第4話

〈小田部未希〉

 私は舟見を食べた。ヒトを食べた経験は二度あるので懐かしい味だと耽ることが出来た。一口二口で記憶を奪えるかと思ったら中々奪えず、消化器官を食い尽くす段階でやっと新しい記憶が宿った。

 解き明かした真実を纏めれば、梶里咲は偶々町へ降りた際、単なる好奇心でフレネッタを摘まみ食いし、舟見は日頃の態度と容疑から梶里咲を食べた。私は正直性格を拗らせた舟見が梶里咲とフレネッタを食べた気違いではないかと疑っていたが外れた。梶里咲が諸悪の根源だ。

「舟見を食べちゃった」舟見より先に梶里咲を食べる線も考えたが、疑り深い舟見をどう誤魔化そうか悩んで止めた。結果的に効率良く煩わしい虫共を排除することが出来た。死んだ二人は同じ村人ではあれど殺すのを躊躇う程価値ある人間とは思えなかった。これで落ち着いてうららと話せる。

「わたしを食べて?」そうかと思えば穏やかではない要求が心を射る。紅潮する頬骨近辺は目的不明を不合理とせず、目の前で仲間が解体され自暴自棄になったのかもしれない。

「何でよ、二人だけの幸福な旅路が直ぐそこにあるのに」

「幸せになる為にわたしを食べて。わたしは食べられる側だって気付いたんだ」何やら宗教的な物言いだけど言われてみれば確かに美味しそうだなとは思う。正直うららに欲望の眼差しを向けるのは一度や二度ではない。

「何言っているの、さぁ逃げよう」流石の私も冷えた頭で却下する。

「食べろ食べろ食べろ食べろ食べろ」すると私の左脚に飛び込んで、絡まりながら三文字を連呼してきた。やめてよと足を引いても肩を持ち上げても念仏を中止する気配が無い。

「分かった、分かったから」何が正義かと判別が付かなくなり始め、つい承諾してしまった。私は今から最愛の人を胃袋に収めるという贅沢で残酷な行為に出る。ある程度食べ慣れているとは言え彼女の場合は箸が震えて仕方ない。

「やったっ」死ぬ予定の女性は地面から薄紫の眼を傾けて喜び、座ったまま着替えを始めた。私の食歴では息の根を止めた上で手を付けたことしかないので新鮮だなと感じる。ブラウスを脱げば心配を要するか細い腕が露わとなり、こちらを向き直りクスンと笑う。下着のみとなった生身に多量の唾液が喉を流れる。

「こんな姿は他には晒していないよね?」周りの草を抜いて食べやすい体勢となる彼女に訊けば「未希にしか見せないよ」と満点の回答を受け取った。幼少期以来久々に拝む裸体は骨が皮を破りそうで、私が手を下さずとも三途の川を跨ごうとしていた。小屋から器具を取り出したら、被虐を待つ両脚の上に屈み込む。

 まず首筋を舐めてみればアロマな香りで気分が高揚した。皮膚表面の汗を味わい尽くしたら愈々中身へ着手する。我々一族特有の強靭な顎と鋭い歯を使って胸鎖乳突筋辺りを引き千切った。円形の傷から初出の血が漏れ始め、うららは「うぐ」覚悟していた痛みに堪える。罪を重ねる私はどれ程の苦痛か知らないけど、食肉加工される動物達よりはマシだろうと気休めを言う。

「うぅううぅうぅぅぅぅぅ!」捻れていく叫びは私の暴力を更に求めるように解釈される。食事を満喫した試しが無いからか、うららと過ごす時間の中で今が一番楽しいかもしれない。持ち出した包丁を立てて今度は腹を切開する。ここらで大抵の人は動かなくなるけど、と回想しながら明るいピンクの肝臓を取った。

「ううぅうぅぅぅぅぅ気持ち痛い!痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!」尋常ではない絶叫を挙げて大粒の涙が血と交ざった。一頻り叫び終えたらガクンと首が曲がり、白眼を剥いて口から泡を吹いた。死んじゃったか、今更ながらこれで良かったのかと自分の運命を占う。私の孤独を癒してくれる人は彼女しか居なかったのに。腐敗臭が食欲をそそり、他の肉食獣に横取りされる前に処理しようと急ぐ。

 だけど折角なので色んな味を試そうと、足の皮を茹でたり爪をナッツの如く炒めたり、逝く直前忘れずにグラスに回収していた尿を水割りで飲んだりしてみた。大好きな人の身体は毛髪一本残さず食べたいから。全体としてうららは脂身の少ない淡泊な味である。私の中で愛が脈打つ。動脈を食みながら、私は昔から彼女を食べたかったのだと思い返した。

 下半身の攻略に入ろうとした時、蟀谷にプツンと知らない感覚が訪れた。これはまさかと脳内のフォルダを空ける感覚で手繰り寄せると、彼女の映してきた景色が保存されていた。彼女のドキュメンタリー鑑賞に約十六年の年月を費やしたい気持ちを置いて、今は探るべき事件があると思い探ると予想だにしていなかった事実を発見した。

「……だから食べて欲しかったんだ」肉体を捨てた彼女は精神から囁き掛ける。真の真犯人はあの髭男、トーマスだった。そして彼はもう死んでいた。どうやらうららは昨日か一昨日町に降りて彼の自宅に向かい、後ろから鈍器で殴り殺して食べたらしい。ここで二つの疑問点が浮かばれるが、まず何故彼を食べたかと言えば、彼の性格や事件がニュースに映らないことから不審を感じていたのか。次に拒食症のうららが何故食に出向いたかと言えば、胃に負荷を掛けてでも私達の村の誇りを守りたかったのではないか。それなら私の手料理も食べて欲しかったけど。

 うららの中にあるトーマスの記憶を覗けば、夕方玄関先で妻と話す内に口論から揉み合いとなり、突き飛ばした際に当たり所が悪く死んでしまった一部始終が解せた。つまり彼は妻を殺した責任を村に押し付けようとした訳だ。妻の無残な死に様は彼の方便で、今考えると食べる際に大抵衣服は遠くに放るので血塗れというのはおかしな話だった。梶里咲は彼が殺した後の死体に飛び付いただけで、舟見やさっきまでの私は見事に勘違いをしていた。フレネッタの記憶を参照しても彼が犯人だと分からなかったのは、悪質にも背後から突き飛ばした為だろう。死体の現れる場面ばかり注目して見過ごしていたが、梶里咲の記憶をきちんと辿れば死亡済みのフレネッタの姿が映し出されていたはずだ。二人の記憶はもう無くなったけど。

 食殺というのは証拠の残らない最高の殺害方法だ。町から一組の夫婦がひっそりと消えた物語は、怪談か何かとして語り継がれるのかね。本来の主人公は私とうららだけど、普通の人間様が悲劇のヒロインを気取る下らない小説の出来上がりだ。

 それはどうでもいいとして、うららが何故拒食なのかを改めて考察した。骨に余る肉まで咥えてみれば、非常に食べやすい体だったという総評を得る。この日を見越して禁欲していたとすれば彼女の人生は私の掌にあった訳だ。申し訳ないというよりも嬉しい。また被食欲は本能や記憶譲渡だけでなく自分の命が後先短いことに由来し、それなら私の腹の虫になった方が心地良いと考えたのではないか。妄想が過ぎるかもしれないけど腹がギュルリと鳴った。

 あの人を食べたあの子を食べたあの子を食べ、あの人を食べたあの子を食べた私は、埃を払い鞄を背負う。町は平和を継続し村は退廃への一途を辿る宿運だ。掛け替えの無い記憶と共に、私は別の「村」を探しに出掛けよう。

 親と同じ味の子を抱えてレストランを横切る。

 有難う、うらら。ご馳走さまでした。

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拒食症うらら 沈黙静寂 @cookingmama

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