義朝は東国へ下向。父為義の領地である安房国丸御厨へ移り住む。 

 その後、上総国に移り上総氏の後見を受け、坂東平氏の一部を従えて「上総御曹司」と呼ばれた。

 東国で成長した義朝は、南関東で東国の武士団を統率し、河内源氏の基盤を得た。


 保元元(1156)年の保元の乱では、崇徳上皇方の父為義、弟の頼賢、為朝と袂を分かち、後白河天皇方として東国武士団を率いて参陣した。 

 平清盛と共に内裏に召された義朝は、戦評定の場で夜襲先制攻撃を言上し、関白藤原忠通に決断を質した。

 攻撃が決まると官軍として喜び勇んで出陣し後白河天皇方の中核となって戦った。


 乱は後白河天皇方が勝利し、恩賞として初め右馬権頭を受任されるが、不足を申立てにより左馬頭となる。

 それは、義朝の助命嘆願が叶わず、父為義、弟頼賢ら親兄弟の多くを処刑され、官位左馬頭は清盛ら平家一門の待遇と格差があり過ぎたためである。


 平治元(1160)年、義朝は藤原信頼に組みして後白河院の信任厚い信西らがいる三条殿を襲撃する。一旦は襲撃を逃れた信西を倒す。  

 以降、信頼が政局の中心に立つが信西を倒したことで信西憎しの一点で結びついていた後白河院政派と二条天皇親政派は反目を始める。

 離京していた清盛が信頼に臣従するそぶりで都に戻り、二条天皇親政派の謀略により二条天皇を清盛の六波羅邸に脱出させた。

 同時に平家多数の形勢不利を察した後白河上皇も仁和寺に脱出した。

 この事実に、信頼陣営から廷臣の離反が相次ぎ、続々と六波羅に出向いたため清盛は官軍の地位を獲得した。

 

 こうして一転朝敵の賊軍となった信頼と義朝は官軍の討伐の対象となり、京中で戦闘が開始される。

 平家らの官軍に兵数で大幅に劣っていた義朝軍は壊滅したのである。




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 結局、天皇家の政争の道具に使われ、武家が戦をして栄枯盛衰をする姿を、幼児の義経達はともかく、14才だった頼朝はいかに見ていたのであろうか。


 父義朝の最後は馬も失い、裸足で尾張国野間に辿り着き、郎党の政清の舅で年来の家人であった長田忠致、景致父子を頼ったが、無防備な風呂場で無惨に討ち果たされたのである。

 恩賞ごときに目が眩み、主の信頼を裏切った人でなしを俺は許さない。



 長田忠致、景致父子の屋敷がある尾張国野間までやって来た俺は、数日掛けて屋敷を探り、家の間取りや警護、父子の動静を探った。

 父義朝を討った恩賞は、壱岐守を受任したがあからさまな不満を示し「左馬頭、せめて尾張か美濃の国司受任が然るべき。」などと申し立てたため、平清盛らの不興を買っていた。


 息子の景政は、毎晩酒びたりで女色に溺れて評判がすこぶる悪く、土豪の武士達から蔑まれているし、長田忠致自身も横柄に威張り散らし不評を買っている。

 そんな父子だから、仇討ちに少しの罪悪感もない。

 毎夜毎晩、酒を喰らっている息子の景致には追加の酒甕に毒を入れ、父が討たれたのと同じに風呂場に入った忠致を、俺が天井裏から飛び降りざまに一撃で葬り去った。

 風呂場の天井は通常の部屋と違い、天井板が貼られていなくて、屋根裏の小屋組が剥き出しで、小柄な俺が忍んでいるのは容易だった。

 俺が風呂場の忠政を襲うと同時に風呂場の前で待時する護衛の二人を、三次と孫兵衛が毒の吹矢で倒していた。

 家人達が襲撃に気づいた時には、景致も毒入りの酒を喰らっており、数日後に亡くなった。

 聞けば甲賀の秘匿の毒だとか。一口でも口にすれば、全身に毒がまわり助からぬとか。


 こうして、父源義朝の仇討ちの第一幕である天誅の一矢を報いたのである。

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