第3話

「ごめん、待ったかな?」

いつもの元気な声が背中をノックした。


振り返ると彼女がそこにいた。

少しだけ

彼女の頬が紅潮しているように見える。

勘違いかもしれないけれど、

何となくそう感じた。


「えへへ、どーかな?ちょっと女の子な格好にしてみたんだよっ」

綺麗なシルエットのワンピースを

彼女は腰辺りでつまんでヒラヒラと揺らす。


「うん、すごく似合ってる」

まあ、及第点の返しか。

正直見惚れて

全然頭が回らなかった。


「やったー、えへへ、良かったよ朝から頑張って」

と嬉しそうにしている彼女。

いつもより、何だか少し上機嫌な彼女。


さあ行こうかと言って

二人で歩き始めた。

今日は彼女が行きたがっていたお店に行く約束をしていた。




久々に再会したあの日の夜、

朝方までお互いの話をした。

残念だけど、

みんなが想像するような

艶やかな行為はなかった。

でも、

それが無くとも

とても楽しい時間だった。

学生時代の思い出話、

お互いの好きなものや、嫌いなもの。

彼女の海外での生活。

色んなことを話した。

彼女は楽しそうに聴いては

色んな方向に話を膨らませて

話題を尽くすことの無いようにいてくれた。


一層彼女のことを知りたいと

そう思える時間だった。


彼女のその素直で明るい笑顔に

でも、

人間関係に悩み逃げたと話す

そんな人間らしい弱さを持つ彼女に

改めて、

素敵な女性だなと感じていた。


その時に今日のデートを申し込んで

約束を取り付けておいたのだ。

デートのお誘いなんて本当に数年ぶりで、

内心かなりドキドキしていたけれど

彼女の返事はそれを

キレイさっぱりと忘れさせてくれる

気持ちの良い返事だった。


あんなに朝方まで二人きりで

ずっと楽しく話をしてたのに

それでもデートに誘う一言は

この上なく心臓に負担がかかるものだった。


そんな僕に

彼女はいつもの笑顔で

うん、行こう

と明るく答えてくれたのだ。


もしかしたら彼女も自分に好意を

持ってくれているのかと

浮かれる気持ちに

必死にブレーキをかけるけれど、

全く言うことを聞かない心には

本当に困ったものだな、と

弾む胸を止められないでいた。




「今日はありがとねー」

隣に座る彼女の声。


「欲しいものも買えたし、何より黒江君のことをたくさん知れる日になった!良かったよーホントにっ」

手に持ったグラスを覗き込みながら

ケタケタと笑顔を咲かせている。

少しお酒に酔っているようで、

あの日の様に色っぽく聞こえる。


薄暗い店内。

すこし小洒落たレストランで

背の高い窓から広がる夜景がとても静かだった。


「本当にやさしいんだよ、黒江君はっ」

そう言って、僕にその顔を向けてくれる。


「こんなに優しいのにねえ、彼女作りなよー」

えぇえぇ、

君が彼女になってくれるのなら、

これ以上うれしいことは無いのになと

心の中で声にする。


「そんなことないよ。ほら、白築はどうなのさ?」

話の流れで口が滑った。

あんまり気が進まない質問をしてしまったなと後悔していた。




「うんー。そうだねー。居ないよー今は。」

雰囲気が変わる。

彼女にとっては想定内の質問だったはずなのに。


んー

という彼女の声でしばらく間が空いた。

ひとまず、彼氏が居ないことがわかって安堵した。

のも束の間、




「・・・本当はね、私が日本に帰ってきた理由は違うんだ」

少しだけ変わる空気。


「人間関係には違いないんだけれど・・・」


「あっちにいた時に付き合ってた人がいたんだ」

彼女はじっと、

窓の外を見ている。


「んまあ、簡単に言えば浮気されて」


「そのまま私、ダメになっちゃって」


「結局別れたんだ。その人と。あとはもうぐちゃぐちゃと、ね」

大きな瞳の視線は変わらず、

窓の外に投げられていた。

でもきっと、

僕には見えない何かを見つめているようだった。


僕からかけるべき言葉が

まだ見つからない。

というより、

僕の頭は停止し始めた。




「きっとね、彼にとっては運命の人じゃなかったんだよ・・・私は」


自分の胸が締め付けられるのを無視して、

彼女の話を耳を傾ける。




「形振り構わず引き留めて。格好悪くても、そうすることでしか、自分を保ってられなかった。何かにしがみつくしか、無かった・・・のかな。」


グラスを握り直すようにして、少し間を置く彼女。




「私ってね、もっと自分の足で立っている人間だと思ってたの。なのに・・・こんな、苦しくて」




「こんなに・・・好きなんだって」

ぽつぽつと言葉にする彼女。

深く、深く

心をえぐるには十分な言葉だった。




「えへへ」

急いで取り出した作り笑顔で言う。


「もっと、しっかりしてそうに見えてたでしょ?」


「何でこうなっちゃったんだろうなー、快活が売りの女の子だったにねー」


「本当はねー・・・こんなに弱いんだ、わたし。」

濡れたグラスに滴が線を描く。

もうきっと、泣き果てて

その哀しい瞳から流れる涙は無くて。

代わりに涙を流すそのグラスを、

手で優しく拭う。




「僕は・・・」


「運命なんて、この世界には存在しないと思ってる。」


自分の言葉に何の自信もなかったけれど、

ただただ、

彼女を救うために必死だった。

彼女の中の過去を否定してあげたかった。

いや

自分のために

否定したかった。

自分への言葉。


「本当に、君は、やさしいね。」


ちがう、ちがうんだ。

優しいわけじゃない。

君にその呪縛から解放されてほしいと。

君がきっと、運命だと感じていたその過去を、

幻想だったと思いたいだけなんだ。

僕自身が。




「ありがとう」

いつもの声の彼女。

優しい目。

まだ少し曇りがかっているその笑顔には

少しだけ前向きな意思が感じられた。


「きっと、黒江君のような人に包まれれば、幸せなんだろうなって。そんな暖かい言葉を投げかけてくれる、黒江君のような人が、好きでいてくれたら・・・」


うれしいけれど、うれしくない言葉。




「ごめんね、こんな重たい話をしたかったわけじゃないんだけど・・・黒江君が優しいからいけないんだぞっ」


えへへと笑う彼女はやはり

とても綺麗だった。

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