第8話 鱗人族ローザ・シュピッツと悪魔の館

竜人族。

この世で最も強き者。


鋼鉄を紙のように引き裂き、戦術級殲滅術式の直撃にすら耐える驚異的な生命力を宿した肉体。

底なしの魔力で持って紡がれる超級の魔法は、戦場の地形すら容易く書き換える。

一説には戦場となった地域の環境そのものを激変させ、数百年経た今なおその影響が色濃く残るという。

我らと似た特徴を有しながらも、比べることすら烏滸がましい人の形をした破壊の概念そのもの。

我らの祖先がそこに何を見て、何を考えたかを想像するのはたやすいことだ。

我らは庇護を求めていた。

強き者に使える幸福を願っていた。

そしてその願いは叶えられた。

祖先が交わした盟約は、大戦が終結した今なお続いている。


かつての大戦で最も多くの血を浴びた恐るべきもの。

我らが信奉する我らの王。

ローザ・シュピッツが仕える彼女もまた、その恐るべきものの一人だった。



◆―〇―◆



鱗人族は一族単位で誰かしらの竜人族の下に属している。

その中でもシュピッツ家はエスターライヒ家に長年仕えてきた一族であり、ローザはその優秀さからエスターライヒ家の後継と目されるヒルデガルドに仕える名誉を勝ち取った。

専属の側仕えは鱗人族にとっては憧れの職だ。

なにせ竜人族は出生数がとても少ない。

それは彼ら彼女らに奉仕できる職の数もまた少ないことを意味する。

鱗人族の上澄みの中の上澄みでなければ、専属になることは出来ないのだ。


火のエスターライヒは竜人族の中でも大きな派閥の一つだ。

赫角の竜。

比類なき赤。

称える呼び名は数あれど、原初の属性を名乗ることを許された、たった5つの家の一つ。

偉大なるエスターライヒ。

その後継たるヒルデガルド・エスターライヒに仕えることは、鱗人族の思い描く夢そのものであり、その夢の中で10年間仕えてきたのがローザ・シュピッツという女だった。


エスターライヒ家の中で忙しなく動くメイドたちと違い、ローザの唯一の仕事ヒルデガルドの側にいることだ。

それは家の外でも変わらない。

ヒルデガルドが向う場所がローザの向う場所だ。

例え行き先が戦場であろうとも変わりはしない。

それがラインバッハ家であっても同様に付き従うのだ。


ヒルデガルドの尻を叩いて馬車に押し込み、御者が必死の形相で馬車を走らせてラインバッハ家に向かう途中。

彼女の主人が「持参するケーキを受け取るのを忘れていた」と言い出して、御者の顔がさらに青ざめるのを見ながら、ローザは行き先である家について考える。

ラインバッハ家はこの国の金融に深く根を張る名家の一つであり、あの悪魔族が当主として君臨するこの国有数の危険地帯だ。

「竜の機嫌は損ねるな」「悪魔に嘘をつくな」

幼子に語る警告句として竜人族と並び称される女の根城が危険でないわけがないのだ。


また、注意するのは当主だけではない。

同一種族で固まりがちな名家の中で、多種族混合で一つの家を成す異色の家。

頂点に当主であるクラウディア、その下に夫と、夫を共有する妻たちをおいた、がラインバッハ家だ。

癖の強い多種族を家としてまとめ上げる当主の存在もさることながら、他のや、その子供たちは各分野で名の知れた猛者が揃っている。

それ以外にも客人として迎えられた虎人族の傭兵【傷なし】のタチアナや、【大弓鷲】の大魔女ウィンテールだってローザからすれば脅威の対象だった。

そして何よりも黒髪の少年。

ローザの主人の愛しい人。

気を配る対象は多種多様であり、様々な意味で失礼があってはならない。

場合によっては命を張ることも想定しなければ。

馬車の移動ルートを御者に指示し、ケーキを受け取るために走行中の馬車から飛び降りて菓子店へ走りながら、ローザは決意を新たにするのだった。



◆―〇―◆



ローザが新たにした決意は到着早々にして大きく揺らいだ。

門を通ってすぐの場所で、クラウディア・ラインバッハがまさかの仁王立ちである。

ダンジョンの入り口でボスに出待ちを食らったような気分だった。

彼女の立ち姿は隙がなく、彼我の力量差がどれ程あるのか想像すらできない。

本人にはその気がなくとも、主人に付き従って拳の間合いに入るだけで決死の覚悟が必要なほどであった。


クラウディアとヒルデガルドは今でこそお互いの家を行き来するような仲であるが、昔はそうではなかったそうだ。

ローザが生まれるより2、30年ほど前に、理由は定かではないものの大きな衝突があり、その結果として今のような関係に落ち着いたのだと主君から聞かされた。

結局は決着がつかなかったと、その戦いの最中に角の片方をへし折られたのだと。

竜人族の最たる特徴の不壊の角を、己の拳一つで殴り折ったのだと。

クラウディア・ラインバッハが恐れられているのは、金融に根を張るだとか、国への影響力だとか、そういった小賢しいものではなく。

単純に個として抜きんでて強いからなのだと。

まだ若いとはいえ戦場の神である竜人族と互角に渡り合った理外の存在。

ヒルデガルドと談笑しているこの悪魔族は、そういった超常の領域に立つ女なのだ。


そんな化け物は彼女の目の前で主君にネチネチと絡みながら、我が子に会わせる時間を少しでも削りたいのか恥ずかしげもなく牛歩戦術を決行して、思い人に早く会いたいヒルデガルドと醜くも押し合いを始めていた。



◆―〇―◆



ローザの常の立ち位置はヒルデガルドから3歩ほど離れた斜め後ろである。

これは指示を素早く受け取る為でもあり、いざという時に盾となるため離れることを許容できる距離でもあった。

ただそれも常の話である。

主君の蜜月の邪魔にならないように離れた壁際に立ち、同じく主人から離れたヘンリーの側仕えであるタマラと並んで控えていた。

もしもヒルデガルドが血迷ってヘンリーに何かをしようものなら止めに入らねばならないが、かといって聞き逃さないように注視するのは主君に対して気が引ける。

悩んだ末に出した結論は、「なるべく聞き流しながらも注意しよう」。

そうして会話を器用にも脳を通さずに記憶していたローザであるが、それでも少年のあの声には疼くものがあった。


おそらくは調子に乗って口走ったであろう主君の言葉、それを実行したあの時の声。

思わず従いたくなるような。

耳に入った瞬間に脳を溶かすようなそんな声。

向けられたわけでもないのに、止めに入りかけた体が動けなくなるほどの衝撃だった。

そうこうしているうちに止めに入る段階はとうに過ぎ去ってしまった。

部屋にはヒルデガルドの寝息に混じって時折、竜の笑いref幼い竜が親に甘えるときの/refが小さく響く。


ローザも初めて聞いた主君の甘える声と姿に、申し訳ない気持ちになっていた。

本当に居たたまれない。


主君が自分と他所の家のメイドの前で

寝室で二人っきりにでするようなことを

相手の親に散々釘を刺されていながら

他所の家の応接間で

成人前の少年相手に

膝枕されて甘え倒している


もはや言い訳の余地のない所業だった。

ローザは視線を落として顔を伏せる。

隣に立っているタマラがどんな顔をしているか、顔を上げて確認さえできない。

どうしよう。

これってラインバッハ家当主に殺されるやつでは?

そうなった場合、果たして自分に主君を逃がすことが出来るのか。

出来るわけねえだろ。

じゃあどうすればいいんだ。

答えが出ないまま考えを巡らせる。

邸宅の構造から逃走ルート、襲ってくる相手の数々を脳内で必死にシミュレートしながら、ローザは静かに覚悟を決めた。


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この後無事にクラウディアに目撃されたけど、ガン詰めするだけで許してくれたよ。

良かったね。


≪TIPS≫鱗人族

鱗人族は竜人族の奉仕種族である。

身体能力に優れ、驚異的なタフネスを誇る半面、温度変化に弱く、体温が低下すると動けなくなることも、暑いのは割と平気。

昔は蛇人族とも呼ばれたが、種族を通して毒腺を持つものがおらず、ピット機関をはじめ蛇特有の特徴が一致しないために鱗人族に変わったという経緯がある。

その為か蛇扱いは頭の固い奴・古臭い奴といった侮蔑的な意味合いを含む。

体温を分け合う行為に多幸感を感じる体温フェチ。

胴体をはじめとした体温の高い部位への肉体的な接触は強い好意を意味する。

胸や太腿の内側、首筋なんかが特に好き。

憧れのシチュエーションNo,1はつがいを抱きしめながら眠りについて体温を感じながら目覚めること。別名:優雅な朝寝

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