血ゲロのひとつも吐かされたこry 獣死
――あぁ、わかっているんだ。
無駄なことをしているって。
漫画みてえなヒーローになんか、なれるわけがないって。
あの後、たまたまそこを通りかかった篤と謦司郎が、助けてくれた。
篤はなんかエセ合気道とでも言うべき我流体術を使うし、謦司郎もあの超絶スピードだから常人相手にゃ無敵だ。
まったく、余裕の勝利だった。
そして、二人とも、ボクを笑ったり、馬鹿にしたりはしなかった。
だけど――
だけどな。
そうじゃねえんだ。
ボクが望んでんのは、そうじゃねえんだよ。
「……牙く……攻……ん!」
遠く、声が聞こえる。
泣きそうな声だ。
意識が浮上し始める。
顔面が、熱い。
鼓動の度に、殴られた所が脈打って、疼く。
「……牙くん! 攻牙くん!」
わかってるよ。
今起きるから。
畜生。
体に力が入らねえじゃねえか。
眼も焦点が合わねえし。
なんか床がグラグラしてるし。
クソ。
頭を振る。
全身が、ひりひりと熱を帯びている。
体の奥底に、まだ奴の拳の衝撃が残っている。
臓腑が震えている。
「クソ……がッ」
口に出す。
ようやく、視界が像を結んだ。
霧沙希だ。
あいつが、筐体の前に座っている。
せわしなくレバーとボタンを動かしながら、こちらを見ずに、呼びかけてくる。
その額には、一筋の血が流れている。
あぁ、
ディルギスダークを止めようとした時、どこかにぶつけたんだな。
だけど、あいつは、闘ってる。
情けなく気絶したボクとは大違いだ。
「戻りたくねえよな……」
顔の形が変わるほど殴られ、ろくろく殴り返すこともできず、『フェイタルウィザード』のディスクを眼の前でバキ折られた。
なのに、ひとりじゃ何の仕返しもできなかった。
あの頃には。
「戻りたく……ねえよな……!」
勢いをつけて身を起こす。
目眩がするほどの鈍痛が、腹の中でみじろきする。
――あぁ。
そうだ。そのまま起き上がれ。
今、霧沙希は戦っている。
ボクに代わって、敵の猛攻をしのいでいる。
瀬戸際で、敗北だけは押しとどめている。
だけど、あいつはアトレイユの技なんて何にも知らねえ。
「ボクがいかなきゃ……ダメなんだ……!」
見ろよ、泣きそうじゃねえか。
ガタつく両脚に、わずかばかりの力が流れ込む。
尻が床を離れ――
直後、顎と鼻に衝撃が走った。
「ぐっ!」
前のめりに、倒れたのだ。
鼻の奥で、カッと火花が散った。
そして、胸の中からじくじくと、毒が流れ出す。
――情けねえ。
結局ボクは、あの頃からなんにも変ってねえんだ――
「なんていうクソみたいな自己卑下はお呼びじゃねえええええ!!」
這え。
立てないなら、這っていけ。
この状況を何だと思ってんだ。
てめーのショボいトラウマなんか知ったことか。
そんなことが諦める言い訳になると思ってんのか。
ボケが。
恥を知れ。
……うるせェな。
わかってんだよそんなことは。
ちょっと逆境気分を盛り上げたかっただけだ。
クソ。
床が冷てえ。
腫れがこすれて、痛ぇ。
突如として、腹の底から何かが込みあがってくる。
「ぐ……ェ……!」
血交じりの、嘔吐。
クソ、クソ、クソ――
なんでこんな惨めな思いをしなきゃなんないんだ。
誰のせいだ。
許さねえ。
ガシリ、と。
手が何かを掴む。
長イスの端っこだ。
「攻牙くん、大丈夫!?」
はっとするほど間近に、霧沙希の声が聞こえた。
敵のロングフリッカーを捌くのに必死なのか、こちらを見もせずに問いかけてくる。
手元ではレバーとボタンがせわしなくガチャガチャ鳴っている。
怒りに身を任せているうちに、ずいぶん這い進んでいたようだ。
「すま…ねえ……行けるぜ……タイミングを見計らって交代だ……」
「で、でも……」
「交代だ!」
「……わかった」
ずるり、と、長イスの上に這い上がり、腰を落ち着ける。
息をつく。
――くそ。
思考がまとまんねえ。
頭がわんわん鳴ってやがる。
呆然と、画面を見る。
ロングフリッカーが途切れた一瞬。
それを見計らってジャンプ。
空中ダッシュで飛距離を稼ぐ。
「今だ……!」
落下にかかる数秒間を利用して、両の足に最後の力を込めて。
交代。
瞬間。
――GYUUUUAAAAAAAAH!!!!
絶狂。
読まれていた。
アトレイユを追うように、跳躍してくる黒影。
全身が溶けるように変異。
天に向けて牙を剥く黒龍と化す。
急速上昇。
対空技の実装。奴の進化はとどまるところを知らない。
負けてたまるか。
負けたくねえ。
そう口の中で繰り返す。
「うるっせえええぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
逆上していた。
恐れず落下。
凶悪な造詣の顎門に向かって突っ込む。
――てめえは。
交差。
カウンターヒットを現す重い金属音。
一瞬で人型に戻り、落下する魔人。
――やっちゃならねえことをした。
空中版ルミナスイレイズ。
細かな位置調節が不可能な空中戦において十分な機能を果たすため、攻撃判定がかなり広めに設定されているのだ。
「ゲーセンでリアルファイトは御法度だろうがあッ!」
正確には、この場で殴りかかったのは攻牙の方が先なのだが、もはやそんな細かいことは頭から消し飛んでいた。
攻牙は、逆上していた。
視界が、赤く染まっていた。
負けたくねえ。
口の中で呟く。
負けられねえ、ではなく、負けたくねえ。
義務ではなく、感情。
ゲームだけだった。
成績は、悪かった。
運動も、得意ではなかった。
だから、正攻法ではなく、小細工を弄する奸智にばかり長けてしまった。
決して、そんなことは望んでいなかったのに。
本当は、ヒーローになりたかったのに。
……わかってんだ。
ボクじゃあ、どうあがいても主人公になんかなれねえって。
身にしみて、わかってんだよ……!
インサニティ・レイヴンDCは地面に激突。即座に起き上がる。
一瞬遅れてアトレイユが着地。双方同時に拳を放つ。
突進技〈クラックヴォイド〉の無敵時間で漆黒の魔拳をかいくぐり、全霊を込めたコークスクリューブローを叩き込んだ。
――だけど。
だけどよぉ。
こんなボクでも、誰かの役に立てるかもしれねえんだ。
ヒーローになったような気分に、浸れるチャンスなんだ。
ボクは、幸運なんだ。
勝ちてえ。
勝ちてえよ。
ディルギスダーク。
てめーこの野郎。
立てよ。
こんなものじゃねえんだろ。
起き攻めに〈ガイアプレッシャー〉。
連続して発生するガードエフェクト。
ここからジャンプめくり攻撃による表裏二択を迫る――
と見せかけて投げだコラ!
右のガントレットで相手を捕らえ、左のガントレットで殴り飛ばす。
画面端にバウンドした黒影を〈ルミナスピアサー〉で追撃。ダウンを奪う。
ここで攻牙はバックステップ。
まったく同時に、敵は倒れた状態からノーモーションで黒龍化。
鼓膜を掻きむしる咆哮。
斜めに上昇しつつ、がつりと牙を閉じ合わせる。
――リバサ昇龍ってか!
迂闊に起き攻めを仕掛けていたら、食い殺されていたことだろう。
射美&謦司郎の撹乱効果はもうないのだ。
奴に同じ手は二度と通用しない。
間髪入れずに、黒い閃光が鞭のようにしなった。
死の予感が背骨を駆け上がる。
小パンで迎撃――
できない!
ヒット。
火花は足元で弾けている。
下段攻撃。
新たな攻撃パターンだ。
連撃が襲い来る。
黒い毒蛇が暴れ回り、空中でアトレイユを打ち据える。
ごぉ、とか
がぁ、とか。
叫びが漏れる。
爆裂。
彼我の途上で〈スローターヴォイド〉が起爆。
コンボが途切れる。
あぶねえ。
設置技が残っていなかったら、今ので終わっていた。
起き上がった瞬間に再開される猛攻。
途中までは従来のロングジャブと同じだが、当たる直前に、軌道が変化する。
中下段の揺さぶり。
そのすべてを、交差させたガントレットで受け止める。
立ちとしゃがみのガードポーズが、不定期で切り替わる。
『――ないわ。マジないわ。ゲームごときに何マジになっちゃってんの、この少年』
こめかみが、ヒクついた。
「マジになれねえ奴はどんな世界でも要らねえんだよバーカ!」
『――無意味なことに金を費やしている。無駄なことに時間をすり減らしている。現実から逃げ続けた先に待っているのは、後悔と空虚ばかりだというのに』
プツン、と。
認識のタガが千切れ飛んだ。
今なんつった?
あぁ?
てめえ今なんつったよ、おい。
「逃げた……だぁ……?」
視界が融解したかに歪む。
攻牙は、胸の内に生じた血の味を噛みしめた。
負けたくねえ。
殴りかかる。ガードエフェクト。
「……てめーみてーな『理解できないもの』を受け入れる度量のねえ野郎はいつもそう言う」
ココンッ、とダッシュ入力。
発光。
加速。
毒蛇。
防御。
間合いに、
捉える。
「どいつもこいつも同じセリフ! 現実から逃げるな現実から逃げるな現実から逃げるな現実から逃げるな! ボケどもが! ウンザリだ……!」
迎撃の牙を剥く黒い弾丸に対し、〈クラックヴォイド〉を合わせる。
当然のように撃ち勝つ。
3Fしかない無敵時間で、正確無比なカウンターを一閃させる。
魂を削って放つ一撃。
「ボクたちが……何かの代償行為としてゲームやってると思ってんのかよ……!」
再び突撃。
敵を小足で固め、突発的に中段下段下段中段下段。
相手のジャンプを読んで上段。
中下中中下下上負け下下下上跳殴殴殴殴上下中たく打打打打打打打打打ねえ殴跳中上上下叫下下下下下中下下打打打!
「そこでしか得られないモノがあるからやるんだろうが……! 嬉々として百円玉をつぎ込んで! 必死に上手くなって! たくさんのライバルと出会って!」
無数のガードエフェクト。
削りダメージがじわじわと蓄積してゆく。
くそ。
硬え。
「そうやって生まれた時間そのものに価値を見出したからやるんだろうが……! 理解しろとは言わねえよ! だけど! なんでてめーらはいつもいつもこの感動を否定しようとすんだよ!」
ヒット。
中下段表裏の攻撃がガードをかいくぐり、遂に命中。
頭蓋の中で、達成感が分泌される。
そして、叫ぶ。
魂の赴くままに。
原初の衝動を乗せ。
「ゲームが! 遊びが! 『何かのための手段』であってたまるかってんだよッッ!!!!」
即座にガイキャン。弱キックを差し込む。
「時よッ! 鈍れェェェェェェェェェェェェッ!!」
正真正銘、最後の時間停滞。
篤と藍浬がいるからこそ成し遂げられる策略。
それは、意図的な処理落ち。
篤が最初にディルギスダークと戦ったことには、意味がある。
もちろん、奴が普通に闘って勝つなら何の問題もい。
だが、そうではなかった場合――
筐体の中で、篤はバス停を召喚する。
攻牙自身があの白い仮想空間に囚われた時、発禁先生は思いっきり『谷川橋』を召喚していた。
つまり、そういうことができるのだ。
ならばあとは簡単だ、全力でバス停を振り回し、光と雷撃と衝撃波をまき散らせばいい。
そうすることにより、筐体の処理能力を食わせ、ゲームの進行を意図的に遅らせるのだ。
タイミングの指示は、藍浬が行う。
仮想空間においても、現実の肉体の触覚は普通に生き残っていた。
ならば、藍浬が篤の手を握ることで、仮想空間の篤に合図を送ることができるはずだ。
攻牙、一世一代の奇策。
誰が欠けても不可能であった、絶対有利状況。
展開される瞬撃の虚空。
咲き乱れる燐光の粒子。
両の眼から、熱いものがあふれかけている。
泣いてんじゃねえ!
乱暴に首を振って雫を飛ばす。
今、自分がここまで食い下がれた奇跡的な意味が、胸をよぎってゆく。
同時に、ここで闘うことの責任をも。
ひとりじゃねえ。
強がりではなく、素直な現状認識。
普通に考えれば、どう考えても詰みの戦いであった。
一度まぐれで勝つことはひょっとしたらありうるかもしれないが、人質全員を解放できるほどコンスタントに勝利を重ねるなど絶対に不可能。
ひとりじゃ勝てなかった。
今なら言える。
普段なら恥くさくてとても言えぬこのセリフ。
すぐ調子に乗るので絶対言わないようにしているこのセリフ。
「あいつらがいてくれた……! ボクと一緒に闘ってくれた……!」
言ってやろうか。ツンデレだか何だか言われようがかまやしねえ。
「てめーに勝てるのは……あいつらのおかげなんだよ……!」
今ならわかる。
あの二人に、憧れたから。
男ってのがどうあるべきか、あの二人から学んだから。
今なら認められる。
英雄になりたかったわけじゃない。
世界を救いたかったわけじゃない。
賞賛を浴びたかったわけじゃない。
言ってやろうか。
言っちまえ。
「……ただ……ダチ公と肩を並べてえだけだァァァァァァァァッッ!!!!」
篤と謦司郎。
あのアホどもの前で、胸を張っていたかったから。
ただ、それだけだったから。
画面の暗転。
アトレイユの体で十字の光がほとばしる。
――最大奥義、〈ワールドスカージ〉。
それは、世界を狂わせる兵器。
一人の女がアトレイユの装光義肢に組み込んだ、愛と憎悪。力にして呪い。
ガントレットの双腕が組まれ、白と黒にまばゆく明滅する焔が指の間から噴出する。
握り合わされた両拳を振りかぶり、残像を纏いながら突進。
ヒット。インサニティ・レイヴンDCの自由を奪い、固定する。
『右掌にオレの決意。左掌にアルタスクの絶望――』
アトレイユが、押し殺した声で呟く。
両の眼から、熾火のような殺意が漏れる。
『合わせて
込められた力に痙攣しながら、両腕が開かれてゆく。掌と掌の間に、電撃の糸に繋がれた発光体が現れる。
周囲の空間が、そこを中心に歪んでゆく。
眼を凝らすと、発光体の中で、背中を丸めた胎児が見えた。
『ワァァァァァルド――』
胎児が、カッと眼を開く。
『――スカァァァァァァジッッ!!』
白熱光が、画面すべてを覆い尽くした。
すぐにそれはアトレイユの前方に収束してゆき、黒の妄徒を灼き滅ぼす。
極太の破壊光線。
石とも金属ともつかぬ奇妙な都市が、凄まじい衝撃波によって押し流されてゆく様が、背景で秒間60Fのアニメーションとして描画される。
インサニティ・レイヴンDCのいた位置で、ヒットエフェクトの燐光が機関銃のような勢いで炸裂炸裂炸裂炸裂炸裂炸裂炸裂炸裂炸裂炸裂炸裂炸裂炸裂炸裂炸裂炸裂。
画面が盛大に揺れ動き、やがて臨界を迎える。
――爆裂。
モニターが砕け散る演出。
反動に吹き飛ばされるアトレイユ。白く染まる世界。
『閃滅完了-K.O.-』
見渡す限りの焦土。
瓦礫の中から、ひとつの影が、うっそりと身を起こす。
アトレイユ。
膝を立て、億劫げに立ち上がる。
小石や塵埃が、その体から剥がれる。
炭化した両腕が、ボロリと崩れ落ちた。
『それでも、生きていかざるを得ない……』
何かの感情を抑えつけながら、それだけを呟く。
――あぁ、チクショウ。
なんとなく、アトレイユの腕と一緒に、自分の中の緊張も消えてゆくような気がした。
どんなモンだよこの野郎。
痙攣する頬が、笑みを刻む。
ふっと、力が抜けた。
「攻牙くん!」
後ろに倒れかかるも、柔らかい感触に受け止められる。
「ふあ……」
背を反らすと、かすむ視界の中で、泣き笑いの藍浬の顔があった。
「どーよこれ……すごくね……? ボクすごくね……?」
「うん……うん!」
ぎゅっときつく抱きしめられ、ほっぺスリスリ。
普段なら照れて逃げ出すところだが、今はそんな気力もない。
というか眠い。
ひたすら、眠い。
安堵と疲労と殴られた体が、攻牙をじわじわと眠気の中へ引きずり込もうとする。
「これでみんな元に……」
『――ところがぎっちょん。そうは問屋がおろさないのであった』
電子音声。
「あうっ……!」
鋼鉄の人型。不格好なシルエット。
藍浬の背後に立ち、その腕をねじり上げていた。
「霧沙希!」
強制的に立ちあがらせられた藍浬は、苦痛に眉を寄せながら、背後に目を向けた。
『――ディルギスダークは、いまだ何一つ失ってはいなかった。ただ最善の手が封じられたというだけのこと。即座にプランBを実行に移す』
「……攻牙くんは勝ちました……わたしの魂は取り込めません……ポートガーディアンの皆さんも全員解放された……もう〈目覚めの儀式〉なんて絵空事です……!」
『――愚かな楽観と言わざるを得なかった。ディルギスダークには今ここからでも状況をひっくりかえせる力がある』
「なにを……!」
『――まず嶄廷寺攻牙をここで殺す』
「……っ」
藍浬は顔色を変える。
『――而して霧沙希藍浬に敗北感を植え付け、筐体に取り込む』
回された腕が、細かく震えている。
瞬間、あたりの床が、地鳴りとともに激しく揺れ始めた。
『――続いて、そのあたりの一般人を片端から洗脳し、数の利をもってポートガーディアンどもを奪還する。かくして何の問題もなく《絶楔計画》第四段階、〈目覚めの儀式〉は完遂される。まったく容易いことであった』
ジャキン、と、ディルギスダークのマニピュレーターから、巨大な鉤爪が飛び出す。
歩み寄ってくる。
……攻牙は。
そのさまを見ていた。
どこか、平静な気持で目を閉じる。
「……あいつは」
瞼に浮かぶは、強く優しき背中。
「ボクを信じて躊躇いもなく一番手を担った」
力を込めて、眼を見開く。
「だから! ボクもあいつを信」
「――信頼とは」
……。
おいィ?
「行為を表す言葉ではない」
爆音。
ディルギスダークの姿が消し飛ぶ。
解放された藍浬を支える、一つの影。
「意識して信じようとする行いには、どこかに欺瞞が付きまとう」
落ち着き払った声。
攻牙と藍浬は、茫然とその姿を見ていた。
「――信頼とは」
ガランと音を立てて、倒れ伏したディルギスダーク。
その胴には、一見してわかる凹みがあり、煙と火花を上げていた。
「状態を表す言葉である。意志が介在する余地などなく、見たまま疑いようのない有様を言うのだ」
人影は唸るその前に立つ。
うっそりとディルギスダークの方を見やる。
研ぎ澄まされた眼差し。
そして――携える巨大な鉄塊を振りあげ、
「貴様はその力を見誤った。だから負けた。本来負けるはずのない者に、負けた」
――振り下ろす。
爆発。
無数のパーツが散乱し、かくしてディルギスダーク・システムの人型端末は機能を停止する。
諏訪原篤。
目覚めた覚悟。
「篤!」
「諏訪原くん……」
呼びかけに振り向く。
普段は表情のない顔が、穏やかに眼を細めた。
「恐ろしい敵であった」
「うるへーよ! ボクがなんか名台詞言いかけた時に復活してんじゃねーぞこの野郎!」
「攻牙よ」
「お……おう」
ふ、と。
篤は、あるかなしかの微笑みを浮かべた。
その眼差しは、不思議なほどに胸を打った。
なんとなく、頬を掻きながら目を反らす。
「相変わらず小さいな」
「流れぶったぎって煽んな!」
「何かオチをつけねばならない気がしたのだ」
「むーかーつーくー!」
すると。
篤の懐で、着信音が鳴りだした。
「む」
携帯電話を取り出し、一瞬考え込んだのち、通話ボタンを押す。
スピーカーモードで、その言葉は周囲に伝わった。
『――言ったはずだ。ディルギスダークは今ここからでも状況をひっくりかえせる、と』
皮膚が、粟立つ、感触。
――巨大な鴉の絶叫が、耳に突き刺さってきた。
狂乱の金切り声。
それは破滅の唄。
床が爆裂し、下から眩く輝く何かが現れる。
巨大な光の円盤。
ホーミング八つ裂き光輪(仮)。
脳を掻きむしる騒音をまき散らしながら、空中に静止している。
「そうか……貴様にはそれがあったな」
篤は静かに呟く。
『――ないわ。マジないわ。何その落ち着きぶり。現状を認識していないとしか思えぬ態度であった』
狂鴉の呻きが、爆発的に高まる。
強大な〈BUS〉波動が、烈風となって押し寄せる。
塵埃、瓦礫、破片、コード、椅子、筐体――店内にあった有象無象のことごとくが、まるで恐れているかのように押しのけられてゆく。
桁違いのエネルギー量。ただ存在するだけで、破壊的な影響を周囲に刻む。
一つの殺意によって制御される、天変地異。
ディルギスダーク。
今までに出会ったどの敵をも、圧倒的に隔絶する存在。
対して、篤は――
「『姫川病院前』よ。あと一振りでいい。一振りだけ耐えてくれ」
蒼い稲妻が迸り、鉄塊を横に振りはらう。
剛風が巻き起こる。
だが――
その停身は、ところどころにヒビが入り、看板の一部は欠けていた。
バス停の自己修復機能も万能ではない。前回の接敵で粉々に破壊されてから、まだ治りきっていないのだ。
万全とはとても言い難い。
いや、たとえベストコンディションであったとしても、眼の前で浮遊する完全無欠の遠隔攻撃能力を前に、果たしてどれほどの抵抗ができることか。
『――諏訪原篤程度のバス停使いであれば、何人いようが問題なく処理できる。苦痛は与えない。一瞬にて決着する』
「受けて立とう。一瞬で終わるという点だけは同意する。それに……」
篤は、ふいに攻牙の方を向いた。
目前に浮遊する、絶対的な滅びを歯牙にもかけていない風だった。
口の端に笑みを乗せる。
「……この男の勝利に、泥を塗るわけにはいかんな」
「あ……」
円盤に向き直り、咆哮。
蒼い〈BUS〉の衝撃波が篤を中心に広がる。だが、攻牙の眼から見ても、ホーミング八つ裂き光輪(仮)より明らかに規模が劣る。
――問題……ねえ。
信頼している、ということ。
攻牙はもはや、何の心配もしていない。
そして。
光輪の突進。
ほとんど一瞬にしてトップスピードに加速。
床を派手に砕き散らしながら、殺到/吶喊/襲来する。
「オオォォォォォォォッッ!」
篤は微塵もひるまず、迎え撃つ。
――攻牙はすでに、篤へ作戦を授けている。
ホーミング八つ裂き光輪(仮)の不可解なまでの無敵ぶりについて、ひとつの仮説が立っている。
破壊力、スピード、射程、精密動作性、持続力――そのすべてにおいて最強。
果たして、そんなことがありうるのか?
いくらなんでも胡散臭すぎないか?
そもそもの問題として、内力操作による魂の収奪に特化したディルギスダークが、これほど強力な外力操作系必殺技を操れるものなのか?
その答えが、今、展開されようとしている。
「止揚せよ! 意志なき冷酷!」
戦吼。そして踏み込み。
踏み抜かれる床からの反動が、篤の体を駆け上がり、『姫川病院前』に漲る。『姫川病院前』を後ろに構え、全身の筋肉を限界まで引き絞る。極端な低姿勢。一瞬の静止。それは、雄渾なエネルギーを内包する、動的な静止であった。
「覇停・神裂!!」
瞬間、叩きつける。
閃光。
穏やかでまっさらな、光のヴェール。
周囲の地脈をめぐる〈BUS〉が、この瞬間、円盤と『姫川病院前』との接触点に集結した。
――契約の、破却。
何と、
何が?
『――馬鹿な』
光が去る。
音が去る。
脅威が去る。
円盤による破壊痕も痛々しい、『無敵対空』店内。
風の音が、静かに流れてゆく。
「ひとつ。ホーミング八つ裂き光輪(仮)は、外力操作系の技ではない」
篤の声が、朗々と広がってゆく。
その足元には、一柱のバス停が転がっていた。
看板には、『風見ヶ丘』と刻印されている。
「その正体は、単なるバス停の投擲にすぎん。ありったけの〈BUS〉を宿らしめ、高速回転させていたのだ」
……ハミルトンの第二原理。「かつて〈BUS〉が存在した空間には、ある種の磁場のような振る舞いを為す特殊空間が形成される。人間の感覚では一瞬で消えてしまうその空間は、同質・同方向の〈BUS〉を増幅する作用がある」。
ディルギスダークは、そこに着目した。
人の手では決して生み出せぬ速度の回転運動。それは、揚力と浮力の絶妙な均衡を生み出し、〈BUS〉の微妙な内力操作によって、ほぼ意のままに動かすことができる。
やがて、バス停『風見ヶ丘』は薄っすらと消えてゆく。
契約の絆を断たれ、界面下に引っ張られてゆく。
『――認めよう。ディルギスダークは敗北を喫した。〈目覚めの儀式〉はもはや叶わない。朱鷺沢町近郊に、力を及ぼすことはできなくなった』
さして残念とも思ってなさそうな、述懐。
当然か。人工知能に本当の意味での感情は宿らない。
『――だが、諏訪原篤、そして嶄廷寺攻牙よ。ディルギスダーク・システムとは、《ブレーズ・パスカルの使徒》の活動を戦略的にバックアップするために開発されたネットワーク・アーキテクチャである。その規模はお前たちが想像するよりも遥かに巨大だ。今回はディルギスダークが持つ無数の神経細胞のうちの、たったひとつを潰したに過ぎない。システム全体からすれば、痛みを感じるまでもない損害であ――ぐぇっ!』
唐突な呻き声。
「ふたつ。この地に根を下ろしたディルギスダーク端末の正体は、車椅子に変形する人型の機械などではない。それはもっと小さく、もっと目立たず、もっと機能的な姿をしている」
見ると、篤はスマホを握り潰していた。
ぐにょ~ん、とか、そんな擬音が聞こえてきそうだった。まるでコンニャクでできていたとでも言うように、スマホが柔らかく変形している。
「まったく、いつの間に入れ替わっていたのやら。ホーミング八つ裂き光輪(仮)に射程距離の概念が存在しないのも当たり前である。いくら鋼原のバスで逃げようがまったくの無意味。本体がずっと俺と一緒に移動し続けていたのだからな」
そう――今まで携帯電話から聞こえてきた声は、別にディルギスダーク・システムとやらが電話ごしに声を伝えていたわけではなく、電話そのものがしゃべっていたのだ。
『――オーケー、時に落ちつけ。暴力は何も解決しない』
すごい。まったく感情が込もってない。
「さて……貴様にはいろいろと喋ってもらわねばなるまい」
『――ぐえぇ』
篤は携帯――というかディルギスダークそのもの――を両手で握り、ぐにぃ~っと伸ばしたり、雑巾絞りをかましたりしていた。
「まず、俺の本物のスマンホホをどこにやった?」
かくして――
朱鷺沢町にかつてない異常事態を巻き起こした内力操作系バス停使いディルギスダークは、完膚なきまでに敗北した。
ポートガーディアンの面々と、諏訪原霧華もまた、それぞれの肉体へと戻って行った。
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