第15話『雷雲』

 その日は朝から雷雨だった。王立魔導学院の森の東、アミーカは首の後ろを押さえて小刻みに震えていた。遠くでバリバリ、と音がして雷が落ちる。

「……クソ」

すでに塞がった傷が痛む。半世紀以上前に終わったはずの戦火がチラチラとよみがえり、カラスは詰まった息をゆっくり吐き出す。

「大丈夫、大丈夫。何てことない……」

また雷が落ちる。傷はピリピリと痛み熱を持った。




 無事月末試験が終わり、目を覚ましたサシャは日課のジョギングはやめたほうがいいだろうな、と窓辺から雷雲を見上げた。

(アミーカとフラターどこにいるかな?)

この天気の悪さだ。このあと雨に濡れる可能性がある。

「二人とも、今どこ?」

「オレ寮にいっから! ヘーキっす!」

フラターは精霊寮で友だちとお喋りをしているのだろう。

 じゃあ大丈夫か、とサシャが息をつくとアミーカが影へ戻ってくる。

「あ、おかえりー」

 アミーカがいつも以上に静かで、サシャは違和感を覚え彼を影から呼び出した。

「アミーカ?」

人型を取ったカラスは目を合わせずじっと口を閉じている。サシャは両腕を広げた。

「おいで」

 アミーカは素直に甘えてきた。触れ合うと雷のせいで戦いの傷が痛むのだとわかり、サシャはゆっくりカラスを撫でた。

「大丈夫、大丈夫。ここには何にも怖いものないよ。なーんにも、怖くないからね」

 サシャの地元にも退役軍人の男性がいた。やはりこう言う雷雨の時に傷が痛むらしく、サシャはよく彼のお見舞いに行っていた。

「そのお爺さん、私の手を薬の手だって言ってた。触るだけで傷が治る奇跡の手なんだってさ。ま、気休めになるって意味なんだろうけど……」

ゆっくり撫で続けるとアミーカは珍しく涙をにじませた。

(ああ、本当につらそう……)

これは良くない、とサシャはフラターへアミーカが弱っていることを情景で伝える。サシャの頭にフラターのびっくりした気配が返ってくる。

 相棒が心配になったのだろう。フラターは精霊寮からクッキーや飴、フルーツがぎっしり詰まったパウンドケーキを持ってきた。

「おい、そう言う時は甘いモンだぞ! 冗談じゃなく!」

 フラターはベッドの上でサシャの膝を借り横になっている相棒を見て目を丸くし、元気がない背中をそっと撫でた。

主人マスター、こいつ今日バイトなんすよ」

「え、ダメだよ。こんな状態じゃ」

「オレもそう思うっすけど……。こいつのことだから行くって言いそう」

「わかるけど、ダメだよ。いいねアミーカ?」

今日は休みなさいね、と柔らかく命令するとアミーカは逡巡しゅんじゅんしたあと、静かに頷いた。

 サシャとフラターはホッとしてお互いを見る。

「BARにお休みしますって連絡しないとね」

「……あ」

フラターはいいことを思いついて主人へ提案した。




 アミーカによく似たカラスがにこやかな顔で現れるとBAR『妖精の栄光アールヴレズル』の店主オーレリアン・コルトーは嬉しくもあり、やはり驚いた。

「よく似てるねえ! 双子!?」

「よく言われるんすよー。年齢全然違うんすけどね〜」

オレのほうが若くてツヤツヤでしょ? とフラターはバッチリウインクをした。


 BARに来たアミーカ目当ての客たちはフラターを見ると驚いた。

「あら、アミーカくんお休み!? ま〜」

残念だわ〜と言うご婦人にフラターは笑顔と共にブランデーを勧める。

「このブランデー、あいつが好きでして」

「えっ、そうなの? 頂くわ」


 休憩時間に厨房の奥でまかないをもらったフラターは黙々と口を動かす。その顔を見たバーテンダーの一人は感心するように息をついた。

「そうやって黙ってるとそっくりだねー」

フラターはパスタを飲み込むとニコッと笑顔を作った。バーテンダーは半分残念そうに、半分嬉しそうに顔をクシャッとさせる。

「アミーカくんなら絶対そう言う顔しないから、なんか複雑」

「あいつ普段スーンッてしてますもんねー」

 フラターはわざとアミーカっぽい立ち姿をしてサッとお皿を差し出す。

「こう言う」

「そうそう、本当に」


 アミーカ目当ての客の一人、どこぞの警部もフラターを見ると驚いた。

(ああ、もう一人の!)

「すみませーん、あいつ今日休みでぇ」

「休み……何かあったのかい?」

「んー、ちょっと熱出したって言いますか。風邪じゃないんですけどねー」

フラターはサッサッと警部のグラスにお代わりを注ぐ。

「お客さんもあいつ目当てで?」

「ん? ああ、まあな。でも君もとってもいい」

「おっと? 浮気は感心しませんよ?」

フラターはニンマリ目を細める。無邪気な少年のような雰囲気から一転、狡猾こうかつさがにじみ警部はヒヤッとした。

(演技が上手い部類か)

「あいつみたいな愚直なカラスは珍しいですよ」

「ん? ああ、そうかもしれんな」

「オレみたいにぺちゃくちゃお喋りやかましいのがカラスっすからね〜。カラスが鳴いたら帰りましょーってやつ?」

 フラターはほかの客の相手もしつつ、自分をじっくりながめる警部へにっこりと笑いかける。

「そんなに似てます?」

「ああいや、実は君のほうも一度見かけていてね」

「オレも覚えてますよ、カフェオレの刑事さん。あいつが珍しく知り合いに差し入れしたいとか言うから何事かと思いました」

「刑事じゃなく警部なんだがね」

「おっと、失礼いたしました。じゃ、これおびに」

フラターはオリーブの塩漬けを一個オマケする。

「店長〜オレも飲んでいいっすか?」

「あらっ、じゃあ私おごったげる!」

「え、やったー♡」

 フラターは女性客と乾杯をする。警部はアミーカならしれっと酒を差し出して自分は飲んだりしないんだろうな、と思いながらグラスを傾けた。




 サシャは学園の丘で一人、こっそりと不思議な液体の金の触媒しょくばいを取り出した。触媒しょくばいは少女の思考に滑らかについてきて、様々な形に変化する。

(不思議……。考えがそのまま形になるみたいな……)

花、うさぎのぬいぐるみ、コーヒーカップ。ノートとペン。

 杖にしてみよう、とサシャが考えると金はまず腕輪となって少女の両腕をおおい、それから質量を無視して増え、長い長い杖の形になる。

「おおっ、おっ……?」

金がひたすら長くなるのでおかしいなと思い杖の形状は諦める。

「壊れた訳じゃないよね? なんだろう……」

「何か足りないんじゃない?」

 気配もなくマシューがそばまで寄ってきていたのでサシャは飛び上がった。マシューは今日も白銀の月のごとく微笑む。

「いつから!?」

「お花作ってるあたりから」

「最初からじゃん!!」

 サシャはこの金の触媒しょくばいを手に入れた経緯を、皇太后こうたいごうが関わっていることだけ伏せておおよそ話した。

「ふーん? 不思議だね」

「そうでしょう?」

金の触媒しょくばいはサシャの思考に反応して波打つ。

「さっきの杖の感じ、本当は先端に飾りがあるんじゃないかな?」

「飾り?」

王笏おうしゃくみたいな。まあ、王笏おうしゃくは言い過ぎかもしれないけど……。先端に宝石が飾られてる古い大きな杖、あるでしょう?」

サシャは古い時代劇にありがちな杖を思い浮かべる。

「あー、いかにもコッテコテのローブととんがり帽子のお爺ちゃん魔法使いが使ってる……」

「そうそう。ドラマ映えするからってよく付いてる」

(ギラギラのつかにデカデカの宝石? そんな派手な杖いらない……)




 どこかの山奥。ラウレンツ・ブラックウッドの工房には太陽神ソルの杖を飾っていたとされる見事なダイヤモンドが大切に保管されていた。杖の本体であるオリハルコンは手に入れられなかったものの、ラウレンツは時々厳重に封印された箱を開け、宝石を取り出しうっとりとする。

「早くソルに持たせてやらねばな」

 ラウレンツと同じ、星のない夜のような色の髪と瞳のオリヴィエは、主人が機嫌良く箱をながめている様子を物陰からじっと見つめた。


 ボロを着たオリヴィエは王立魔導学院の初等部から高等部が収まっているキャンパスのすぐ近くへテレポートで移動した。

(今日こそ太陽神さまをお連れしないと……)

 道端の飲食店や花屋の、従業員や使い魔たちはオリヴィエを見るとぎょっとしてホウキを振り回す。

「しっしっ、あっちへお行き!」

 はたから見れば浮浪者か、野良の精霊に見えるオリヴィエはどこへ行ってもこんな扱いで、彼はこれが当然だと考えていた。

「お恵みを、お恵みを」

 オリヴィエは物乞ものごいのフリをしながら、ホムンクルスの娘ソルそっくりだと言う少女を探して学園の周辺をうろつく。

 すると結界の中から友人たちと一緒に買い物へ行こうとサシャが出てくる。

 オリヴィエはその太陽のような髪と瞳を見て、心の底から感動した。

「きれい……」

ホムンクルスの娘ソルも白金の髪と瞳で美しかったが、目の前の少女はまさしく太陽だった。

 道の真ん中で姿を隠すことすら忘れてしまったオリヴィエは、ただただサシャを見つめる。サシャは浮浪者の姿に驚いたが、マシューやアガサ、アリス、オルフェオと顔を見合わせるとショルダーバッグの中を探った。

「あの、これ良かったら」

 サシャは購買で買ったチョコレートとレモンキャンディをオリヴィエへ差し出した。

「い、い、いい……」

 もらってもいいのですか、と言いたかったが上手く言葉が出てこず、オリヴィエは震える手でチョコと飴を受け取る。

「それしか持ってないけど、よかったら食べて」

 オリヴィエは去っていく“天の花嫁”の後ろ姿をぼーっとながめてから、捕まえて連れていくはずだったことを思い出しハッとした。

(あんな綺麗な人、初めて見た……)

オリヴィエは手の温度でチョコレートが溶けていくのを見て、慌てて口へ入れる。くしゃくしゃになった包装は食べ物ではないらしい。初めて食べたチョコレートは甘く、刺激的で体に活力をもたらした。

「ん……」

美味しいという言葉すら知らないオリヴィエはその場に立ち尽くしてうっとりとした。




 雷雨が去り、アミーカがBAR『妖精の栄光アールヴレズル』へ顔を出すと店主オーレリアンや同僚たちバーテンダーはホッとした顔で喜んだ。

「ご迷惑おかけしました」

「大丈夫〜? 今日も調子悪かったら無理しないでね」

 普段通り接客を始めたアミーカは、何故か客が自分の好きなブランデーや、一切口に出していない主人サシャとの小話を知っていて驚く。


「あの喉白のどじろのクソッタレ……」

 アミーカは休憩時間に厨房の奥でどすの利いた声を出した。

「うわ、どうしたの?」

「……別になんでも」

タバコが吸いたくなったアミーカはポケットをまさぐって、最近全く吸っておらず持ち歩いてすらいないことに気付いて余計にイラッとした。

「はぁー……」

「おーい、アミーカくん。顔が怖いよー」

 オーレリアンはブランデー入りのココアを淹れ、アミーカへ差し出す。

「疲れた時は甘いもの。って言っても甘さはほとんどないやつ」

アミーカは店主の気遣いを受け取り、香り高いココアをちまちまと飲み込む。

「どうかした? やっぱり調子悪い?」

「ああ、いえ。タバコ忘れたなと思って」

「アミーカくん吸うの!? なんだ早く言ってちょうだい!」

オーレリアンはホイ、とエプロンのポケットからタバコを差し出した。

「いただきます」

あとで大事に吸おうと思い、アミーカはタバコを胸ポケットへしまう。

「お客さんに勧められても断ってたからてっきり吸わないもんだと思ってたよ」

「最近必要なかったんです」

アミーカはココアの水面を見ながら主人の笑顔を思い出す。

「口が寂しくて吸ってただけなので」

「あー、ふんふん……」

カラスが顔を上げるとオーレリアンはにんまりしていた。

「ご主人様に出会って以降タバコは必要なかったんだね」

「まあ、そうです」

「いやー、いい話。ねえ?」

同僚たちも厨房で手を動かしつつニコニコとする。

「そう言う話大好きなんで、もっとしてくださーい」

「アミーカ君あんまりプライベートは話さないもんねえ」

(いつ切るかわかんねえ関係の人間にベラベラ喋る訳ねえだろうが……)


 アミーカはもらったタバコを吸うため、店主たちに断って裏口から外へ出た。人の姿に化けゴミ箱を漁っているネズミの精霊がおり、アミーカはその背中を蹴飛ばす。ネズミはびっくりして変身を解き汚い路地の隙間へ逃げ込んだ。

「チッ」

アミーカは魔法でタバコの先に火をつけ一服する。

 スーッと煙が高く上がっていくのをながめつつ、カラスは煙を吐き出した。

(俺もサシャに拾われるまではあんなんだったな)

ゴミ漁りはしなかったものの、汚い路地でボロ雑巾のように転がり酒とタバコにまみれていた。最初は酒臭かった体も、今やすっかり花やハーブの香りだ。

 アミーカは自分の腕を嗅いでみて、今日はサシャが使う枕につけられたラベンダーの香りがすることを確かめる。

「……フン」

タバコはこれで最後にしよう、とカラスはうんと短くなるまでタバコを噛み締めた。




 再びサシャを取り逃したオリヴィエはラウレンツから激しく左頬を叩かれた。続いて右頬も叩かれ、クラクラして立っているのが難しくなりその場に崩れ落ちる。

「次は期待する、と、言ったはずだが」

「もう、申し訳ございません……」

ラウレンツは自分の体の一部を使って作った人工精霊オリヴィエを見下ろし、苛立ちをすぐそばの椅子へぶつけた。

 激しい物音に驚いてオリヴィエは首をすくめる。

「次は丁重にお連れしろ」

「はい……」

 主人の部屋を離れ物陰へ隠れたオリヴィエはポロポロと目からこぼれる透明な液体を不思議に思った。

(これ、何だろう……)

主人から叩かれたことは何度もある。そのたびに食事を抜かれても何とも思わなかった。常に空腹で常に空虚だったから。それが当然だから。

 オリヴィエは太陽の写しからもらった飴玉を取り出した。食べても美味しくなかった薄い包装をがし、中身だけを口入れる。硬いが、甘い。それから知らない香りと味がする。コロコロと丸い食べ物を口の中で転がせば、何かが満たされる気がした。

(また、欲しいな……)

あの太陽をもう一度見たい。もう一度微笑んでほしい。

あの人に喜んでもらいたい。

オリヴィエは自分の欲求に気付き、顔を上げた。

 ラウレンツは散々、主人の部屋にあるものは全て太陽神のものだと話していた。だったら彼女へ返さなければ。

 オリヴィエはダイヤモンドが入っている箱を持ち上げた。この部屋で一番キラキラして美しいもの。

「何をしている」

 ラウレンツの冷たい声がしても、オリヴィエは怖くなかった。右も左も分からないけど、初めて自分が正しいと思った。

「太陽神さまに、お返しします」

 ラウレンツは初めてオリヴィエが自分の意思を示したことに感心した。

「お返しする、か。なるほど」

 ラウレンツは逡巡しゅんじゅんし、納得したのか頷いた。

「いいだろう。お返ししてきなさい」

ラウレンツは杖を振ると厳重に閉ざされていた封印を解き、大きなダイヤモンドをあらわにした。

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