第6話 家出

「何にも持たずに、俺のアパートに来い」


 自宅の玄関先で出勤する貴弥さんを見送った私は、リビングのテーブルの上に貴弥さん宛の書き置きを残すと、文字通り身ひとつでりょうちゃんの住むアパートへと向かった。

 お財布も、スマホも、何一つ持たずに。


「おかしいだろそれ、明らかに。まるで、美織の行動を監視してるみたいじゃねぇか」


 貴弥さんに対して私が感じていた負の感情。

 抑え込むことができなくなってしまったあの女子会の日の翌日。

 ちょうど戻ってきていた怜ちゃんに相談すると、怜ちゃんは言ったのだ。

 一度、家出をしてみろ、と。


「よっ。バレなかったか?」

「うん。大丈夫だと思う。今日もいつも通りに病院に出勤したから」

「そうか。じゃ、着替えろ」

「えっ?」

「念のため、だよ。その服にも、発信機が付いてるかもしれないからな」


 私を迎え入れてくれた怜ちゃんが、何故か赤い顔をして着替え一式を手渡してくれた。


「俺、部屋出てるから。着替え終わったら呼んでくれ」


 そう言って、怜ちゃんは玄関から外へと出て行ってしまう。

 小さい頃から兄弟みたいに育ったのに、今更何を照れているのだろう?

 という私の疑問は、着替え一式を見た瞬間に理解できた。

 一式の中には、下着も含まれていたのだ。


(念の入れすぎじゃない、かなぁ?)


 そうは思ったものの、私は身に付けていた全てを脱ぎ捨てて、怜ちゃんが用意してくれたものに着替えた。

 ・・・・何故、ブラジャーのサイズまでピッタリなのかは不思議だったけれど。

 それは不問に付しておくことにして、玄関の扉を開けて怜ちゃんに声を掛ける。


「着替えたよ」

「アクセサリー類も全部外せよ。ほら、ここに入れておけ」


 チラリと私の結婚指輪に目を向けた怜ちゃんは、戸棚から小さなタッパーを出し、私に差し出す。


「タッパーって・・・・」


 吹き出しながらも、私は貴弥さんから貰ったネックレスと左手薬指の結婚指輪を外すと、タッパーの中に入れて丁寧に蓋をした。


「盗まれたら困るからな。ここにでも入れておきゃ、大丈夫だろ」


 そのタッパーを、怜ちゃんは冷蔵庫の中にしまいこむ。


「冷蔵庫って・・・・」


 再度吹き出してしまった私に、怜ちゃんは言った。


「じゃ、行くぞ」

「え?どこに?」

「さぁな?」


 言いながら、怜ちゃんは口の前に人差し指を立てた。

 まさか、この部屋が盗聴されているとでも思っているのだろうか?

 いくらなんでも、それは無いんじゃないかな。

 そう思いながらも、私は黙って小さく頷いた。



 今、私は貴弥さんに繋がるものは、なにひとつ身に付けていない。

 スマホのGPS機能を利用したアプリでも使っているのかな、とか。

 怜ちゃんの言うように、洋服や持ち物に発信機でも付けられているのかな、とか。

 悪い想像ばかりが膨らんで、正直私はどうしていいか分からなかった。


 怖い。気味が悪い。


 私が貴弥さんに対して抱いてしまった負の感情の原因は、それだ。

 でも、本当にそうなのだろうか?

 貴弥さんが本当に、そんなことをしているのだろうか?

 もしかしたら、違うかもしれない。

 全ては、私の勘違いかもしれない。本当に貴弥さんは偶然、私の居場所を知っただけなのかもしれない。

 悩む私に、怜ちゃんは言ったのだ。

 それならば、はっきりさせればいいと。

 そして、今回の家出を計画してくれた。


 もし、私のスマホのGPSで居場所を特定しているのなら、貴弥さんに私の居場所が分かるはずが無い。

 何故なら、私のスマホは自宅に置いてきているのだから。

 もし、私の洋服や持ち物に発信機を付けていたのだとしたら、貴弥さんは怜ちゃんのアパートに向かうはずだ。

 だから、貴弥さんの帰宅予定の時間までには、怜ちゃんはアパートに戻ることになっている。

 貴弥さんに余計な心配を掛けたくはなかったから、私に連絡が取りたい時は怜ちゃんのスマホに連絡するよう、自宅には書き置きを残して来た。


 どうなるのだろう?

 どうなってしまうのだろう?


「ちょっと待ってろ。今、チェックインしてくるから」


 怜ちゃんの車が止まったのは、自宅からも怜ちゃんのアパートからもだいぶ離れたビジネスホテル近くのパーキング。

 見たことのない景色で、私自身、今自分がどこにいるかも分からない。でも、仕事で色々な所に行っている怜ちゃんが連れてきてくれた所だから、何の心配も無かった。

 ただ。

 運転席から出て行った怜ちゃんの車の助手席に座って、私は胸の前で両手を組み合わせ、目を閉じた。

 どうか、貴弥さんが怜ちゃんのスマホに連絡をしてくれますように。

 そして、訳が分からないと、書き置きを見て連絡しただけだと、そう言ってくれますように。

 そう祈りながら。


 しばらくすると、コンコン、と窓をノックする音が聞こえて目を開けた。

 怜ちゃんが戻って来たのだと思って運転席側を見てみたけれども、そこには誰もいない。

 気のせいかと、不思議に思って助手席側の窓を見た私は、思わず息を飲んだ。


 そこにいたのは、貴弥さんだった。

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