宝くじはあたらない

鼓ブリキ

受験生ホテルで死亡 自殺か

2月15日、M県S市のホテル××の一室で男子高校生(18)が風呂場で倒れているとの通報があり、救急隊が駆け付けたが死亡が確認された。男子高校生はA県から大学受験の為にホテルに宿泊しており、15日のT大学を受験する予定だったという。部屋から遺書らしきものが見つかっており、警察は自殺と見て捜査を進めている。



――K新報 2月16日の記事より抜粋




 大学二年の夏の終わり、おれは過去へ戻る能力を手に入れた。なんでかは分からない。なっちゃったんだからしょうがないだろ。

 きっかけは至極些細な事だった。課題のレポートを書く為の文献を探しに図書館に行っていたおれは、学内のコンビニに行くのが遅くなっちまった。そのせいでお気に入りのカツサンドが売り切れ。

「あーあ、あと十分早く図書館を出てりゃなあ」

 口に出したわけじゃない、そう思っただけ。その瞬間世界がおかしくなった。突然コンビニごと水に沈んだみたいに、視界は歪み、音はくぐもって聞き取れなくなった。でもそれは一瞬で、次の瞬間にはさっきまで座っていたはずの図書館の椅子にまた座っていた。スマホで時間を見たら、昼時の混雑のピーク十分前。変な夢でも見てるのかと思ったよ。でもカツサンドはいつもと変わらない味だった。

 流石にそれだけじゃ確信には至らない。アパートに帰る時、おれはわざと電車を見送って、こう念じた。

「あと三十分早く切り上げてればなあ」気付いたらまた図書館の椅子。時間はきっちり巻き戻ってる。二度ある事は三度あるっていうし、これはもう確定でいいだろ。あん時は飛び上がるくらい嬉しかったなあ。

 その後少し試した感じ、未来には行けないというのも分かった。でもそれで落ち込んだりはしなかったな。だって未来は黙ってても向こうからやって来るわけで、これからは気に入らない未来は巻き戻ってやり直せばいいんだから。

 んで、さっそくおれは当選番号を調べた上で過去に戻り、宝くじを買う事にした。時間を巻き戻すと番号を書いたメモが消えちまうのは想定外だったが、手の甲にサインペンで書けば消えないのもすぐに分かった。42組の362874番。しっかり書き込んで宝くじ売り場に向かった。

 売り場のおばちゃんには変な顔をされたよ。「それ、何の数字?」って。まさか未来を見て来たなんて言えないから、「突然頭に浮かんできたんだよ。この数字が」って返しておいた。

 翌日をあんなに楽しみにして待った夜はなかったね。小学校の遠足の時だって、おれはぐっすり寝てた優等生だった。それがあの夜は、テレビを見てもネットを見ても時間の流れが遅くなったような気がしたよ。結局、売り場の近くで結果発表を待つ事にした。

 おばちゃんは事務的な動作でおれのくじを機械にかける。一等が出たらどんな顔するかなあ、なんてウキウキしながら待ってたけど、おばちゃんは実に事務的におれにくじを返してこう言った。

「残念、外れね。まあ次があるわよ」

 おれ、きっとあの時『阿呆』って言葉の手本みたいな顔してただろうな。「外れ? そんなはずない。もう一回調べ直してよ」左手の数字を間違えたわけでもない。

「あのね、間違いなく外れたのよ。ええと、ほらこれが当選番号」おばちゃんはそう言って自分のスマホをおれに見せた。

 26組、823746番。おれのくじにはかすりもしない番号。



 あの後更に何度か試したが、結果はてんでダメ。数字を覚え直すたびに、いや時間を巻き戻すたびに一等の番号は全然違う数字に変わって、おれには一円も入らない。

 おれは一つの結論に到達した。すなわち、結果の収束の問題だと。

 おれは時間巻き戻し能力、長いからトリップ能力って呼ぶけど、この能力が(理由はともかく)手に入らなければ宝くじを買おうなんて考えもしなかっただろう。つまりトリップ能力を獲得した時点で「おれは宝くじで一等を引き当てる」未来に辿り着く可能性はゼロと決まってしまっていた。だから何回やり直しても「外れ」にのみ結果が収束する。そう考えればすんなり理解できた。

 まあ、だからと言って諦めるつもりはない。まだ決定されていない未来はいくらでもある。つまりチャンスはまだあるってコト。

 ……思い返せば、この時やめておけばよかったんだ。自分の手に余る能力の事は忘れて、普通に暮らすべきだった。そうすれば最悪の事態は免れたかもしれないのに。



 おれは競馬に賭ける事にした。ちょうど大きなレースが数日後にあったから、それを狙っていく。「当たり」を引く可能性を確保する為に、あらかじめテキトーな馬券を買っておくのも忘れない。今は競馬場まで行かなくても馬券が買えるんだから便利なもんだよな。

 おれはテレビでレースを見ていた。競馬場は前日から降り続いた雨でかなり状態が悪く、番狂わせもあるかもしれないとか実況が言ってたっけ。

 でもそうはならなかった。一番人気のサカキライトニングがぶっちぎりで勝利。三番人気のボレアスレティシアが二着、二番人気のキャリバーンブルーが僅差で三着。人気順で買っていた三連単の馬券はやっぱり外れた。でも今回はまだ終わりじゃない。完全にランダムな宝くじと違って、競馬は馬のコンディションだとか騎手の調整とか、色々な要素が積み重なる。二着をどちらが取るかは微妙な所だが、試行回数でカバーできるだろう。そう考えながらトリップ。

 ところが、そのレースで異変が起きた。快調に飛ばしていたように見えたサカキライトニングが第二コーナーに入った途端、体勢を崩してしゃがみ込んだ。モニター越しにどよめきが聞こえた。他の馬もアクシデントでペースが狂ったのか、レース結果は荒れまくり、一着は人気最下位のライフイズコメディ号。サカキライトニングは脚の骨折で予後不良だと報じられた。

 おれはトリップの事も忘れて放心してしまい、思わず普通の大学生のように酒を飲んで寝てしまった。どうせ巻き戻せばいいんだ、ってヤケになってたのもあるけど。そうしたら、夢にアイツが出て来たんだ。



 夢の中で、おれは誰もいない競馬場の座席に座っていた。芝生の上にアイツ、ライフイズコメディがぽつんと立っているだけで、人も馬も他にはいなかった。かなり距離があるはずなのに、アイツの声は不思議とはっきりおれの耳に届いた。

「よくもやってくれたな。お前のせいで、我が全弟は人間どもに殺されてしまった。それを理解しているのか」馬が人間の言葉で喋るなんて変な話だけど、夢の中のおれはそんな事はまったく気にしていなかった。

「でも一着を取れたじゃないか」

「だがどうせ巻き戻してなかった事にするのだろう。着順に拘るのは人間だけだ。我々には関係ない。呪いをかけてやる。サカキライトニングが無事にレースを終えられるまで、お前は今日という日からは出られない」

「はいはい、分かったよ」どうせやり直せば済む話だ、夢うつつのおれはそう考えていた。――それが悪夢の始まりだとも知らずに。



 何十回、いや何百回やり直しただろう? 「サカキライトニングは脚の調子が悪いようだ」と関係者がこぼしていたという情報は、どこで見たんだっけ? とにかくサカキライトニング、小柄な白毛のその馬は、最初のレースが奇跡だったみたいに何度も何度も転んだ。繰り返すたびに状態が悪くなっていくような気がした。騎手が馬上から勢いよく投げ出されて大怪我した事もあった。そのたびにライフイズコメディが夢に出てきておれを罵るんだ。おれが怪我をさせたわけじゃないのに。

 変わった事がもう一つ。おれはトリップを制御できなくなった。いくら念じても時間は巻き戻らず、代わりにあのレースの日だけを繰り返し続けるようになった。寝ないで時計を見つめていてもダメだった、午前零時になってもデジタル時計の日付が変わらないんだ。テレビは何度も同じニュースを放送し、同じスイーツに芸能人が驚嘆の声を上げ、そしてサカキライトニングは予後不良で死ぬ。夢の中でライフイズコメディに許してくれと頼んでもダメだった。

 あれ、なんでダメだったんだっけ。

 ともあれおれにはもう祈る事しかできなかった。「これで千回目だな」とせせら笑うアイツの声がまだ耳に残っている。




 もう何回目かも分からなくなって、おれは希望を完全に失っていた。

 どうせ今日もサカキライトニングは死ぬんだろう。馬券の注文が完全に一日のルーチンワークと化していた。あとはぼんやりテレビを眺めるだけの日。

 もう飽きる程見たスターティングゲート、うんざりする気持ちも摩耗したスタート。だがその日はいつもと違うレースだった。

 遠目に見ている分には分からないが、芝生にも走りにくい部分とそうでもない部分があるのだろうか。サカキライトニングは水たまりやぬかるみを避けるように軽やかにステップを踏み、左右に動いてもペースが乱れない。悪路で不安定な走りを強いられる後続をぐんぐん突き放し、彼はその勢いのままゴールへ飛び込んだ。続いてボレアスレティシアとキャリバーンブルーがもつれるように駆け抜ける。ライフイズコメディは四着だった。

 解放されたと気付いたのは、競馬中継が終わった後だった。その時のおれの喜びようは誰にも想像できないだろう。三年以上も毎日一頭の馬の無事を祈るなんて経験はおれがきっと人類初だと思う。これで終わったと思った。明日からは真面目に生きていこう、そう決心して眠りについた。





 夢の中のアイツは、もはや馬の形ですらなくなっていた。

 アイツは馬でも人でもなく、――いや、あんなのもう思い出したくもない!

 悪意が姿にも言葉にも満ちていた。アイツの言葉ですら反芻すると気が狂いそうになる。だから要点だけ書く。おれは能力を使い過ぎた。ヒトに可能な領域を超えてしまったのだ。おれはアイツと一緒に(判読不能)に行き、そこで(判読不能)なければならない。嫌だと言ってももう遅い。もう手遅れだ。




 ……目が覚めたらこのホテルにいた。ここはT大の受験の為に予約してもらったホテルだ。二年以上前の受験勉強なんて覚えてるわけがない。今度は合格まで巻き戻すのか? 何年かけて?

 最も恐ろしいのは、それが終わった時に何が起こるのか分からないという事だ。さっきスマホで競走馬を調べてみた。そのスマホも、分厚い数世代前の機種だ。

 サカキライトニングも、ライフイズコメディも、まだこの世に生まれてさえいなかった。いや、もしかしたら生まれているのかもしれないが、そんな名前の競走馬はまだこの世にいなかった。

 おれはどこまで巻き戻せばいい? せっかく積み上げても、そのたびに過去へ送り込まれて、それをあと何年続けたら解放される? 未来なんていくらでもあると思っていた頃が懐かしい。未来、ああなんと遠くにあるものだろう! 希望と未来は等価値だ、おれにはどちらももう手に入らないとしたら――、嫌だ、考えたくない!

 おれはさっき、ホテルに内設されたコンビニでカッターナイフを買ってきた。風呂桶に水も溜めた。

 願わくば、この死がやり直されないように。






「あれ、田中さん、どうしたんですか?」

「いや、なんとなく気になってな」田中刑事は数年前の自殺した受験生の遺書――原本は既に遺族に返却され、彼が見ているのはコピーである――を眺めていた。

「受験のストレスって事で捜査は終わったはずですけど……」

「分かってるよ、ただなんとなくだって」

 誰が持ち込んだものか、ラジオが競馬中継を流している。

「――一着はライフイズコメディ、並み居る強豪を押しのけて、見事な差し足を炸裂させました――」

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