後編

 「青天の霹靂へきれき」とはまさにこのことだった。


 クラスに突然やってきた転校生の姿に僕は衝撃を受ける。どこか他の女子とは違う、おしとやかな雰囲気の黒髪の美少女…桃田さんに、僕の目は釘付けになってしまった。なぜなら、彼女は見た目が僕の大好きな…ゲームのヒロインのキャラクターにそっくりだったのだ。

 そして同時に…そんな彼女の姿を視界に入れているだけで、どうやらHPが回復することに気が付いた。ピンク色の数字が彼女の周りにふわりふわりと浮いていて…それが僕の体に吸い込まれるたびに僕のHPがその数値分回復するようだ。

(あれ、いつの間にこんなもの見えるようになったんだろう)

 僕は疑問に思いつつも、これからは桃田さんを見ているだけでHPが回復するのだと喜ぶ気持ちも忘れるくらい、彼女に見惚れていた。


 しかし、彼女の頭の上に書かれている黄色の数字を目にした僕は絶望する。なんと僕のHPのゲージが満タンの時の数字…「100」と表示されているのだ。つまり見ている分にはいいが…彼女に近づき、話しかけるには相当のストレスがかかるようで、一気に100ダメージもくらってしまうということらしい。

 ということは…HPが最大100の僕にとっては、彼女に話しかけるという行動は、到底無理難題のようだ。


 僕は後ろの方の席から、桃田さんをぼんやりと眺める。その見た目から、既にクラスの男子の注目を集めているようで…男子生徒が彼女に話しかける様子を見ると、嫉妬心からだろうか、またあの「デュクシ」というダメージ音がしてHPが減った。

 ゲームのキャラクターに似ているせいか、どこか彼女をゲームの中の存在のように見ていた僕は、ゲーム内では「話しかける」ことをしなければまず彼女と知り合いになれないのに…と考え、絶望する。このままずっと彼女に話しかけられないまま、彼女にとっては無関係の「モブ」のような存在として終わるのだろうか。僕は運命のようなものすら感じているのに…。


(HP…自分の限界値って、なんとかして100から増やせないのかな)

 桃田さんに近づき…話しかけることをどうしても諦められない僕は、そんなことを考え、また例の「小遣い稼ぎ」をしている途中で父親に相談する。

「父さん、自分の能力以上のことをするには…どうすればいいのかな?」

 父親は驚いた目で僕を見る。

「なんだ?突然そんなことを言いだして」

「…ちょっといろいろあって。例えば…父さんは研究してて、自分の力では到底できそうにないこととか無いの?」

「そんなもん、しょっちゅうあるさ」

 父親はそう言って苦笑いをする。僕はそれを聞いて食い気味に尋ねる。

「そういう時って、父さんはどうしてるの?諦める?」

「そりゃあ、諦めることだってあるだろうが、どうしても叶えたいことなら…とりあえず自分の知識を増やす、かな。本を読んだり、他人の意見を参考に聞いたりね。そうすることで、自分ができる範囲を広くする…つまり、上限を上げることができるんじゃないかな」

「じゃあ、本に書いてなくて、周りに聞ける人がいなかったら…?」

「別の方法で努力してみることだな。いろいろ手当たり次第に経験してみるとか…とりあえず自分にできることを増やすんだ。お前の好きなゲームだって…戦って経験値を貯めて、レベルアップすれば能力が上がるじゃないか。それと同じさ」

 僕はそれを聞いてはっとする。

「そっか…確かにそうだよね。僕、自分にできることを増やそうなんて考える余裕、これまでなかったから…思いつかなかった」

 父親はそれを聞いて何やら考えた後、パソコンに目を移し…カチリとキーを叩いた後、こちらに向けて言う。

「生きていくこともお前の好きなゲームのように考えると、案外楽かもしれないぞ。とはいえ無理はするなよ、お前の人生をゲームオーバーにするわけにはいかんからな。…ああ、お疲れ。もういいぞ」

 父親はそう言って、また僕の頭から一つ一つコードを取り外してゆく。

 そんな感じで父親に相談した結果、僕は…自分にできることを増やすためにも、なるべく持っている知識を増やしたり、いろいろな経験をしたりすることを心掛けることを決意した。


 そんなことを思った次の日のことだった。


「なんだよ、これ…」

 朝、目を覚まして下の階に降りた僕は…自分の目を疑った。母親の上に、黄色い「5」という数字とともに…赤い文字で「EXP」という表記がでていたのだ。

(「EXP」って、普段やってるゲームから考えると、経験値のことだよね…?なんで母さんの上に…最近母さんに話しかけるのはストレス感じるから、黄色の「5」の意味はわかるけどさ…)

 僕は、いつもならスルーするはずだが…「EXP」表記が気になったことから、今日は母親に声をかけることに決めた。気恥ずかしさを感じながらも、不登校になってからここしばらくおざなりになっていた朝の挨拶をする。

「…母さん、おはよう」

 母親は驚いた様子でこちらを見る。

「まあ、どうしたの、アンタ…挨拶なんかして」

「別に…たまにはいいだろ」

 僕は恥ずかしさから思わずぶっきらぼうな口のきき方をしてしまったけど、母親はそれよりも挨拶されたことが嬉しかったようで…珍しく僕に対してにっこり笑って言う。

「おはよう。なんでか知らないけど…今日はいつもより機嫌いいみたいね。それに、最近頑張って学校行ってるじゃない。今日も頑張ってね」

 そう言った母親の言葉が嬉しかったのか、回復の色…ピンク色の「8」の数字がふわりと母親の傍に現れて、母親の上にあったダメージを与える黄色の数字「5」をかき消し、その結果、一日の始まりに対する憂鬱で少し減っていた僕のHPが「3」回復した。

「…うん、今日も行ってくるよ」

 僕はそう言って、母親に少しだけ笑みを見せた。


 母親とのやり取り、そして周りを観察しながら登校した結果、黄色のダメージを与える数字の傍には、もれなく「EXP」の表記が隣り合わせに表記されていることに僕は気づいた。

(これって、昨日父さんと話してたみたいに、「戦って経験値を貯めて、レベルアップすれば能力が上がる」ってことに似てるのかな…それって逆に言うと、「ダメージを受けるような辛いことをしないと、自分の能力を上げられない」ってことなのか…)

 昨日の会話から案外「EXP」の存在をすんなり受け入れた僕は、ある決断をする。

(桃田さんに話しかけるためにも、HPを100以上に…話しかけてもその日を乗り切れるくらいまで上げよう…!)

 そうして僕は、ゲージに余裕がある時は「EXP」、経験値をなるべく手に入れる…つまり「レベル上げ」をゲームだけでなく、学校生活においてもやることを決意した。

 とはいっても、ロクにクラスメートに話しかけたことのない僕には大ダメージを受けそうなことも多かったから、無理せずできる時だけ…と考えていると、結局行動に移せずにいた。


 そんなある日のこと。


「どうしよう、国語の教科書忘れちゃった!休み時間あと1分しかないから他のクラスに借りに行けないし…今日本読み当たったらどうしよう!」

 隣の席の女子…青木さんがそんなことを友達に話している。どうやら、教科書を忘れて困っているようだった。

 そんな青木さんの頭の上の数字は「18」と書かれている。いつもは30以上必要な数字が少し減っているのは、もしかしたらチャンスかもしれないと考えた僕は、普段なら女子が友達と話しているところに割り込むなんて考えもしないところだけど…思わず口を挟む。

「あのー…それなら僕の教科書、良かったら一緒に見る…?」

 青木さんはそれを聞いて驚いた様子だったが、パッと笑顔になる。

「ホント?助かるー!ありがとう!」

 その笑顔と言葉が嬉しくて、黄色の「18」ダメージはピンク色の「30」の数字にかき消された。

「へえーアンタ、結構いいやつじゃん」

 青木さんの友達がニヤリと笑ってそう言った「28」の数字も僕の中に吸い込まれ…僕はダメージを受けるどころか、その一回の会話でHPを満タンまで回復してしまった。

 ダメージを受けることがあってもそれ以上に回復する可能性があることを、これまでの行いから身をもって実感した僕はその後、経験値獲得のために、ダメージを受ける事柄にも果敢に挑戦するようになった。

 もちろんダメージを受けるだけ受けて傷ついて終わることも多かったけど…それでも最低経験値はもらえるのだし、勇気を出してチャレンジしたことの少しは実ることも知った僕は、これまでにない充実した日々をすごした。

(挑戦するのって楽しいな。今まで逃げるばっかりだったけど…なんでしてこなかったんだろう!)

 そう考えると同時に、僕は…しばらくの間「逃げる」ためのスキルを使っていないことに気づいたのだった。


 そうしてHPを倍の200まで上げることに成功した頃、僕は憧れの桃田さんに声をかける。

「あの、桃田さん…」

「なあに?というか、あなた誰?」

「あ、えっと、一応クラスメートなんだけど…」

 そう言った僕は「桃田さんに声をかけるミッション」をやり遂げることに夢中で、声をかけた後に何を話すかについてはあまり考えていなかったことに今更気が付き、慌てる。その様子を不審に思ったのか、桃田さんは眉をひそめる。

「何よ。何も用がないなら、話しかけないでくれる?」

 おしとやかな雰囲気の見た目とは裏腹に、桃田さんの態度は意外とキツくてつれない感じで…それがショックで、僕は彼女の頭の上に書いている黄色い文字のとおり「100」ダメージを受けた。

 そしてこの時のために頑張ってHPを上げたにも関わらず、僕は…その一回きりの会話で桃田さんに対する気持ちが冷めてしまった(それに、桃田さんに似ている好きだったキャラクターも、今ではそんなに好きではなくなってたりしたから…そのせいかもしれない)。

 それでも、「レベル上げ」の過程で周りの人と多少は挨拶や会話をするようになったからか、僕は学校で話せる人も少しできて、僕はその「桃田さん事件」をきっかけに学校生活が楽しくなった。特に…最近は隣の席の青木さんが僕と同じくゲーム好きだということが判明し、それ以来彼女と話すのが楽しくなっていた。


 それから2年以上の月日が経ち…僕の人生の中で最も充実したといってもいい中学3年間が終了した。

「中学卒業おめでとう。よく頑張ったな。じゃあ、もう小遣い稼ぎはいらないよな。今日で終いにしよう」

 いつもの「小遣い稼ぎ」の最中さなか、父親が突然そんなことを言いだすので僕は驚いて、思わず反論する。

「ええー!?なんでだよ!むしろこれから色々必要になりそうなのに…」

「そんなもん、父さん相手に楽な仕事で金せびらずに、もう高校生になるんだからバイトでもしろ、バイト。父さん相手に金稼ぐよりは、外で働く方が世界が広がるし、得られることも多いぞ。それに…今のお前ならもうそんなことだってできるだろ?…ああ、お疲れ。もういいぞ」

 父親はそう言って、パソコンの画面を確認し…マウスを画面のどこかに合わせてからクリックしたかと思うと、また僕の頭から一つ一つコードを取り外してゆく。父親との「小遣い稼ぎ」もこれが最後なのかと思うと、僕は少し感慨深く思いながらその父親の見慣れた動作を見つめる。

「ちぇっ。わかったよ」

 僕はそう言いながらも…父親に「この先自分の力で生きていける」とどこか認められた感じがして、少し嬉しくもあった。

 そんなことを父親との会話の中で感じた僕は、これからも…なるべく嫌なことから逃げずに挑戦してレベル上げをしつつ、この先も生きて行こうと決意した。


 そんなことを思った次の日のことだった。


「なんだよ、これ…」

 朝、目を覚まして僕は驚愕する。なんと、いつも見えているはずの右上の「HP」ゲージ…そしてそこいらに見えていたはずの黄色い数字や「スキル画面」などが視界になく…どこにも見えなくなっていたのだ。

(突然見えなくなったなんて、そんな…僕はこれからどうしたら…)

 顔を青くしてそう思ったが、ふと昨日の父親との会話と…そして決意した内容を思いだす。

(そうだ、そもそもこれ、見えないのが普通だったんだし、もう僕は…数字が見えなくても、能力だとか精神力が弱かったあの頃の僕とは違って、この先…自分の力でやっていけるんだ。逃げるスキルだって…一応僕の能力だから、いざとなったらスキル画面が見えなくても使えるんだろうし…)

 僕はカーテンを開けて窓からの景色を見る。雨上がりの晴れた空に、綺麗な虹が架かっていた。

 便利だったが同時に目障りでもあった、右上のゲージや様々な数字が見えなくなった状態で見えたその景色に、この世界はこんなに綺麗だったのかと…僕は感動する。

(これからは…数字に頼らず、僕自身の力で生きて行こう)

 僕は目の前の虹に、そんなことを誓った。


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 「私」は、昨日息子との最後の「テストプログラムに関するデータ分析」を終え、息子が寝てから「テストプログラム」をオフにした後、徹夜で前から取り掛かっていた一つの報告書を完成させた。

 それを今、リモート会議で共同研究者に見せている。

「…息子の件ですが、昨日、無事中学校を卒業して…先程「テストプログラム」はオフにしました。その後どうなるか見守っていくつもりですが…まあ成功といっていいでしょう。このプログラムを使う中で彼自身…傍から見てわかるくらい目覚ましい成長を遂げてくれましたから」

 私がそう言うと、パソコン画面の向こうの共同研究者が尋ねる。

「では、他の…不登校の子に対しても、同じように効果を発揮しますかね?」

「それは…なんともわかりませんが、生き辛さを感じている世の中の子供たちの、ちょっとした生き方のヒントになる可能性は秘めているかとは思います」

「では、今度は別の子で試してみましょう。よかったですね、お子さん…無事に卒業できて」

「はい、それもこれも、皆様のおかげですよ」

「とはいえ、この研究のアイデア自体はあなたのものでしょう」

「まあ、子供と一緒にゲームをした時のほんの思い付きですが…こんな難しいプログラム、形にしてくれるとは思ってもみませんでしたから」

「まだまだ実験段階ですが、これをいつの日か実用化して…多くの子供たちが学校に復帰できるといいですね」

「ええ、全く」

 そう言って私たち研究者二人は、お互い画面越しに微笑む。



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逃げるの達人【ツクール×カクヨム】 ほのなえ @honokanaeko

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