血ゲロのひとつも吐かされたことのない野ry 窮
七月二十七日
午後一時三十五分二十七秒
ゲームセンター『無敵対空』にて
「 」のターン
駅前のゲームセンター『無敵対空』は、表向き閉店していた。
「閉まっているぞ。借金苦で夜逃げしたか」
「うーん、残念ね」
「残念なのはお前らの頭だ! 怪しまれないためにとりあえず閉めてんだろ!」
篤、藍浬、攻牙の三人は、異様な妖気の立ちこめる店舗の前に立っていた。
自動ドアに張られた「都合により閉店します」の紙を引き剥がし、攻牙と篤はガラスの隙間に爪を入れて踏ん張る。
……と思ったらいきなり自動ドアが開いた。こけそうになる二人。
中から、車椅子に乗った黒い巨体が現れる。
「――その日、ディルギスダークは三人の客人を迎え入れていた。やれやれ、ようやく……といった按配である。一週間もの間ディルギスダークを待たせ続けた挙句、悪びれた様子もないとかね、これね、もうね、マジね、ないわ。ホント、ないわ。実社会では通用しないノリである。何なのその『天界で修行してきました』系の自信に満ちた顔つき。お前たちはアレか? 恐怖を乗り越えてグラサンつけた人か? そのわりには勝ち星なかったよなアイツ」
「……花京院のことか……花京院のことかーーっ!!」
攻牙、腕を振り上げて憤慨する。
「巨躯、目隠し、スレイトジャケット……眩暈のするセンスで恐怖を操っている……」
藍浬が眉を寄せながら小さく呻いた。
「気圧されるな。俺たちは見てくれなどまったく関係のない闘いを挑もうとしているのだ」
篤は泰然としている。
「――三人は『無敵対空』の店内に足を進めた。あたりは大小さまざまなチューブで埋め尽くされていた。床も壁も天井も見えない。所々蒸気が吹き上がる場所があって、時折痰がからまったような音を立てている。人工物しかそこには存在していないにもかかわらず、生物の体内を思わせる場所であった」
ほとんどギーガーやベクシンスキの世界である。ゲームの筐体たちはコードやチューブによってぐるぐると覆い尽くされ、何か巨大な生き物の繭のように見えた。
しかし店内には『大改造! 劇的ビフォアアフター』の感動的BGMが流れていたりするので意味がわからない。
「――なんということでしょう。小汚い不良どもがたむろするヤニ臭い不健全空間は、神の目覚めを嘆願する神聖な祭壇へと生まれ変わったのです」
紀元前あたりのゲーセンのイメージだった。
「余計な問答はいい。ディルギスダークよ、決着をつけに来た。勝負を始めよう」
「――異存はなかった。だが、ディルギスダークには聞かなければならないことがあった。他の二人はどうしたのか、と。鋼原射美と闇灯謦司郎はどこにいるのか、と」
「あいつらは置いてきた。はっきり言ってこの闘いにはついてこれそうもない」
死亡フラグ臭いことを言い出す攻牙。
「それとも僕たちだけじゃ不満か? ああん?」
「――そちらのチップが減る分には特に問題はなかった。だが、その不可解な分離行動がディルギスダークの胸に不審と警戒を植えつけたことは特筆しておこう」
そう言い捨てると、ヴィーンと電動車椅子が旋回し、ひときわ巨大な繭を形成している筐体の前へと移動していった。
ほとんど小さな丘と言ってもいい威容である。巨大な昆虫の羽音のような駆動音がわだかまり、チューブの間から赤黒い光が漏れ出てきている。
「――これこそが、諏訪原篤、嶄廷寺攻牙、霧沙希藍浬の魂を収める器であった。贄と成り果てたい者から、席につくと良い」
中央部だけは原型を留めており、六つのボタンとレバー、そしてモニターがあった。まるで怪物の口のようだ。
三人は頷き合い、篤が一歩前に進み出た。
「まずは俺だ。修行の成果を披露しよう」
席に座り、一瞬迷ったのち、スタートボタンを押す。
……押す。
もっかい押す。
「おい、ゲームが始まらないぞ」
「――当たり前であった。百円玉を投入せずにゲームをやろうなどと片腹痛かった」
金取んのかよ。
「むむ、困った。財布など我が家の瓦礫の中に埋まったままだぞ」
「ああもう!」
攻牙が無言で篤の脇から手を伸ばし、百円玉を投入。画面下部で『CREDIT(1)』の表示が点滅しはじめる。
「……すまぬ。今度チロルチョコを奢ろう」
「安くなってんじゃねーか! いいからとっととはじめろ!」
スタートボタンをプッシュ。光の線が縦横に走って、キャラセレ画面を形成する。
「エオウィンよ……その剣、俺に預けてくれ」
ディコーン! という選択音。メイド少女が不安げに周囲を見渡すアニメーション。
画面の暗転。
現れたのは、超高層建築が立ち並ぶ巨大都市だった。上も下も空気に霞んで見えなくなっている。それぞれの建物を行き来するためか、巨大な橋が無数に渡されていた。人々の営みを示す雑多な光があふれかえっている。金属の光沢を持つそれらの建造物群には、ぼんやりと光る半透明の樹木がびっしりと絡みついていた。
摩天楼の中腹に迫り出したテラスの上で、二つの影が対峙している。
片方はエオウィン。濃紺のドレスにレースの入ったエプロン、ふりふりしたカチューシャを装着した(あくまで日本のオタクの間でのみ通用する)典型的なメイドスタイル。周囲に生い茂る立体映像の樹々が燐光を放ち、流れるような銀髪に複雑な陰影を与えていた。大きな眼に涙を溜めて、対戦相手を不安そうに見つめている。この保護欲を煽りまくる仕草の数々によって幾多の硬派ゲーマーたちを道ならぬ推し活へと引きずり込んでいった業深いキャラクターであるが、でも下半身は大剣。エロ同人作家諸氏にどういう創造性を期待しているのか。
もう片方は、黒い結晶によって形作られる無機質な人影。幻影の樹々の光に一切影響を受けず、飲み込まれそうな漆黒の色彩を保っている。それが余計に作品世界への一体感を損ない、まるで出来の悪い合成映像のようだった。体内では深紅の樹状組織が血管のように脈動している。顔も体格も立ちポーズもパーソナリティを匂わせるような要素は一切なく、寒々しい殺気だけを振りまいていた。インサニティ・レイヴン。それが奴の名だ。
『第一燐界形成-Round 1-』
「ふっ!」
ラウンドコールと同時に、篤はレバー操作。地雷を設置してゆく。動きに危なげはない。懸念されていたパッドとレバーの感覚の違いも、さほど気にならないようだった。四つほど置き終え、斜め上にジャンプ。上昇中に扇風機をひとつ設置。下降中にもうひとつ設置。うまくハマれば相手がN字に吹き飛ぶ陣形である。
『閃滅開始-Destroy it-』
さすがにディルギスダークも、相手がばら撒いているモノが攻撃能力を持っていることくらいは学習しているのか、地雷の置かれていない位置まで後退していた。
すかさずエオウィンはドリル(強パンチ)で牽制する。両者の間に地雷が一個あるので、攻撃後の硬直を狙われにくい位置関係だ。
青いガードエフェクトが波紋のように拡がる。エオウィンの顔はその照り返しを受けて明滅するが、インサニティ・レイヴンの顔色は一貫してフラットブラックのままだ。
立て続けに火炎放射、ロケットランチャー、ガトリングガンを浴びせかける。ガードの上からガリガリと体力が減ってゆく。
――へっ! 手も足も出ねえだろ!
篤の優勢を前に、攻牙は不敵な笑みを浮かべる。インサニティ・レイヴンは確かに凶悪な攻撃能力を誇るが、それはあくまで「ぼくがかんがえたさいきょうキャラ」の域を出ていない。こいつは守勢に回った時のことをまるで想定しておらず、反撃に転ずるための手段を何も備えていない可能性が高い。受け身もブロッキングも霊撃もジャストディフェンスも当身技もサイクバーストもなく、ひたすら近づいて殴ることしか考えない。
そういう奴は射程の長い攻撃を連発してやるだけで、もう何もできなくなる。
――やれ篤! 削り殺せ!
この、単純だが効果的な戦法を前に、ディルギスダークは手も足も出ないようだった。
「いまひとつ手ごたえのない方法だが、手加減はせん。このまま押し切らせてもらう」
レバーを的確に操作しながら、篤は言い放つ。
加熱する攻勢。
漸減してゆく体力ゲージ。
ここでディルギスダークはようやくジャンプするという発想に思い至ったようだ。火炎放射後の隙を見計らって大跳躍、飛び蹴りを仕掛けてくる。
「その手は
エオウィンの頭がカパッと開き、大根のような形のミサイルが噴炎を上げて発射された。
直撃。爆炎。黒影は火だるまになりながら吹き飛んでゆく。
本来は上昇したミサイルが時間差で相手に降り注ぐ技なのだが、対空兵器としても使えるのだ。
髪の毛に引火した噴炎をあたふたとはたき消すメイド少女の目前に、インサニティ・レイヴンが落ちてくる。
――落下地点には、地雷が待ち構えていた。
爆発。トランポリンのように、再び上空へ跳ね上がる。その先には浮遊する扇風機がぎゅんぎゅん回って歓迎の意を示していた。
ザシュウッ! と切れ味鋭いサウンドエフェクトと同時に、無個性な人型は斜め下方に弾き飛ばされる。そこには別の地雷が設置されていて、もれなく爆発。みたび上空へ。
「霧華を――」
エオウィンは素早く飛び上がりながら、空中で優美に宙返り。下半身の大剣を振り上げた。
ライトグリーンの軌跡が、巨大な孤を描く。走り抜ける閃光のようなヒットエフェクト。
「――返してもらうぞ!」
瞬間、画面の暗転。着地時の隙を超必殺技でキャンセルしたのだ。エオウィンの体で十字状の光がほとばしり、全身がタンスの引き出しのように変形した。数え切れないほどのミサイル発射口が展開する。
『ネ、ネズミ捕り用ですっ!』
エオウィンの切羽詰ったヴォイスとともに、白い帯のような噴煙が幾重にも伸びていった。ミサイルが大量発射される。
あるものは直進、あるものは迂回しながら、濁流のように殺到。落下してきたインサニティ・レイヴンを無数に重なり合う爆炎で何度も打ちのめした。
ダウン。体力は残り四割。
一方エオウィンは無傷である。
だが。
――ちょっとやべえか!?
起き上がった敵は即座に間合いを詰めてきた。エオウィンは――なんとまだミサイル発射形態から元に戻りきっていない。浮き方が悪く、最後の数発がヒットしなかったため、相手の方が一瞬早く行動を再開できたのだ。
パンチ。何の演出もない、ただのパンチ。
『きゃっ!』
エオウィンがのけぞる。間髪入れずまたパンチ『きゃっ!』。それから一歩踏み込んでストレート『あうっ!』。
以下エンドレス。
『きゃきゃっ! あうっ! きゃきゃっ! あうっ! きゃきゃっ! あうっ! きゃきゃっ! あうっ! きゃきゃっ! あうっ!』
「くっ……!」
歯を噛み締める篤。
「どうしよう、諏訪原くん負けちゃう……」
藍浬が攻牙の肩を揺する。
「いや……ありゃ大丈夫だ」
「ど、どうして?」
「時間切れだぜ」
『作戦期限超過-Time Over-』
無機質なシステムヴォイスが、試合時間の終了を告げる。ワンラウンド九十九秒。それ以上はどうやっても戦えない。
最後の方でボコられたとはいえ、体力的にはまだまだ篤が圧倒していた。
立ち上がったエオウィンが、胸を押さえて安心したように息を吐く。
『ど、どうにかなりました……』
――ホントにな。
攻牙と藍浬も胸を押さえて息を吐いた。
インサニティ・レイヴンは何のリアクションもない。直立不動だ。こういうケレン味のなさが、なんだか攻牙には腹立たしく思える。
「くやしがるくらいしろってんだよったく……」
ぼやきながら篤に歩み寄る。
「いい感じだぜ。最後は気にすんな」
ぽんぽんと肩を叩いた。
と。
篤の体が少しずつ傾いていき、
「え……」
どさり、と。
横向きに倒れかかった。
長イスがひっくり返る。
「篤ぅぅぅぅ!?」
「諏訪原くん!?」
藍浬が駆け寄ってきて、力なく横たわる篤の上半身を抱き起こす。
眼は光を失い、四肢は力を失っていた。
「そんな!」
「――見通しの甘さが、露呈していた」
何かの悪夢のように、ディルギスダークの陰鬱な声が耳朶を震わせる。
いつの間にか、すぐそばにいた。
「――実際に勝利したかどうかなど、まるで関係がない。敗北感を抱いた時点で、プレイヤーの魂は筐体に取り込まれる」
「なっ……にィィィ……!?」
「――諏訪原篤は、勝負に対して潔癖すぎた。そして『ディルギスダークの攻撃を食らえば即敗北』という観念に縛られすぎていた。だからルールの上で勝っていたとしても、心の奥底では潔く負けを認めてしまっていたのだ。これは理性ではどうすることもできない問題だ」
「てんめえ……!」
ディルギスダークはぎちりと頬を歪めた。
電動車椅子からいきなり立ち上がると、頭を振り下ろし、攻牙の目の前に巨大な顔を寄せた。クレイアニメの不気味さを百倍にしたような、恐ろしく見る者の神経に負担をかける動作だった。
攻牙の視界を、ディルギスダークの異様な笑みが埋め尽くす。
「っ」
肩にかかる藍浬の手に、ぎゅっと力が入った。
「――愚かな男だった。いくら自らの心身を鍛えようが、何の役にも立ちはしなかった。まさに無意味。まさに道化。諏訪原篤は大切なものを何一つ守ることもないまま、生贄と化す」
虫の羽音のような嘲笑が、ゲーセンに響き渡った。
……その顔に、ちいさな拳が、めり込んだ。
「……笑うな」
拳を固めながら、攻牙はぽつりとつぶやいた。その眼には、押し殺した怒りがあった。
かまわず、ディルギスダークは哄笑を撒き散らし続ける。
「笑うなっつってんだろうがァーッ!!」
ほんの五センチと離れていないディルギスダークの顔に、膝を打ち込む。
ゴムの壁のような手ごたえ。
「うぅっ」
攻牙はよろけて一歩下がり、藍浬に受け止められる。
ディルギスダークは小揺るぎもしなかった。
ニタァ、と笑っただけだ。
「――強い言葉で叫んでも、弱い心は隠せない」
「……っ!」
暗黒の巨体は姿勢を直立させる。攻牙からしてみれば、まるで巨大な神像を相手にしているかのようだ。
狂風のごとき威圧感。
そして、
「――いつまで他人の背中におぶさっているつもりだい? 坊や」
くるりと背を向け、電動車椅子へと戻ってゆく。
攻牙の顔が、さっと青くなった。その言葉は、攻牙の精神の根本に、生々しい音を立てて突き刺さった気がした。
「て……めえっ!」
拳を振りかざして飛び掛ろうとする。
「攻牙くん!」
後ろから抱き止められる。
「落ち着いて……お願い……」
その言葉というよりは、頭に当たる神話的マシュマロ的プリン的たゆんたゆんフィーリングが攻牙の怒りを中和した。
「う……あ……おう」
眉尻を下げて、困ったような声を出す攻牙。
そりゃ頬も熱くなります。
「わたしたちにできることは、他にある。そうでしょ?」
「わかってるよ! ちょちょちょっ! とりあえず離れろ!」
「?」
ちなみに、射美にも頻繁に抱きつかれるが、こっちは別にどうってことない。多分、普段からの雰囲気の差だろう。
ぺちぺちと熱くなった頬を叩き、咳払いで気を取り直す。
電動車椅子に腰を下ろしたディルギスダークへ、指を突きつけた。
「次はボクだ! てめーこの野郎ブッ飛ばしてやる!」
「――生贄は、定まった」
攻牙は深呼吸すると、ひっくりかえった椅子を戻し、モニターの前に座った。
藍浬は、意識を失った篤につきそいつつ、心配げにこちらを見ていた。
「たのむぜ」
「……うん」
頷きあう。
百円玉を投入。スタートボタンをプッシュ。
キャラセレ画面が表示される。
――さて。
攻牙は、もう一度深呼吸を行う。
画面には、体の両側に巨大なビームガントレットを浮遊させた少年の姿が映し出されている。
アトレイユ。
少年漫画の主人公的なツンツン頭に、革製の道服のようなファッション。やや小柄な体格。
意志の強そうな半眼で前を睨みつけながら、ゆったりとした構えをとっている。
癖のない操作感と、オーソドックスな技構成。平均以上の攻撃力と機動力。初心者の入門として、あるいは上級者の切り札として、遺憾なく主人応振りを発揮してくれる良キャラだ。
だが――
攻牙は無言で、レバーをちょいちょいと動かした。
表示キャラクターが切り替わる。
「こ、攻牙くん!?」
後ろで藍浬が声を上げる。
「大丈夫」
アトレイユに替わって表示されたのは、メカっぽい意匠の日本刀を携えた、長身の男だった。
紺色のボディスーツの上にロングコートを羽織っている。その瞳に色はなく、一見して視覚を喪失していることがわかった。蒼いメッシュの入った黒髪が、ざんばらに伸びている。
「――何をしているのか。何をするつもりなのか。意表を突けばいいとでも思っているのか。あまりにも浅はかな行動と言わざるを得ない。練習すらしていないキャラクターなど使ったところで無残な敗北を喫するだけのこと。ないわ。マジないわ」
「はっ」
攻牙は鼻で笑い、躊躇いもなくボタンを押した。
無数の剣閃が球状に迸り、直後に鍔鳴りの音がチンと響いた。男は背中を向け、どこか遠くを見ている。
キャラクターが、決定されたのだ。
ディルギスダークが、黙りこんだ。
「やっぱりな」
頬に強張った笑みを刻みながら、攻牙はディルギスダークを見やる。
じわりと、汗がにじんだ。
「てめー……なんでボクがこいつを練習してないってことを知ってるんだ?」
斬りつけるように、問い詰める。
ディルギスダークは黙っている。
「どうして意外に思う? どうして『意表を突かれた』なんて考えた? 浅はかだと? 何故? てめーと戦うのはたったの二回目だろ? 『こいつは別のキャラも使うのか』で流すところだぜ普通」
「――まるで意味不明の言葉であった。事実として、嶄廷寺攻牙はアトレイユしか練習していない」
そう、それは確かな事実だ。ディルギスダークの言葉は、完全に正しい。攻牙は合宿中、アトレイユしか練習していない。
だが、なぜこいつはそんなことを知っているのか。
攻牙の中で、恐怖と嫌悪が膨れ上がっていた。それは今までも胸の底で燻っていたものだが、ここにきて黒い炎を上げ始めた。
息を吸い込む。そのまま一瞬だけ躊躇う。
……本当なら、目を逸らしていたかった。口に出すことで、否応もなくその事実と直面してしまうことになる。
「見ていやがったな……てめえ……」
だが、攻牙は、逃げなかった。
「――何のことを言っているのか」
眼を引き剥き、やり場のない怒りで胸中を満たす。
「全部だ! ボクが霧沙希の家で経験したことのすべて! てめえは一部始終委細漏らさずするっとまるっと完璧に見てやがったんだろ!?」
拳を握りしめ、猛烈にガンたれる攻牙。
ディルギスダークは、やっぱり黙っている。
「最初からおかしいとは思ってたんだ……てめーはなんでだか知らねえがボクが家にゲーム機を取りに戻ったところをドンピシャのタイミングで阻止にかかりやがった。嫌に手際が良すぎた。そこがまず違和感としてボクの胸に残った」
今まで飲み込んでいた石を吐き出すように、攻牙は言葉を紡ぐ。
「次に妙だと思ったのはディルギスダーク! てめーからのメールだよ! 最悪なタイミングで最悪なメール送りやがって……認めたくねーが危うく心が折れるところだったぜ。ずっと不思議だった。どうしてこの野郎はボクのことをこんなに良く知っているんだろうってな……」
どこか、自らの身を切るような、言葉を紡げば紡ぐほど傷ついてゆくような、そんな糾弾。
「そしてさっきのてめーの反応で確信を持った……」
ぎりり、と歯を軋らせる。凄まじい瞋恚の念が、眼の奥から迸り、ディルギスダークを打ち据えた。
「てめー……ボクの頭に何かしやがったな……!」
「――ク……ク……ク……」
喉が、蠕動する。暗黒の巨漢が、こらえきれぬという風に、嗤った。
すなわち、私が、嘲笑った。
「……っ!!」
唐突に頭の中に聞こえた声に、攻牙は目を剥く。
実に、実に哀れな少年だった。
ずっと私の操り人形であったことも知らず、嶄廷寺攻牙はよく踊ってくれた。
「これ……ちょっ……これ!」
激しい動揺が、嵐のように攻牙を翻弄する。
私は諭すように、彼の脳で思考をめぐらせる。
人間は、一体どうやって自分のことを自分であると認識するのだろう?
「なに!?」
意識の連続性とは、一体何なのだろう?
一秒前の自分と、今の自分。どちらも同じ存在であるなどと、どうしてそんなことがわかるのだ?
攻牙は声にならない叫びを上げた。戦慄に、皮膚が泡立つ。
「て……めえ……」
朱鷺沢町方面に構築されたディルギスダーク・システムの末端たる私は、第五級バス停『風見が丘』の〈BUS〉をパワーソースとし、精妙複雑にプログラムされた内力操作を走らせ、有機生命体の「魂」すなわち「根源的主観」を継ぎ接ぎする機能を有している。
いったい、嶄廷寺攻牙は、自分の思考を百パーセント自分のものだと、どうして疑いもしなかったのだろう。
かつて一度、私の構築した仮想空間に取り込まれた時、無防備になった攻牙の肉体。
ディルギスダークこと私は、その頭に手をかけ、単なる洗脳とは一線を隔する処置を施した。
自らの一部を、ニューロンの狭間に刻みいれたのだ。
それは、遠隔カメラともいうべきもの。脳の意識領域の半分を占める、強力な感覚器官。
嶄廷寺攻牙の見た物、聞いた物、感じた物のすべて。一切合切がリアルタイムでディルギスダークに送られていたのだ。
わかりやすい五感のみならず、諸々の身体感覚――胸の痛み、高鳴り、挫折しかけた時の喉が塞がれるような錯覚、疲労感、眠気――すらも、私には筒抜けであった。
攻牙がアトレイユというキャラクターを使うことも、必死に即死コンボを練習していたことも、その始動技が弱キックであることも、すべて見抜いていた。
私は――ディルギスダークは、すべてを知っている。
お前の動き、狙い、癖、弱点。
その、すべてを。
すべてを。
……攻牙は、黙っていた。
その胸中には、黒々とした不安めいたものがわだかまっている。
沈黙が、周囲に覆いかぶさってきていた。『装光兵飢フェイタルウィザード』のBGMが空しく流れてゆく。
「……ぷっ」
不意に、攻牙は噴き出した。
「くくくっ……ははっ!」
「――何がおかしいのか。何を笑っているのか。ディルギスダークには、その胸中が完璧に読める。挫折と恐怖に晒された心臓はせわしなく脈打ち悲鳴を上げている。やけになって笑うしかないということであろう」
「ふふん。完璧に……読めるだと?」
瞬間、攻牙の心臓は落ち着きを取り戻していった。胸にくすぶる不安感は消え去り、穏やかな脈拍を刻み始める。
あまりにも急激な変化。
不自然なまでの。
……何だ?
私は不意に警戒の念に駆られた。
「本気でそんなことを考えているのならディルギスダーク……てめーはとことんナマクラだな」
底光りする眼で、暗黒の巨漢を睨む。
異様な落ち着きぶり。
この状況でなぜ攻牙は落ち着いている?
その理由がまるでわからないことに、警戒の念を抱く。
「本当に心が読めるのなら……ボクが別キャラを使うことをどうして見抜けなかったんだ? あぁん?」
確かに、嶄廷寺攻牙がいきなりアトレイユ以外のキャラを選んでくるなどとはまったく予想の範疇を超えていた。そこだけは警戒に値するであろう。
だが、だから何だと言うのか。
練習をしていないキャラクターで、私のインサニティ・レイヴンに勝てるとでも思っているのか。
「いいぜ……台に着けよ。こちとらプライバシー侵害されまくって気が立ってんだ。刻んでやるよ出歯亀野郎」
何だ……?
断言してもいいが、攻牙は合宿中に一度たりともアトレイユ以外のキャラクターを使用しなかった。どう考えても、ここで別キャラを選択したのはただの苦し紛れ、やけくそと称すべき愚行のはずである。
にも関わらずこの態度。
不可解の極み。
「――即時粉砕。それがディルギスダークの出した結論である」
私は攻牙の反対側の台に向き合うと、巨大な穴の開いたモニターに顔を突っ込んだ。
インサニティ・レイヴンと同調。私は黒い結晶質の肉体を持つ、殺戮の妄徒と化す。
ゲーム内では、すでに試合が始まってずいぶん経っている。制限時間は残り二十秒。
何の練習も積まれていないキャラクターをハメ殺すには十分な時間だ。
攻牙が使用するキャラクターのディスプレイネームは『KZAK』。クザク……と、読むのだろうか。
なんであれ、攻撃を当てさえすればそれで勝利が確定する。
私はダッシュで間合いを詰め――
――ようとした瞬間、閃光のようなヒットエフェクトが走り抜け、のけぞった。
カチン、と鍔鳴りの音が響く。
「……ありがとよ。眼を覚めさせてくれて」
筐体の向こうから、怒りを押さえつけた声が聞こえてくる。
「最悪な気分だぜテメーこの野郎……」
再度剣光が一閃し、インサニティ・レイヴンは大きく吹き飛ばされた。
「夜が明けるまで死に続けろ」
そして私は、ようやくこの少年が仕掛けた詐術に気付いた。
●
七月二十七日
午後一時三十五分二十七秒
閑静な住宅街を爆走しながら。
「僕」のターン
鋼原さんのバスが、凄まじい速度で風を切り、朱鷺沢町の住宅街を駆け抜けている。
僕こと闇灯謦司郎は、バスの上に腰掛けていた。風圧で、髪や服が激しくはためいている。
立てた手の上に顎を乗せ、物思いにふけっていた。
――ディルギスダークに二正面作戦を強いる。
攻牙が考案した戦略とは、言ってみればそんなようなものだ。
「本当に、射美たちがいなくてダイジョーブでごわすかねえ~……」
隣で鋼原さんが不安そうに眉を寄せている。
「ま、適材適所っていう奴だね。がんばろー」
即死コンボを習得した三人――攻牙、篤、霧沙希さん。彼らは堂々とディルギスダークに決戦を挑む。
その間、現実において高い戦闘能力を維持している僕と鋼原さんは、朱鷺沢町の各地をめぐって洗脳されたポートガーディアンを倒すことにしたのだ。
……すべては、攻牙がディルギスダークに洗脳された人々の様子を見て考えたことだ。
彼らは、元々の性格をまったくとどめず、完全にディルギスダークの操り人形となっていた。
あれはもはや洗脳というより、頭にアンテナを刺して遠隔操作しているようなものだ。
つまり。
洗脳ポートガーディアンたちの行動は、すべてディルギスダーク一人が一元的に操作しており、「それぞれの判断にまかせる」ということができないのではないか。
そう推察した攻牙は、僕と鋼原さんに別働隊としての役を割り振ったのだ。
攻牙たち本隊がディルギスダークと対戦する。
まったく同時に、僕たち別働隊は、朱鷺沢町を五角形で囲むように配置された洗脳ポートガーディアンの皆さんをボコって拘束する。
これにより、ディルギスダークの集中力を大幅に乱すことができるに違いないわけだ!
ついでに〈目覚めの儀式〉とやらも完璧に阻止することができる。攻守を兼ねた戦略である。
「……あの~、ヘンタイさん?」
「ん? なんだい?」
「これからまぁ、朱鷺沢町一周ポートガーディアン狩りの旅にでるわけでごわすけど……」
「うんうん」
「シリアスモードで行くでごわす! ヘンなことしないでほしいでごわすよ?」
「うん、がんばるよ!」
「……」
やがて、道路の片隅に直立不動でたたずむ人影が見えてきた。
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