血ゲロのひとつも吐かされたことのないry 蹂

 七月二十七日

  午後一時三十九分五十九秒

   閑静な住宅街にて

    「私」のターン


 なんたることか。

 ディルギスダーク・システムの端末たる私は、嶄廷寺攻牙と戦っているのとまったく同時に、布藤勤の変わり果てた姿を遠隔操作していた。

 そうせざるをえなかったのだ。

 大量の土砂を撒き散らしながら、淡い色のエネルギーフィールドに包まれたバスが猛スピードで近づいてきている。

 その正体は考えるまでもなく、鋼原射美の特殊操作系能力〈臥したる鋼輪の王アンブレイカブル・ドミナートゥス〉である。

 まったく、なんたることか。

 この私に二正面作戦を強いるとは。

 こうなってしまっては、手駒が拿捕されるのを黙って看過するわけにもいかない。私は布藤勤の肉体を遠隔操作し、右腕を前に突き出した。

接続アクセス。第九級バス停『亀山前』。使用権限登録者プロヴィデンスユーザー布藤勤が命ず。――界面下召喚」

 閃光。渦巻く光の粒子。衝撃波が全方位に拡散する。

 一瞬ののち、布藤勤の手の中にはバス停『亀山前』が握られていた。

 凄まじい速度で突っ込んでくるバスを見やる。

 ……『亀山前』のポートガディアンたる布藤勤は、内力操作系バス停使いである。

 バス停にかかる力の操作に長け、オーソドックスな白兵戦を得意とする。

 その必殺技は〈超吸着〉。

 自らのバス停に触れた物体を内力操作によって吸着し、離れなくしてしまう技である。

 最初はそのどこが必殺なんだよとも思ったが、よくよく考えてみるとバス停同士の鍔迫り合いに持ち込んでからいきなりこの技を使えば相手はまず反応できずにバス停を奪い取られてしまうわけで接近戦に応じてくれるような相手に限られるものの十分必殺技と呼ぶに相応しい有用性であるわけだがそんなことはまったく関係なく布藤勤の肉体は超高速で突進してくるバスの巨体にブッ飛ばされてボロ雑巾と化した。

 闘いにもなりはしなかった。


 ●


 七月二十七日

  午後一時四十分八秒

   ゲームセンター『無敵対空』にて

    「私」のターン


 クザク、というキャラクターがいる。

 ゲーム内設定においては、数年前に滅び去った神秘の装光都市『ナスル=タイル』の最後の生き残りであり、故郷が崩壊する要因となった顔傷の女(本作におけるラスボス)を追う復讐の剣士である。

 旧式メイドロボの完全上位互換とも言うべき性能であり、攻撃のリーチが長く、発生速度もトップクラス。さすがにワンチャンスでの火力はエオウィンに劣るものの、あらゆる状況からコンボにもっていけるので、総合的な攻撃能力はむしろ上回っている。

 対戦ダイアグラムにおいては稼働初期から現在に至るまで常に上位をキープし続けており、性能だけを見るなら最強であるとの声も多い。


 ……と言うのが、攻牙の脳を探って得られた情報である。

 一方的な展開だった。

 こちらの行動がことごとくわかっているかのごとく、すべての局面で主導権を握られていた。

 攻撃しようとすれば斬られ、移動しようとすれば斬られ、ガードすれば投げられ、ジャンプして逃れようとすれば斬られ、何もしなければ無造作に斬られた。

 さらに、ここから遠く離れた住宅街で鋼原射美が余計なことをしてくれたがために、一瞬私の処理能力を上回る事態に追い込まれ、判断が追いつかず、決定的な一撃をもらってしまった。

『閃滅完了-K.O.-』

 完封。

 そう称して良い、完全なる大敗。

「永久コンボしか能のねえ半端野郎が……格ゲーナメてんじゃねーぞコラ」

 低く籠もった声が、筐体の反対側から聞こえてきた。

「――不可解な熟練度であった。まるで最初からこのサムライ男が使用キャラクターであったかのような動きである」

「あぁ……そうだぜ?」

 何……?

「ボクの持ちキャラは最初からクザクだ。アトレイユはサブだよ」

 馬鹿な。

 では何故、合宿中に一度たりともクザクを操作しなかったのか。

「クザクにゃ即死コンボはねえ。だからこの場合じゃ不利かなって思ってただけさ」

 攻牙は頬を歪める。

「運が良かったぜ。てめーが勘違いしてくれたおかげでクザクの技を一度も見せずにこの場に立つことができた」

「――ありえない。私はお前の脳に巣食っていたのだ。その事情に気付かないはずがない。まさか嶄廷寺攻牙は二重人格者だとでも言うのだろうか」

「本気でそんなことを考えているのなら……やっぱてめーはナマクラだな。ボクと心理戦をしようなんて百年早ぇぜ」

「――なんだと」

「でもまー……二重人格ってのはちょっといい線いってたぜ。三十点くらいはやってもいい」

「――どういうことか」

「てめーはずっとボクの中にいた。ボクと同じことを経験し続けてきた。だからボクの心理を類推できると思い込んでいる」

 攻牙は肩をすくめる。

「基本的には間違ってねーぜ。おおむね正確に心を読めていたと思う。だけどな」

 大きな眼を威圧的に見開き、言った。

と……どうして疑いもしなかったんだ?」

 そんなことができるはずがない。

 私の読心から逃れる方法はただひとつ。「思考しない」ということだけである。

 攻牙は、脳裏で会心の笑みを浮かべていた。

「人間の思考ってのはよー……そいつの言語によって全く違うらしいなぁ。ボクたちは日本語で思考する。中国人は中国語で思考する。メリケン人は英語で思考する。仮に心を読めたとしても……そいつの思考を形成している言語がわからなければ無意味なんだぜ」

「――だから……なんだというのか。嶄廷寺攻牙は今も日本語で思考している。私にわからないはずがない」

「そう。ボクも普段は日本語で思考する。だけどな……てめーをハメる策を練っている時だけは暗号言語で思考してたんだよ!」

 ――あ…ありのまま。今、ありのままをありのまま!!

 ――こいつはくせえッー! くせえ以下のくせえがくせくせくせえーッ!

 ――飲ま!! 酒ずにはいられない!!

 攻牙の脳内で発生したその馬鹿馬鹿しい思考パターンは、解読不能なノイズと化して私を混乱させた。

 そうだ。今までも、このわけのわからない思考ノイズが私の読心を拒んでいたのだ。

 だが私はたいして気に留めなかった。他の人間に潜り込んだ時も、こういう「思考なまり」とでも称すべき無意味な癖が散見されることはあったのだ。人間と言う生き物は、その思考活動のすべてが論理的に説明できるわけではないのだから当然だ。

 だが、そうではなかったと言うのか。

 

 今までずっと……霧沙希邸で過ごしていた時からずっと、嶄廷寺攻牙はそんなことを続けてきたというのか。

 この私の眼に気付き、それを欺くために、たったひとりでそんな神経を擦り減らすような思考制御を続けてきたというのか。

『第二燐界形成-Round 2-』

 ラウンドコールが響き渡る。

 私は筐体に頭を突っ込み、インサニティ・レイヴンの操作に戻る。

 もはや敵のペテンに感心している場合ではない。

 眼の前に佇む、陰鬱なロングコートの男――クザク。

 その一挙手一投足を注視する。

 クザクは、動き回らない。

 ただ、ランダムに回転する立方体の形をしたモノをひとつ設置するだけである。

 そう、1ラウンド目でもそうであった。

 画面端にて緩やかな回転を続けるその物体が、試合中には驚くべき機能を果たすのだ。

『閃滅開始-Destroy it-』

 ゲームスタートと同時に、クザクは蒼い光をまとって突進してくる。まるで外力操作系バス停使いが放つ光弾のごとく、輝く粒子をまきちらしながら一条の光線となって間合いを詰めてくる。

 瞬間、クザクの姿が掻き消えた。

 直後に一閃。斬撃が優美な曲線を刻む。広がる波紋のようなガードエフェクトが、インサニティ・レイヴンの交叉された腕の前で弾ける。

 それは刃の軌跡というよりは、扇型の空間の歪みとでも称すべきものだ。聖堂のような背景が、剣閃と重なった部分だけわずかにズレている。

 私の背後に、蒼の剣士は刀を振り抜いた状態で出現した。

 突進の勢いの利用した神速の抜き打ち。技後、私の背後に回り込む形になる。当然、次に襲いかかってくる斬撃を防ごうと思ったらガード方向を逆向きにしなければならない。

 前ラウンドではこの反応が遅れたため、致命的な連続技を食らう結果となったのだ。

 私は即座に逆方向に向けてガードし直す。

 ――と思った瞬間、クザクのグラフィックが眼の前で白い光に包み込まれた。

 次の瞬間そこにあったのは、ランダムに回転する立方体。

 クザクと立方体の位置が、瞬時にのだ。

 そして背後から斬撃を受け、インサニティ・レイヴンはやられモーションを開始する。

 流れるような三連斬。紅い牡丹が咲いて散る様を模したヒットエフェクトが散華する。なめらかで無理のないアニメーションから、それが単独の技であることがうかがえた。

 続いて大上段からの落雷のごとき一撃。大きく吹き飛ばされるインサニティ・レイヴン。

 再びクザクの体が白く発光し、立方体と位置を入れ替える。彼我の間合いがタイムラグもなく詰まった。

 即座に繰り出された斬り上げが、地面に落下する直前の私を拾い、空中に打ち上げる。クザクは技後の硬直をジャンプでキャンセルして追いかけ、小技の連撃で華麗なコンビネーションを決めた。

 インサニティ・レイヴンは、ようやく地に倒れ伏すことを許される。

 一瞬の静寂。体力ゲージは三分の二となっていた。

「これからボクは起き攻めすんぜ? ちゃんとガードしろよこの野郎」

 筐体の向こう側から、そんな声がした。

 インサニティ・レイヴンが起き上がり始める。

 するとクザクは小さく跳躍。直後に空中で光弾と化し、こちらに向かってくる。

 ――中下段の二択か。

 しゃがみガード不能の中段攻撃。

 立ちガード不能の下段攻撃。

 そのどちらかが、来る。

 選択肢を誤れば、再びあの長い連続攻撃を食らって敗戦することになる。

 逆に言うと、ガードさえ成功すれば私の勝ちである。クザクの技は全体的に技後の硬直が長い。ガード硬直など存在しないインサニティ・レイヴンは、即座に反撃を当てて永久コンボにもっていける。

 私は相手の行動を見る。

 地面すれすれの低空を、クザクは飛ぶように移動している。

 どうやら、ようだ。理由は不明である。攻牙の脳を探ると、こういう格ゲー的お約束に突っ込みを入れても無駄……との情報が得られた。

 ともかく。

 空中から攻撃してくるか、それとも着地してしゃがみ込んでから下段攻撃してくるか。

 その見極めが勝負の分かれ目である。

 私は見る。敵手の動きを注視する。

 さあ――どちらか。


 瞬間、私は洗脳ポートガーディアンの一人、櫻守有守の所へ、轟音とともに迫りくる何者かの存在を察知した。


 ●


 七月二十七日

  午後一時四十七分三秒

   町外れの田園地帯にて

    「私」のターン


 なんというか、またである。

 よりにもよってこのタイミングで、鋼原射美が襲撃をかけてきたのだ。恐らく、霧沙希藍浬あたりがスマホでタイミングを指示しているのだろう。実に周到な作戦である。

 ――しかし、櫻守有守を相手に選んだのは失策と言わざるを得ない。


 『萩町神社前』のポートガーディアン、櫻守有守は外力操作系バス停使いである。

 扱える〈BUS〉のエネルギー量だけを見れば、四人の中でも最強の存在であった。

 練り上げられた〈BUS〉を矢の形に変え、高速で射出する。私は一度ためしに撃たせてみたことがあるが、大きめの民家を一射で粉砕するほどの威力を叩き出した。射程もかなり長く、八百メートル前後。一般的な外力操作系バス停使いの平均を大きく上回る。

 反面、連射速度はさほどでもなく、最速で一秒に一射程度。狙いをつけて撃てば二秒はかかるだろう。とはいえバス程度の大きさであれば難なく撃破可能だ。

 対するは、近づいて轢き殺すことしかできない鋼原射美。いかに凄まじい力を持つ〈臥したる鋼輪の王アンブレイカブル・ドミナートゥス〉とはいえ、その本質は車両だ。基本的に前後にしか動けず、左右への突発的な回避機動など不可能である。

 ちょうどいい、ここで後顧の憂いを断つとしよう。

 私は櫻守有守の肉体を遠隔操作し、バス停を召喚。閃光とともに顕現した『萩町神社前』は、櫻守有守のたおやかな手に収まり、丸看板とコンクリート塊の間が光の弦によって繋がれた。

 ゆっくりと、弦を引く。きりきりと軋みを挙げて、停身が曲がってゆく。やがて弦を握る方の手の中に、まばゆく輝く〈BUS〉の矢が現れる。

 狙いは――よし。

「ちょっとちょっと」

 ――?

 いきなり後ろから肩をつつかれた。

 振り向くと、

「ところで僕のパトリシアを見てくれ。こいつをどう思う?」

 何故か謦司郎がそこにいた。

 何故か全裸で。

 何故かガニ股。

 そして両手は真上に伸ばされている。

「…………」

 あまつさえ、意外に鍛えられた体を左右にゆすり始めた。

 ぶるんぶるん振り回される何か。

「どう思う? ねえどう思う? ねえ、ねえ、どう思う? どう思う? どう思う? 聞いてる? ねえってば! どう思う? ねえねえ、どう思う? どう思う? ねえねえ、ねえってばー! どう思う? ねえ!?」

 思考が、止まった。

 ぶるんぶるん。

 これは私の問題ぶるんというよりは、櫻守ぶるん有守というハードぶるんぶるんウェアの問題であるぶるんと言えるぶるんぶるん。

 ぶるんぶるんぶるん。

「いつも心に交通安全ーッ!」

 瞬間、横合いから射美のバスが突っ込んできた。

「へぶぅっ!」

 二人まとめて轢殺。

 汚いなさすが射美きたない。


 ●


「いやぁ、こんな綺麗な人の前で合法的に恥部を露出できるなんて、今日はいい日だなぁ」

『うわぁもうヘンタイさん早く絶滅してほしいでごわす……』


 ●


 七月二十七日

  午後一時四十七分十七秒

   ゲームセンター『無敵対空』にて

    「私」のターン


『閃滅完了-K.O.-』

 案の定であった。

 刀をクルリと回して鞘に収め、画面外へと歩み去ってゆくクザク。

 力尽きたインサニティ・レイヴンは、ニュートラルポーズのまま微動だにしない。

「……って倒れろよ! なんで立ったままなんだよこいつ!」

 当然であった。インサニティ・レイヴンは敗北を想定しないキャラクターだ。力尽きた際の処理など成されていない。

「なんて厨キャラだ!」

 余計なお世話であった。


 クザクが為したのは、中下段の二択に見せかけた五択である。

 1、低空ダッシュからそのまま中段攻撃。(通称:表中段)

 2、低空ダッシュから着地して下段攻撃。(通称:表下段)

 3、低空ダッシュを少し長く続けて相手の背後に回り込み中段攻撃。(通称:裏中段)

 4、低空ダッシュを少し長く続けて相手の背後に回り込み着地して下段攻撃。(通称:裏下段)

 5、低空ダッシュを中止して投げ技。(通称:すかし投げ)

 正解がランダムに移り変わる五択問題を次々と出題されているようなものだ。

 ガードなど出来るものではない。

 転ばされる→五択起き攻め→転ばされる→五択起き攻め。

 以下エンドレス。

 クソゲーではないのか、これは。

 気がつけば、インサニティ・レイヴンの体力はゼロとなっていた。

 ゲームへの対処に処理能力のすべてを注ぎ込めば、あるいは五択問題の正解を見切ることも可能かもしれなかったが――射美&謦司郎の別働隊は実に小癪に機能している。

「まぁどうでもいいけどなこの野郎。ボクの勝ちだこの野郎。人質を一人返してもらおうかこの野郎」

 攻牙は吠える。

 そして獰猛な笑み。

 ……仕方あるまい。ルールには従わざるを得ない。

 ディルギスダーク・システムの端末たる私は、本質的にそのような存在だからだ。

 勝てば魂を頂く。負ければ魂を手放す。

 創造主たる「彼女」によって、そのように定められた存在。

「へえ……いいことを聞いた。じゃーさっそく一人返してもらうぜ」

 果たして攻牙は誰の解放を要求するのか。

 順当なところで、諏訪原兄妹のどちらかか。


「ボロ雑巾の兄さんを返してもらおうか!」


 ●


 七月二十七日

  午後一時四十四分一秒

   バス停『針尾山』の目前にて

    「私」のターン


 ……もう、こちらから攻めていくことにした。

 『針尾山』のポートガーディアン、馬柴拓治は内力操作系バス停使いである。

 旋停流と呼ばれる、バス停を高速回転させて闘う一派において、中目録術許しの腕前を持つ。

「ふんッッ……ぬらばああああぁぁぁぁぁァァァァァァッッッッ!!!!」

 爆光。

 バスの車体が大きく傾ぎ、横転しかかる。

 不意打ちは完璧に成功。

 即座に私は馬柴拓治の体を操作して上空へと跳躍する。

「ごわわっ!?」

 上空より、狼狽する鋼原射美の姿を捉える。

 馬柴拓治の肉体は、地上十五メートルの位置で得物を振りかぶった。

 高速回転するバス停は、あたかも光の円盤のごとき威容。高周波の呻きを発している。

「大ッッ! 断ッッ! 円ッッッッ!!」

 馬柴拓治の肉体が、勝手に技名を絶叫する。そうしないと力が出ないような体質になっているらしい。

 バス停の高速回転が〈BUS〉の特殊な性質を呼び覚ます。

 それこそが、旋停流の極意。

 ――ハミルトンの第二原理。

『かつて〈BUS〉が存在した空間には、ある種の磁場のような振る舞いを為す特殊空間が形成される。人間の感覚では一瞬で消えてしまうその空間は、同質・同方向の〈BUS〉を増幅する作用がある。』

 現代における〈BUS〉研究の大家、アンドレアス・ハミルトンが提唱した理論であり、地脈の循環構造が強い霊的作用を生む理由を説明した革新的発見である。

 もっとも、法則ではなく原理と表記される通り、ハミルトン自身も「なぜそうなるのか」を解明できなかった。

 とはいえ、この原理が現実的に確固たる力を持っているのは紛れもない事実。

 濃厚な〈BUS〉を纏ったバス停が、ひとつところで回転すると、同じ空間座標を同質・同方向の〈BUS〉エネルギーが何度も通過することになり、そのパワーはどんどんと増幅されてゆく。

 旋停流は、これを利用する。

 『針尾山』は第九級すなわち最弱クラスのバス停だが、馬柴拓治が振るう一撃の熱量は概算してゾウリムシ九百億匹分に相当し、これは東京などの都心部に立つ第四級バス停とタメを張れる破壊力だ。

 鋼原射美の〈臥したる鋼輪の王アンブレイカブル・ドミナートゥス〉と真っ向勝負を挑むにはやや物足りないが、しかし真上から本体を急襲する場合にはその限りではない。

「ごわっ!?」

 馬柴拓治の技名絶叫に反応して、ようやく顔をこちらに向ける射美。

 遅い。

 存分にエネルギーを増幅した『針尾山』の一閃は、その肉体を二枚におろすことだろう。

 閃光。

 そして〈BUS〉の障壁を突破し、存分に斬り裂いた手ごたえ。

 ――勝った。

 ディルギスダークはここで後顧の憂いを断った。

「敗北フラグお疲れ様!」

 声が、真横から。

 むろん、わかっていた。闇灯謦司郎がこのまま手をこまねいて見ているはずがないことを。

 そして、手の中に残るこの感覚が、人体を真っ二つにしたものではないことも。

 左右にそびえ立つのは、バスの断面だ。

 馬柴拓治の肉体は、真上からの一撃でこの巨大な鋼の塊を両断した。

 しかし、鋼原射美を討ち取った手ごたえはない。おそらく、闇灯謦司郎に抱えられて瞬間移動し、難を逃れたのだろう。そして今、死角から攻撃を加えようとしているのだ。

「てぇい!」

 真横から迫りくる一撃を、私は難なく受け止めた。

 鋼の悲鳴とともに、〈BUS〉の粒子が飛び散る。

 軽い一撃だ。いかに元十二傑の一員と言っても、所詮は特殊操作系バス停使い。基本的な戦闘能力はさほど高くない。

「今、軽い一撃だとか思ったでしょ? ねえ、思ったでしょ?」

 青年の声。

 その声を聞いた瞬間、私の思考ルーチンを電流が貫いた。

 ――まさか……!

 鍔迫り合いの形で、私は襲撃者と対峙する。

 交差するバス停の間から、わずかにその顔が覗く。

「必殺、〈超吸着〉!」

 瞬間、『針尾山』が突発的に引っ張られた。今しがたの一撃よりも遥かに強い力だ。

 たまらず、馬柴拓治の肉体は『針尾山』をもぎ取られてしまう。

「布藤勤二十三歳、押すより引く方が得意です!」

 大物を釣り上げた漁師のごとく、『針尾山』が付着した『亀山前』を掲げる青年。

 布藤〝ボロ雑巾〟勤。

 私は、悟った。

 嶄廷寺攻牙が最初の人質返還でこの男を指名したのは、こういう思惑があってのことだったのだ。

「僕は今までそうやって生きてきた!」

「そんな自慢そうに言うのもどうかと思うでごわすよ~♪」

 後頭部に衝撃。

 視界が暗黒に没する。


 ――決まり手:謦司郎によって瞬間回避した射美による背後からの殴打。


 ●


 七月二十七日

  午後一時四十七分二十八秒

   ゲームセンター『無敵対空』にて

    「私」のターン


 そしてゲームの方でも大敗を喫する。

「はっはーっ! またパーフェクト勝ちィーッ!」

「……よかった」

 藍浬は頬に手を当ててほっとした表情を見せている。

 そのもう一方の手には、スマホが握られていた。やはりラインメッセージで「別働隊」にタイミングを知らせているのだろう。試合の間の時間にポートガーディアンをノックアウトしても無意味だからだ。

 ……処理能力が、足りない。

 本体たるディルギスダーク・システムから離れ、端末とバス停『風見ヶ丘』のみの状態で朱鷺沢町に根を張った私には、普通の人間十人分程度の情報処理能力しかない。二正面作戦を強制されて十全な対応を成すだけのマシンパワーがなかった。

 これが、嶄廷寺攻牙の戦略か。

 なるほど。

 ふむ。

「何考え込んでんだ? フリーズしたかこの野郎」

「――ポートガーディアンの遠隔操作をやめ、ゲームに集中すべき状況か」

 ことここに至って、私はついにそう思い定めた。

 嶄廷寺攻牙と霧沙希藍浬を筐体に取り込んだ後で、ゆっくりと四人を取り戻しにいけば良いではないか。

「そうしたきゃ好きにしろよ。ただし別働隊の二人にゃポートガーディアンを倒したらすぐにふんじばって口枷を噛ませるように言ってある。あとは四人全員ぶっ倒した後で霧沙希の家に運び込めばてめーはもう手出しができないんだぜ。それでもいいのか? あぁん?」

 霧沙希藍浬の姉、霧沙希紅深の特殊能力。

 周囲数十メートルに渡ってバス停の力の無効化する力。

 その効果範囲内に拘束したポートガーディアンたちを連れ込めば、それで彼らは完全に無効化される。

 ……手駒がなくなり、五角形結界は永遠に完成しなくなる。

 ……。

 逃げ道なし、か。

「――希望を言うべし。ディルギスダークは応えるであろう」

「ふん……それじゃあ……」

 しばし考えるそぶりを見せる攻牙。そして、ある一点に目を向け、ニヤリと笑った。

を帰してもらおうか!」

 そう言って、私を指差してくる。

 攻牙の脳内に巣食う私ではなく、車椅子に座っている私だ。

 全身を黒革のハーネスで縛り上げられ、眼隠しと口枷をされた巨体。

「そいつはディルギスダーク本人じゃねえんだろ? ただ洗脳されただけの一般人と見た!」

「――嶄廷寺攻牙……そこまで気づいていたか」

「けっ! ナメんな! とっととそのでっかいオッサンを自由にしな!」

 ディルギスダークが洗脳を施し、あたかも本体であるかのように偽装していた人間。

 その正体は、朱鷺沢町から五十キロほど南下した地点に存在する港町にて定置網漁業を営む帰化アメリカ人のマイケル・ジョビン(三十二歳)であった。

「オ、オーゥ……ここハ一体……?」

 マイケルは頭を押さえながら、辺りを見回している。

 しかし革の目隠しをされているので、何も見えないのだろう。あたふたしている。

 攻牙が無言で近づいていって、ぐいと目隠しをまくり上げてやった。

 ゴツい見た目とは裏腹に、意外とつぶらな瞳が出てくる。

「よう……お目覚めかい?」

「き、キミは……?」

「嶄廷寺攻牙だ」

「はァ、あノ、エット、ジョーキョーがよくわからないンだけど……」

「簡単に説明すると……アンタは今まで誘拐されていたけれどさっき助け出されたってな感じだ」

 まだよくわかっていなさそうなマイケル。

「とりあえず大丈夫か? 記憶はあるか? 自分の名前言ってみろ?」

「ま、マイケル・ジョビンだヨ」

「よーしマイク。アンタはもう自由だ。立って歩きな。自分の足で。自分の意志で!」

 促されるままふらふらと立ちあがり、自分の恰好を見降ろして、

「ナニ、これ! パンクすぎルでしょう常識テキに考えテ!」

 みたいなことを叫ぶ。

「あぁ……うん……まぁ……」

 引き千切られた黒い拘束具だからなぁ。

「……って、こんなコトしてる場合じゃないヨ! サラとボブがきっと心配してるヨ!」

 なんか英語の教科書に出てきそうな名前を叫びながら、マイケルはダッシュで『無敵対空』から出て行ったのであった。

「ふう……やれやれ」

 攻牙は再び筐体に戻ると、椅子に座った。

「さあやろうぜディルギスダーク。ケツの毛もむしってやるよ」

『――嶄廷寺攻牙にそのような性的嗜好があったとは驚きだが、あいにく私にケツ毛はない。ていうか、ケツが、ない』

「いやどーでもいいよ! さっさと正体を現せよ!」

 私はその要望に応える。

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