血ゲロのひとつも吐かされたことry 重纂

 七月二十七日

  午後一時五十四分二十一秒

   紳相高校第二校舎の屋上にて

    「僕」のターン


 ――いや、さて。

 例えば、コンクリートの建造物を想像してみよう。

 すごく硬いし頑丈だ。バットで殴ったぐらいじゃビクともしない。

 それこそバス停でも持ってこない限りどうしようもない代物だ。

 しかし、実は簡単にこれを破壊する方法がある。

 力はいらない。子供でもできる方法だ。

 ――木を植えればいいのである。

 何年か待てば、大木に成長してゆく過程で、コンクリート建築など見るも無残に半壊するだろう。


 攻牙が考案した対バス停使い用即死トラップの概要は、つまり、そんなようなものなのだ。


 黒い線が、兇暴にしなりながら殺到してきた。

 その数、四十条。

 発禁先生の体を囲むように、四方から凄まじい速度で襲い来る。

 実際にはパチンコ的な要領で伸ばされていた業務用硬質強化ゴム帯がバシーンと出戻っているだけなのだが、その威力はなかなかに強烈だ。

 屋上の中央にいる人物を囲むように張り巡らされたゴム帯の数々が、赤外線センサーと連動して固定を解除。限界まで漲っていた張力が一気に解放され、発禁先生の体に叩きつけられる。

 ビンタを一万倍強烈にしたような撃音。

 タイヤの原材料にも使われる硬質強化ゴムである。耐久性には定評がある。

 常人であれば全身の骨という骨が粉砕されるような衝撃ではあるのだが、〈BUS〉バリアーを纏う発禁先生にしてみれば、それ自体は何のダメージにもならない。

 本番はその後である。

 発禁先生の体は、多数の太いゴム帯でギチギチに縛られている形となった。

 瞬間的な衝撃に対しては、ほとんど完璧とも言える防御能力を発揮する〈BUS〉バリアーであるが――

「――これ……は……!」

 コンマ何秒ほどの間隙もなく力に対しては、どうなのか。

「――……な……な……」

 苦しげな声。

 当たり前のことだが、〈BUS〉がいかに強大なエネルギーとはいえ、無尽蔵に使えるわけではない。

 オンリーワンの超能力を発揮できる特殊操作系バス停使いは、代償として素の戦闘能力が低くなっている。同じように、バリアーを全開で展開している間は、内力操作による超身体能力を発揮しにくくなっているのだ。無論、それでも時間を掛ければゴムの帯ごときを引き千切ることは可能だろう。

 時間を掛ければ、だ。

 この状況において、ディルギスダークにそんな時間的余裕はない。

 全身にバリアーを張っているということは、ものすごい勢いで有限のエネルギーを消費していっているということだ。それこそ自慢の〈懐古厨乙イエスタディ・ワンスモア〉も発動できないほどに。

 ――五秒と持たなかった。

 ガス欠である。

「ぐぇっ」

 肉体とゴム帯の間にあったバリアーが消滅。

 発禁先生の体が直接締め上げられる。

「――う……ご……が……」

 しばらくもがいていたが、やがて白目をむいて泡を吹き始めた。

 ……ふぅ、やれやれ。

「本当にやれちゃうものなんだなぁ」

 僕は頭を掻き、息をつく。

 攻牙からこの理屈を聞いた時には、そう上手くいくもんかなぁと不安だったけど、なんとまぁ、完璧に締め落とせている。

 物凄く単純に言うなら「打撃に対しては無敵だけど締め技には無力だった」と、そんな感じなのである。

 攻牙はよくこんなことを思いつくもんだ。

 小賢しさもここまで行くと驚異的である。

 僕は目の前の黒いゴムの塊を、しみじみと眺める。

「とりあえず、ほどかないとなぁ、これ」

 ……それにしても。

 四人のポートガーディアンを全員確保完了したということは、だ。

 二正面作戦による撹乱効果は、これ以降もうないということになるわけで。

 ――いや、さて。

 ここからが正念場だよ、攻牙。


 ●


 七月二十七日

  午後一時五十四分三十三秒

   ゲームセンター『無敵対空』にて

    「三人称視点」のターン


『――何だ』

 ディルギスダークの無機質な電子音声。

 響きのどこかに動揺がある。

『――今の不可解な時間停滞現象は、一体何だ』

 人工知能も、慌てることがあるのだろうか。

 攻牙はハードSFには全然造詣がないので、そのへんはよくわからない。

 が、ここは調子に乗ってハッタリかましておこう。

「〈矢〉に貫かれて発現したボクのスタンド能力〈ヴードゥー・キングダム〉だ!」

『――ありえない話であった。現実とフィクションの区別が付いていないジョジョオタの妄言であった』

「得意げに何言ってんだバーカ! タネと仕掛けはてめーで考えなウスノロ!」

『――黙れジャリ』

「うっせガラクタ」

『――バーカバーカ』

「うんこー」

 結局うんこに戻ってくる。

 攻牙は鋭く目を細める。

『最終燐界形成-The final round-』

 そして、終局が、迫りくる。

 これが正真正銘、最後の一戦。

「見せてやんよ」

 奥歯を噛みしめる。

「てめーの言う『足手まといのクソガキ』に……どれだけのことができるかを!」

 アトレイユは、動かない。そんな必要はない。

 もはや、キャラ対策も人対策も仕上がっている。

『閃滅開始-Destroy it-』

 システムヴォイス。直接攻撃が解禁される。

 即座に飛来するロングフリッカー。

 だが――

 アトレイユは、その手を無造作に払った。

 ビシッ、とSEが鳴り、小さな花火のようなヒットエフェクトが咲く。

 払ったのではない。

 伸びてくる手を、命中する直前に弱パンチで迎撃したのだ。

「その手はもう見あきたぜッ!」

 アトレイユの通常技は、全体的に判定が広い。

 相手の攻撃と同時にカチ合ったら、まず負けることはない。

『――驚嘆すべきは、10Fの瞬速で迫りくる攻撃に対し、正確な反応をしたことだ。人間の反射速度を若干超えている』

 その上、小パンの発生速度は3F。

 つまり実際には7Fしか猶予がない。

 〈スローターヴォイド〉による迎撃よりも、数段不可能めいている。

「言っただろ……てめーの動きはもう見飽きたってな!」

 アトレイユが歩み寄る。

 再び飛んでくる漆黒の拳を、片端から迎撃しつつ、じりじりと間合いを詰めてゆく。

「てめーひとりに負けるわけがねえ!」

『――何を、』

「予告してやんよ。一発ももらわねえ。パーフェクト勝ちだ」

 腕が伸びるシャコッという効果音と、それが撃ち落とされる効果音が、ほとんど重なり合いながら断続的に響いてくる。

 少しずつ、少しずつ、ドットを削るような前進。

 一度でも当たれば即座に死が待っている、黒い雨。

 そのただなかを、痙攣するように移動してゆく。

『――……』

 耐えきれなくなったかのように、インサニティ・レイヴンDCは跳躍――した直後に〈ルミナスピアサー〉で叩き落とされる。

「逃げんなよ。ボクも逃げねえから」

 ダウンした黒影に〈ガイアプレッシャー〉を重ねる。

 噴き上がる光の奔流。

 この技がガード困難な連携の起点になっていることは身を持って学習しているらしく、起き上がった瞬間ジャンプして逃れようとするディルギスダーク。

「逃げんなっつってんだろッ!」

 攻牙の言葉通り、上空まで噴き上がる〈ガイアプレッシャー〉はジャンプでは逃れられない。

「覚悟決めれやこの野郎……」

 そして、格ゲーのセオリーに対する蓄積が足りないディルギスダークは、「空中受け身」などという特殊行動を自キャラに盛り込むはずもなく――

 ビシッ、と。

 追撃の弱キック。

「しまいだァァァァッ!」

 即座に叩きこまれる連撃。

 弱キック→しゃがみ弱パンチ×3→強キック→〈クラックヴォイド〉→ダッシュ→強パンチ→〈ルミナスピアサー〉。

 色とりどりのヒットエフェクトが、画面を眩く彩る。

 閃光と粒子。

 砕ける水晶。

 照り返しを受けて、3Dの背景に複雑な陰影が踊る。

「時よ鈍れッ!」

 そして時間停滞。

 粘度を帯びた時空の狭間で、

 アトレイユはガイキャンを敢行。

 ヒットバックによって離れた間合いが詰まり――

 弱キックが命中。

 再び始まる高火力コンボ。

 瞬間――

「……ッ」

 異様な感覚が、攻牙の頭を襲った。

 いや――正確に言うなら、この一週間ずっと異様な感覚に襲われ続けていたのが、この刹那に無くなったのだ。

 あたかも、それまで脳の中に灯されていた火が一斉に消えたかのような。

 攻牙は直感する。

 ――野郎……

 何故攻牙は、動体視力の限界を超える速度で迫りくるロングジャブをことごとく捌くことができたのか。

 その答えを、恐らくディルギスダークは掴んだのだ。


 それは、思考の逆探知とでも言うべきもの。

 ……きっかけとなったのは、最初に霧沙希邸で作戦会議をしていた時の奇妙な体験である。

 攻牙はあの時、今まで聞いたこともなかったはずの『バス停召喚時間限界』について、詳細な知識が自らの頭の中にあることを発見した。

 その時はさして気にしなかったものの、ディルギスダークが自分の頭に巣食っている事実を看破した後では、この奇妙な体験が持つ重要な意味に気付いたのである。

 ――ボクは野郎に思考を読まれている!

 ――なら……

 根拠のないことではない。ディルギスダークは洗脳した人間たちと感覚を共有し、自らの手足としていた。つまり、ディルギスダークの思考が何らかの形で洗脳対象に流れ込んでいたのだ。

 攻牙の頭にも、同じようなことが起こっているのではないか。

 そしてこの状態を利用し、逆にディルギスダークの思考を読めるのではないか。

 ただ漫然と過ごしただけでは、そんなことは不可能だったろう。だが、それが出来るかもしれぬ可能性を認識し、意識を研ぎ澄まし続けたならば、果たしてどうか。

 むろん、そうそう上手くいくとも思えなかったので、本当に追いつめられない限り頼るまいと決めていたが――


 ――これが主人公補正って奴だぜオラァー!

 実際に思考の逆探知を行ったのは、この試合の第二ラウンドからである。あまり早期から使い続けていては、相手に逆探知の事実を気取られる恐れがあった。

 そして今ようやく、ディルギスダークは攻牙とのリンクを断った。

「へっ……いまさら気づいてももう遅えよ」

 口の端を吊り上げながら、即死コンボ「オーソドックスルート」を正確無比の手管で叩きこんでゆく攻牙。

 手の中に染みついた操作感覚が、機械のように動きを再現してゆく。

 すでに勝利は確定している。食らいモーション中は絶対に行動不可能――この例外なきルールに縛られたゲーム世界において、インサニティ・レイヴンDCには、できることなど何もない。

 そう、漆黒の魔人には、何も。

 攻牙は、勝利を確信した。

 ――すなわち、油断した。

 敵の残り体力は四割程度。残り時間は三十秒。最後のダッシュ→強パンチを入れるために時間停滞を発動させようとした矢先――

 攻牙は、自らに降りかかる、ひとつの影に気がついた。

 思わず、そっちを見てしまう。

 角ばった異形。

 攻牙を遥か下に見る巨躯。

 金属の光沢。露出するフレームとコード。

 赤く点滅する、頭部のモノアイ。

「え……?」

 もちろんわかっている。

 それらの情報が何を意味するのかということぐらいは。

 だが――

 何故。

 奴が筐体のこっち側に来ている?

 攻牙は、呆けた。

 度し難い思考停止。

 ――なんで? なんで? ……なんで?

 無意味な回転を続ける脳。

 そして。

「ごっ……ぎぃ……!?」

 自らの顎で、重い衝撃が、炸裂した。

 体が引っ張られるように浮き上がり、一瞬意識が飛ぶ。

 どこかで、藍浬の悲鳴が聞こえた気がした。

 背中に衝撃が走る。

 床に背中から落ちたのだ。

「ぐっ」

 即座に、冷たい鋼鉄の体がのしかかってきた。

『――無用』

 冷たい拳が振り下ろされる。攻牙の視界が揺れ、一瞬遅れて頬に灼熱が宿った。

『――無駄』

 冷たい拳が振り下ろされる。顔面が弾けて明後日の方向をむく。

『――無意味』

 感情を交えず、淡々と、躊躇いもなく、暴力が連続する。

 鼻の奥がツーンとして、眼の端が熱くなる。

『――不遜。不適格。不相応。不釣合。不必要』

 一語ごとに、呵責なき鉄拳。

「な……! や、やめてください! やめて!」

 藍浬の声。

 ぼやけた視界の中で、機械の腕に掴みかかる彼女の姿。

 ディルギスダークは無造作に腕を薙ぎ払う。

「あ……うっ!」

 長イスのひっくりかえる音。

 そして再び攻牙に向き直り、殴打、殴打、殴打。

『――馬鹿馬鹿しい茶番三流の余興役立たずの技能無力な未熟児』

 理不尽の暴虐。

 揺れる大地。

「……ぎ……」

 顔面が縦横に跳ねまわり、痣と腫れが刻まれてゆく。

 地鳴りが響いてくる。

『――足手まとい負け犬無能非才愚鈍不敏無知蒙昧凡庸暗愚鈍才凡愚無定見愚物!』

 とどめに腹へ蹴りが叩き込まれる。

「ぐぇ……う……」

『――何度でも行おう』

 耳元で、ディルギスダークの声。

『――何度でも罵ろう』

 攻牙の胸倉をつかみ、持ち上げる。

『――何度でも殴ろう』

 赤いモノアイと目が合う。

 そこに怒りの感情はない。ただ必要な作業を淡々とこなす機械の駆動灯だけがあった。

『――嶄廷寺攻牙が即死コンボを完走することはない。なぜならディルギスダークが阻止するから』

「ぐ……あ……ぇ」

『――そして、ひとつ、教えておく』

 ディルギスダークは立ち上がった。

『――お前たちの魂を取り込んだ時、ディルギスダークは迷わずそのデータを消去する』

 ぞるっ

 と、

 冷たい手が、喉元を握り潰した気がした。

『――必要なのは霧沙希藍浬の魂のみ』

 それは、死の匂い。

 床から無数の腕が生えてきて、全身に巻きついてくるような心地がした。

『――お前たちは、いらない』

 気負いのない、死刑宣告。

 そして、歩み去ってゆく。

 霞んでゆく意識の中、攻牙はどこか、懐かしい思いを抱いていた。

 一年前のある日の出来ごと。

 もうすっかり忘れたと思い込んでいた経験。


 それは、『装光兵飢フェイタルウィザード』の家庭用移植版が発売された日のことだった。


 ●


 別段、大した理由があったわけではない。

 今となってはもはや思い出せもしないような、どうでもいい理由だったのだろう。

 ちょっとぶつかったとか、目つきが反抗的とか、カツアゲ目的とか、まぁ大方そんなような所だ。

 顔面で弾ける熱と衝撃をぼんやりと感じ取りながら、嶄廷寺攻牙は空を見上げていた。

 ほとんど散りかけた桜並木が、青空の中でのほほんと揺れている。

 野卑な笑い声。やたらボリュームアップされた茶髪がもっさもっさ揺れている。

 ――変だよなぁ。

 肩やら腹やらめちゃくちゃに蹴りを叩き込まれながら、攻牙は思った。

 ――これはどー考えてもこのアホどもをボクがすげー勢いでボッコボコにする流れだろ確実に。

 不良と言うものは、強さのヒエラルキーにおいて最底辺に位置する、噛ませ犬にも成りえない存在である。

 そのはずなのである。

 ――なんでこーなるんだ?

 最初から何の抵抗もできなかった。ちょっと小突かれただけで転ばされ、後は四方からキックキックキック。

 ――どうしてこいつらは笑ってるんだ?

 もう顔面を庇う気力もない。

 いいのが鳩尾に入り、えずく。

 ――どうして、

 顔に唾を吐きかけられる。

「お、なんだこりゃ」

 アホのひとりが、攻牙の持っていたビニール袋を取り上げた。『装光兵飢フェイタルウィザード』のコンシュマー移植版(本日発売)が、その中に入っていた。アトレイユが険しい表情で拳を固めているパッケージアートが、日のもとに晒された。

 ――どうして、

「えー、なになになに?」

「ははっ、格ゲーかよ」

「うっわ」

 ――どうしてボクには、力がないんだろう。

 ぎり、と、歯が軋んだ。

「……何がおかしいんだ」

 ぽつりと、攻牙は呟く。

「え?」

「はぁ?」

 こっちを向く鳥頭ども。

「キョドってんじゃねーよ。何がおかしいんだって聞いてんだよ」

 攻牙はゆっくりと身を起こした。

 すぐにかぶりを振る。

「いや……いいや。どうせ『時間の無駄』とか『なんかキモい』とか『女にモテない』とか『頭悪くなる』とかその程度のくっだらねえ理由なんだろ?」

「え、なに? なになになに?」

「なには一回だボケが!」

「え~、面白いコイツ。なにコイツ。なにコイツ」

 再び叩き込まれる靴先。

「ぐぅ……!」

「おい、聞いてるか? 聞いてるか? テメーみたいなオタク見るとイライラしてくんだよ。なあ、おい、聞いてるか? あ? イライラすんだよコラ」

「げぅ……てめーの語彙が貧困なのはわかったから少しは気の利いたことを言え」

「んだコラァ!」

 偏執的なまでの癇癖が乗せられた暴力の嵐。

 攻牙は、やっぱり、何の抵抗もできなかった。

 そして、

「こんなもんにマジになりやがってよ!」

 ばきり、と。

 踏み砕かれる何か。

 顔が、引き歪むのがわかった。

 凍えそうなほど冷たいものが、眼から溢れてきた。

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