第二幕 前半

第13話『小路の先の気になるカラス』

 朝っぱらからあまりに衝撃的な光景を見てしまい、フラターは愕然がくぜんとしていた。あの無口寡黙かもく警戒心MAXの相棒アミーカが、マシューの使い魔、白フクロウのジェミニと抱き合い熱〜く口を吸い合っているのだ。

(うぇええーっ!?)

場所は学園の東の森。精霊寮から一番遠い大きな木の陰。

 フラターは目の前の光景が信じられず、あまりのショックにそうっとその場を歩いて離れ、全速力で飛んで逃げた。




 まだ朝の早い時間。サシャは日課のジョギングを終えて購買の前で立ち尽くしていた。少女は学園内で販売されている新聞を手に溜め息をつく。サシャとカラスの騎士たちが遭遇そうぐうした事件は、オールドローズ通りの近くで起きた強盗未遂事件として報道されている。

(ただの強盗なら、あんなに警戒して私を守る必要ないはずよ)

 サシャが飲み物を買おうと棚をのぞくと大きな影ができて驚く。振り返るとそこには己の騎士アミーカが立っていた。

「ほ、アミーカ」

カラスは黙って炭酸のレモンジュースを購入する。

「ありがとう」

サシャはボトルを開け、きゅっと飲み物をあおる。

「ふはぁ」

アミーカは主人の満足そうな表情を見ると口の端を上げ、「一口欲しい」と要求する。

「最近アミーカが甘えん坊で嬉しい」

「思ったことそのまま口に出すんじゃねえ」

「うふふ、照れ屋さん」

少女は己のためにかがんだ騎士の頭を撫で、抱きしめ、おでこにキスをする。

 アミーカはここ数時間考えていたことを主人に伝えようと、口を開いた。

「……俺もバイトする」

「えっ!?」

「戦後の物価の感覚でいたら予想より消費ペースが早い。念の為増やしておきたい」

「い、いいけど……」

突然の話だったのでサシャは驚いて胸に手を当てる。

「もちろん、相方フラターと交代だ。お前を一人にはしない。昨日の今日で危ねえしな」

サシャはアミーカが言葉に含めていない思考をうっすら読み取った。

「……あの事件の情報収集?」

アミーカはチラッと主人の目を見つめ、無言で肯定した。

「いいけど、危ないと思ったらすぐ帰ってきてね」

「無茶はしない」

主人の許可を得たアミーカは姿勢を戻した。




 アミーカはオールドローズ通りの近くでアルバイトの募集を数件当たってみた。接客を必要としない職では月曜日から金曜日までフルタイムで働かされるものが多く、いつ主人のために、またフラターのシフトが変わるかわからないアミーカには不向きだった。

 無愛想は自覚している。器用なフラターと違ってお客様のためにニッコリ、なんてことは出来ない。接客業はまず無理だ。そう思っていたのだが……。


 夜、サシャが眠ったあとアミーカは街で手に入れたワインの小瓶をフラターへ差し出した。

「BAR!?」

 ジェミニと口を吸い合っていた相棒が次はBARで働き出すなどと言うものだからフラターは目眩めまいがした。

「てめえ接客業一番向いてねえだろうが!?」

「俺もそう思ったんだが、人の噂が集まりやすい場所でシフトの組み方が比較的自由となると昼の職業じゃ難しくてな」

アミーカはフラターの覚えの良さを知っているため、情景を使って瞬時に様々な思考を見せる。

「っへー、事件の裏で何があったか調べるついでに金稼ぎ?」

「三ヶ月続けばいい」

「あそー!」

フラターはお好きに! と言って酒瓶をあおる。

「この酒そこで買ったんか」

「最近のBARは自社ブランドのワインやウイスキーも売ってるらしい。宣伝ついでに持って行けと」

「なるほどねー」

フラターはBAR『妖精の栄光アールヴレズル』の名前と共に、王家ゆかりの紋章が刻まれた豪華なボトルを見つめた。




 精霊の騎士というのは主人の要望を叶えるため常に主人の言動を観察し、先回りして行動する。フラターは愛想がよく計算の上で表情を作れるためお喋りを含めた接客が可能だが、アミーカは気軽なトークができない。

 それでもいいと言ってくれたBAR『妖精の栄光アールヴレズル』の店主オーレリアン・コルトーは、バーテンダーの制服に身を包み黙ってグラスを拭くアミーカの立ち姿をながめた。

「うーん、イイ! 顔が! 背も高くて最高!」

ほかのバーテンダーたちも手を動かしながらニコニコとアミーカを見つめる。

「いやー、思いがけないお宝ボン・トレゾールでしたね店長!」

「ほんっとうに! こんな素敵な騎士がうちに来てくれるとは!」

 オーレリアンはもっさりとした髪とメガネのまま破顔した。

「うちはねえ、ちょっと奥まった場所にあるでしょ? 客層の良さと隠れ家的な居心地の良さが売りなんだけど、表通りのBARみたいに華やかでパッとした印象がなくてねぇ……」

「てめえでそれ言っちゃ駄目だろうが」

「ビラ配り、よろしく頼むよ〜。イケメン振り撒いてきて!」


 こんな無愛想を目当てに客など来るものか。アミーカはそう思いつつも店へ続く小路こみちがある表通りでビラを配った。道ゆく魔法使いもそうじゃない女性もアミーカの顔や姿をチラチラっと気にして笑顔になる。

「あの、このお店どこですか?」

「この道の先です」

「あなたが接客してくれるの?」

「はい」


 早速三人組の女性客をつかまえたアミーカはビラ配りを切り上げカウンターへ入った。オーレリアンはご機嫌で接客を開始する。

 アミーカはサシャにしているように女性たちの視線や口元を観察し、良さそうなタイミングでグラスを片付けたりお冷を出す。

 トイレへ立った女性が濡れた手のまま戻ってきたのを見て、カラスは乾いたナプキンをさっと差し出した。

「あら、ありがとう」

 客が帰るのでアミーカがレジに立つと、女性たちは金を支払いながら騎士へ微笑む。

「ご主人様はいるの?」

「はい」

「どんな方?」

「お優しい方です」

「羨ましいわぁ。こんな綺麗な顔の騎士がいるなんて」

「気も利くし。ねえ?」

 女性たちが大満足で帰っていったのを見て、オーレリアンは思わずガッツポーズをした。

「イイ! イイよアミーカ君! その調子でお願いね!」




 アミーカが数日続けて顔を出すと女性客が増え始めた。まとまった人数が押し寄せるのではなく、口コミ式にじわりじわりと増えていく。

 サシャの学校生活を気にしつつフラターのシフトも見守り、気づけばアミーカはBARで十日ほど働いていた。


 BARに珍しく五人組の予約客が来るらしく、店主はご機嫌で準備をする。本格的な食事も用意するので、営業時間全てをこの客のために使うと言っても過言ではない。アミーカも張り切って店主の手伝いをする。

 お客様はずいぶん綺麗な身なりをした紳士たちで、年齢は壮年から中年といった風。仕事盛りの脂がのった男たちだった。

 彼らは席につくと丁度よく飲み物を持ってきたアミーカを笑顔で見つめる。

「よく手入れされた精霊だな。主人は?」

「おります」

「それはわかる。女性か? 男性か? ここの店員か?」

「……ここにはおりません」

「ほう」

客たちは和やかにワインと食事を楽しみ始めた。

 しばらくすると男性たちは真剣な表情になって仕事の話を始める。

「例の事件、結局主犯らしき相手は捕まらなかったな」

アミーカは来た、と神経を耳に集中させた。

「全く困ったものだ。目撃者が少ないのがな……」

 紳士の一人がチラ、とアミーカを見たのでカラスはさっと席へ寄った。

「はい、お客様」

「君は半月前の事件は知っているかね?」

「表通りの、でしょうか? はい」

「犯人らしい男が逃走して行くのを見た人がいるんだが、君はどうだ? 見たか?」

「いいえ。主人あるじの安全を確保しておりました」

「ああ、それもそうか」

男たちがアミーカから興味をなくしたのでカラスはそっと席を離れる。

 オーレリアンはニコニコしてアミーカに小声で話しかける。

「アミーカ君は本当によく気がつくね」

「まあ、主人あるじの時とそう変わらないので」

「うちの接客はトーク力以上に先回りが大事だからね。心地よく飲んでいただいて家のようにくつろいでいただかないと」

店主は客のグラスの空き具合を見て次の飲み物を準備する。

 話の傾向から男たちが警察機関に所属していると推測したアミーカは、なるべくちょこちょこと顔を見せる。

 客の一人はアミーカを気に入ったのかニコニコと見つめた。

「その容姿の良さは生まれつきか? 主人の訓練の賜物たまものか?」

「主人の好みに合わせております」

本当は生まれのままだが、サシャがアミーカの見た目を気に入っているのでどちらも嘘ではない。客が気に入りそうなほうで答えると紳士は歯を見せた。

「そうかそうか、よい使い魔だ」

「ありがとうございます」

 男性は食器を片付けるアミーカを笑顔で見つめながら溜め息をついた。

「娘の使い魔もあのくらい見た目がよかったらなぁ」

「結局変身魔法は不得意なままか?」

「ああ、全然ダメだ。専用のスクールにも通わせたのにいまいちパッとしない。どうしたものか」

この男は使い魔を愛玩あいがんのために娘へ与えたようだ。

(フラターが言うところのワガママお嬢様だな)

アミーカは今頃眠りの国にいるであろう主人の寝顔を想像する。

(……早く帰りたい)

カウンターの向こうでアミーカがふっと表情を和らげると客はおっという顔をした。


 男たちは本格的に食事を始める。アミーカのことをさらに気に入った男性たちはカラスを席へ招いてワインをおごった。

「なるほど騎士か。通りで人の姿が美しいはずだ」

「騎士をつけているなら主人はよほど麗しい方だろう?」

「はい」

「まあ、これだけ手入れされていて主人がそこらの安いバーガー屋の店員なんてことはないだろう」

アミーカは客のグラスが空いていることに気付きボトルを差し出す。

「おお、ありがとう」

 カラスにワインを注いでもらった男は機嫌をよくする。

「これだけ気遣いのできる使い魔なら、きっと我々なんぞ目じゃないようなお屋敷の方だろうな」

「カラスだと……ベルフェス家の方か?」

「おっとっと、それ以上突っ込むと最悪首が飛ぶからやめよう」

「上司もろとも左遷させんは困るな」

「ははは」

 顔の赤い男たちはアミーカに人差し指を立てて見せる。

「当たり障りのない範囲でいいから主人のことを教えてくれ」

「そう申されましても……」

アミーカは当たり障りのない範囲でなら喋り尽くしたが、と困惑する。

「優しく気立てのよい主人なのはわかった。例えばそうだな……思い出話とか」

「思い出……」

こう言う時フラターならスラスラ嘘半分冗談半分にありもしない思い出を語れるんだろうな、とアミーカは中空を見上げた。

「……こまめにおやつをくださるのですが」

「ほう!」

アミーカは思わずふっと微笑む。

「主人は甘いものが好きで、私は甘いものが得意ではないのです」

「では専用の菓子を買い与えているのか?」

「ええ、まあ」

「なんとまあ」

優しいを通り越して使い魔へ気遣いをしていると聞いた男たちは思わずうなる。

「どこの良家のお嬢様だ? ますます気になる」

「いやいや、男性かもしれんぞ」

「男でそれだけ気が遣えるならどこかの領主だぞ」

「あまり突っ込むと怖いな。ほかには?」

アミーカはうーんと首をひねる。

(よく撫でてもらう話? 大して面白くないな。学校生活に触れると身元がバレるし……)

アミーカがじっと考えるあいだ男たちは静かに待つ。

「……すみません、お客様に喜んでいただけそうなエピソードがなく……」

「いやいや、些細ささいなものでいい」

 些細ささいな、と聞いてアミーカは明るくなってきた窓の外を見た。客たちも思わずつられて外を見る。

「美しく、お優しいです。怖いくらいに」

 彼女はそろそろ目を覚ますだろう。あのオレンジ色のまつ毛が持ち上がり、のような瞳が現れる瞬間をアミーカは思い出していた。

 騎士の目つきが柔らかくなり、恋しそうに薄明を見つめるので男たちはお互いの顔を見やってしまった。


 客が帰ったあと店主オーレリアンは食事とワインの残り物をアミーカへ持たせた。

「アミーカ君はご主人様大好きなんだねえ」

「そうでもなきゃこんなことしません」

「バイトのこと? そう!」

オーレリアンは嬉しそうに大きく笑った。




 オールドローズ通りで事件があったあと。場所が王立魔導学院の近くだったために、学園周辺の警備が厳重になった。警部は寒いなか学園のへいの前で部下と共に見張りに立たされ、両手に息を吹きかけ身を震わせた。

(今夜またあのBARに行くか)

あの美しいカラスの騎士はいるだろうか?

 警部がそう思いながら手をこすっていると、いかにも火属性な赤毛の十二、三歳の男子たちが彼を見てニヤニヤしている。仕事中に貴族の子息たちに馬鹿にされ、男はげんなりした。しかしあの子供たちも大人になれば自分の組織の上役になる。頭に来るからと言って追い散らすことは許されない。

(はー、クソ……)

 子供たちとなるべく目を合わせないようにしていた警部は、目の前に持ち歩き用のカフェオレを突き出されてびっくりした。

 杖を構えかけた警部は、カフェオレを差し出した男が三角帽をかぶったつやのある美しい黒目と黒髪だったのでさらに驚いた。

「あっ……」

あのBARのカラスだ。

精霊の騎士は黙ってカフェオレを眼前に突き出す。

 警部がカップを受け取るとカラスはそのまま通りを歩いていった。

 騎士を目で追うと、その先にはオレンジゴールドの髪の少女がもう一人カラスの騎士を従えて待っている。少女は戻ってきた騎士と手を繋ぐと学園の結界の中へ消えていった。

 警部はポカンとして少女と騎士が消えた場所を見つめ、カフェオレのフタを開いた。ふわ、とブランデーが香る。本来仕事中に飲酒は許されないが、カラスの気遣いだろう。

一口飲めば指先がじわじわと温かくなる。

「……美味い」

 警部はもう一度学園の入り口を見つめた。

 ブランデー入りのカフェオレをちまちま飲み進めながら、警部はオレンジゴールドの髪の少女とカラスの騎士に思いをせる。

おやつをこまめに。

甘いものが得意ではないので。

 太陽のような少女が濡羽色ぬればいろの騎士たちにおやつをあげ、大切に撫でる。あの毛艶けづやだ、ブラッシングもされているだろう。壊れたぬいぐるみのように振り回すでもなく、見た目のよさをひけらかすでもない。

(家族か)

 あの少女と騎士は家族なんだ。そう思えばあの優しい眼差しにも合点がてんがいく。

 警部はカフェオレで温まった息を頭の上へ吐いた。

「……今日くらい寝る前のマリーへ顔を見せるか……」

ここ一年は昇進を急いで家庭をおろそかにしていた気がする。警部は残りの時間も頑張るべく、カフェオレを飲み切って気を引き締めた。

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